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第一章:鬼灯横丁の怪医者
第九話:おみつの失敗
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音霊に憑かれた侍の治療を終え、おみつはますます玄庵の医術に魅了されていた。
妖怪が引き起こす病は、人の心の奥底にある傷と密接に結びついている。その複雑さに、おみつは難しさと同時に、深い興味を抱くようになっていた。そんな玄庵診療所での日々の中、おみつは初めて、大きな失敗をしてしまう。
ある日、診療所に、顔半分が赤く腫れ上がった若い娘が駆け込んできた。娘は、顔の腫れだけでなく、熱と倦怠感に苦しんでいるようだった。
「先生、どうかこの熱を下げてください。体に力が入らなくて……」
娘は辛そうに訴えた。玄庵はいつものように、娘の顔を静かに観察し、脈を診た。そして、薬棚からいくつかの薬草を取り出した。
「これは、火の妖(あやかし)が憑いておりますな」
玄庵は淡々と告げた。おみつは驚いた。火の妖、と聞くと、熱い炎を思い浮かべるが、娘の顔は赤く腫れているものの、触れても熱を持っているわけではなかった。
「火の妖は、人の感情の高ぶり、特に強い怒りや嫉妬心に引き寄せられます。この娘さんの内側に、抑えきれない炎が燃え上がっているのでしょう。それが顔に現れ、熱となって体力を奪っている」
玄庵の言葉に、娘はハッとしたように顔を伏せた。どうやら、心当たりがあるらしい。
「この薬草で、火の妖の力を鎮めましょう。これは水花の露と、鎮静の根を煎じたものです。これを肌に塗れば、炎症が治まります」
玄庵はそう言って、調合したばかりの薬を小さな瓶に入れ、おみつに手渡した。
「おみつ、この薬を娘さんの顔に塗ってあげなさい。優しく、心を込めて」
おみつは、初めて玄庵から薬を塗る役目を任され、内心、喜びと責任感で胸がいっぱいになった。これまでの妖怪相手の治療は、玄庵の指示に従って琴を弾いたり、香炉を焚いたりする補助的なものだったが、今回は直接患者に触れる治療だ。
「はい、先生!」
おみつは張り切って返事をした。そして、瓶の蓋を開け、薬を指先にとって、娘の顔に塗ろうとした。しかし、その時、おみつの脳裏に、以前薬草の効能について教わった玄庵の言葉がよぎった。
「この薬草は、熱を冷ます効能があるが、冷やしすぎると、かえって体に負担をかけることもある。あくまで、穏やかに熱を奪うことが肝要だ」
おみつは、早く娘の苦しみを和らげてあげたい一心で、薬を塗る際に、もっと効き目があるようにと、つい欲を出してしまった。瓶の中の薬をいつもより多めに指に取り、腫れ上がった部分に重点的に、そして少し力を込めて塗りつけてしまったのだ。
「もう少し、こう……念を込めて、ね!」
おみつはそう独りごちながら、熱心に薬を塗った。
しかし、それが間違いだった。薬を塗った瞬間、娘の顔が激しく痙攣し、ひときわ大きく腫れ上がった。そして、苦しげな叫び声を上げた。
「ひっ、熱い! 痛いっ!」
娘は顔を抑えて苦しむ。おみつはハッとして、自分の手元を見た。薬を塗りすぎたのだ。量が多すぎた上に、強く塗り込んだことで、娘の肌に刺激を与えてしまったらしい。
玄庵は、娘の異変にすぐに気づき、静かに娘の傍に寄った。玄庵が娘の顔にそっと手をかざすと、娘の苦痛は少しだけ和らいだように見えた。
玄庵は娘を落ち着かせると、おみつに向き直った。その目は、いつものように静かだったが、おみつはそこに、微かな失望の色を見たような気がした。
「おみつ」
玄庵の声は、普段と変わらぬ穏やかさだったが、おみつにはそれが、なぜか雷鳴のように響いた。
