【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第二章:絡み合う糸、深まる謎

第三十四話:怒りの理由

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 「人喰い沼」の噂が立つ山奥の村へとやって来た玄庵一行。

 沼の主である大蛇の妖怪の怒りが、人々の失踪の原因だと見抜いた玄庵は、その理由を探るべく、沼のほとりへと足を進める。
おみつは、不安と緊張の中、玄庵の傍でその光景を見守る。

 翌朝、一行は村人から沼の場所を聞き、山道を奥へと進んだ。

 鬱蒼と茂る木々を抜け、ひっそりとした沼のほとりにたどり着くと、そこは確かに不気味な雰囲気を纏っていた。

 水面は黒く淀み、周囲の木々は枝を伸ばし、まるで沼に囚われたかのように見えた。
ひんやりとした空気が肌を刺し、ただならぬ穢れの気配がおみつの肌にも感じられた。

「確かに、強い穢れを感じます……」

 おみつは、思わず声を潜めた。古尾もまた、顔をしかめて沼から一歩距離を取っている。

「へっへっへ、こいつは本当にただならぬ場所ですぜ。先生、気をつけなすってくだせえ」

 玄庵は、二人の言葉にも動じることなく、静かに沼のほとりへと進んでいった。彼の瞳は、沼の奥底をじっと見据えている。

「出てこい、大蛇の主よ」

 玄庵が静かに呼びかけると、沼の水面が大きく波打った。

 そして、水の中から、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
それは、まさに大蛇の妖怪だった。

 その体は鱗に覆われ、古木のような重厚な威厳を放っている。その瞳は、怒りと悲しみ、そしてどこか諦めにも似た感情を湛え、玄庵たちを睨みつけていた。

「よくぞ来たな、異形の医者よ。人間の分際で、この地の主である我に何の用だ」

 大蛇の声は、地を揺るがすような低い響きで、沼の周囲に轟いた。おみつは、その威圧感に思わず後ずさりしそうになった。

「貴殿の怒りが、この地の人間を苦しめている。その理由を、我々に聞かせ願いたい」

 玄庵は、大蛇の威圧にも臆することなく、静かに、しかし毅然とした態度で問いかけた。

 大蛇は、玄庵の言葉に、深い溜息をついた。その息は、沼の水を揺らし、周囲の空気を震わせた。

「理由だと? 貴様ら人間が、我の安寧を奪ったからに他ならぬ!」

 大蛇の声は、怒りに満ちていた。そして、その巨大な体から、一層強い穢れの気が放たれる。おみつは、その穢れの強さに、思わず息が苦しくなった。

「この沼は、太古より我らが住処であり、この地の生命を育む源であった。しかし、貴様ら人間は、己の利欲のために、我らの聖域を荒らしたのだ!」

 大蛇は、怒りに燃える瞳で、沼の向こう岸を指し示した。

 その視線の先には、最近になって切り開かれたばかりのような、真新しい木材の伐採跡が広がっていた。そこには、大量の木々が切り倒され、一部は沼へと運び込まれた跡も残っている。

「村は、新しい家を建てるために、この森の木を切り倒した。そして、切り出した木材を運ぶために、この沼の水を堰き止め、道を作ろうとしたのだ。そのせいで、沼の水は濁り、我らの住処は汚された。多くの眷属たちが、住処を奪われ、命を落とした!」

 大蛇の言葉は、悲しみと、そして深い怒りに満ちていた。

 おみつは、その言葉に、人間の身勝手な行いが、大蛇の怒りを買ったことを悟った。
村人たちは、生活のために森を切り開き、沼を汚したのだろう。しかし、それが、この地の守り神である大蛇の怒りに触れてしまったのだ。

「貴様ら人間は、常に己の都合ばかり。この地の恵みを享受しておきながら、その恩を忘れ、自然を破壊する。これでは、我らの怒りも、鎮まるはずがないであろう!」

 大蛇は、そう言って、咆哮した。その咆哮は、沼の水面を荒々しく揺らし、周囲の木々をざわめかせた。

 玄庵は、大蛇の言葉を静かに聞いていた。
その表情は、いつもの冷静さを保っているが、その瞳の奥には、大蛇の怒りの根源にある悲しみと、そして人間の業に対する、深い憂いが宿っているように見えた。

「なるほど……貴殿の怒りは、もっともだ。人間の身勝手な行いが、貴殿の安寧を乱した。だが、このままでは、村の人間と貴殿の間に、憎しみが募るばかりだ。それでは、誰も救われぬ」

 玄庵は、そう言って、大蛇に向かって一歩足を進めた。
その姿は、巨大な大蛇の前ではあまりにも小さく見えたが、その存在感は、大蛇に負けないほどの力強さを持っていた。

 おみつは、玄庵の言葉に、人間の過ちを認め、それでもなお、解決の道を探ろうとする彼の真摯な姿勢を感じ取っていた。
この沼で起こっていることは、まさに人間と妖怪の間で繰り返されてきた、悲劇の縮図だった。

 玄庵は、この憎しみの連鎖を、どのようにして断ち切ろうとするのだろうか。
おみつは、緊張しながらも、彼の次の言葉を待った。
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