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補足:神と鬼の様子について
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葦夜は湖底にある社で、昼も夜もいつも湖面を眺めていた。
湖底から見上げる昼の湖面はまるで宝石のように煌めき、月のある夜の湖面は静かな夜の空のようであった。月もない夜の、真っ暗な湖面も見ていて心が凪いだ。
葦夜は湖面を見上げるのが好きであった。
葦夜が覚えている、最も古い記憶の中では、湖底には多くの生命が息づき、葦夜は終ぞ退屈しなかったものであった。
しかし、時が経つと、葦夜の祀られている社のある湖の近くに、人間たちが居住し始めた。
それ迄は、葦夜の社の周りには人間の居住区は無く、随分静かなものであったのだが、人間たちのせいでにわかに周囲が喧しくなった。
葦夜は少し気分を損ねたが、人間たちは信心深く、よく葦夜にお願いをしたし、それに満更でもない葦夜は退屈するよりは好いと、人間たちに細やかな福を齎していた。
葦夜は水の眷属であったので、周囲に住む人々は酷い旱魃の年も、水に困ることはなかった。
時代が下るにつれ、神の権威は衰えてきた。それは、異国から流入してきた仏教に帰依する者が多く、古来より伝わる八百万信仰が薄れて来たことが大きな要因であった。
人々は自然への感謝を忘れ、葦夜の湖から水路を引いた。
その水路は村の中ほどまで引かれており、人々は河川まで水を汲みにいかずとも、生活用水を得ることとなった。
葦夜の住む湖は広く、貯水量も多かった。
その上、葦夜が地下から滾々と水を湧かせていたために、湖の水が濁ることはなかった。
最初、村の年長者たちは、神様の湖から水を盗むなんてとんでもない、使わせて頂くなら、然るべき祭祀を以て神様にお願いして、お赦しを得るべきだと主張した。
しかし、最早信仰心の薄れている若衆は、その言葉に耳を貸すことはなかった。
かつて、生命に満ちていた湖は、今や水が濁り、多くの命が失われつつあった。
最初は目をつぶっていた葦夜も、段々この蛮行を許せぬようになってきた。
人間たちはか弱く、庇護してやるべき存在である。
だが、この愚行は看過することは出来ない。
是正してやらねばなるまいと葦夜の心はさんざめいた。
元々荒魂のケが強い葦夜であったので、葦夜は長雨を降らせた。
別段、強い雨ではない。
しとしとと、穏やかな雨であった。人々も、降り始めは何も気にしておらず、雨じゃ雨じゃと喜ぶほどであった。
雨は二日、三日と降り続き、人々も少しずつ異変に気付き始めてきた。
梅雨の時期ならいざ知らず、こうも長雨が続くことは珍しい。
だが雨はひたすら降り続き、既に一週間が経過した。さすがの村人たちも訝しみ、もしや祟りではないかと疑い始めた。
雨はやむことなく、一日中降り続き、二週間、三週間経っても雨がやむ気配はない。
続く長雨で農作物は全て駄目になり、衛生状態も悪化し次々に家畜が死んだ。
肥溜めからは汚水が溢れ、土に埋めた家畜の死体も汚水と共に再び地上に溢れた。
村には悪臭が立ち込め、家の中まで汚水が入り込んだ。
そのため、疫病が蔓延し、抵抗力のない者たちが次々死んだ。
村人たちは、これは祟りに違いないと確信し、大慌てで高床式の倉庫に保管されかろうじて水没を免れた食物を葦夜の社がある湖に献上した。
これで神の恐ろしさがようわかったようじゃのう、と葦夜は笑い、ようやく雨を降らせるのをやめた。
それから暫くは、生き残った村人たちは葦夜を畏怖し、尊重した。
葦夜もいたずらに祟りを引き起こすことはせずに、人々の暮らしを見守り続けた。
しかし、更に時代が下ると、教訓や信心といったものも再び薄れ始める。
葦夜の祟りを経験した者たちは全て死に絶え、その教訓を語り継ぐ代もまたいなくなり、葦夜への信心は再び薄れ始めていた。
人々は土を汚染し、湖の生き物を乱獲した。
村の人口が増え、水は更に需要を増し、際限なく水を引いたので、葦夜の湖は段々面積を減らしていった。
葦夜は、懲りない者たちに、また罰を与えることとした。
凄まじい嵐が村を襲い、多くの人々が死んだ。
数少ない信心深い者たちには奇跡的に被害は最小限にとどまったため、葦夜への信仰は再び増した。
だが、信仰しないからと言って、いたずらに懲らしめる神なぞ神ではないとの声もちらほら出始めた。
葦夜はこの言葉には酷く憤慨し、村の各地から地下水を染み出させ、地盤沈下を誘発させた。
いつしか葦夜は祟り神として人々から疎んじられることとなった。
