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夢
しおりを挟む湿った木の匂い。冷たい室内。血が滲む腕。熱の籠った瞼。
少年は一人、雨の音が通り抜ける室内にいた。思考がまとまらない頭は、自分の状況が整理できずただ虚空を見つめている。
座り込む床は朝食に出されたスープで汚れ、食卓を囲んでいたテーブルには固いパンが散乱している。
時折鳴り響く雷にも少年は反応することなく、悪戯に時間を過ごしていた。
「にゃー」
隅に隠れていた子猫が零れたスープを舐める。残骸を辿ると、少年の汚れた手に舌を這わす。
骨と皮だけの腕で子猫を抱きかかえる
「お腹、空いたね。お母さん達、帰ってこないんだ。僕がちゃんと綺麗にご飯、食べられなかったから」
少年は喉を鳴らす子猫の背中を撫でる。
「二人とも、帰ってきてくれるかな。今度は怒られないようにするから」
力を完全に失った少年の腕は、軽い音と共に床に接触する。転げ落ちそうになった子猫は少年の腕にしがみつく。
子猫の目の前には血が固まった傷があった。スープ同様、小さな舌でそれを必死に舐める。
少年は虚ろな目でそれを見る。満足に食事をとっておらず、背中に骨が浮き上がり、目が飛び出たように見えるほど顔の肉もない子猫。自分と一緒だと少年は笑った。
「……ニコ。僕、一つだけ欲しいものがあるんだ。村の子がね、いい子にしていたら欲しいものがもらえるって」
虚ろな瞳のまま、口元だけが吊り上がる。
「いい子になるから、僕、家族が欲しい。一緒にご飯を食べて、外に出かけて、笑ってくれる家族が欲しい」
大粒の雨の中、冷たくなった家の中で少年は今の自分にない、家族を欲した。
本来あるべきはずの形。自分の知る暖かな空間の中にある家族を想像しつつ、少年は目を瞑る。
パチパチパチ。
少年を取り囲む空間の時が静止する。雨音は止み、拍手の音が響く。
「いやあ。ボクはこの瞬間、君を選んだんだ。両親がいるのに、家族が欲しいって願った。ボクの知らない願いを抱いた君へのご褒美にね、その力をあげたんだ」
時が固まった少年と変わらない年齢の子供が手を止める。白い空間に存在する椅子に腰かけ、向かいに座るフードの男に指をさす。
人形のように固まっていた男は、フードを取る。子供は現れた顔に刻まれた印に注目する。
「どう、それの使い心地は」
「どうって、あんまり良くない、と思う」
子供の問いに、顔を晒したヴァルーは曖昧に答える。
「上手く使いこなせていないから?確かに君は一番使い方が下手だ。逆に使えばそんなに無駄な使い方ができるのかってくらい」
「わ、悪かったね。そんなに言うなら、使い方を教えてよ」
「気付いているでしょ。使いこなすには想像力が必要だって」
椅子に座ったまま悪戯っぽく笑い、ヴァルーを茶化す。
似合わないため息を吐きながら、ヴァルーは辺りを見渡す。ニコの隣で眠っていたはずが、気が付けば白く塗られた空間で見知らぬ子供と向かい合わせに座っている。
子供の向こうに見える光景には覚えがあった。過去の記憶。美しいとは言えない少年時代。ヴァルーは子供を壁に、体勢を変える。
「見たくないなら、消しちゃなよ」
なんでもお見通しだ、と子供はまた笑う。性別の区別ができないほど中性的な見た目の子供は、勝ち誇った少年のように笑い、恥じらう少女のようにも笑う。今まで会ったことがないような子供に、ヴァルーは戸惑う。
「力は使わない。君で隠せば見えなくなるんだから、それでいいよ」
ヴァルーの回答に、子供は不満な表情を見せる。
「ここは、夢の中だよね。僕が本の通りに、白い場所にいる不思議な若い人に会いたいって願ったから」
「そうだよ。ボクがその若者ってやつさ」
ヴァルーは向かいに座る子供をまじまじと見た。幼い頃のヴァルーほどにはないにしろ、決して肉付きの良いとは言えない華奢な体。年齢は今のヴァルーよりはるかに若く、手記にあった特徴とは一致しない。
「ボクに決まった姿はないよ。会いに来た人間がイメージした姿になるから、歳も話し方も一定じゃない」
子供はヴァルーの疑問に素早く答える。
「子供に見えるなら、君の想像力はそこまでってこと。君の心がお子様なんだよ」
