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第一章 第二節
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イラン・イラクの両国間での戦争が勃発してから数年が経過した。イランとイラクの両国は中近東諸国の中でも比較的、国力の大きい存在だつた。そんな両者の戦闘は、長引いたものの、数年間の間、西側諸国が懸念した状況には結び付かなかった。つまり、ソビエト連邦がイランに兵器を供与する事はあったが、大々的に介入して来る事はなかったのだ。
そうはいっても、ペルシア湾岸での戦争が長期化する事が、中近東の情勢にプラスの効果を発揮する事はなかった。キプロス、サウジアラビア、そしてシリア、エジプトと言った国々の間で紛争の火種は絶えず燻り続けていた。
一九八五年三月、ソビエト連邦に於けるゴタゴタが解決した事により、中東情勢は一挙に緊迫の度合いを強める事になった。ソビエト連邦の新たな国家指導者であったルドリフ・リボリェヴィッチ・ドゥリヌゥオカチェストヴォフがイラン国内の第三勢力に対する支持を本格的に表明したのだった。
ルドリフ・リボリェヴィッチ・ドゥリヌゥオカチェストヴォフは「宗教に政治は介入せず、政治に宗教は介入せず」の原則を高々と掲げていたのだ。元々、「マルクス主義」という思想の呼び名の起源ともなったカール・マルクスは決して宗教自体を批判していた訳ではなかった。彼が批判していた対象は、「宗教を政治的に利用しようとする存在」であった。だから、原理的には「共産主義」と「信仰の自由」は互いに「相入れない物」ではなかった。
そんな訳で一九八五年に新体制へと移行したソビエト連邦政府はイラン国内の第三勢力への支援を表明したのだった。ソビエト連邦政府と提携したイラン国内の勢力は「イラン・イスラム解放区評議会」を自分達の名称として掲げた。「イラン・イスラム解放区評議会」はソビエト政府側の人間による政治体制を受け入れる事を公言していた。その上で、「政治界と宗教界の厳密なる分断」の名の下に、イスラムの信仰に則った生活を保障された「解放区」の成立を宣言したのだった。
と同時にソビエト連邦では「イスラムの信仰生活を守り、同時に「政教分離の思想に基づく近代的な統治を実現する」と言う看板を掲げてイラン高原を超えて介入して来たのだ。「イラン・イスラム解放区評議会」の登場は、それまで西側諸国への闘争に集中して来たイラン国内の宗教界を混乱させた。
元々、「イラン・イスラム解放区評議会」の影響力はそれほど大した事はないとイラン・イスラム革命を実行した宗教指導者達は考えていなかった。しかし、実際にはイラン国内に於いては対イラク戦争の長期化に対する不満が爆発する可能性は高まりつつあったのだ。それが決定的な段階に達していなかった要因は、偏にイラン国民全体の中に「西側社会の奴隷」に成り果てていた旧王室に対する不満が共通認識として存在していた為であった。
そこへ「第三の選択肢」として、イスラム教徒の信仰生活を保証する事を標榜してソビエト連邦が介入して来た。こうなった時、大国の支援を受ける事が出来た「イラン・イスラム解放区評議会」への求心力がイラン・イスラム革命政府を脅かす結果に結びついた事は、自然な流れだった。こうして、間も無く「イラン・イスラム解放区評議会」と、彼等を支援する為に侵攻したソビエト連邦軍による前線はペルシア湾岸に到達した。
イラン・イスラム革命政府としてはペルシア湾を横切って、アラビア半島に亡命して、抵抗を続ける心づもりでいた。実際、イスラム教徒達の聖地であったメッカを擁したサウジ・アラビア王国としてもイラン・イスラム革命政府を受け入れるつもりでいた。元々、サウジ・アラビア王国とイラン・イスラム革命政府との関係は良好とは言えなかった。これらの両国はお互いにペルシア湾の覇権を巡って火花を散らし合う仲だった。しかし、ロシア人の南進を押し留め、イスラムの教えに基づいた「主権国家」を守る為には、瑣末な権力争いに拘らずに手を結ぶ必要が生じたのだった。
しかし、この根幹的な、そして単純な政治原則に「既存のイスラム勢力達」が気づいた時には既に手遅れであった。サウジ・アラビアの王族がソビエト連邦が送り込んだ特殊工作員の手によって暗殺されてしまったのだ。且つて預言者ムハンマドによって建設された「イスラム教徒」の土地は「イスラム解放区同盟」を介して、その主権をソビエト連邦に引き渡される事になった。
かつてムハンマドはガブリエルからの啓示を受けた後、彼の故郷であり、当時、彼が住居を置いていたメッカの地で布教を始めた。しかし、メッカでの布教に限界を感じたムハンマドは故郷から、メディナへと拠点を移す事を強制された。そうしてメディナの地で十分な力を蓄えるまでの間、雌伏の時間を過ごさざるを得なくされた。そして、愈々、十分な力を蓄えた所で、イスラム教徒の軍勢を率いて故地であったメッカへの「凱旋」を果たしたのであった。