「良かれと思ってやったことでしょう。しかし、治療において、焦りは禁物です。特に、妖怪の憑依による病は、心の機微に深く関わる。薬を塗る際も、患者の苦痛を取り除きたいという焦燥感が、かえって薬の効果を阻害し、症状を悪化させることがある」
玄庵の言葉は、静かではあったが、おみつの心にずしりと響いた。
玄庵は、娘の顔に改めて薬を少量、丁寧に塗って見せた。すると、娘の顔の腫れは、ゆっくりと、しかし確実に引いていくのが見て取れた。
「薬は、使い方一つで毒にも薬にもなる。そして、人の心もまた然り。あなたは、患者の苦しみに共感する心は持っている。しかし、それが時に、冷静な判断を曇らせることがある。医療において、寄り添う心と、冷静な判断力は、どちらも欠かせません」
玄庵の言葉は、おみつの胸に深く突き刺さった。善意から出た行動だったとはいえ、自分の未熟さが患者を苦しめてしまった。おみつは顔を真っ赤にして、深々と頭を下げた。
「申し訳、ございません……! 私の、不注意で……」
顔を上げたおみつの目には、大粒の涙が浮かんでいた。玄庵は、そんなおみつを静かに見つめると、薬草の入った籠を指差した。
「さあ、落ち込んでいる暇はありません。次は、あの薬草の選別です。間違えてはなりませんよ」
玄庵の言葉は、おみつを叱責するものではなく、むしろ、立ち直りを促すものだった。おみつは涙を拭い、薬草の籠へと向かった。
この失敗は、おみつにとって大きな教訓となった。良かれと思った行動が、かえって患者を苦しめることもある。
医療の難しさ、そして自身の未熟さを痛感した。しかし同時に、玄庵の言葉の中に、患者への深い慈悲と、助手として自分を育てようとする強い意志を感じた。
おみつは、この一件で、助手としての責任感を改めて強く意識した。患者の心を癒やすだけでなく、自身の知識と技術を磨き、冷静な判断力を養うこと。それが、玄庵の右腕として、この奇妙な診療所で働く者としての務めなのだと。
妖怪が引き起こす病は、人の心の奥底にある傷と密接に結びついている。その複雑さに、おみつは難しさと同時に、深い興味を抱くようになっていた。そんな玄庵診療所での日々の中、おみつは初めて、大きな失敗をしてしまう。
ある日、診療所に、顔半分が赤く腫れ上がった若い娘が駆け込んできた。娘は、顔の腫れだけでなく、熱と倦怠感に苦しんでいるようだった。
「先生、どうかこの熱を下げてください。体に力が入らなくて……」
娘は辛そうに訴えた。玄庵はいつものように、娘の顔を静かに観察し、脈を診た。そして、薬棚からいくつかの薬草を取り出した。
「これは、火の妖(あやかし)が憑いておりますな」
玄庵は淡々と告げた。おみつは驚いた。火の妖、と聞くと、熱い炎を思い浮かべるが、娘の顔は赤く腫れているものの、触れても熱を持っているわけではなかった。
「火の妖は、人の感情の高ぶり、特に強い怒りや嫉妬心に引き寄せられます。この娘さんの内側に、抑えきれない炎が燃え上がっているのでしょう。それが顔に現れ、熱となって体力を奪っている」
玄庵の言葉に、娘はハッとしたように顔を伏せた。どうやら、心当たりがあるらしい。
「この薬草で、火の妖の力を鎮めましょう。これは水花の露と、鎮静の根を煎じたものです。これを肌に塗れば、炎症が治まります」
玄庵はそう言って、調合したばかりの薬を小さな瓶に入れ、おみつに手渡した。
「おみつ、この薬を娘さんの顔に塗ってあげなさい。優しく、心を込めて」
おみつは、初めて玄庵から薬を塗る役目を任され、内心、喜びと責任感で胸がいっぱいになった。これまでの妖怪相手の治療は、玄庵の指示に従って琴を弾いたり、香炉を焚いたりする補助的なものだったが、今回は直接患者に触れる治療だ。
