『刃紋の証言 ~江戸刀剣鑑定控・一葉~』

月影 朔

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第四話:偽りの銘(めい) ~写しが生んだ悲劇~

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 秋の気配が色濃くなった頃、一葉の鑑定所に、一人の裕福そうな商人が駆け込んできた。名を越後屋(えちごや)といい、青白い顔には焦りと悔恨の色が浮かんでいる。

「先生! まことにお恥ずかしい次第…どうか、この刀を見ていただけますか?」

 越後屋が差し出したのは、黒塗りの見事な拵(こしら)えに収められた一振りだった。
鞘から抜き放つと、現れたのは、まばゆいばかりに研ぎ澄まされた刀身。流れるような刃文(はもん)、鍛え抜かれた地鉄(じがね)。そして、茎(なかご)には、江戸でも指折りの刀工「兼光(かねみつ)」の銘が堂々と刻まれている。

「これは…名工、兼光(かねみつ)の作と?」一葉は刀を受け取り、静かに頷いた。兼光は、その切れ味と美しさで知られ、多くの武士や商人から求められる刀工だ。

「左様でございます。先日、ある筋から、兼光の傑作と謳われる一振りを、破格の値で譲り受けましてございます。」越後屋は語った。
「家宝にしようと、意気揚々と手に入れたのですが…どうも、腑(ふ)に落ちぬ点がございまして…。」

 越後屋は、刀を手に入れて以来、何となく落ち着かない気分が続いているという。名工の刀を手に入れた喜びよりも、漠然とした不安の方が大きいのだ。

「手に入れた喜びより、不安…それは、なぜでしょう?」

「それが…どうにもうまく言い表せぬのですが…この刀、あまりに…綺麗すぎるのです。」
越後屋は言葉を選んだ。

「兼光の刀は、確かに美しい。ですが、どこかに厳しさ、あるいは作刀時の苦労の跡のようなものが感じられるものだと聞いております。しかし、この刀は…あまりに整いすぎていて、まるで…まるで、魂が入っておらぬように感じられるのです。」

 魂が入っていない。それは、単なる感覚的なものだろうか。だが、刀に触れる人間の直感は、往々にして真実を捉えていることがある。

 一葉は、刀を鑑定台に置き、本格的な鑑定を始めた。光を当て、刃文を様々な角度から観察する。流れるような刃文…一見すると、兼光の特徴的な作風に見える。
しかし、一葉の鋭い眼差しは、その流れるような刃文の中に、微かな、しかし決定的な「不自然さ」を見抜いた。

「この刃文…兼光の作風を非常によく捉えています。ですが…」

 一葉は、指先で刀身の表面をなぞった。肌理(きめ)細やかな地鉄…一見すると、兼光が用いる玉鋼(たまはがね)の質と鍛錬方法に似ている。だが、一葉の指先は、その肌理の中に、本物にはない、ほんの僅かな「違和感」を感じ取った。

「地鉄の肌理…これも兼光のようですが、どこか…均一すぎる。」

 一葉は、さらに茎(なかご)に目を向けた。銘(刀工の名前)が刻まれている。力強く、兼光特有の銘の切り方に見える。
しかし、一葉は、鏨(たがね)の跡の深さ、打ち込む角度、そして銘全体のバランスの中に、本物とは異なる「癖」を見抜いた。

「銘の切り方…兼光のようですが、力強さの中に、どこか…迷いのようなものが感じられます。そして、鏨の角度が…本物とはほんの僅かに違う。」

 一葉の鑑定は、単なる物理的な観察ではない。刀が作られる過程、刀工の息遣い、鉄と向き合う刀工の心までをも読み解こうとするものだ。彼女には、この刀が「兼光によって作られた」という銘の言葉とは異なる、「偽りの声」を上げているように感じられた。

「この刀は…兼光の作ではございません。」

 一葉は静かに告げた。越後屋は、その言葉に息を呑んだ。

「で、ですが…銘が…」

「銘は…巧妙に刻まれた、偽りの銘です。」
一葉は言った。「これは…非常に精巧に作られた、兼光の『写し』(うつし)でしょう。」

 写し。名工の技を学ぶために作られる模倣刀。しかし、この写しは、学ぶためではなく、人を騙すために作られた贋作だ。

 越後屋は愕然とした。破格の値で手に入れた「兼光の傑作」は、巧妙な偽物だったのだ。
騙されたことへの怒り、そして、贋作に大金を投じてしまったことへの悔恨が、彼の顔に浮かぶ。

「では…これは、ただの贋作に過ぎぬと…。」

「いえ、これはただの贋作ではございません。」一葉は言った。

「これほど精巧な写しを作れる刀工は、並大抵の腕ではございません。兼光の作風、技法を、隅々まで理解している。おそらく…兼光に師事した者か、あるいは、兼光の刀を長年研究し尽くした者でしょう。」

