『土の記憶〜左官 龍吉捕物控〜』

月影 朔

文字の大きさ
30 / 37
第八章:新たな依頼、新たな闇

第三十話:紅屋の蔵

しおりを挟む
 依頼を受けた龍吉は、数日後、紅屋の蔵へと向かった。

 北町界隈は、武家屋敷が立ち並ぶ重厚な雰囲気に包まれている。駿河屋があった場所とは趣が異なるが、どこか張り詰めた空気が漂っていた。紅屋の主人、吉右衛門は、龍吉を蔵へと案内した。彼の顔には、前回同様、隠し切れない不安の色が浮かんでいる。

「こちらが、お頼み申し上げた蔵でございます。」

 吉右衛門は、重厚な扉の鍵を開け、龍吉を蔵の中へと促した。蔵の中は薄暗く、埃っぽい。だが、その古さの中に、ただならぬ雰囲気があった。龍吉はまず、蔵全体を見回した。年代はかなり古い。使われている木材や土壁の素材は、当時の上質なものだろう。しかし、ところどころに不自然な修復跡が見受けられた。

 龍吉は、左官の視点から、蔵の壁に触れ、叩き、耳を澄ませた。指先で壁の表面をなぞり、そのわずかな凹凸から、過去の塗り直しや補修の履歴を読み取る。叩き鏝で壁を軽く叩くと、その音の響きで壁の厚みや内部の構造を推測する。
「ほう…」

 龍吉は、壁の特定の場所で叩き鏝を止めた。他の場所とは明らかに異なる、不自然な響きだ。それは、壁の内部に空洞があるか、あるいは通常の土壁とは異なる素材が使われていることを示唆していた。彼はさらに注意深くその場所を調べた。壁の表面には、微かにだが、肉眼ではほとんど見えないほどの継ぎ目がある。それは、まるで壁の一部が、後から嵌め込まれたかのような痕跡だった。

「吉右衛門様、この壁は、以前にも手が入っておりますな?」

 龍吉が尋ねると、吉右衛門はびくりと肩を震わせた。
「は、はあ…随分昔に、一度…大きな普請がございましたが…」

 明らかに動揺している。彼の隠していることが、この壁にあるのだと龍吉は確信した。

 龍吉は、壁の隅々まで五感を研ぎ澄ませて調査を続けた。壁から伝わる空気の僅かな流れ、土壁から微かに漂う匂い。そして、耳を凝らすと、壁の奥から微かな、そして不自然な音が聞こえるような気がした。それは、壁の向こうに、何か生き物、あるいは何らかの仕掛けがあるかのような錯覚を覚える音だった。

 さらに蔵の床を調べると、地下への通路を思わせる、かすかな痕跡が見つかる。土間の隅に、不自然に固められた土の層。その下には、何らかの空間が隠されている可能性があった。

 堀田屋敷の蔵、駿河屋の蔵、そしてこの紅屋の蔵。三つの蔵には、共通する「影」の痕跡があった。堅牢さへの異常なこだわり、隠された仕掛け、そして、壁の奥に潜む秘密。龍吉は、この蔵にも、将軍家に関わる、あるいは「影法師」の目的と深く繋がる、何らかの秘密が隠されていることを確信する。

「土の記憶」を読み解く。壁の表面だけでなく、その内側に隠された歴史、この蔵を普請した職人たちの思い、そして、「影」が残していった痕跡。それらすべてが、紅屋の蔵に隠された真実へと繋がっているはずだ。

 蔵の調査を続けるうちに、龍吉は、微かな視線を感じた。それは、蔵の外から見られているかのような、かすかな気配。龍吉は、扉の隙間から外を窺うが、人影はない。だが、その気配は確かに存在した。「影法師」が既に、この蔵の動き、そして龍吉の存在を察知している。

 紅屋の蔵の改修は、単なる普請ではない。それは、「影」との新たな戦いの舞台となることを、龍吉は改めて認識した。そして、その戦いは、これまで以上に深く、複雑なものになるだろう。

 龍吉は、決意を新たに、紅屋の蔵の壁を見つめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

処理中です...