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恐るべしフェアリー

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 家に帰ってからも、海斗と顔を合わせずにいた。ご飯は先に食べて部屋へ入ってしまったし、海斗がお風呂から出て、部屋に入ったのを確認してからお風呂へ行った。もはや、どうして避けているのか自分でもよく分からない。
 お風呂から上がって、階段を上っている時に、携帯電話の鳴る音がした。
「もしもし。うん。悪いな、お前もインターハイ近いのに。」
海斗が電話に出た。インターハイ?という事は、電話の相手は前園さんだ。俺は、つい海斗の部屋の前で立ち止まった。
「嫉妬させるとか言って、全然だめだよ。俺ばっか嫉妬しててさあ。やっぱあいつ、俺の事好きじゃないのかなあ。」
おいおい、それどういう事だよ。前園さんは、誰かを嫉妬させるために彼女のフリをしたって事か?そして、海斗には別に好きな人がいるって事・・・?
「えー?マジでー?あははは。」
海斗の電話は続いていたが、俺は自分の部屋に戻った。前園さんではない、誰か別の人。海斗が嫉妬させたいのに、嫉妬してくれない誰か。そんな人、この世の中にいるのか?年上とか?意外に、白石さんだったりして?分からない。俺は、海斗がどんどん遠くへ行ってしまうような気がして、怖かった。寂しかった。

 翌朝学校へ行くと、教室がザワザワしていた。何事かと思いつつも自分の席へ向かうと、そこにポニーテールの女子が立っていた。あれ?前園さん?
「あ、君が城崎岳斗くん?」
俺が机に荷物を置くと、彼女はそう聞いてきた。
「はい。」
俺が恐る恐る返事をすると、
「私、前園です。よろしくね。」
と言って、握手を求めて来た。俺はそっとその手を掴んで、すぐに離した。周りの男子から羨望の目で見られる。だから、うらやましがられるのはこりごりなんだってば。
 前園さんは腕を組んで、俺をジロジロと眺めた。
「ふうーん。」
薄ら笑いを浮かべる前園さん。新体操をしている時とはだいぶ印象が違う。
「あのー、何かご用でしょうか?」
俺が聞くと、
「城崎の弟ってどんな子かなーと思ってね。城崎があんまり可愛い可愛いって言うからさ。」
俺はぼっと顔が熱くなった。可愛いなんて、言ってんのかよ海斗!
「つまり、宣戦布告をしに来たって事ですか?私と弟とどっちが可愛いのよって?」
と、聞いたのは俺ではない。金子である。
「まあ、そんなとこかなー。」
前園さんはそう言ったけど、俺は知っている。前園さんは海斗の彼女ではない。海斗の好きな人は別にいる。なぜこんな事をするのだろう。前園さんはそれで去って行った。
 よせばいいのに、また昼休みに新体操部の練習を見に行った俺たち。暇だから仕方がない。前園さんは今度は俺たちの方に気づいて、手を振ってくれた。金子と笠原は喜んで手を振り返していた。
 練習の最後に、海斗が現れた。今日はちゃんと、体育館まで前園さんを迎えに来たようだった。そっちを見ていると、前園さんが明らかに俺の方を見て、それから海斗の腕に寄りかかった。フリだって分かっていてもイライラ。前園さんて、けっこう嫌な人だな。俺は友達を放っておいて、さっさと教室へと歩き出した。

 新体操のインターハイが行われ、前園さんは個人七位という結果だった。うちの学校の新体操部始まって以来の快挙だった。そもそもインターハイ出場自体が快挙だったわけだが。
 テスト前になり、部活がない日々が始まった。こうなると、もう海斗からの逃げ場はない。朝ご飯も一緒に食べ、一緒に登校し、夕ご飯も一緒に食べなければならない。何となく避けてきたけれど、そういうわけにもいかなくなる。ご飯の時、俺と海斗の席は向かい合わせだ。俺はなるべく海斗を見ないようにしているのだが、海斗の方は時々俺の顔を盗み見ている。嫌なわけではない。だが、気持ちが落ち着かない。
 もう、このままでは勉強にも集中できない。俺は、ちゃんと海斗と話さなければならないと考えた。まず、前園さんは本当の彼女ではない事、それをはっきりさせなければならない。
 家に帰ってきて、着替えてから、海斗の部屋を訪れた。海斗も着替えたばかりの様子だった。
「海斗、ちょっといい?」
「お?いいよ。」
「あのさ、前園さんの事なんだけど。」
俺が切り出すと、海斗はぱっと俺の顔を見た。
「前園さんは、本当の彼女じゃないよね?フェイクなんだろ?」
俺がそう言うと、海斗は口をぽかんと開けた。
「なんで?」
海斗が聞く。
「前園さんと電話で話してるのが聞こえちゃったんだ。嫉妬させたいのに、自分ばっかり嫉妬してしまうとか、あいつは俺の事が好きじゃないのかな、とか。」
俺がそう言うと、海斗は更に口をぽかんと開けて、目も大きく見開いた。
「そう、だったのか。あははは。それじゃあ、嫉妬するわけないじゃん。あははは。」
海斗は目を片方の手のひらで覆って、笑いながらそう言った。
「ん?なに?」
俺が問いただすと、
「いや、何でもない。もう彼女のフリはやめてもらうよ。意味ないし。」
と海斗が言った。俺は首を傾げる。
「お前さ、どうしてそう鈍感なんだ?」
海斗は俺の両肩に手を置いた。
「何が?え?俺、鈍感?」
訳が分からない。
「俺が好きなのは、お前だって、分からないの?」
・・・・。
いや、海斗が俺の事を好きなのは知ってる。え?でも何?つまり、嫉妬させたい相手が、俺って事?なんで?
― やっぱあいつ、俺の事好きじゃないのかなあ ―
海斗が電話で嘆いていたのを思い出した。あいつ、が、俺?
「え、うっそ。いや、嘘だろ?」
俺は激しく動揺した。
「嘘じゃない。本当だ。今までも何回も好きだって言ってるけどな。本気にしてくれなかったもんな、お前。」
「だって、それは、俺たちは兄弟だから、好きなのは当たり前で、だから、でも、俺は本当の弟じゃなくて、えっと、海斗は、海斗は、えっと。」
頭がパニック。何を考えればいいのか、分からない。
「岳斗、落ち着けって。岳斗。」
「でも、でも。」
俺が尚もパニックになっていると、海斗は俺の口を自分の口で塞いだ。
 さすがに二回目だから、それほどびっくりしなかった。その代わりに、胸にズキンと痛み、いや、疼きが生じた。海斗は一度唇を離し、もう一度口づけた。
「うわっ。」
次の瞬間、思わず俺は海斗を突き飛ばした。何だこれ!
「岳斗?」
海斗は俺の顔を覗き込む。俺は、自分の部屋に駆け込んだ。何なんだ、これは!自分の体の反応にショックを受けた俺は、海斗の顔をまともに見られなくなった。
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