「僕が子供なのは嫌ってほどわかってる」
ヴァルーは拗ねたような顔を見せる。子供はそれを見てまた嘲け笑う。
姿は異なるが、ヴァルーは感じていた。過去に力を持ってしまった男が出会ったのは、目の前にいる子供と同じ人物だと。
「ボクがあげたその力は、君が思ったことを何でも叶える。でも具体的なイメージが必要だ。だから君の願いは無茶苦茶なまま形になって、全く違う展開になることが多い。これはボクも計算外だった。まさかそこまで頭の弱い人間だって思わなかったからさ」
立ち上がった子供はヴァルーに近づくと、人差し指で額を小突く。
子供は裸足でヴァルーの座る椅子の周りを歩き始めた。
「どうしてボクが君を選んだかはもうわかったよね。君がボクに会いたかった理由が無くなったけど、まだ聞きたいことはある?折角ここまで来れたんだから、答えてあげるよ」
「ここまで来れたって、君に会うのは難しいことなの?」
「難しいことではないよ。力を持っているならそれを使えばいい。ただ、夢の中でしか話せないから、起きてもボクの事を覚えていなきゃ、そもそも会いに来ようなんて思わないでしょ」
それもそうか、とヴァルーは納得し次の疑問を投げかける。
「じゃあ、君はなんで僕たちにこの印を渡すことができるの?君に印はないけど、僕たちと同じ力を持っているの?」
子供は驚いた、と目を丸くした。
「前にその質問はなかった。やっぱり単純な人は違うのかな」
「ば、馬鹿にされてる気がする」
「してないしてない。褒めてるのさ」
ヴァルーを中心に回り続け、満足した子供は椅子へと戻る。
「それはただの目印。わざと目立つようにボクが考えたのさ。ボクは星が落ちるのを見てね、落ちてきた星に触ったら何でもできるようになっていたのさ」
「ほ、星って空に浮かんでいるあの……?」
「そう。ボクは星を見るのが大好きだったのさ」
そう言って手を広げた瞬間、白一色だった天井は夜空に変わり、いくつもの星が流れ線を描いた。
「ボクは星が見たいって願ったんだろうね。急に流星群が現れて驚いた。でも、ボクの願いはそれだけだった。星を沢山見た後は、何も考えられなかった」
子供は、自分が星を見ること以外には欲がなく、力を使うような望みがなかったと話す。
ヴァルーとは対照的に、ある程度の事は己の力で乗り越えてきた。そんな人物には、特別何かを願うことが無かったと。
「ボクは無欲だった。何にもない、空っぽの人間だった。何を望めばいいのか、思いつかなくて困るくらいだったんだ」
寂し気に言うと、子供は椅子の背中部分から一冊の分厚い本を取り出した。
「だから、ボクは周りの人の願いを聞いて回った。何でも願いが叶うなら、どんなことをしたいって。これはそれを記した本。ボクが今までに触れた願いは全部ここにある」
見るからに重量感のあるそれは、子供が軽々しく持てるような厚さではなかった。武器として使えば十分なその書物の中には、子供が今までに収集した願いが書き込まれている。それを信じることができないまま、子供は話を続ける。
「君みたいな人間を、今までに3人作った。ボク一人じゃ疲れちゃうからね。同じ力で、ある程度の制限と目的を設定して人間たちの願いを叶えさせた」
子供は自身が力を与えた人間を「願い人」と呼称し、今までに力を与えた願い人の話を始めた。
最初の一人は狭い集落の生まれの男。その集落だけで願いを叶え続けていたが、人々の願いの数には限界があり、願い人はすぐに普段通りの生活に戻った。それを見た子供は、彼に集落の外へ出るように促した。その結果、願い人の存在を失いたくない、他の集落に伝われば危険だ、と判断した住民は、抵抗する願い人を止めようと殺害。その時にあった集落全体の願いは、本に書き加えられた。
二人目の人物には多くの人の願いを叶えよ、と伝えその通りに行動させた。生まれた土地を離れ、幾つもの山を越えるような旅をし、願いを叶えて歩いた。だが、人々の願いを叶えていくうちに、願い人は病に罹った。延命を望んだが、想像力という制限がそれを許さず、願い人は自分の死を受け入れるものだ、と考えた。当時子供は、最期に見た夢の中で回復を提案した。だが、人離れした力を使い、疲れ果てた願い人は人間としての死を望んだ。子供には理解できなかったが、それも新たな願いとして書き加えられた。
