『土の記憶〜左官 龍吉捕物控〜』

月影 朔

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第五章:迫る危機と守るべき壁

第二十話:決意の塗り込め

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 駿河屋の蔵での改修作業は、佳境を迎えていた。

 龍吉は、頭の中で練り上げた「守るための壁」の設計図を、寸分違わず現実の壁に塗り込めていく。手伝いの職人たちには、表面的な作業を指示するが、壁の内部に組み込む秘密の仕掛けは、すべて自らの手で施した。

 特別な粘り気のある土と、砕いた石や瓦礫を混ぜ合わせる。通常の蔵壁には使わない配合だ。それは、物理的な強度を極限まで高めるため。そして、炎にも強い壁材とするため。

 土を練りながら、龍吉の脳裏には、幼い頃の火事の光景が蘇る。燃え盛る炎の色、焼け焦げた匂い、そして、崩れ落ちる壁の轟き。あの時、壁はあまりにも脆く、炎は容赦なくすべてを焼き尽くした。

(今度こそ…!)

 鏝を握る手に力がこもる。壁に土を塗りつけ、叩き込んでいく。その一つ一つの動作に、過去の自分への怒り、そして今度こそ大切なものを守り抜くという強い意志が込められている。土を塗り込める行為は、龍吉自身の過去、悲しみ、そして決意を壁に「塗り込めている」かのようだった。壁は、単なる建築物ではない。それは、龍吉の魂が注ぎ込まれた、生きた要塞だ。

 壁の内部には、様々な仕掛けが組み込まれていく。特定の圧力で音が鳴る鈴の仕掛け。音を吸収するための特殊な壁材。偽の隠し通路に通じる、崩落する壁。そして、壁の裏側に作られた、龍吉以外には分からない小さな隠し空間。そこには、緊急用の左官道具と、わずかな食料が隠されている。来るべき「影法師」との対峙に備えた、職人としての最後の砦だ。

 駿河屋の主人、甚右衛門は、毎日蔵の様子を見に来た。壁がみるみるうちに厚く、堅牢になっていくのを見て、安堵の色を浮かべる。しかし、その目の奥には、まだ消えない恐怖が宿っている。彼は、「影法師」の恐ろしさを肌で感じているのだ。

「龍吉殿…この壁があれば、奴らも…?」

 甚右衛門は不安そうに尋ねる。龍吉は何も言わない。ただ、黙々と壁を塗り続ける。言葉よりも、壁が語る。この壁に、彼のすべての決意が塗り込められている。

 改修作業が進むにつれて、外部からの不穏な気配は増していった。荒れ寺の周囲に、見慣れない人影がちらつく。遠くで聞こえる、普段とは違う音。

 町では、「影」の噂がさらに具体性を帯び、「次に狙われるのは両替商らしい」と囁かれ始めている。時間は、もうあまり残されていないことを、龍吉は肌で感じていた。

 壁の完成が近づく。

仕掛けはすべて組み込まれた。表面は、周囲の廃墟に溶け込む煤けた土壁。しかし、その内側は、龍吉のすべてが注ぎ込まれた、難攻不落の「人を守る壁」だ。

 過去のトラウマを乗り越え、今度こそ大切なものを守り抜く。その強い意志が、壁の隅々にまで宿っている。

 壁が完成した、その夜。あるいは、完成間近の、最も緊張が高まる瞬間。

 龍吉が壁を見上げていると、空気が変わったのを感じた。静寂の中に潜む、異様な気配。それは、「影法師」が動き出したことを示唆していた。

 彼らが、龍吉が作った「壁」に、まさに迫ってきている。

 龍吉は静かに、しかし力強く、手に持った叩き鏝を握り直した。壁は完成した。準備は整った。

 次は、この壁で迎え撃つ番だ。「影」との対決は、この「人を守る壁」を舞台に始まる。

 職人の意地が、今、試されようとしていた。
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