完璧な薬

秋川真了

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会話

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息をのむ音だけが、古ぼけたアパートの一室に木霊していた。
殺風景な部屋には俺と、天井からぶら下がった縄しか、目立つものがなかった。
思えば最悪な人生だった。
容姿は冴えず、対人能力も低く、目立った個性すらない俺が現代社会で生きろという方がむしろ難しかったのだろう。

俺は縄に手をかけ、目を瞑った。
しかし、この世に対する未練などないと思っていたが、死への恐怖で中々首を括れないでいた。

「おいお前、本当にやろうとしているのか?」

壁越しから声が聞こえた。こんな安いアパートに住んでいるせいで、こうして隣人の言葉もはっきりと聞こえてくる。

「おい、聞こえてるのか?返事をしてくれ。」

しかし、様子が変だ。もしかすると、俺に話かけてるのではないのだろうか。

「あ、ああ聞こえてるぞ。」

間違いだったときのために、俺は声を潜めて言った。

「聞こえてるならいいんだ。おい、悪いことは言わない。考えなおせ。」

「そんなことを言うがな、君に俺の何がわかるというんだ。」

「確かにな。だが、人が死ぬというのは案外恐ろしいぞ。」

俺は息が詰まった。確かに俺は「死」について安易に考えすぎたかも知れない。
途端に俺の、死への感情がスッと消えていった。
むしろ一時の気の迷いだったのだなと思い出したくらいだった。

「わかった。俺、もう少し生きてみるよ。」

「そうか。ならまあ俺からは何も言うことはないな。」

辛い俺の状況は多分これからも変わらない。
だが、なにもわからない「死」という不気味なものに比べればまだマシだと思った。
部屋のインターホンが鳴った。恐らく隣人が来たのだろう。礼を言わねば。



古ぼけたアパートで、俺は携帯の通話を切った。
まったくここは回線が悪いな。応答するまで結構かかった。
俺の職業は殺し屋だ。それも自分で言うのもなんだがかなり腕の良い。
身を潜めるため、こんなアパートに住んでるが稼ぎも相当ある。
今もこうして、依頼人と電話をしていた。

そんな殺し屋の俺だって人の子だ。人殺しを半端な気持ちで依頼されたら困る。
だからいつも、最初に依頼人を説得するのが俺の流儀だ。
しかし、先ほどの奴の意思は固いようで、依頼を取り下げる気はなかった。

そういえば、ここのアパートの壁は薄い。
現に俺が通話中、隣から声が聞こえていた。

もしかしたら会話を聞かれたかもしれない。
今から、殺すとしよう。
この業界では少しの失敗が命取りだからな。
なに、俺はプロだ。こんなアパートの住人一人殺すなんて容易いものさ。
そうして俺はインターホンを押した。







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