三人目はヴァルーも知っている人物、手記を残した男だった。今までに選定してきた者たちとは違い、ある程度人望もあり人の助けとなることに慣れた男を選んだ。予想通りに崇められた男は、最後に自害という道を選んだが、万能に近い力を手に入れたにも関わらず、人間味のある願いに子供は興味を惹かれた。
そして四人目。ヴァルーにはそれまでの願い人にあった問題から、様々な制限が設定された。自害に関する願いは許されず、子供の望みを全うするため広い範囲で無制限に願いを聞き実現させる。純粋な子供を選び、力を使うことを生きる意味だと捉えるよう、不明確な願いでも具象化するように調節されていた。無差別に願いを叶えることで書き尽くされた願いを更新するため、他人の為でも自分の為でもなく、願いを叶えてしまう。元より力を制御し、調節する機能などヴァルーには設定されていない。子供はそう語った。
「君を選んだ時の願いは、最初から破綻していた。生みの親と暮らしていたのに、君は家族とは認めず『自分に家族はいない』と考えていた。だから家族が欲しい。その願いの中にはとんでもないものが秘められていた。知ってるでしょ、ニコって家族を手に入れた瞬間、本物の家族がどうなったか」
ヴァルーは沈黙を貫き、子供は口元を歪める。
「あの願いは傑作だった。だって君は両親を嫌ってはいなかった、ちゃんと愛していた。でも、家族とは認識していなかった。だからあんなことになったんだ。ボクは純粋な子供を探していたんだけどね、ただの子供じゃああはならなかった!純粋すぎたからこその願いだったね!」
子供の興奮する様を、ヴァルーは隠すようにフードを被る。甲高く響く雑音のような叫びを遮るため、耳を強く抑える。
「ねえ、君の所に帰ってこなかった家族は、どこに行ってしまったんだい」
鮮明で透き通った声が、塞いでいたはずの鼓膜に入り込む。
背後に移動し顔を近づけていた子供。耳に残る声をかき消すように、ヴァルーは叫びながら腕を振り回す。
腕に感触は無く、子供はくすくすと笑いならがゆっくりと椅子に戻っていく。
「ここでボクに触ることはできないよ。二人目だったかな、そいつに首を絞められたことがあってから、触れられないようにしてあるんだ」
ヴァルーは子供の声を拒絶していた。叫び、暴れ、最早自分が何をしているかも理解できない。
「僕は、僕は本当の家族が欲しかったんだ!母さんたちが僕を好きになって、抱きしめてくれるだけでよかったのに、僕はそんな二人がどうしても想像できなかった。だから、だからあんな風にするしかできなかった!あれでいいと思ってたんだ!」
「君は本当に何も知らない無垢な子供だった。家族の愛を知らないどころか、家族がどういうものか分からなかった。今ではどれだけ残酷なことを願ったんだろうって思うでしょ。ほら、あの時とは変わったんだから。また願いなよ。本当の家族が欲しいって」
「それは……」
本当の家族。自分が愛していたはずの両親。彼らが帰ってくるのなら、もう怒られるようなことはしない。想いは頭中に溢れた。だが、その中で一番必要で大切なものが、ヴァルーの中にはなかった。
頭を抱え、必死に探す。両親の声、名前、顔を。
「だめなんだ。思い、出せないんだ」
ヴァルーの力には制約が存在する。想像の域にない物は、願うことができない。
「あんなに好きだったのに、認めて欲しかったのに。優しくして欲しかったのに、僕の中にはあの人達がいないんだ!」
家族の顔。浮かび上がったのはニコの優しい微笑み。幼い頃、飢えと痛みに苛まれていた自分を支えてくれた、たった一人の味方。
「ボクも家族がいて、友人がいたからさ。君が望んだことの残酷さはわかってるよ。自分を愛してくれない両親なんていらない。最初からいなかったことにしてしまえばいいなんて、普通は思いつかない。思いついても、その制限じゃ限界がある。なのに、君は見事に両親の存在を消してみせた。いたっていう事実はあっても記憶を全て消してしまった。だから誰も君の両親を覚えていない。こうして過去の思い出を再現しても、君の両親は出てこない」
芝居がかった手振りで子供は後ろに展開させていたヴァルーの過去の様子を指さす。