畢竟それは村人たちの自業自得の結果に過ぎないのだが、人々は口々に理不尽を叫んだ。
葦夜もこれには辟易として、自分勝手な人間たちには閉口した。
葦夜には仲の良い鬼がいた。
名前を雪之丞と云って、鬼のくせに穏やかな心持をしていた。
雪之丞はその名の通り冬になるとどこからともなく人里に下りてきて、雪で難儀する人間たちを助けてやっていた。
「雪之丞よ、愚かな人間たちを何故そうも助けてやる?捨て置けばよかろう」
雪之丞は時折人間を助けた礼にもらった食べ物を持って、葦夜の社を訪ねて来た。
他愛ない言葉を交わしつつ、気が済むまで語り明かすことが常であった。
「葦夜様、人間は余りにか弱い。弱者を守るのが強者の役目で御座いましょう。なに、過干渉はしておりません。ご心配なさらず」
「心配しているのではない。人間たちは愚かじゃ。すぐ死ぬし、すぐ忘れる。お主の恩も直ぐ忘れるじゃろう」
「それでも俺は、人間たちに寄り添いたいと思っております。愚かな彼らを好いています」
そう言って雪之丞は酒を一気に呷り、立ち上がると、「次の冬にまた来ます」と言って、社を後にした。
その次の冬、待てど暮らせど雪之丞は現れず、代わりに現れた鳥辺野と云う鬼から、雪之丞は人間に裏切られた上に手酷い傷を負わされ、人間への怒りと憎しみを抱えながらいずこかの深い雪の中で傷を癒していると伝え聞いた。
葦夜はいい話し相手であった雪之丞が現れることがないことに心が萎えて、そんな雪之丞に傷を負わせた人間への怒りが更にふつふつと湧いてきた。
雪之丞の代わりに、鳥辺野という鬼はよく社に現れるようになった。
どちらかと言えば言葉少なであった雪之丞と比べ、鳥辺野はたいへん饒舌であったので、鳥辺野の話を聞いていると葦夜は退屈しなかった。
葦夜は退屈をとても嫌ったので、鳥辺野が来ると良い退屈しのぎになると、鳥辺野を歓迎した。
鳥辺野もそれに気を良くしたのか、高い頻度で葦夜の社を訪れるようになった。
ただ一つ、不満であったのが、鳥辺野が来ると、いつも何処からか生臭い臭気が漂うことであった。
訝しんで鳥辺野を見るも、鳥辺野はけろっとしており、臭気には全く気付いていない様子であったので、人間どもに水を濁された所為で、腐った水が臭うのであろうか、と結論付けていた。
鳥辺野は様々なことを知っていた。
殊更に鳥辺野は自分たちと同族である鬼の話をよく話してくれた。
一口に鬼と云っても様々な鬼がいて、雪之丞のような氷の鬼は人間に友好的な者が多いだとか、他の鬼の中には人間のことを毛嫌いしている者もいるだとか。鳥辺野はそれらの鬼について多くを語った。
しかし、鳥辺野は一度足りとも自らの種族については語ることなく、葦夜がそれについて尋ねてもにんまりと目を細めて「けちな種族ですよ」と嗤うのみであった。
ある日、葦夜は社に人間の子供が行き倒れているのを見て、大層瞠目した。
──何故こんなところに人間の餓鬼がいるのだ?
子供は人柱の習慣に倣って、片目を潰されており、水を多量に飲んだのか既に事切れていた。
葦夜は、人間に自身の言葉を伝えることが出来ぬ。
怒れば水を氾濫させ、時には恵みの雨を降らせ、そうしなければ意志表示をし得ない。
だからこそ、何故こんな人間がこの場にいるのか理解が出来なかった。
理解出来なかったし、そもそも必要ない。
そんな折、廊下の角で、鳥辺野が息を潜めている気配を感じたので、葦夜は不愉快に顔を歪めた。
葦夜とて馬鹿ではない。
どうして鳥辺野がこちらを伺うように息を潜めているのか、鳥辺野が来る度に臭気が漂うのか、一度に葦夜は理解した。
「のう、鳥辺野」
「……」
葦夜に名前を呼ばれると、案外あっさりと鳥辺野は姿を現した。
企みが暴露されたとて、鳥辺野は悪びれる様子もなく、飄飄とした表情で葦夜を見ていた。
「儂はこんなものを人間どもに強請ったことはないが。お主、知らんか?」
子供の屍を足蹴にしながら、葦夜は鳥辺野に問う。
鳥辺野はその死体を食い入るように見ながら、「食べ物は粗末にしちゃ駄目じゃないですか、葦夜様」と呟いた。
鳥辺野の意図を一瞬汲みかねて、葦夜はぴくりと顔を顰める。
「こんなに美味しそうなのに。ねえ?」
「不浄な下郎め。今すぐその口を閉じろ、忌々しい」
鳥辺野は葦夜の剣幕に臆することもなく、くつくつと喉を鳴らして、そして次第におかしくてたまらなくなったのか、哄笑した。