 一葉は、写しの中に、本物とは異なる「息遣い」を感じ取っていた。
それは、写しを作った刀工自身の個性であり、苦悩だった。完璧に兼光を模倣しようとしながらも、どうしても拭いきれなかった、作り手自身の影。

「この写しを作った者は…兼光の技を深く敬愛していたのでしょう。ですが…何らかの理由で、偽りの銘を刻まざるを得なかった。」

 なぜ、これほど精巧な写しが作られ、偽りの銘が刻まれたのか? 
一葉は、写しの中に隠された、作り手の「物語」を読み解こうとした。刀身に残された、通常ではつかない微細な傷。それは、作刀時の苦悩か、あるいは…

 一葉は、越後屋から、この刀を手に入れた経緯、そしてその刀を譲った人物について詳しく聞き出した。譲ったのは、最近江戸に現れた、胡散臭い刀剣商人だという。その商人は、兼光の刀を多く扱っていると触れ回っていたらしい。

 一葉は、この写しがたどってきた道、そして、この写しが作られた背景にある人間ドラマを推理した。腕は確かだが、何らかの事情で名を上げられぬ刀工。あるいは、多額の借金を抱え、贋作に手を出さざるを得なかった者。
そして、その贋作を利用して金儲けを企む悪徳商人。

 一葉は、田島同心に、越後屋の件、そしてこの精巧な写しについて伝えた。田島同心たちは、胡散臭い刀剣商人について探索を開始した。

 数日後、田島同心から報告が入る。胡散臭い刀剣商人は、すでに江戸から姿を消していたという。
しかし、彼が使っていた隠れ家から、この写しを作ったと思われる刀工に関する手掛かりが見つかった。その刀工は、かつて兼光に師事していたが、ある事情で破門され、今は困窮しているという。そして、その刀工が、多額の借金を抱え、裏社会と関わりを持っていた可能性が示唆された。

 一葉は、その刀工が、多額の借金返済のために、あるいは家族のために、兼光の写しを作り、裏社会の仲介者を通して売りに出していたのだろうと推理した。
それは、名工を志した刀工にとって、どれほど苦しく、悔しい行いだっただろうか。写しの中に感じられた「迷い」は、その苦悩の跡だったのかもしれない。

 そして、一葉の脳裏に、「影追」という言葉がよぎる。裏社会と関わりを持ち、曰くつきの刀を集めている者たち。

「影追」が、なぜこのような精巧な写しに関心を示すのか? 彼らは曰くつきの「本物」を求めているはずだ。単なる贋作に興味を示す理由があるのだろうか?

 一葉は、田島同心に、破門された刀工と「影追」との関連について探るよう依頼した。そして、刀工が多額の借金を負った背景に、「影追」が関わっていた可能性も示唆した。
もしかすると、「影追」は、困窮した刀工を利用して、何か別の目的を達しようとしていたのかもしれない。

 後日、田島同心から、破門された刀工が、借金のために裏社会の者に追われており、その裏社会の者が「影追」と繋がっているらしいという報告があった。しかし、刀工の行方は掴めず、「影追」の具体的な目的も分からないままだ。

 越後屋は、自身の鑑定眼の未熟さを悔やんだが、一葉は言った。

「この刀は、確かに贋作です。ですが…この精巧な写しは、作り手の並外れた技と、そして…それを生み出さざるを得なかった、悲しい物語を語っています。単なる贋作として片付けてはならぬ。」

 一葉は、越後屋に、この写しを、単なる偽物としてではなく、一人の刀工の悲劇的な人生の証として、大切にしてはどうかと提案した。越後屋は、一葉の言葉に心を打たれ、その写しを売却せず、自身の戒めとして手元に置くことを決めた。

「偽りの銘」が刻まれた写し。
それは、一人の刀工の苦悩、そしてそれに付け込んだ悪意の存在を明らかにした。そして、「影追」という影が、このような人間の弱みに付け込み、曰くつきの刀だけでなく、それに纏わる人間をも操っている可能性を示唆した。

 一葉は、鑑定台の上に残された写しを静かに見つめた。精巧に作られた偽物。
しかし、その刃紋の奥には、紛れもない、作り手の苦悩と悲劇が刻まれている。

「影追」は何者なのか? 
彼らが曰くつきの刀に固執する理由は? 
そして、彼らが求める「五龍の剣」とは、一体何なのか? 謎は深まるばかりだ。

 一葉の、刀剣に秘められた真実を追う日々は続く。偽りの銘が語った悲劇は、江戸の闇に潜む、さらなる謎への扉を開いたにすぎない。
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