【完結】『迷子札の子守唄 ~見届けられた命たち~』

月影 朔

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第2章:託されし願い

第15話:橋上の刃

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 橋の上で宗次が振り返ったその時、三人の男たちはすでに獲物を見定めた獣の目をしていた。夜の帳は彼らの表情を半分隠しているが、その声と佇まいには明らかに敵意が漲っている。

「お前さん、越後屋さんの周りで何を嗅ぎ回ってやがる?」

 男の一人が低い声で問うた。やはり、越後屋の、あるいは越後屋と繋がりのある者の差し金だ。宗次が越後屋の周辺を探り始めてから、まだ半日も経っていない。監視の厳重さ、そして情報網の速さに、宗次は内心で舌を巻いた。

 宗次は答えず、静かに腰の刀に手をかけたまま男たちを見据えた。浪人刀は、かつて武士が差していた真剣とは異なるが、十分な殺傷力を持つ。しかし、宗次の目的は殺し合いではない。情報を得るか、あるいは少なくとも身の安全を確保し、ここから立ち去ることだ。

 宗次の無言と、腰の刀に触れる仕草が、男たちの苛立ちを煽ったらしい。

「黙りか! しょうがねぇな、手荒にするしかねぇか!」

 三人のうち、最も背の高い男が、手に持った棒を振りかぶり、宗次に向かって飛びかかってきた。他の二人は左右に回り込む動きを見せる。連携は取れている。ただのチンピラではないかもしれない。

 宗次は冷静だった。飛びかかってくる棒の軌道を一瞥し、最小限の動きでそれを避ける。紙一重で頭上を通り過ぎる風圧を感じながら、宗次は相手の懐に踏み込んだ。刀を抜かず、鞘に収めたままの刀の柄頭を、男の脇腹に叩き込む。

「ぐあっ!」

 予想外の攻撃に、男は呻き声を上げて怯んだ。すかさず、宗次は体の向きを変え、左右から迫る二人に目を向けた。一人は懐から短めの刀を抜いており、もう一人は素手だ。

 短刀の男が鋭く突き込んできた。橋の上は道幅が狭い。下手に動けば川に落ちる危険もある。宗次は冷静に短刀の切っ先を刀の鞘で受け流した。カーン、と金属音が響く。そして、鞘を滑らせるようにして、男の手首に鞘を打ち付けた。

「てめぇ!」

 男が痛みに顔を歪ませた隙に、宗次は素手の男の方へ素早く体を進めた。素手の男は体格が良い。組み付かれると厄介だ。宗次は地面を蹴り、低い姿勢から男の足元を狙って鞘で払った。

 男はバランスを崩し、よろめいた。宗次は追撃せず、再び三人の間合いから距離を取る。まだ刀は抜いていない。本気で斬りかかるつもりはない、という宗次の意思表示でもあった。

 しかし、男たちは宗次の手加減に気づかないか、あるいは侮ったか。最初に怯んだ男も体勢を立て直し、三人は再び宗次を取り囲もうとする。

「面倒くせぇ浪人だ。やっちまえ!」

 今回は三人同時に、それぞれの獲物や拳で襲いかかってきた。宗次は、最早避けきれないと判断し、静かに刀を抜いた。夜闇に、僅かに刀身が鈍く光る。

 抜刀の速さは、かつての宗次からは失われていなかった。居合の要領で、迫る三人のうち、最も危険な位置にいた短刀の男の腕を狙って切っ先を走らせる。斬るのではなく、相手の動きを止めるための、寸止めに近い動きだ。

 ヒュッ、と空気を切る音が響き、男は咄嗟に腕を引いた。しかし、完全に避けることはできず、袖が僅かに切り裂かれた。それを見た他の二人が怯んだ一瞬を逃さず、宗次は残りの二人の間合いに踏み込み、柄や鞘を使って彼らを打ち据えた。

 ドカッ、バキッ、という鈍い音が響き、男たちは呻き声を上げて橋の上に倒れ伏した。宗次は刀を彼らに向けたまま、息を整える。短い間に決着はついた。三人の男たちは、意識を失ったわけではないが、起き上がって追撃できる状態ではなかった。

 宗次は刀の切っ先を、一番体格の良い男の喉元に突きつけた。

「誰の差し金だ」

 男は怯えきった目で宗次を見上げた。息が荒い。

「ひっ…! し、知らねぇ! ただ、越後屋さんの若旦那に、あの辺りで様子のおかしな浪人を見つけたら、痛めつけて追い払えって言われただけで…!」

 越後屋の若旦那──。やはり、直接的な関わりがあったのだ。若旦那自らが、このような手配をするとは、越後屋の用心深さ、そして宗次をただの浪人ではないと警戒している証拠かもしれない。

「あの問屋の番頭とは、関係があるか?」

 宗次が問うと、男は首を横に振った。
「そっちは知らねぇ…俺たちは、越後屋さんの仕事しか…」

 嘘をついている様子はない。この男たちは、越後屋の若旦那に雇われた、街の用心棒崩れか何かだろう。お梅の件の核心までは知らない。

 宗次は刀をゆっくりと下ろした。
「起き上がったら、越後屋の若旦那に伝えろ。詮索はやめぬ、とな」

 宗次がそう言い放つと、三人の男たちは恐怖に震え上がった。宗次は彼らをその場に残し、刀を鞘に収め、橋を渡り切った。

 夜風が、熱くなった宗次の頬を撫でる。予想していたとはいえ、これほど早く、直接的な接触があるとは。越後屋は、宗次の動きを警戒している。そして、彼らは暴力的な手段も厭わない。

 このまま単独で深入りするのは危険すぎる。越後屋の規模と用心深さを考えれば、「あの人」の力が必要だ。情報の共有、そして今後の対策を練るため、「あの人」の元へ戻る必要がある。

 宗次は方向転換し、「あの人」の家がある方角へと歩き出した。橋の上での短い戦いは、宗次の内に燻っていた武士の血を再び燃え上がらせた。しかし、それはかつての無益な斬り合いとは違う。これは、護るための力だ。赤子の命を、お梅の願いを、そして「あの人」との間に生まれた繋がりを護るための力。

 足取りは確かなものとなっていた。危険は現実のものとなったが、宗次の覚悟は一層固くなった。越後屋という巨大な闇に、宗次と「あの人」の二人が挑む。その道のりは、容易ではないだろう。だが、立ち止まるわけにはいかない。迷子札の子守唄は、まだ始まったばかりなのだ。

 夜闇の中、宗次の影は街の灯火に長く伸びていた。次に越後屋と対峙する時、この手にある刀は、どのような役割を果たすことになるのだろうか。
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