「ねぇ、ヴァルー。ボクは評価していたんだよ。素敵な願いを持った人間だなって」
頭を抱え蹲るヴァルーへ近づく。涙を流し腫れた目で子供を捉える頃には、肩に手が添えられていた。
子供は流れるような手つきでフードに触れる。中から現れた顔に、息を漏らす。
「でもね、君はあの猫と家族になってから普通になった。彼女は君に普通の教育をして、君も普通の家族に満足してしまった」
パチン、と子供は指を鳴らす。ヴァルーが住んでいた小屋は水のように溶けて消滅し、その上に新たなシーンが設置された。
ヴァルーの思い出から浮かび上がった光景。小屋から少し離れた場所にあったニコとの遊び場。大きな岩の傍には、今のヴァルーよりも幼い頃の彼とニコが座っている。
「彼女は君の力にあるルールに誰よりも早く気付いた。だから必要なことだけを君に教えた。彼女は頭がいいよね、文字は教えても本は見せてあげないなんて。知識を支配するための工夫をいくつも重ねて、君を育ててきたんだ」
知識を支配。そのための工夫。ヴァルーは理解ができずにいた。
今まで信じてきた家族から教わったこと。それは家族から受けるべき教育であり、野望があってのことではない。子供はそれを支配と言った。
無差別に力を使うことを避けるために、ニコからの教育を受けた。彼女は知識を蓄え、それを使うことも成長だとヴァルーに言い聞かせていた。
共に成長していくための行為であり、支配の為ではない。ヴァルーは首を振るが、子供は両手で強く抑える。
「現実を見なよ。彼女は自分に都合の悪い君を作りたくなかったんだ。誰彼構わず願いを叶えて、人間たちに囲まれるのを避けた。無差別に願いを叶えて、自分を必要としない君になるのも避けた。家族ってそういうものだよ。自分のために、育てるんだよ。じゃなきゃ苦労が報われないからね」
嘘だ。ヴァルーの口から自然と零れる。
「に、ニコは、そんなこと思ってない。全部僕のためにしてくれたことだ。僕が立派な人間になれるようにって、一人になっても大丈夫なようにって」
「立派な人間、ねぇ」
子供はくすっ、と笑う。その笑みは今までとは違い、何かに閃いたような邪悪な笑みだった。
「それってさ、どこからの目線なんだろうね」
「なに、それ」
「だって君は彼女と違って生まれた時から人間じゃないか。正真正銘、人間の子供だったでしょう?じゃあもう立派に人間だ」
くすくす、と子供は静かに笑い続ける。
「立派な人間に。それって、人間じゃない側が思うことだよね。彼女は獣人だから、一人でそう思う分には問題ないけど。君にそれを押し付けるのは不思議だなぁって」
「何が、言いたいの」
恐る恐るヴァルーは問いかける。そこからの空気は一瞬で口内の水分を奪い、喉が干上がった。
「わからないよね、教わってないもんね。口に出して言われなきゃわからないように育てられているんだもん。だから教えてあげよう。君はボクが力を与えた人間の中で一番出来が悪かったけど、ここまで来れたご褒美にね」
そう言うと子供はまた指を鳴らす。その瞬間、ヴァルーは首違和感に触れる。覚えのある冷たさと重みを感じた。
「彼女も君の事は家族と思っていたみたいだね。でも、それは君の思うような暖かい物じゃなくて、人間に飼われるペット、家畜としてだ」
「か、家畜……」
「家畜同士、慣れ合っていたわけだよ。ほら、よく親につけられた傷を舐めてもらってただろ。人間に飼われている者同士、家族としていつか人間になれるのを夢見ていたんだ。まぁ君は元々人間だったから、自分に逆らわないように支配しながら、下剋上を狙ってたってところかな」
「な、なにそれ、なんで、どうして」
「君と彼女が救われるためなんじゃないの?ボクは人間の願いしか集めてないから、獣の考えることなんてどうでもいいけど。兎に角、彼女はどうあれ、君を自分と同じ家畜から人間に育てていたってことだよ。自分に都合のいい優しい人間をね」
「なんで、そんなこと」
「どうせ、君の心が成熟したところで、獣人の自分に都合のいいことを願わせようとしてたんだよ。あーあ、そんなくだらないことでボクの素敵な人形がこんなにもつまらなくなるなんて」
