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第四章:動き出す龍
第十三話:元武士の証言
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堀田屋敷の地下、特別な壁の前で、龍吉は何も得られなかった。
図面が示す最も重要な場所は空だった。張り巡らされた隠し通路も、巧妙な仕掛けも、確かに存在した。だが、「影」が何を狙っていたのか、あるいは何を隠していたのかは分からずじまいだ。
無事屋敷から脱出した龍吉は、自宅に戻って静かに息を整えた。図面は正確だった。壁の構造、隠し通路のルート、そして「×」印の場所。だが、その場所が空だったということは、図面だけでは真実にたどり着けないことを意味していた。
事件の鍵は、壁ではなく、人間が握っているのかもしれない。
堀田将監を襲わせ、「影」が堀田屋敷の秘密を狙う理由。それは、屋敷の歴史、将監の人間関係、あるいは過去に起こった出来事と深く結びついているはずだ。その情報を得るためには、堀田屋敷の内部事情を知る人物に話を聞く必要がある。
龍吉は、かつて堀田屋敷に出入りしていた人物を思い浮かべた。将監の父、堀田越前守(ほりたえちぜんのかみ)に仕えていたが、越前守が亡くなり、将監が家督を継いだ際に禄を離れ、今は江戸で浪人暮らしをしているという男だ。名は新兵衛(しんべえ)。腕の立つ武士だったと聞くが、将監とはどうにも反りが合わなかったらしい。
数日後、龍吉は新兵衛が住むという、江戸の外れにある寂れた長屋を訪ねた。戸を開けて出てきた新兵衛は、かつての武士の精悍さは失われていたが、その眼差しにはまだ鋭さが残っていた。
「左官の…龍吉と申します。新兵衛殿にお目通り願いたく」
龍吉が名を告げると、新兵衛はいぶかしげな顔をした。左官が、なぜ自分を訪ねてきたのか、という表情だ。龍吉は率直に、堀田屋敷の蔵の改修中に不審な火事があり、将監様が襲われた事件について調べていると話した。
「左官が、事件を調べる、だと? 奉行所も手こずっているというのに、笑わせる」
新兵衛は鼻で笑ったが、龍吉の真剣な態度に、やがてその表情を引き締めた。
「…なぜ、貴殿がそこまで?」
「壁が、事件を語っています。私は、壁の記憶を読み解きたい」
龍吉の言葉に、新兵衛は興味を引かれたようだった。そして、堀田屋敷の現状への懸念もあるのだろう。新兵衛は龍吉を長屋の中に招き入れた。狭いが、掃除の行き届いた部屋だった。
新兵衛は、将監の父である越前守の時代の堀田家について語り始めた。越前守は清廉潔白な人物で、家臣からの信頼も厚かったという。
しかし、将監は父とは違い、金銭に執着し、怪しげな商人と付き合いがあったこと。家督を継いでから、屋敷の雰囲気も変わったこと。
「特に、あの蔵には、越前守様が大切にされていた品々と、そして、将監様が人には見せたくないものを隠している、という噂があった」
「人には見せたくないもの…」
龍吉は蔵の壁から見つけた図面と金属片、そして地下の特別な壁を思い出した。
「将監様は、家督を継いですぐに、蔵の改修を急がせたのです。必要以上に堅牢にしてほしい、と普請方に無理難題を押し付けたと聞いています。そして、あの時…奇妙な噂が流れたのです」
新兵衛は、さらに声を潜めた。
「闇で暗躍する、不気味な連中がいる、と。壁の中を通り、人知れず目的を達する。関わった者は、皆姿を消すか、口を閉ざす…」
龍吉の体が微かにこわばった。お爺から聞いた噂と、同じ手口だ。
「その連中は…特定の印を使っていたとか?」
龍吉は、懐にある金属片の紋様を思い浮かべながら尋ねた。新兵衛は少し考え込み、頷いた。
