【完結】『迷子札の子守唄 ～見届けられた命たち～』

第3章：見届けられる未来

第25話：最終局面の始まり

　宗次と「あの人」は、迷子の赤子に託されたお梅の願いを果たすため、そして彼女を死に追いやった越後屋の悪事を暴くため、最終局面に到達した。

　夜明け前、追跡を逃れた宗次は、「あの人」の家へと急いだ。体に残る疲労と痛み、そして越後屋に顔を見られたという事実が、宗次を急き立てる。しかし、懐にある「あの人」からの合図を示す和紙が、宗次の心に新たな力を灯していた。最後の場所。お梅の願いの全てが懸かる場所が、今、明らかになったのだ。

「あの人」の家に着き、戸を開けると、油皿の光が宗次を迎えた。「あの人」は、夜通し宗次の無事を祈り、そして手に入れた情報を整理していたのだろう。宗次の姿を見て、安堵と共に緊張の走る表情を見せた。

　部屋に入り、宗次は追跡から逃れたことを簡潔に報告した。そして、手にした「あの人」からの和紙を取り出した。

「これに、場所が…」

「あの人」は頷き、和紙を受け取った。改めて向き合い、二人はその内容を詳細に検討した。「あの人」が読み解いた符丁と、小さな絵が示していたのは、越後屋本店の地下深くにある隠し部屋らしき場所だった。記録によれば、越後屋が最も重要な秘密や、不正で得た財産を隠している場所だという。そして、おそらくお梅の夫が遺した「何か」も、そこに隠されている。

「ここだ…越後屋の心臓部と言える場所だ。警備は最も厳重だろう。しかし…お梅の夫が遺したものがここにある可能性が高い」
「あの人」は、息を呑むような声で言った。

　ここへ辿り着くことが、越後屋を追い詰める唯一の方法だ。この場所から「何か」を手に入れ、越後屋の不正を白日の下に晒すことができれば、お梅の夫の無念は晴れ、越後屋は力を失う。そうなれば、赤子が越後屋から追われる理由もなくなる。お梅の願いが、真に果たされる。

　しかし、その道のりは、これまで宗次が経験してきたどの危険よりも険しい。越後屋の本店は、高い塀と頑丈な門に守られ、昼夜を問わず厳重な警備が敷かれている。地下の隠し部屋となれば、さらに複雑な仕掛けや、手練れの用心棒が待ち構えているだろう。

「どうする…？」
「あの人」が宗次を見た。決めるのは宗次だ。命懸けの潜入を、実行するか否か。

　宗次は、お梅の夫が命を懸けて隠した記録、お梅が我が子に託した迷子札、そして「あの人」が危険を顧みずに解読した情報…これまでの道のりを思い返した。あの雪の朝、迷子札と共に拾い上げた小さな命。その命が、宗次に再び生きる意味を与えてくれた。

　かつて、宗次は何も守れなかった。妻も、子も。無力感に打ちひしがれ、絶望の淵を彷徨った。しかし、今は違う。護るべきものが、ここにある。お梅の願いを、赤子の未来を、そして「あの人」との絆を。

「行きます」
　宗次の声は静かだが、揺るぎない決意に満ちていた。

「ここへ潜入し、お梅殿の夫が遺した『何か』を手に入れます」

「あの人」は宗次の決意に、僅かに目を伏せた。しかし、宗次を止める言葉はなかった。彼もまた、お梅とお梅の子への思い、そして越後屋への憤りを胸に秘めている。

　二人は、最後の作戦を練り始めた。越後屋本店の構造、警備の配置、潜入ルート、そして万が一の際の合図。宗次の武術の腕、ステルス能力、そして「あの人」が持つ裏社会の情報や繋がり。それぞれの持つ力を最大限に活かさなければ、成功はおぼつかない。

「あの記録には、地下への隠し通路や、隠し部屋の仕掛けに関する符丁もいくつかあった。これを読み解けば、鍵が見つかるかもしれぬ」

「あの人」は言った。まだ全ての符丁が解読されたわけではない。潜入の最中に、新たな謎が現れる可能性もある。

　作戦の詳細は、刻一刻と詰められていく。緊張感が高まるにつれて、宗次の体からは疲労が消え失せ、研ぎ澄まされた集中力が高まっていった。これは、かつて命を賭けた任務に赴く前の感覚だ。しかし、今回は目的が違う。誰かを殺すためではない。救うためだ。

　夜明けの光が部屋に差し込む頃、作戦の概要は固まった。潜入は、越後屋の警備が手薄になると思われる、特定の夜に行う。宗次が単独で本店に潜入し、地下の隠し部屋を目指す。「あの人」は外で待機し、宗次の脱出を手助けする手筈を整える。

「万が一、私が戻れなかった場合は…」
　宗次は「あの人」に、迷子札と木片、そして赤子への最後の言付けを託そうとした。

「馬鹿なことを言うな！」
「あの人」が強い口調で宗次の言葉を遮った。

「必ず戻ってくるのだ！ お梅の願いは、あなたと共に叶えられねば意味がない！ そして、あの子も、あなたに見届けられることを待っている！」

「あの人」の言葉に、宗次の胸が熱くなった。孤独な戦いではない。宗次は、護るべきものだけでなく、待っていてくれる者がいるのだ。

　宗次は頷き、改めて決意を新たにした。必ず生きて戻る。そして、お梅の願いを、この手で果たす。

　必要な装備を確認し、宗次は立ち上がった。「あの人」は無言で宗次の肩に手を置いた。その手から、無言の激励と、深い信頼が伝わってくる。

　戸口で、「あの人」が宗次を見送った。夜明け前の冷たい空気が、宗次の顔を撫でる。越後屋本店。そこは、光の届かぬ闇の淵だ。しかし、その奥に、お梅の願いと、赤子の未来が待っている。

　宗次は一歩を踏み出した。全てを賭けた最終局面が、今、始まったのだ。追われる身から、自ら敵の本拠地へ。

　宗次の足音は、決意の音として、静かな夜明け前の街に響いた。