子供はヴァルーの向かいにある椅子へ戻る。足を組み、頬杖を突き、ヴァルーへ視線を向ける。
革製の輪を爪でカリ、カリ、と掻き続けるヴァルー。その眼は過去の彼と同じく、光が失われていた。
痛みを起こすほど、否定の言葉が頭の中で満ちていく。家族を求めて両親を消滅させたこと。ニコが自分を人間以下の者と捉えながら、人間になるように育て上げていたこと。
子供の言っていることは出鱈目で、本当は違うんだ。何度も自分に言い聞かせる。首に伸びる印に触れ、自分の正しさを願う。だが何も変わらない。依然として両親の顔は思い出せず、ニコへの不信感も晴れはしないない。事実を疑い、認めることができない今のヴァルーは自分の望みが見えずにいた。
それは違う、こうあるべきだ。そうあるべきではない、こうでなければいけないんだ。パーツが導き出せず、掻き毟られた首元の印は自身の血で染まっていった。
「本当に残念だった。ボクの本の更新が止まってからもう随分経つ。そろそろ次に移らないと」
子供はヴァルーの様子など気にせず、本を開き、足元を照らす。
眩い光から現れたのは夜が明けた大地。鳥の目から映しているような空からの光景を眺めつつ、ページを捲る。
「ここにない願いを持っている人間、探すの大変なんだよ。なんせ何百年分の願いがここにあるからね」
どれどれ、と地上にじっくりと目を凝らす。
「次はどんな人間を選ぼうかな。みんなの願いを叶えたがる奴もいいけど、それも飽きてきたし。次はボクみたいに願い事なんてない無欲な人間のほうが面白いかも」
ぶつぶつと地上に向かって独り言を吐き続ける子供。その姿をヴァルーは力のない目で見つめていた。
目当ての人間を探す姿は幼い子供そのもの。ヴァルーの想像力からそう見えると語られた姿。ヴァルーは見ているものと子供の発言に食い違った点があることに気付く。
「君は……何も願い事が、無かったの……」
子供は言っていた。自分は無欲だったと。だから人の願いを記録することにした、と。
「僕には君がそんな風には見えない。すごく我儘で、なんでも自分が好きなようにできると思って、力を使ってるように見える。違うの?」
か細い声で問いかける。子供は不機嫌そうに答える。
「違うよ。ボクは何も願いがなかった。でも人の願いを集め始めて、集めることに固執し始めて、それが願いになったんだ。人の願いを収集すること以外の願いは無いし、力は使えない。好き勝手してるように見えても、それはその願いに基づいての事だ。結びつかないのは君の頭が悪いからだよ」
それが自分の限界だ。子供はそう続けた。
「ボクは願いを生み出せない。だから他人を使うんだ。ボク以外の人間は殆どが欲に塗れている。汚いくらいにね。ボクは汚れるのが嫌だから、自分が願いを持たず他人を観察し続ける側でほんとによかったと思ってるよ」
「君は、綺麗なの」
「ああ、綺麗だとも。何も欲を持たない、願いもない。純粋そのものだね」
透き通った肌に、白い衣を纏ったその姿は、確かに無垢な白さを持っていた。
ヴァルーは血に染まった指先を見つめ、小さく笑う。
「何がおかしいの。壊れちゃった?」
「そうかも。君が純粋で、綺麗で、完璧なら。僕は不純で、汚くて、壊れてる。でもそれでいい」
「なに?」
子供は本を閉じ、地上からヴァルーへ興味を移した。
「僕はこの力をくれた君が、人間としてとても完成された大人なんだって思ってた。ニコがいつも言ってる立派な人間なんだって。でも君が言ってるのはその逆だ。君は全然大人じゃないし、身勝手に願いを叶えているだけだ。姿だって僕が想像していたのとまるで違う、小さな子供。僕の限界だって言ってたけど、違う。僕は正しい君を見ている」
ヴァルーは真っ直ぐに子どもを見据え立ち上がる。不安定に見える足元を気にせず、地上の上を歩く。
「君は欲望の塊だ。色んな人の願いを集めて、欲をかき集めている。それのどこが無欲なんだ、世界で一番欲に塗れてる願いじゃないか!」
力強く一歩ずつ、ヴァルーは子供に近づく。
「君は大人だった。でも願いを持ってからどんどんと願いが大きくなってしまって子供のようになってしまったんだ。自分が純粋で無垢な人間って信じていたのが、そうじゃなくなったから。姿だけがそうなってしまったんだよ。だから君は成長するべきだ、人間として立派になるために」