「ええ、確か…奇妙な紋様が、彼らの道具や、事件の痕跡に残されていた、という話を聞きました。そして、その連中は、『影法師』と呼ばれている、と…」
影法師。
龍吉は、この事件の背後に潜む組織の、具体的な名前を初めて耳にした。金属片の紋様、過去の事件、堀田屋敷の不穏さ。それらすべてが、「影法師」という一つの名前で繋がった。お爺から聞いた噂は、やはり真実だったのだ。
そして、「影法師」は以前から江戸で暗躍し、堀田屋敷とも何らかの関わりを持っていた。
新兵衛は、自身もかつて「影法師」の噂に怯えた経験や、それに近い出来事を見聞きしたことがあると語った。だが、詳細は知らない。関わらない方が身のためだ、と。
「あの連中は、人ではありません。影そのものです。壁を通り抜け、闇に紛れる…まともな相手ではありませんぞ」
新兵衛は、龍吉に忠告した。
龍吉は、新兵衛から得た情報に礼を言い、長屋を後にした。心の中は、「影法師」という名前に占められていた。彼らは、なぜ堀田屋敷を、将監を狙うのか。蔵の秘密とは、一体何なのか。
「影法師…」
龍吉は金属片を握りしめた。この紋様は、彼らの印だ。これを手がかりに、彼らの正体、目的を突き止めなければならない。
次に「影法師」についてさらに詳しい情報を得るにはどうすれば良いか。
彼らの手口、潜伏場所、構成員。様々な情報が集まる場所、あるいは、人の心や体に隠された秘密を読み解くことができる人物…
龍吉の脳裏に、ある人物の姿が浮かんだ。盲目の按摩師。
人の体の些細な変化や、声の調子から、隠された秘密や嘘を見抜くという。堀田屋敷の関係者の中にも、将監襲撃事件のショックで口を閉ざしている者や、事件の秘密を知っている者がいるかもしれない。
彼らが抱える心身の闇を、「聴く」ことができる人物。
龍吉は、次に訪ねるべき場所、そして出会うべき人物を心に定めた。
それは、按摩師の市(いち)。
物語は、龍吉が「影法師」の正体に迫るため、新たな協力者を求める。
図面が示す最も重要な場所は空だった。張り巡らされた隠し通路も、巧妙な仕掛けも、確かに存在した。だが、「影」が何を狙っていたのか、あるいは何を隠していたのかは分からずじまいだ。
無事屋敷から脱出した龍吉は、自宅に戻って静かに息を整えた。図面は正確だった。壁の構造、隠し通路のルート、そして「×」印の場所。だが、その場所が空だったということは、図面だけでは真実にたどり着けないことを意味していた。
事件の鍵は、壁ではなく、人間が握っているのかもしれない。
堀田将監を襲わせ、「影」が堀田屋敷の秘密を狙う理由。それは、屋敷の歴史、将監の人間関係、あるいは過去に起こった出来事と深く結びついているはずだ。その情報を得るためには、堀田屋敷の内部事情を知る人物に話を聞く必要がある。
龍吉は、かつて堀田屋敷に出入りしていた人物を思い浮かべた。将監の父、堀田越前守(ほりたえちぜんのかみ)に仕えていたが、越前守が亡くなり、将監が家督を継いだ際に禄を離れ、今は江戸で浪人暮らしをしているという男だ。名は新兵衛(しんべえ)。腕の立つ武士だったと聞くが、将監とはどうにも反りが合わなかったらしい。
数日後、龍吉は新兵衛が住むという、江戸の外れにある寂れた長屋を訪ねた。戸を開けて出てきた新兵衛は、かつての武士の精悍さは失われていたが、その眼差しにはまだ鋭さが残っていた。
「左官の…龍吉と申します。新兵衛殿にお目通り願いたく」
龍吉が名を告げると、新兵衛はいぶかしげな顔をした。左官が、なぜ自分を訪ねてきたのか、という表情だ。龍吉は率直に、堀田屋敷の蔵の改修中に不審な火事があり、将監様が襲われた事件について調べていると話した。
