『土の記憶〜左官 龍吉捕物控〜』

月影 朔

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第四章:動き出す龍

第十二話:独自の捜査

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 夜。堀田屋敷は静まり返っていた。しかし、その静寂は、平穏ではなく、むしろ何かを隠し持っているかのような不気味さを孕んでいる。

 龍吉は、屋敷の裏手にある人目のつかない塀の陰に身を潜めていた。懐には、血染めの図面と金属片。これから、図面が示す闇の通路を辿り、屋敷に潜入する。

 改修中の蔵から侵入することも考えたが、奉行所の捜査がまだ続いているため、蔵の周囲は警戒が厳しかった。

 龍吉は、左官として屋敷に出入りする中で把握した、屋敷の構造の弱点を利用する。使用されていない古い通用門の脇にある、壁のわずかな隙間。そこからなら、音もなく屋敷内に忍び込むことができる。

 深呼吸をし、龍吉は壁の隙間に手をかけた。土壁と木材の間にできた、人が一人通れるかどうかの狭い空間。

 左官として、建物の構造を知り尽くしている龍吉だからこそ気づいた場所だ。音を立てないように、慎重に体を滑り込ませる。土と埃の匂いが鼻腔を衝く。

 屋敷の敷地内に足を踏み入れた龍吉は、再び息を潜めた。屋敷の内部からは、微かに侍たちの足音や話し声が聞こえる。警備は依然として厳重だ。月明かりだけを頼りに、龍吉は物陰を伝って蔵の方向へ向かった。

 蔵の脇にある、かつて壁の中から図面が見つかった場所の近くまで来ると、龍吉は立ち止まり、懐から図面を取り出した。

 月明かりの下で図面を広げ、壁沿いに描かれた破線を確認する。図面は、蔵の裏手にある小さな扉から、屋敷の母屋へと続く隠し通路の存在を示していた。

 龍吉は図面が示す場所を探し、壁の一部に違和感があるのを見つけた。他の壁土とはわずかに色が違い、指先で触れると、壁の向こうが空洞になっているのが分かる。図面が示す隠し扉だ。龍吉は左官の知識を駆使し、その仕掛けを見抜いた。

 特定の箇所を押し込むと、壁の一部が内側に沈み込む。

 音もなく隠し扉を開け、龍吉は壁の中へと足を踏み入れた。空気は冷たく、湿っている。壁の内側は、竹小舞がむき出しになり、土壁の裏側が見える。壁に張り付いた土の粒子、竹の匂い。それは、昼間、龍吉が作業する壁の、もう一つの顔だった。

 隠し通路は狭く、屈まなければ進めない。龍吉は壁に手をつきながら、慎重に進んだ。壁の感触、床のわずかな傾斜。それは、図面が正確であることを示している。

 通路の途中には、図面に描かれた「音を消す」ための工夫が施されていた。壁の一部が二重構造になっていたり、土に吸音性の高い材料が混ぜられていたりする。

 左官の技術が、ここでは隠密のための術として利用されているのだ。

 隠し通路は、屋敷の床下や天井裏にも繋がっているようだった。図面を頼りに、龍吉は迷うことなく進む。

 闇の中、壁の「土の記憶」が、彼に道を教えてくれるかのようだった。壁に触れる指先から、過去にこの通路を通った者の気配、隠されたものの存在を感じ取る。

 通路を進む途中、屋敷の廊下から人の声が聞こえてきた。龍吉は足を止め、壁の隙間から外の様子を窺った。番頭の吾平と、目つきの鋭い家老が、真剣な表情で話し込んでいる。

「…将監様のこと、くれぐれも他言無用だぞ」
 家老の声が聞こえる。

「は、承知しております。ですが、いつまで隠し通せますか…」

「構わん。事が済むまで、何としても情報を漏らすな。あの者たちが何を狙っているのか、まだ分からぬのだから…」

「あの者たち…やはり、『影』でございますか?」

 吾平の震える声に、龍吉は息を呑んだ。やはり、堀田屋敷の人間は「影」の組織の存在を知っている。そして、彼らは「影」の目的を知らず、恐れている。

 家老は沈黙した後、低い声で呟いた。
「…将監様が、何かに気づかれたのかもしれぬ。あの蔵の秘密が、奴らを呼び寄せたのか…」

 蔵の秘密。龍吉が壁から見つけた図面と金属片。それらが、「影」を呼び寄せ、将監を襲わせた。自身の発見が、事態を動かしたのだと改めて確信する。

 話し声が遠ざかるのを聞き、龍吉は再び隠し通路を進んだ。図面が示すのは、屋敷の奥深くに位置する、特定の部屋の地下。そこに「×」印がつけられている。そこが、「影」が狙っている場所であり、あるいはこの事件の核心に関わる場所なのだろう。

 通路は次第に下へと続き、空気はさらに冷たく、湿気を帯びてくる。地下へ繋がる抜け道だろう。暗闇の中を手探りで進む。土壁の感触、地下水の匂い。

 そして、図面が示す場所に到達した。地下の、岩盤をくり抜いて作られたような空間。そこには、通常の蔵とは異なる、特別な「壁」があった。漆喰が厚く塗られ、表面には微細な金箔が散りばめられている。異様に堅牢で、何かを封じ込めているかのような威圧感を放っている。

 図面が示す「×」印は、この特別な壁につけられていた。そして、壁の傍らには、何かが置かれていたであろう、微かな窪みがある。

 ここだ。「影」が狙っているもの、あるいは隠しているものがここにある。しかし、今は何も残されていない。一体何が隠されていたのか、そして「影」はそれを手に入れたのか。

 龍吉は、その特別な壁にそっと触れた。冷たく、硬い感触。壁の「土の記憶」に耳を澄ませる。この壁が、何を見てきたのか。何を封じ込めているのか。

 物語は、図面が示す場所にたどり着き、新たな謎と対峙する。
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