「家畜の思想はやめてくれよ。ボクはそんな次元じゃなくなったんだ」
「君は自分の願いから目を背けている。願いを持つために欲を集めるんじゃない、それが心からの願いなんだって自覚しなきゃいけないんだ。自分はとっても汚れていて、強欲な人間だって認めなきゃいけないんだよ」
「強欲?ボクが?」
どうして認めないといけない。子供はそう言った。
「それが人間だから。人間は強欲で、傲慢で、認めたくないけど認めるからこそ強く生きることができて、成長できるんだ。君にはそれがなくなってしまったから、子供になっちゃったんだよ」
向かいにあった椅子。そこに座る子供の目の前まで進んできたヴァルーは腕を掴む。離せ、と抵抗しようとした子供は、ヴァルーの指先と首筋の血が消え、首輪も消失していることに気付く。
「ここは想像の世界。君が考えてること以上の事はできないけど、君に想像できないことならなんだってできる。笑ったり、怒ったり、泣いたり、君が無くしちゃったこともできる。これが成長だよ」
腕を掴む青年の表情に子供の抵抗が止む。
信じられない、と呟く子供にヴァルーは言葉を続けた。
「ニコが言ってた。人間は何かを願って、それを目標にして色んなことを思うんだって。悔しかったり、嬉しかったり。その思いの数だけ努力して、成長するんだって。それが恨みとか憎いとか、醜くて悲しい感情でも、叶えたい願いのために頑張るんだ。だから、手を伸ばせば届く距離にある単純なことじゃなくて、頑張っても手が届かないようなところへ努力して手を伸ばす。そしてその願いが叶ったら、また同じように手を伸ばそうとする。そうして努力して生きるんだ」
自分に果たしてそれができているのかはわからない。そんな思いを抱きながら子供の腕を掴む。自分も立派な人間ではないと言うのに、何を偉そうに語っているのか。だがそこに不安は無く、今までにない自信が込み上げていた。
子供には全てをぶつけた。好きに言わせていたことに反論するように。
ヴァルーが願ってきたことは、無駄も多く許されない願いもあった。だが、それを受け入れることで子供と向き合い触れることが叶っている。
両親の消失。ニコと自分の関係。それに失望するだけでは、成長はない。今までの歳に合わない自分の内面と、子供を通して感じた。
息が切れるほどの勢いは収まり、ヴァルーは手を離す。子供は俯き、ぶつぶつと呟き始めた。ヴァルーは子供に背を向ける。
印の制御方法。目的を果たし、会得の方法を習得したヴァルーには夢に留まる理由はなかった。
目を覚まそう。願おうとした瞬間、子供の笑い声が響く。
「君の言う通りだ。ボクは人間として不出来で、未熟だ。成長も望めない」
「そんなこと……君だってちゃんと自分の願いを持って力を使わずに叶えれば」
「そんな方法、忘れたよ。とうの昔に人間じゃなくなったんだから」
子供はふらりと立ち上がると、頬を指さした。
「君の顔のそれ、かっこいいね。参考にさせてもらうよ」
子供はヴァルーの頬に刻まれた印と同じような文様を空中に描きだし、無限に広がる壁のように埋め尽くす。
「な、何をする気」
「さっき君は、人間は願いを叶えるために成長するって言ったよね。じゃあさ、その願いが何の努力も成長も無しに叶ってしまったら、どうなるんだろうね」
「えっ……」
「成長の段階を奪っちゃうのさ。努力で届く範囲の願いなら、大抵のものが想像力の範囲内の願いだ。その特別な機会を世界中の人間にばら撒いてやろうと思って。獣人を生んだ人間もいるくらいだ、びっくりするようなことをする人間がいるかもしれない。知らない願いが生まれそうで楽しみだ」
笑う子供は空間に文様の壁を生み出し続ける。異様な光景にヴァルーは息を飲んだ。
「君みたいな無限の印は流石にバランスが悪い。人間に、一つだけ願いを叶える力をあげる。叶えられないようなことでも、想像さえできれば叶ってしまう。そんな万能の力が手に入れば人間は成長なんてしないよね。したとしても、それが美しく誇れるようなことにはならないだろう。欲望と欲望が重なるんだ、世界がめちゃくちゃになるくらいだと嬉しいよ」
子供らしいあどけない表情に潜む恐ろしさをヴァルーは知っていた。