「左官が、事件を調べる、だと? 奉行所も手こずっているというのに、笑わせる」
新兵衛は鼻で笑ったが、龍吉の真剣な態度に、やがてその表情を引き締めた。
「…なぜ、貴殿がそこまで?」
「壁が、事件を語っています。私は、壁の記憶を読み解きたい」
龍吉の言葉に、新兵衛は興味を引かれたようだった。そして、堀田屋敷の現状への懸念もあるのだろう。新兵衛は龍吉を長屋の中に招き入れた。狭いが、掃除の行き届いた部屋だった。
新兵衛は、将監の父である越前守の時代の堀田家について語り始めた。越前守は清廉潔白な人物で、家臣からの信頼も厚かったという。
しかし、将監は父とは違い、金銭に執着し、怪しげな商人と付き合いがあったこと。家督を継いでから、屋敷の雰囲気も変わったこと。
「特に、あの蔵には、越前守様が大切にされていた品々と、そして、将監様が人には見せたくないものを隠している、という噂があった」
「人には見せたくないもの…」
龍吉は蔵の壁から見つけた図面と金属片、そして地下の特別な壁を思い出した。
「将監様は、家督を継いですぐに、蔵の改修を急がせたのです。必要以上に堅牢にしてほしい、と普請方に無理難題を押し付けたと聞いています。そして、あの時…奇妙な噂が流れたのです」
新兵衛は、さらに声を潜めた。
「闇で暗躍する、不気味な連中がいる、と。壁の中を通り、人知れず目的を達する。関わった者は、皆姿を消すか、口を閉ざす…」
龍吉の体が微かにこわばった。お爺から聞いた噂と、同じ手口だ。
「その連中は…特定の印を使っていたとか?」
龍吉は、懐にある金属片の紋様を思い浮かべながら尋ねた。新兵衛は少し考え込み、頷いた。
「ええ、確か…奇妙な紋様が、彼らの道具や、事件の痕跡に残されていた、という話を聞きました。そして、その連中は、『影法師』と呼ばれている、と…」
影法師。
龍吉は、この事件の背後に潜む組織の、具体的な名前を初めて耳にした。金属片の紋様、過去の事件、堀田屋敷の不穏さ。それらすべてが、「影法師」という一つの名前で繋がった。お爺から聞いた噂は、やはり真実だったのだ。
そして、「影法師」は以前から江戸で暗躍し、堀田屋敷とも何らかの関わりを持っていた。
新兵衛は、自身もかつて「影法師」の噂に怯えた経験や、それに近い出来事を見聞きしたことがあると語った。だが、詳細は知らない。関わらない方が身のためだ、と。
「あの連中は、人ではありません。影そのものです。壁を通り抜け、闇に紛れる…まともな相手ではありませんぞ」
新兵衛は、龍吉に忠告した。
龍吉は、新兵衛から得た情報に礼を言い、長屋を後にした。心の中は、「影法師」という名前に占められていた。彼らは、なぜ堀田屋敷を、将監を狙うのか。蔵の秘密とは、一体何なのか。
「影法師…」
龍吉は金属片を握りしめた。この紋様は、彼らの印だ。これを手がかりに、彼らの正体、目的を突き止めなければならない。
次に「影法師」についてさらに詳しい情報を得るにはどうすれば良いか。
彼らの手口、潜伏場所、構成員。様々な情報が集まる場所、あるいは、人の心や体に隠された秘密を読み解くことができる人物…
龍吉の脳裏に、ある人物の姿が浮かんだ。盲目の按摩師。
人の体の些細な変化や、声の調子から、隠された秘密や嘘を見抜くという。堀田屋敷の関係者の中にも、将監襲撃事件のショックで口を閉ざしている者や、事件の秘密を知っている者がいるかもしれない。
彼らが抱える心身の闇を、「聴く」ことができる人物。
龍吉は、次に訪ねるべき場所、そして出会うべき人物を心に定めた。
それは、按摩師の市(いち)。
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