【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第七章:歪められし神意、神罰の執行者

第百二十三話:執行者の頭領、その名も「戒(かい)」

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 玄庵が診療所を離れ、自身の力の根源と向き合う旅に出た頃、江戸の町は、神罰の執行者たちの暗躍によって、ますます混乱の淵へと沈んでいった。

 彼らが仕掛ける巧妙な罠は、玄庵の不在を利用し、人々を孤立させ、恐怖と絶望の渦に巻き込もうとしていた。

 その頃、執行者たちの本拠地と思しき場所――それは、江戸の郊外にひっそりと佇む、朽ちかけた古刹であった。そこは、かつては栄華を誇ったであろう寺院も、今では草木に覆われ、廃墟と化している。だが、その内部からは、おぞましい霊気が常に発せられており、誰も近づこうとはしなかった。

 その古刹の奥深く、薄暗い堂宇の中央に、一人の男が静かに座していた。その男こそ、神罰の執行者を束ねる頭領、「戒(かい)」であった。彼の纏う衣は漆黒であり、顔の半分は面で覆われ、その素顔を隠している。しかし、面から覗く片方の瞳は、底知れぬ深淵を湛え、そこには揺るぎない信念と、凍てつくような冷徹さが宿っていた。

 戒の傍らには、執行者たちが操る「歪んだ神の依代」が据えられている。それは、見る者全てに畏怖を抱かせるほどの、禍々しい輝きを放っていた。その依代からは、絶えず歪んだ霊気が噴き出し、古刹全体を、まるで死者の国のような異様な雰囲気に染め上げていた。

「玄庵……」

 戒は、静かに呟いた。その声は、深淵の底から響き渡るように、重く、そして、どこか悲しみを帯びていた。

 彼の前に控える執行者の一人が、ひざまずき、報告を上げた。

 「頭領。例の鬼は、江戸を離れました。我々の思惑通り、自らの力の暴走を恐れ、仲間からも離れた模様」

「そうか……。だが、奴は危険だ」

 戒は、依代に手をかざし、その力をさらに高めた。古刹の床が軋み、壁に亀裂が走る。歪んだ霊気が、空間を捻じ曲げるかのように、荒れ狂った。

「あの鬼の内に眠る力は、我らの『浄化』の妨げとなる。放っておけば、この世の理が、さらに歪むであろう」

 戒の言葉には、強い確信が込められていた。彼の言う「浄化」とは、現在の世界を一度全て破壊し、新たな世を創り出すこと。そのためには、穢れに満ちた人間と、それに与する妖怪、そして、世界の理を乱す「鬼」を粛清せねばならぬ、と信じて疑わないのだ。

「しかし、頭領。あの鬼は、かつて我らが排除せんと企てた『真の依代』の血脈を引く者であるという確証は、未だ……」

 別の執行者が、恐る恐る口を開いた。彼らの間では、玄庵の存在が、ただの鬼ではない、何か特別なものであるという噂が囁かれ始めていたのだ。

「確証など、必要ない」

 戒の瞳が、鋭く光った。

 「奴の放つ霊気は、我らが操る『歪んだ神の依代』と、互いに響き合っている。それは、奴が我らと同じく、『依代』としての資質を持つ証。だが、奴の力は、あまりにも清らかすぎる。それ故に、この淀んだ世を滅ぼし、新たな世を創り出す、我らの『神罰』の邪魔となる」

 戒は、立ち上がると、ゆっくりと依代に近づいた。そして、その面に覆われた半身から、黒い霊気が噴き出し、依代へと流れ込んでいく。依代は、その力を吸収し、禍々しい輝きをさらに増していった。

「我らは、神々の真意を代行する。この世界は、穢れに満ち、腐りきっている。故に、一度全てを洗い流し、穢れなき新世界を創り出す必要がある」

 彼の言葉には、圧倒的な力と、狂信的なまでのカリスマ性が宿っていた。執行者たちは、その言葉に、深く頷く。彼らは皆、戒の掲げる「世界の浄化」という大義に、それぞれの理由から救いを求めていた。中には、過去に深い悲しみを抱え、この世の全てを憎む者もいた。

「あの鬼を……玄庵を、捕らえよ。そして、奴の持つ力を、完全に奪うか、あるいは、完全に破壊せよ」

 戒の命令が、古刹の奥深くに響き渡った。その声は、静かながらも、有無を言わせぬ絶対的な力を秘めていた。

 執行者たちは、一斉に立ち上がり、戒に深々と頭を下げた。彼らの瞳には、頭領への絶対的な忠誠と、任務を完遂せんとする冷徹な決意が宿っている。彼らは、玄庵の持つ未知の力を危険視し、それを奪うか、あるいは完全に破壊しようと目論んでいた。

 戒は、再び座し、目を閉じた。彼の心には、遥か昔から続く、ある因縁の記憶が蘇っていた。それは、彼自身が、この「歪んだ神の依代」と出会う以前の、純粋な魂を持っていた頃の記憶。だが、その記憶は、ある悲劇によって、深く歪められてしまったのだ。

 古刹の闇の中、歪んだ依代の輝きだけが、不気味に揺らめいていた。神罰の執行者の頭領、戒の野望は、今、まさにその全貌を現そうとしていた。そして、その野望の前に立ちはだかるのは、己の力に苦悩し、孤立した玄庵、ただ一人だった。
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