世界を歪ませてしまうような願い。今まで自分が起こしてきた事件を思い出す。ヴァルーのような男でも簡単に地形を変化させられる印の力が世界中の人間に降り注がれようとしている。
子供に向かって走り、文様の増殖を阻止しようとする。先程まで掴めていた腕は透き通り、触れることができなかった。
「無駄だよ。さっきのは君が願ったからできただけ。今は違うはボクを止めようとはしてるけど、止められるなんて思っちゃいないだろ」
「そ、そんなこと」
「さっきは珍しく負けちゃったけど、もう無駄だ。君の心がどれだけ成長しようとも、妨害は受けない。準備も整ったし、黙って見ててよ」
子供は両手を前へ突き出し、手で器を作る。壁となっていた文様は器に集まり、空間が白く戻ったところで、子供は器を作る手を広げた。
凝縮されていた文様は液体のように地上に向かって流れる。零れた文様は地上の空へ流れ、空中で四散し流星のように世界中へ飛び散った。
子供は星の降る様子を見て笑う。これから奇跡を手にした人間が、自分に何を見せるのか。それが楽しみで仕方がないと笑う。
ヴァルーの手は何度も子供の体をすり抜ける。阻止を願っても、触れることを願っても。
体勢が崩れ、ヴェル―は倒れ込む。体を支える指の間から見えるのは眩い輝きとなった印の星。そして自分の体から指を伝い、流れ落ちていく印だった。
袖を捲り、腕を確認する。そこにあったはずの印は止まることなく体の外へと流れ出し、足、胴と確認できる場所全ての場所から忌々しい印が消え白い素肌が露わになっていた。
「君はもう必要ないから。残った印は有効活用させてもらうよ」
抵抗しようともがくヴァルーに、子供は無駄だと囁く。ヴァルーは何も刻まれていない、隠す必要もない手を眺めた。自分の中から力が失われ、願いが消えていくのを感じる。
最後の星が落ちた頃、山の向こうで地震が起こった。次に東で海が裂け、西で森が木を伸ばし樹海を生んだ。
世界が変わる音が各地から響き、子供はそれをキラキラとした目で追いかける。目まぐるしく変化していく世界。本が開き、空白のページに文字を綴る。
「すごい、すごいよ人間って!こんなことができる人間がこんなにもいるなんて!」
軽やかに踏み出した一歩も、ヴァルーの体に触れることは無かった。子供の体が透けているのか、自分の存在が消えかけているのか。ヴァルーにはもう後者を覆す力は残されていなかった。
自分はこの世界に残ったたった一人、奇跡を持たない人間。そう感じた瞬間、乾いた声で笑った。長らく感じたことのなかった完全に無力な自分。ヴァルー人形のように座り込む。
子供は消えかかっている人形に近づく。光のない目は過去に興味を惹かれた少年の頃に戻っていた。
「素敵な顔だよ。ねぇ、今の君なら面白い願いがあるかな」
顔を掴み、強引に目を合わせる。触れられた肌の温度を感じ、ヴァルーは完全に敗北していることを実感した。
「今のボクは機嫌がいい。だから、最後に君の願いを叶えてあげる。たった一つ、それだけしか叶わなくなった今、君は何を思うの」
楽しみだ。子供の笑顔はどこまでも純粋で、残酷さを帯びていた。
ヴァルーは全身に残る力を集め、唇を動かす。無力になった今、願える唯一の事に救いを求めた。
声は無かった。形のない願い。子供は堪えきれず息を噴き出す。
「そうか、そうか。それが君の最期の願いなんだね、うん」
子供は手を放し、指を鳴らす。ヴァルーは指先、足元から自分の姿が薄れていくのを感じる。
夢から覚めていくヴァルー。子供は彼に手を振り、別れの言葉を告げる。
「ありがとう。君のおかげで今人間たちの欲が溢れている。これから忙しくなりそうだ」
皮肉の一つも出ないまま、意識が薄れていく。目覚めの瞬間を待つ中、子供は最後にヴァルーへ近づいた。
「でもね、君は最後までつまらなかった。君は本当は、そういう人間だったんだね」
残念そうに肩を落とす子供に、ヴァルーは笑う。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
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