12 / 37
第四章:動き出す龍
第十二話:独自の捜査
しおりを挟む
夜。堀田屋敷は静まり返っていた。しかし、その静寂は、平穏ではなく、むしろ何かを隠し持っているかのような不気味さを孕んでいる。
龍吉は、屋敷の裏手にある人目のつかない塀の陰に身を潜めていた。懐には、血染めの図面と金属片。これから、図面が示す闇の通路を辿り、屋敷に潜入する。
改修中の蔵から侵入することも考えたが、奉行所の捜査がまだ続いているため、蔵の周囲は警戒が厳しかった。
龍吉は、左官として屋敷に出入りする中で把握した、屋敷の構造の弱点を利用する。使用されていない古い通用門の脇にある、壁のわずかな隙間。そこからなら、音もなく屋敷内に忍び込むことができる。
深呼吸をし、龍吉は壁の隙間に手をかけた。土壁と木材の間にできた、人が一人通れるかどうかの狭い空間。
左官として、建物の構造を知り尽くしている龍吉だからこそ気づいた場所だ。音を立てないように、慎重に体を滑り込ませる。土と埃の匂いが鼻腔を衝く。
屋敷の敷地内に足を踏み入れた龍吉は、再び息を潜めた。屋敷の内部からは、微かに侍たちの足音や話し声が聞こえる。警備は依然として厳重だ。月明かりだけを頼りに、龍吉は物陰を伝って蔵の方向へ向かった。
蔵の脇にある、かつて壁の中から図面が見つかった場所の近くまで来ると、龍吉は立ち止まり、懐から図面を取り出した。
月明かりの下で図面を広げ、壁沿いに描かれた破線を確認する。図面は、蔵の裏手にある小さな扉から、屋敷の母屋へと続く隠し通路の存在を示していた。
龍吉は図面が示す場所を探し、壁の一部に違和感があるのを見つけた。他の壁土とはわずかに色が違い、指先で触れると、壁の向こうが空洞になっているのが分かる。図面が示す隠し扉だ。龍吉は左官の知識を駆使し、その仕掛けを見抜いた。
特定の箇所を押し込むと、壁の一部が内側に沈み込む。
音もなく隠し扉を開け、龍吉は壁の中へと足を踏み入れた。空気は冷たく、湿っている。壁の内側は、竹小舞がむき出しになり、土壁の裏側が見える。壁に張り付いた土の粒子、竹の匂い。それは、昼間、龍吉が作業する壁の、もう一つの顔だった。
隠し通路は狭く、屈まなければ進めない。龍吉は壁に手をつきながら、慎重に進んだ。壁の感触、床のわずかな傾斜。それは、図面が正確であることを示している。
通路の途中には、図面に描かれた「音を消す」ための工夫が施されていた。壁の一部が二重構造になっていたり、土に吸音性の高い材料が混ぜられていたりする。
左官の技術が、ここでは隠密のための術として利用されているのだ。
隠し通路は、屋敷の床下や天井裏にも繋がっているようだった。図面を頼りに、龍吉は迷うことなく進む。
闇の中、壁の「土の記憶」が、彼に道を教えてくれるかのようだった。壁に触れる指先から、過去にこの通路を通った者の気配、隠されたものの存在を感じ取る。
通路を進む途中、屋敷の廊下から人の声が聞こえてきた。龍吉は足を止め、壁の隙間から外の様子を窺った。番頭の吾平と、目つきの鋭い家老が、真剣な表情で話し込んでいる。
「…将監様のこと、くれぐれも他言無用だぞ」
家老の声が聞こえる。
「は、承知しております。ですが、いつまで隠し通せますか…」
「構わん。事が済むまで、何としても情報を漏らすな。あの者たちが何を狙っているのか、まだ分からぬのだから…」
「あの者たち…やはり、『影』でございますか?」
吾平の震える声に、龍吉は息を呑んだ。やはり、堀田屋敷の人間は「影」の組織の存在を知っている。そして、彼らは「影」の目的を知らず、恐れている。
家老は沈黙した後、低い声で呟いた。
「…将監様が、何かに気づかれたのかもしれぬ。あの蔵の秘密が、奴らを呼び寄せたのか…」
蔵の秘密。龍吉が壁から見つけた図面と金属片。それらが、「影」を呼び寄せ、将監を襲わせた。自身の発見が、事態を動かしたのだと改めて確信する。
話し声が遠ざかるのを聞き、龍吉は再び隠し通路を進んだ。図面が示すのは、屋敷の奥深くに位置する、特定の部屋の地下。そこに「×」印がつけられている。そこが、「影」が狙っている場所であり、あるいはこの事件の核心に関わる場所なのだろう。
通路は次第に下へと続き、空気はさらに冷たく、湿気を帯びてくる。地下へ繋がる抜け道だろう。暗闇の中を手探りで進む。土壁の感触、地下水の匂い。
そして、図面が示す場所に到達した。地下の、岩盤をくり抜いて作られたような空間。そこには、通常の蔵とは異なる、特別な「壁」があった。漆喰が厚く塗られ、表面には微細な金箔が散りばめられている。異様に堅牢で、何かを封じ込めているかのような威圧感を放っている。
図面が示す「×」印は、この特別な壁につけられていた。そして、壁の傍らには、何かが置かれていたであろう、微かな窪みがある。
ここだ。「影」が狙っているもの、あるいは隠しているものがここにある。しかし、今は何も残されていない。一体何が隠されていたのか、そして「影」はそれを手に入れたのか。
龍吉は、その特別な壁にそっと触れた。冷たく、硬い感触。壁の「土の記憶」に耳を澄ませる。この壁が、何を見てきたのか。何を封じ込めているのか。
物語は、図面が示す場所にたどり着き、新たな謎と対峙する。
龍吉は、屋敷の裏手にある人目のつかない塀の陰に身を潜めていた。懐には、血染めの図面と金属片。これから、図面が示す闇の通路を辿り、屋敷に潜入する。
改修中の蔵から侵入することも考えたが、奉行所の捜査がまだ続いているため、蔵の周囲は警戒が厳しかった。
龍吉は、左官として屋敷に出入りする中で把握した、屋敷の構造の弱点を利用する。使用されていない古い通用門の脇にある、壁のわずかな隙間。そこからなら、音もなく屋敷内に忍び込むことができる。
