『土の記憶〜左官 龍吉捕物控〜』

月影 朔

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第ニ章:壁に潜む過去

第七話:凶刃

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 堀田屋敷から持ち帰った金属片と図面を前に、龍吉は仕事場の明かりの下で一人、じっと向き合っていた。

 金属片に刻まれた奇妙な紋様を指先でなぞりながら、図面を開く。血痕が付着した古い紙には、堀田屋敷の精緻な間取りと、壁沿いに描かれた隠し通路らしき線、そして特定の場所に記された印。

 これは、単なる屋敷図ではない。何かを隠すための、あるいは侵入するための、秘密の地図だった。

 図面が示す隠し通路は、蔵から屋敷の母屋へと繋がっている。壁の中に巧妙に隠された扉や、床下の抜け道。それらが、普段の生活では気づかれないような形で描かれている。

 これを描いた者は、堀田屋敷の構造を知り尽くしているか、あるいは長期間にわたって屋敷の内部を探っていた者だろう。

(この図面は…何に使われた?)

 龍吉は、あの蔵の不審火と、壁に残された不自然な痕跡を思い返した。意図的に弱められた壁、侵入の足がかり。それは、この図面を利用して行われた犯行の証拠なのではないか。そして、この図面が壁の中に隠されていたということは、以前にも同じ手口で蔵に侵入しようとした者がいたか、あるいは将来的な犯行のために用意されていたか。

 金属片の紋様については、全く見当がつかない。どこの国のものか、何を示しているのか。しかし、これもまた、図面とともに壁の中から見つかった以上、蔵の秘密、あるいはこの事件と無関係ではないはずだ。

 龍吉が図面と金属片を前に考え込んでいると、突然、外が騒がしくなった。夜だというのに、人の慌ただしい声や、馬の蹄の音が響く。火事ではない。何か、別の事件が起こったような、緊迫した気配だった。

「龍吉さーん!いるかい!?」

 仕事場の戸が乱暴に叩かれた。駆けつけてきたのは、近所に住む普助棟梁の息子だった。息を切らしており、顔色は蒼白だ。

「どうした」

 龍吉が戸を開けると、息子は興奮した様子でまくし立てた。

「大変だ!堀田屋敷で、将監様が…将監様が斬られたって!」

「…何!?」

 龍吉の体が固まった。堀田将監が斬られた?あの屋敷で、何者かに襲われたというのか。しかも、今この夜に。

 息子は奉行所の役人が大勢、堀田屋敷へ向かっていること、屋敷の中が大混乱になっていることなどを伝えた。龍吉は息子の言葉を聞きながら、頭の中で点と点が繋がり始めていた。蔵から図面が見つかった。その図面には隠し通路が描かれている。そして、その直後に、屋敷の主人が何者かに襲われた。

 これは偶然ではない。

 翌朝、龍吉は堀田屋敷へ向かった。屋敷の周囲にはすでに奉行所の同心たちが厳重な警戒線を張り、物々しい雰囲気に包まれている。何とか屋敷内に立ち入ることができた龍吉は、番頭の吾平に会った。吾平は顔に土気色を浮かべ、混乱しきっている様子だった。

「龍吉殿…何ということに…将監様が、今朝早く、自室で襲われまして…」

 吾平は震える声で事件のあらましを語った。将監が寝ていたところを、何者かが部屋に忍び込み、斬りつけたという。幸い、命に別状はないが、重傷を負った。犯人はすぐに姿を消し、屋敷中を探しても見つからないという。

 龍吉は、事件現場となった将監の部屋を見せてもらうことを願い出た。番頭は渋ったが、蔵の改修をしている左官であり、今後も出入りする必要があるという龍吉の言葉に、しぶしぶ承知した。

 将監の部屋は、混乱の跡が生々しかった。床には血溜まりができ、壁や襖には刀傷が残っている。奉行所の同心たちが捜査をしている最中だった。龍吉は同心の邪魔にならないように、壁や床、柱などを注意深く観察した。

 左官としての鋭い観察眼が、微細な痕跡を捉える。壁の一部に、わずかに擦れたような跡。それは、人が壁を伝って移動した際にできるようなものだった。床の隅には、通常の足跡とは違う、何かを擦ったような痕跡。そして、部屋の隅の壁。

 そこには、一見しただけでは分からないが、壁土の色がわずかに違っている箇所があった。まるで、その壁の向こうに何かがあるかのようだった。

(やはり…ここからか)

 龍吉の脳裏に、あの血染めの図面が鮮明に浮かび上がった。図面には、将監の部屋の壁際に、隠し扉のようなものが示されていた。現場に残された痕跡は、まさにその隠し扉を利用して、犯人が部屋に侵入し、そして逃走したことを物語っていた。

 犯人は、この屋敷の構造を知り尽くしている。隠し通路や抜け道がある場所、壁の死角。そして、それを記した図面。

 龍吉は、懐に忍ばせた図面に触れた。あの図面が、まさにこの犯行に利用されたのだ。蔵の中から図面が見つかったことと、将監が襲われたことは、明確に繋がっている。もしかすると、あの火事も、この襲撃事件のための布石だったのかもしれない。

 蔵の図面は、単なる古い記録ではなく、これから起こるであろう犯罪の計画書だったのだ。

 そして、自身の発見が、将監襲撃の引き金となったのかもしれないという思いが、龍吉の胸に重くのしかかった。壁から秘密を暴いたことで、「影」は動きを早めたのではないか。

 奉行所の捜査は難航しているようだった。屋敷の人間は口を閉ざし、事件の核心に触れようとしない。彼らが何かを隠していることは明らかだった。その隠し事が、この事件と深く結びついているのだろう。

 このままでは、堀田将監が再び狙われるかもしれない。そして、この事件の裏に潜む「影」は、さらに大きな闇を江戸にもたらすかもしれない。

 龍吉は、自室に戻り、改めて血染めの図面と金属片を広げた。これは、単なる左官の仕事ではない。

 これは、壁の秘密を暴き、「土の記憶」が示す真実を追い、そして「影」から大切なものを守るための戦いだ。

 図面が示す隠し通路、金属片の奇妙な紋様。それらは、彼がこれから辿るべき道を示している。奉行所が動けないならば、自分が動くしかない。

 左官として培った知識と観察眼、そして壁に懸ける職人の意地をもって、龍吉は江戸の闇に潜む「影」の足跡を追い始める決意を固めた。

 物語は、孤高の左官が、見えない敵を追う捕物活劇へと展開していく。
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