「はい、先生!」
おみつは張り切って返事をした。そして、瓶の蓋を開け、薬を指先にとって、娘の顔に塗ろうとした。しかし、その時、おみつの脳裏に、以前薬草の効能について教わった玄庵の言葉がよぎった。
「この薬草は、熱を冷ます効能があるが、冷やしすぎると、かえって体に負担をかけることもある。あくまで、穏やかに熱を奪うことが肝要だ」
おみつは、早く娘の苦しみを和らげてあげたい一心で、薬を塗る際に、もっと効き目があるようにと、つい欲を出してしまった。瓶の中の薬をいつもより多めに指に取り、腫れ上がった部分に重点的に、そして少し力を込めて塗りつけてしまったのだ。
「もう少し、こう……念を込めて、ね!」
おみつはそう独りごちながら、熱心に薬を塗った。
しかし、それが間違いだった。薬を塗った瞬間、娘の顔が激しく痙攣し、ひときわ大きく腫れ上がった。そして、苦しげな叫び声を上げた。
「ひっ、熱い! 痛いっ!」
娘は顔を抑えて苦しむ。おみつはハッとして、自分の手元を見た。薬を塗りすぎたのだ。量が多すぎた上に、強く塗り込んだことで、娘の肌に刺激を与えてしまったらしい。
玄庵は、娘の異変にすぐに気づき、静かに娘の傍に寄った。玄庵が娘の顔にそっと手をかざすと、娘の苦痛は少しだけ和らいだように見えた。
玄庵は娘を落ち着かせると、おみつに向き直った。その目は、いつものように静かだったが、おみつはそこに、微かな失望の色を見たような気がした。
「おみつ」
玄庵の声は、普段と変わらぬ穏やかさだったが、おみつにはそれが、なぜか雷鳴のように響いた。
「良かれと思ってやったことでしょう。しかし、治療において、焦りは禁物です。特に、妖怪の憑依による病は、心の機微に深く関わる。薬を塗る際も、患者の苦痛を取り除きたいという焦燥感が、かえって薬の効果を阻害し、症状を悪化させることがある」
玄庵の言葉は、静かではあったが、おみつの心にずしりと響いた。
玄庵は、娘の顔に改めて薬を少量、丁寧に塗って見せた。すると、娘の顔の腫れは、ゆっくりと、しかし確実に引いていくのが見て取れた。
「薬は、使い方一つで毒にも薬にもなる。そして、人の心もまた然り。あなたは、患者の苦しみに共感する心は持っている。しかし、それが時に、冷静な判断を曇らせることがある。医療において、寄り添う心と、冷静な判断力は、どちらも欠かせません」
玄庵の言葉は、おみつの胸に深く突き刺さった。善意から出た行動だったとはいえ、自分の未熟さが患者を苦しめてしまった。おみつは顔を真っ赤にして、深々と頭を下げた。
「申し訳、ございません……! 私の、不注意で……」
顔を上げたおみつの目には、大粒の涙が浮かんでいた。玄庵は、そんなおみつを静かに見つめると、薬草の入った籠を指差した。
「さあ、落ち込んでいる暇はありません。次は、あの薬草の選別です。間違えてはなりませんよ」
玄庵の言葉は、おみつを叱責するものではなく、むしろ、立ち直りを促すものだった。おみつは涙を拭い、薬草の籠へと向かった。
この失敗は、おみつにとって大きな教訓となった。良かれと思った行動が、かえって患者を苦しめることもある。
医療の難しさ、そして自身の未熟さを痛感した。しかし同時に、玄庵の言葉の中に、患者への深い慈悲と、助手として自分を育てようとする強い意志を感じた。
おみつは、この一件で、助手としての責任感を改めて強く意識した。患者の心を癒やすだけでなく、自身の知識と技術を磨き、冷静な判断力を養うこと。それが、玄庵の右腕として、この奇妙な診療所で働く者としての務めなのだと。
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