黄金の伝令神

清水直人

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第一章 第三節

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 ムハンマドのカリスマ性は、本質的にモンゴル高原を中心にした世界帝国を建設したチンギス・ハーンに類似した点があった。つまり、ムハンマドが登場するまで、アラビアの諸民族は日陰者としての立場に甘んじて来た。一方をペルシア湾、そして一方を紅海に挟み込まれたアラビア半島は本質的に交易路の要衝となる素質を備えていた。
 それにも拘らず、実際のアラビア諸族は古代史を通じて、他のより華々しい歴史を持つ諸族の影に埋もれがちであった。つまり、地中海側に於いてはギリシア、ローマ、フェニキア、エジプトと言った諸民族が歴史の主人公として活動していた。一方のインド洋側に於いてはメソポタミアの諸族やペルシア系諸族等が古代史を通じて主導的な役割を果たして来た。
 そんな中に於いて、アラビア系の諸族は交易路の中継者としての役割を果たす立場に甘んじる事が多かった。逆説的な言い方をすれば、アラビア人達がこの様な立場に置かれ続けていたと言う事は、アラビア人達の潜在的な脅威を他の諸部族が恐れていた事を示してもいた。つまり、ギリシア、ローマ、フェニキア、エジプト、メソポタミア、ペルシアといった諸民族は、アラビアの諸族が団結する事を恐れていた。だからこそ、絶えずアラビア諸族の間に不和の種を巻き、アラビア諸族の間で抗争が絶えない様に裏で糸を引いていたのである。その様なやり方は、ローマ人がゲルマン諸族を蛮族として侮り、ゲルマン民族達の事を「二級種族」扱いしていた様子と良く似ていた。
 こんな中にあっても、古代と呼ばれた時代の間には、アラビア系の諸族が「歴史の主要な登場人物」として爆発的な活躍を見せる時もあった。この様にして、古代史上に於いて、アラビア民族の栄光を輝かさせた存在は第一にヘロデ一族によるユダヤ王国、第二に伝説と化した岩窟都市で知られたペトラ、そして第三に偉大なるローマの競争相手となったパルミュラであった。
 これらの三者の民族的な起源については、当然、不確かな要素が多かった。つまり、これら三つの「主権国家」がアラビア諸族の系譜に繋がるかどうかは不確かだった。しかし、古代史を通じて、アラビア諸族が置かれてきた立ち場を外観する為には、これら三つの存在は最も分かり易い事例としての価値を持つ物であった。
 ヘロデ王家によるユダヤ王国はこれらの三者の中で、「アラビアに起源を持つ事」が最も確実視出来た存在だった。つまり、共和政時代末期のローマがマカバイ王家を中心としたユダヤ王国の反乱を鎮圧した時、ローマを彼等に従順なユダヤの支配者を必要とした。この時にローマ側が着目した存在がヘロデだった。
 ヘロデの起源については、後代になれば成る程、その実態が不明瞭に成って行った。これは時間が経てば経つ程、ヘロデの悪名が増して行ったと言う事実と無関係ではなかった。つまり、ヘロデの悪評が高くなり、彼が忌まわしい存在とされればされる程、ヘロデの起源としての地位を他民族になすりつけたいと思うのが人情という物だった。
 ヘロデに対する悪評を世界中に於いて確固とした物にしたのは、イエス・キリストの人生を記した「福音書」に示された物語であった。ほぼ確実に、聖書に登場する「ヘロデ王」の人物像は二人の君主の人物像が重なり合った物であった。これは各福音書をはじめとしたヘロデ王朝ユダヤ王国時代の第一次史料に於いて、ヘロデ王家の人々が特に必要のない限り、ただ単に「ヘロデ」としか書かれていない為であった。その結果、この時代のユダヤ王家、つまりヘロデ一族の内情を理解していない人々に取って、一人の「ヘロデ」という名の人物が聖書時代を通じて、一貫してユダヤを支配していた様な印象を与えたのだ。
 実際には当然、その様な事はあり得ず、主に聖書上に登場したヘロデは次の三人の別々の人物についての記述であると大別する事が出来た。
 一人目はいわゆるヘロデ大王であり、イエス・キリストの誕生説話に登場する人物であった。つまり、ヘロデ大王は東方三博士の来訪を受け、幼児達を虐殺した人物であった。
 二人目の人物はヘロデ大王の六男であったヘロデ・アンティパスだった。ヘロデ・アンティパスはイエス・キリストの青年時代にガリラヤとヨルダン渓谷東岸を支配した人物だった。このガリラヤの領主の統治期間がイエス・キリストの活動時期と重複している為、彼は「三人のヘロデ達」の中で最も密接にイエス・キリストの生涯と関係しあっていた。つまり、彼が洗礼者ヨハネの処刑を行い、イエス・キリストの裁判に関わった「ヘロデ」その人であった。
 三人目の「ヘロデ」は上記の二人と異なり、直接的にイエス・キリストの生涯に関わっていた訳ではなかった。その為、この人物の世間的な知名度は、他の二人と比べれば、決定的に劣っていた。この人物はヘロデ・アグリッパの名前で知られる人物であり、イエス・キリストの昇天後に行われた弟子達の布教の様子を描いた「使徒行伝」に登場していた。この人物はヘロデ大王が大王の第二夫人マリアムネとの間に設けたアリストブルス四世の息子であった。
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