深呼吸をし、龍吉は壁の隙間に手をかけた。土壁と木材の間にできた、人が一人通れるかどうかの狭い空間。
左官として、建物の構造を知り尽くしている龍吉だからこそ気づいた場所だ。音を立てないように、慎重に体を滑り込ませる。土と埃の匂いが鼻腔を衝く。
屋敷の敷地内に足を踏み入れた龍吉は、再び息を潜めた。屋敷の内部からは、微かに侍たちの足音や話し声が聞こえる。警備は依然として厳重だ。月明かりだけを頼りに、龍吉は物陰を伝って蔵の方向へ向かった。
蔵の脇にある、かつて壁の中から図面が見つかった場所の近くまで来ると、龍吉は立ち止まり、懐から図面を取り出した。
月明かりの下で図面を広げ、壁沿いに描かれた破線を確認する。図面は、蔵の裏手にある小さな扉から、屋敷の母屋へと続く隠し通路の存在を示していた。
龍吉は図面が示す場所を探し、壁の一部に違和感があるのを見つけた。他の壁土とはわずかに色が違い、指先で触れると、壁の向こうが空洞になっているのが分かる。図面が示す隠し扉だ。龍吉は左官の知識を駆使し、その仕掛けを見抜いた。
特定の箇所を押し込むと、壁の一部が内側に沈み込む。
音もなく隠し扉を開け、龍吉は壁の中へと足を踏み入れた。空気は冷たく、湿っている。壁の内側は、竹小舞がむき出しになり、土壁の裏側が見える。壁に張り付いた土の粒子、竹の匂い。それは、昼間、龍吉が作業する壁の、もう一つの顔だった。
隠し通路は狭く、屈まなければ進めない。龍吉は壁に手をつきながら、慎重に進んだ。壁の感触、床のわずかな傾斜。それは、図面が正確であることを示している。
通路の途中には、図面に描かれた「音を消す」ための工夫が施されていた。壁の一部が二重構造になっていたり、土に吸音性の高い材料が混ぜられていたりする。
左官の技術が、ここでは隠密のための術として利用されているのだ。
隠し通路は、屋敷の床下や天井裏にも繋がっているようだった。図面を頼りに、龍吉は迷うことなく進む。
闇の中、壁の「土の記憶」が、彼に道を教えてくれるかのようだった。壁に触れる指先から、過去にこの通路を通った者の気配、隠されたものの存在を感じ取る。
通路を進む途中、屋敷の廊下から人の声が聞こえてきた。龍吉は足を止め、壁の隙間から外の様子を窺った。番頭の吾平と、目つきの鋭い家老が、真剣な表情で話し込んでいる。
「…将監様のこと、くれぐれも他言無用だぞ」
家老の声が聞こえる。
「は、承知しております。ですが、いつまで隠し通せますか…」
「構わん。事が済むまで、何としても情報を漏らすな。あの者たちが何を狙っているのか、まだ分からぬのだから…」
「あの者たち…やはり、『影』でございますか?」
吾平の震える声に、龍吉は息を呑んだ。やはり、堀田屋敷の人間は「影」の組織の存在を知っている。そして、彼らは「影」の目的を知らず、恐れている。
家老は沈黙した後、低い声で呟いた。
「…将監様が、何かに気づかれたのかもしれぬ。あの蔵の秘密が、奴らを呼び寄せたのか…」
蔵の秘密。龍吉が壁から見つけた図面と金属片。それらが、「影」を呼び寄せ、将監を襲わせた。自身の発見が、事態を動かしたのだと改めて確信する。
話し声が遠ざかるのを聞き、龍吉は再び隠し通路を進んだ。図面が示すのは、屋敷の奥深くに位置する、特定の部屋の地下。そこに「×」印がつけられている。そこが、「影」が狙っている場所であり、あるいはこの事件の核心に関わる場所なのだろう。
通路は次第に下へと続き、空気はさらに冷たく、湿気を帯びてくる。地下へ繋がる抜け道だろう。暗闇の中を手探りで進む。土壁の感触、地下水の匂い。
そして、図面が示す場所に到達した。地下の、岩盤をくり抜いて作られたような空間。そこには、通常の蔵とは異なる、特別な「壁」があった。漆喰が厚く塗られ、表面には微細な金箔が散りばめられている。異様に堅牢で、何かを封じ込めているかのような威圧感を放っている。
図面が示す「×」印は、この特別な壁につけられていた。そして、壁の傍らには、何かが置かれていたであろう、微かな窪みがある。
ここだ。「影」が狙っているもの、あるいは隠しているものがここにある。しかし、今は何も残されていない。一体何が隠されていたのか、そして「影」はそれを手に入れたのか。
龍吉は、その特別な壁にそっと触れた。冷たく、硬い感触。壁の「土の記憶」に耳を澄ませる。この壁が、何を見てきたのか。何を封じ込めているのか。
物語は、図面が示す場所にたどり着き、新たな謎と対峙する。
10
あなたにおすすめの小説
『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』
月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。
失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。
その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。
裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。
市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。
癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』
――新感覚時代ミステリー開幕!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる