願いのシルシ

篠宮璃紅

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手記

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広場から遠く離れた町の隅。宿泊可能な食堂でヴァルー達は腰を落ち着かせていた。
 
惨劇から数時間が経過し、空は暗くなり始めている。
 
泣き腫らした目もようやく落ち着き、ヴァルーは店の隅でフードを脱いでいた。


「……また、使っちゃった。やっぱり駄目だね」
 

フードと同じく、食事をするのに邪魔な手袋と上着は取り払われ、服の裾から見える手首や喉元からは、頬と同じような印が見え隠れする。ヴァルーは手元に見える印を睨む。
 
客からヴァルーを隠すように座るニコは、並んだ料理を取り分けながら答える。


「彼女を助けたい。その気持ちは大切なものです。ですが、あの男があそこまで残虐な人間だったのが」

「それもそうだけど、あの子が酷いことをされるんじゃないかって思った時に、首輪さえはずれればって思ったんだ。彼女を逃がしたい、じゃなくて首輪がなくなればって。あの子も僕と同じで、逃げる力なんてなかったのに」
 

皿を受け取ったヴァルーは、手を付けず料理を見つめる。


「ヴァルー様。無意識に使ってしまったとは言え、貴方の願いは軽率なものでした。ですが、私は今日の貴方を責めようとは思いません。彼女には申し訳ないですが」
 

ニコは緑に輝く瞳をヴァルーに向ける。


「私たち獣人はその気になれば人間の四肢を引き裂けるほどの力を持っています。彼女ももう少し年を重ねていて、あそこまで服従を強いられていなければ抵抗していたでしょう。ですが、この街で暮らしている獣人たちに、そのような反逆は許されていない。そう刷り込まれてしまっていると思います」

「逃げようと思えば逃げられるけど、そう思わせないように人間がしてるってこと?」

「はい。どうやら獣人の従属化は徹底されているようです。この店も、ほら」
 

ニコは店内を忙しく歩く店員を指す。腰から伸びる尻尾を揺らしながら、両手に持つ皿を客の席に運んでいく。そんな彼らの首にも輪がはめられていた。


「まるで人間のように笑って配膳をしていますが、動きが歪な瞬間があります。裏で折檻を受けているのでしょう。それでも笑って仕事に励んでいるんですから、ここの主人も心優しい人柄ではないのでしょうね」
 

ヴァルーは目を凝らし、店員の動きを観察する。ニコの言う通り、背中を気遣うような仕草や、足を引きずる動きが見えた。だが顔には出さず、店員は店を歩き続けていた。


「……怖いね、この街」


 ヴァルーは率直な思いを口にした。


「僕はニコを獣人だって分けて考えたくない。だって獣人も見た目が違うだけで、人間と変わらない。ご飯は食べるし、眠くもなる。頭なんて人間よりも良くて力も強いんだから、区別したとしてもあんな風に傷つけて言うことを聞かせることなんて」

「貴方は幼い頃から私や、村に住んでいた獣人と面識があります。自由に学習することができれば、我々は人間たちより優れた知能を会得します。ですが、その性質はほんの一握りの人間にしか理解されていません」

「人間たちは、理解しようとしてないってことだよね」

「自分たちとは違う。それを恐れ、認められないのが人間です。その溝が埋まるのは、随分と先の話になるでしょう」

「みんな僕と同じだ。知らないから、自分の知っていること以上の事が想像できないんだ」


 そうですね、とニコは静かに答える。


「貴方が他人を思いやれる人で本当によかったと思いますよ。空回りすることはありますが、私は何度もあなたの優しさに救われています。この首輪のことだって、躊躇してくれて嬉しかった。貴方が傍にいてくれるから、私は人間を信用できるんですよ」


ニコは緩く絞められた首輪に触れ、微笑む。照れくさそうにヴァルーは皿の料理を口にかき入れた。
 
机に並べられた皿が空になり、下げられ始めた頃、ニコは一冊の本を取り出した。ヴァルーは見覚えのある表紙に気が付き、それが数週間前に立ち寄った街で買ったことを思い出した。
 
だが、ニコがそれの中身を見せたことは無く、表紙にある文字もヴァルーが知っているものとは異なっていた。旅をしている地域では読める人物が少なく売り物にならないと旅商人から聞かされていた。


「この本ですが、これは貴方と同じように、印と願いを叶える力を持った人間が書き記した手記を製本化したもののようです」
 

他地域の言語で記された中身を読み解くのに時間がかかったと話すニコは、本を机に広げた。


「これ読めたの?やっぱりすごいねニコ」

「私たちの文字より少し簡略化された文字だっただけなので。それより、中身が大事なんです、中身が」
 

ニコは『奇跡と試練』と書かれた本の中身をヴァルーに伝えた。
 




―――手記を残したのは、人生の半分を過ぎた頃に力を手に入れた男。大きく栄えた町に生まれ、何不自由なく育った男は、職に就き、家庭を持っていた。
 
ある日、男は不思議な夢を見た。白く透き通った空間に立つ自分と、待っていたと笑う若い男。見たことのない場所にも関わらず、妙に現実感のある夢。
 
若者は男に奇跡と試練を与えると言い、全身に印を刻んだ。
 
それはありとあらゆる望みを叶える奇跡を持つ証であり、生涯をかけて願いを叶え続けることが試練である。若者はそう言い残し、男の夢から去った。
 
その夢から暫く、男は力の使い道を模索していた。若者の言うように奇跡の力だと言うなら、一体何に使うべきなのか。男が力を始めて使うことになったのは、愛する妻の病気だった。
 
流行り病に侵された妻は、倒れてから急速に命を縮め、永遠の眠りにつく寸前だった。男は藁にもすがる思いで印に願いを込め、妻の病気を癒した。健康に戻った妻は自由に動けるようになっただけではなく、男が一番愛していた頃の姿に若返った。
 
噂を聞いて男の家を多くの人が尋ねた。男は知人だった彼らの病を取り除き、若々しい身体を与えた。
 
だが、町の外から男を求めてきた人物たちを満足に治療することができず、看取ることが増えていった。
 
男には自分の記憶にある範囲でしか他者を若返らせることができなかった。健康だった頃の姿が記憶にない他人に対し、奇跡の力は通用しなかった。
 
そのことに気付いた男は、他所からくる人間を拒み、力を使って町の門を閉ざした。奇跡の力に溺れ、恐ろしい力を振るってしまったと、数年思い悩むことになる。
 
男は住民達に懇願され、治療に専念した。病魔に侵される者がいなくなれば、些細な願いを叶えるようになっていた。
 
崩れた壁の復元、老朽化した屋根の修繕、汚れた水道の洗浄。やがて町の人々は男を崇め始めた。
 
人々に求められ続けた男だったが、奇跡の力を行使するようになり、次第に家族とは疎遠になっていった。男の独占を企てた者が集まり、引き離していたことが後に明かされる。
 
男は孤独を感じ始めた。願いを叶えることで満たされるのは所詮他人であり、自分を満たしていた妻はもう傍を離れていた。
 
若者の言葉を思い出した。男に与えられたのは奇跡と試練。男は己の試練が孤独と戦うことなのだと知った。
 
孤独には耐えられない。愛する妻と子供を取り戻したい。そう願った時、歳を重ねすぎた男は二人の顔を思い出すことができなかった。
 
何度願っても家族は男の元に戻ることは無かった。男は自分の孤独を理解しようとせず、毎日押しかける民に失望した。
 
部屋中に手記を書き散らかし、男は泣き続けた。なんと残酷な試練だ、この力は奇跡でもなんでもない。力を呪った男の声は三日三晩、町に響いた。
 
力尽きた男には、もはや文字を書く力もわずかだった。残された最後の文章にはこうある。


『あの男にもう一度会いに行く。そしてこんなことが二度とないように』
 

力尽きた男の家に戻って来た彼の子供は、彼の孤独を後世に残すためにまとめたという―――

 


内容を語り終わった頃、二人は宛がわれた部屋へと移動していた。同じ力を持った男が辿った末路。ニコはヴァルーに伝えることを躊躇っていた。
 
ヴァルーには幼いことからニコがいた。ヴァルーの家に飼われていた子猫を、力を使い獣人へと変えたのがきっかけだった。
 
家族が欲しい。両親から満足に愛情を注がれなかったヴァルーが叶えた最初の願い。ニコは、彼に忠誠を誓い家族であり続けると約束をした。
 
手記の中、男は孤独に殺された。ヴァルーの傍にい続けると誓ったニコには、恐怖の結末だった。
 
ヴァルーの優しさを誰よりも理解し、称賛している。だからこそ脆さも知っている。一人になれば、ヴァルーはこの男と同じ結末を迎える。それが恐ろしかった。
 
ヴァルーは何度もニコに本の内容を尋ねた。だが、余計な知識を与えまいとニコは語ることが出来ずにいた。

「貴方に話すかどうかは迷いました。ですが、私もいつまで一緒にいられるかわかりませんから。今日の広場での事もあります。私もいつか、人間や同族に……だから、話しておこうと思ったのです」

ニコはベッドに座り、膝に本を置いた。ヴァルーはその向かいに座ると、前のめりになってニコの手に自分の手を重ねた。


「ありがとうニコ。僕がいつまでも弱いから、心配してくれたんだね。僕、ニコのそういうところ大好きだよ」
 

素顔を晒し、灯りに照らされたヴァルーの顔は、歳よりも幼く無垢なものだった。笑顔を向けられ、ニコも自然と顔が綻ぶ。


「今日の事は怖かった。ニコもあんな風にされたらどうしようって思ったよ。僕は強くないから君を守れない。本の人みたいに一人になって、寂しくて気が狂うかもしれない。でもそうなるまでは、ニコと一緒にいたいよ。だって君は僕の家族なんだから」
 

ヴァルーは立ち上がり、厚い生地で繕われた上着を取る。


「本の人は町の人達に力の事が広まって困ったみたいだけど、僕はニコが用意してくれた上着で顔を隠しているし、他の印もちゃんと隠しながら願いを叶えられることだって秘密にしてきた。ニコが秘密にしようって言ってくれたこと、守ってるよ。だから、一人になってもこの約束は守れるし、本の人みたいに誰かに失望することなんてないよ」


ひらひらとドレスの裾のように上着を翻しながら踊ると、ヴァルーはそのまま自分のベッドに倒れ込む。


「ニコ、僕まだまだ君に心配かけるけど、ちゃんとするよ。良いことと悪いことの区別もちゃんとつけて、この力も使いこなしてみせる。それでいつか、君を幸せにするんだ」
 

寝返りをし、微笑みかける。照れた様子で目を背けたニコの顔は、ヴァルーも滅多に見ないほど赤く染まっていた。


「ほ、ほら。もう寝ましょう。今日は疲れました」

「はぁーい」


慌ててシーツを被るニコに合わせ、ヴァルーも上着を元の位置に掛け直しベッドへ潜り込む。明るい室内はニコが伸ばした手により、徐々に暗くなる。
 
完全に灯りが消え、窓から月明りが射しこむ。ヴァルーは天井を見つめたまま、ニコに語り掛ける。


「ねぇニコ。その本の人があった若い男の人のことなんだけど」

「はい、それがどうかしましたか?」

「その人、僕も会ったことあるのかな」
 

ヴァルーはそっと目を閉じ、本の中に記されていた若者の姿を想像する。


「手記の中では、その若者に力を与えられたとありましたね」

「ということは、僕も子供の時その人に会ったってことだよね。よく覚えてなけど」

「当時そのような話は聞きませんでしたが、可能性はあるかと」

「……会ってみたいな。その人に」


小さく呟かれたその願いは、獣の耳を持つニコにはよく聞こえた。


「会って、どうするんですか」
 

体を起こし、ニコは問いかける。


「そうだなぁ。どうして本の人みたいなちゃんとした大人じゃなくて、僕みたいなのにこの力をくれたのか聞きたいかな」
 

やって来た睡魔に意識を預け、ヴァルーはそのまま穏やかな寝息を立て始めた。
 
ニコは起き上がったまま、ヴァルーを見つめる。妙な胸騒ぎが彼女を襲った。


「……何事も、ありませんように」
 

不安を押し殺すように、胸に手を当てる。そしてこれからも、彼と共に過ごせるよう祈りを重ねる。
 
解読した手記の中には、ヴァルーに語っていない部分があった。




―――私が願いが及ぶのは人間だけだ。何度試そうが獣人の願いは形にならない。恐らく、動物たちの声が聞こえるようになったとしても、私には彼らの望みは叶えられない。この奇跡の力は、間の欲にしか影響しない。私は、欲深い人間の願いを叶えるだけの存在になった。何故、あの若者はこんな試練を私に与えたのだろう―――

 


人間の願望を消化するための存在。ただその為だけに生きている。個人の自由など許されてはいない。ヴァルーの力の本質に触れてしまったのではないか。読み解いた瞬間は全身が震えた。
 
未来永劫、明かすことは無い。ニコはそう誓った。例えヴァルーが本の解読を成したとしても、手記に残された以外の答えを見つける。それが今の旅の目的に変わっていた。
 
どんなことがあっても、命ある限りヴァルーを支える。たった一人の家族として生きる自分の使命だ。ニコはそう覚悟していた。
 
ベッドに沈み、頭の近くに置かれた本に目を向ける。そして、明日の平和を願い眠りについた。



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