こうしてメッカへの帰還を果たした後、ムハンマドはアラビア半島全体に彼と、彼が率いた信徒達の勢力圏を拡大して行った。この様な経過を見た時、ムハンマドのカリスマ性は宗教指導者としてだけでなく、軍事的指導者としても十二分に発揮された事は明らかだった。
そうはいっても、ペルシア湾岸での戦争が長期化する事が、中近東の情勢にプラスの効果を発揮する事はなかった。キプロス、サウジアラビア、そしてシリア、エジプトと言った国々の間で紛争の火種は絶えず燻り続けていた。
一九八五年三月、ソビエト連邦に於けるゴタゴタが解決した事により、中東情勢は一挙に緊迫の度合いを強める事になった。ソビエト連邦の新たな国家指導者であったルドリフ・リボリェヴィッチ・ドゥリヌゥオカチェストヴォフがイラン国内の第三勢力に対する支持を本格的に表明したのだった。
ルドリフ・リボリェヴィッチ・ドゥリヌゥオカチェストヴォフは「宗教に政治は介入せず、政治に宗教は介入せず」の原則を高々と掲げていたのだ。元々、「マルクス主義」という思想の呼び名の起源ともなったカール・マルクスは決して宗教自体を批判していた訳ではなかった。彼が批判していた対象は、「宗教を政治的に利用しようとする存在」であった。だから、原理的には「共産主義」と「信仰の自由」は互いに「相入れない物」ではなかった。
そんな訳で一九八五年に新体制へと移行したソビエト連邦政府はイラン国内の第三勢力への支援を表明したのだった。ソビエト連邦政府と提携したイラン国内の勢力は「イラン・イスラム解放区評議会」を自分達の名称として掲げた。「イラン・イスラム解放区評議会」はソビエト政府側の人間による政治体制を受け入れる事を公言していた。その上で、「政治界と宗教界の厳密なる分断」の名の下に、イスラムの信仰に則った生活を保障された「解放区」の成立を宣言したのだった。
と同時にソビエト連邦では「イスラムの信仰生活を守り、同時に「政教分離の思想に基づく近代的な統治を実現する」と言う看板を掲げてイラン高原を超えて介入して来たのだ。「イラン・イスラム解放区評議会」の登場は、それまで西側諸国への闘争に集中して来たイラン国内の宗教界を混乱させた。
元々、「イラン・イスラム解放区評議会」の影響力はそれほど大した事はないとイラン・イスラム革命を実行した宗教指導者達は考えていなかった。しかし、実際にはイラン国内に於いては対イラク戦争の長期化に対する不満が爆発する可能性は高まりつつあったのだ。それが決定的な段階に達していなかった要因は、偏にイラン国民全体の中に「西側社会の奴隷」に成り果てていた旧王室に対する不満が共通認識として存在していた為であった。
そこへ「第三の選択肢」として、イスラム教徒の信仰生活を保証する事を標榜してソビエト連邦が介入して来た。こうなった時、大国の支援を受ける事が出来た「イラン・イスラム解放区評議会」への求心力がイラン・イスラム革命政府を脅かす結果に結びついた事は、自然な流れだった。こうして、間も無く「イラン・イスラム解放区評議会」と、彼等を支援する為に侵攻したソビエト連邦軍による前線はペルシア湾岸に到達した。
イラン・イスラム革命政府としてはペルシア湾を横切って、アラビア半島に亡命して、抵抗を続ける心づもりでいた。実際、イスラム教徒達の聖地であったメッカを擁したサウジ・アラビア王国としてもイラン・イスラム革命政府を受け入れるつもりでいた。元々、サウジ・アラビア王国とイラン・イスラム革命政府との関係は良好とは言えなかった。これらの両国はお互いにペルシア湾の覇権を巡って火花を散らし合う仲だった。しかし、ロシア人の南進を押し留め、イスラムの教えに基づいた「主権国家」を守る為には、瑣末な権力争いに拘らずに手を結ぶ必要が生じたのだった。
しかし、この根幹的な、そして単純な政治原則に「既存のイスラム勢力達」が気づいた時には既に手遅れであった。サウジ・アラビアの王族がソビエト連邦が送り込んだ特殊工作員の手によって暗殺されてしまったのだ。且つて預言者ムハンマドによって建設された「イスラム教徒」の土地は「イスラム解放区同盟」を介して、その主権をソビエト連邦に引き渡される事になった。
かつてムハンマドはガブリエルからの啓示を受けた後、彼の故郷であり、当時、彼が住居を置いていたメッカの地で布教を始めた。しかし、メッカでの布教に限界を感じたムハンマドは故郷から、メディナへと拠点を移す事を強制された。そうしてメディナの地で十分な力を蓄えるまでの間、雌伏の時間を過ごさざるを得なくされた。そして、愈々、十分な力を蓄えた所で、イスラム教徒の軍勢を率いて故地であったメッカへの「凱旋」を果たしたのであった。
こうしてメッカへの帰還を果たした後、ムハンマドはアラビア半島全体に彼と、彼が率いた信徒達の勢力圏を拡大して行った。この様な経過を見た時、ムハンマドのカリスマ性は宗教指導者としてだけでなく、軍事的指導者としても十二分に発揮された事は明らかだった。
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