【完結】『大江戸妖怪診療所～奇病を治すは鬼の医者～』

第五章：暁光～明日の灯火（ともしび）～

第八十六話：最終決戦・序盤

　生命の泉の最深部で、穢れの核を守る最後の結界が打ち破られた。

　そこから噴き出したおぞましい穢れの波動は、影を取り込み、彼の姿を巨大な穢れの化身へと変貌させた。

　漆黒の鱗に覆われた巨体は、禍々しい角と鋭い爪を持ち、その瞳からは純粋な絶望と憎悪がほとばしっていた。

「フフフ……。さあ、玄庵。お前が選びし道が、真にこの世を救うものか、今こそ証明してみせよ！」

　穢れの化身と化した影の声が、地の底から響き渡るように、重く、そして不気味に空間を震わせた。その圧倒的な存在感に、玄庵とおみつは息を呑んだ。

「影……！」

　玄庵は、目の前の巨体を睨みつけた。かつての友が、このような姿へと変貌してしまったことに、彼の胸には深い悲しみが去来する。
しかし、もう後戻りはできない。この化身を打ち破らなければ、江戸も隠れ里も、そしてこの世の全てが穢れに飲み込まれてしまう。

「おみつ、気をつけろ！　これまでの影とは、次元が違う！」

　玄庵は、おみつを庇うように前に出る。彼の「鬼」の力が、全身から紅蓮の炎のように燃え盛り、おみつの浄化の光と合わさり、穢れの化身へと対峙した。

「グルルルル……！」

　穢れの化身は、唸り声を上げると、その巨大な爪を振り上げた。一閃された爪は、空間を切り裂き、おぞましい穢れの波動を伴って玄庵とおみつに襲いかかる。

「くっ……！」

　玄庵は、間一髪でその攻撃を避けた。しかし、穢れの波動は、彼らの周囲の大地を腐食させ、黒い瘴気で満たしていく。瘴気に触れた岩は、音を立てて崩れ落ち、水は黒く濁り、生き物の気配は消え失せる。

「先生、穢れが強すぎます……！　私の浄化の光が……！」

　おみつは、自らの光が穢れによって打ち消されていくのを感じ、焦りを滲ませた。穢れの化身から放たれる瘴気は、おみつの浄化の力を上回るほどの、純粋な絶望の塊だった。

「やはり、一筋縄ではいかないか……！」

　玄庵は、状況の厳しさを悟った。穢れの化身は、影の持つ力だけでなく、穢れの核に蓄積された数百年分の負の感情を全て吸収している。その力は、玄庵の想像を遥かに超えていた。

　穢れの化身は、さらに咆哮を上げると、その口から漆黒の光線を放った。それは、穢れの力を凝縮したもので、空間を歪ませながら、玄庵とおみつへと迫る。

「避けろ、おみつ！」

　玄庵は、おみつを突き飛ばし、自らの身体で光線を受け止めた。ドオンッ！という轟音と共に、玄庵の身体は大きく吹き飛ばされ、壁に激突した。彼の全身から、血が噴き出し、苦痛に顔を歪める。

「先生！？」

　おみつが、悲鳴を上げた。玄庵の身体は、穢れの光線によって深く抉られ、その妖気も大きく乱れている。

「大丈夫だ……これくらい……」

　玄庵は、必死に立ち上がろうとするが、身体が思うように動かない。穢れの光線は、彼の身体だけでなく、精神にも深いダメージを与えていた。彼の心に、再び過去の悲劇が蘇りそうになる。

「玄庵！　貴様は、所詮、その程度の力しか持たぬ！　貴様の偽善も、絆とやらも、この絶望の前には無力だ！」

　影の声が、嘲笑うように響き渡る。穢れの化身は、勝利を確信したかのように、ゆっくりと玄庵に近づいていく。

　その時、玄庵の脳裏に、遠く離れた江戸の町で、竜胆たちが懸命に戦っている姿が浮かんだ。古尾が命懸けで掴み取った情報、竜胆が力を振り絞って術式を逆流させたこと。そして、おみつの家族が、楓を守るために必死に結界を張っていたこと。

（皆が……皆が、私のために……！）

　玄庵の心に、諦めない光が再び宿る。彼は、自らがここで倒れれば、全ての努力が無駄になってしまうことを理解していた。

「諦めるものか……！」

　玄庵は、そう呟くと、自らの身体から、最後の力を振り絞るように妖気を高めた。彼の瞳は、紅く輝き、その身体から、再び紅蓮の炎のような妖気が噴き出した。

　おみつもまた、玄庵の覚悟を感じ取り、その隣に立つ。彼女の身体から放たれる浄化の光が、玄庵の妖気と合わさり、穢れの化身へと向かっていく。

「グルルルル……！」

　穢れの化身は、唸り声を上げると、玄庵とおみつに再び襲いかかった。圧倒的な力の差。それでも、玄庵とおみつは、退くことなく、その巨体に立ち向かっていく。

　最終決戦は、始まったばかり。玄庵とおみつは、穢れの化身となった影の圧倒的な力の前に、苦戦を強いられていた。しかし、彼らの心には、決して諦めない『絆』の光が宿っている。

　この絶望的な状況を、彼らは乗り越えることができるのか。