「どうしてですか、葦夜様。葦夜様だって奪うじゃないですか、人間の命を。葦夜様はよくて、我々下等な鬼は人間の命を奪ってはいけませんか。生き延びるために心臓を喰ろうてはなりませんか。言ったじゃないですか、けちな種族だってね。我々は人間の心臓を喰らうことで生き延びてきた。それが、なりませんか。畜生ならば喰ろうても良いのですか。魚ならいいですか。葦夜様だって、この鳥辺野がお暇を癒して差し上げて、楽しかったでしょう?儂は退屈な葦夜様の暇を癒し、儂は苦労せず食べ物を手に入れていた。ねえ、何が悪いでしょうか?葦夜様を利用したことが赦せませんか。人間の命の奪うことが赦せませんか。ねえ、どちらが赦せませんか?ははは」
葦夜の怒りに満ちた猛烈な嵐は長らく収まらなかった。
人も家畜も魚も、多くが死んだ。
葦夜はまたひとりぼっちになってしまった。
鳥辺野の言葉に言葉を返せなかった事実が、未だに腹立たしく心をざわつかせる。
神である葦夜は、今は人間と似たような姿をしているけれども、本質は違う。
鬼である鳥辺野も、人間と似たような姿をしているけれども、本質は違う。
神が“決して揺らいではならないもの”がほんのわずかな揺らぎを持ってしまっていることに、葦夜は気付かないふりをして、また、社から水面を見上げた。
湖底から見上げる昼の湖面はまるで宝石のように煌めき、月のある夜の湖面は静かな夜の空のようであった。月もない夜の、真っ暗な湖面も見ていて心が凪いだ。
葦夜は湖面を見上げるのが好きであった。
葦夜が覚えている、最も古い記憶の中では、湖底には多くの生命が息づき、葦夜は終ぞ退屈しなかったものであった。
しかし、時が経つと、葦夜の祀られている社のある湖の近くに、人間たちが居住し始めた。
それ迄は、葦夜の社の周りには人間の居住区は無く、随分静かなものであったのだが、人間たちのせいでにわかに周囲が喧しくなった。
葦夜は少し気分を損ねたが、人間たちは信心深く、よく葦夜にお願いをしたし、それに満更でもない葦夜は退屈するよりは好いと、人間たちに細やかな福を齎していた。
葦夜は水の眷属であったので、周囲に住む人々は酷い旱魃の年も、水に困ることはなかった。
時代が下るにつれ、神の権威は衰えてきた。それは、異国から流入してきた仏教に帰依する者が多く、古来より伝わる八百万信仰が薄れて来たことが大きな要因であった。
人々は自然への感謝を忘れ、葦夜の湖から水路を引いた。
その水路は村の中ほどまで引かれており、人々は河川まで水を汲みにいかずとも、生活用水を得ることとなった。
葦夜の住む湖は広く、貯水量も多かった。
その上、葦夜が地下から滾々と水を湧かせていたために、湖の水が濁ることはなかった。
最初、村の年長者たちは、神様の湖から水を盗むなんてとんでもない、使わせて頂くなら、然るべき祭祀を以て神様にお願いして、お赦しを得るべきだと主張した。
しかし、最早信仰心の薄れている若衆は、その言葉に耳を貸すことはなかった。
かつて、生命に満ちていた湖は、今や水が濁り、多くの命が失われつつあった。
最初は目をつぶっていた葦夜も、段々この蛮行を許せぬようになってきた。
人間たちはか弱く、庇護してやるべき存在である。
だが、この愚行は看過することは出来ない。
是正してやらねばなるまいと葦夜の心はさんざめいた。
元々荒魂のケが強い葦夜であったので、葦夜は長雨を降らせた。
別段、強い雨ではない。
しとしとと、穏やかな雨であった。人々も、降り始めは何も気にしておらず、雨じゃ雨じゃと喜ぶほどであった。
雨は二日、三日と降り続き、人々も少しずつ異変に気付き始めてきた。
梅雨の時期ならいざ知らず、こうも長雨が続くことは珍しい。
だが雨はひたすら降り続き、既に一週間が経過した。さすがの村人たちも訝しみ、もしや祟りではないかと疑い始めた。
雨はやむことなく、一日中降り続き、二週間、三週間経っても雨がやむ気配はない。
続く長雨で農作物は全て駄目になり、衛生状態も悪化し次々に家畜が死んだ。
肥溜めからは汚水が溢れ、土に埋めた家畜の死体も汚水と共に再び地上に溢れた。
村には悪臭が立ち込め、家の中まで汚水が入り込んだ。
そのため、疫病が蔓延し、抵抗力のない者たちが次々死んだ。
村人たちは、これは祟りに違いないと確信し、大慌てで高床式の倉庫に保管されかろうじて水没を免れた食物を葦夜の社がある湖に献上した。
これで神の恐ろしさがようわかったようじゃのう、と葦夜は笑い、ようやく雨を降らせるのをやめた。
それから暫くは、生き残った村人たちは葦夜を畏怖し、尊重した。
葦夜もいたずらに祟りを引き起こすことはせずに、人々の暮らしを見守り続けた。
しかし、更に時代が下ると、教訓や信心といったものも再び薄れ始める。
葦夜の祟りを経験した者たちは全て死に絶え、その教訓を語り継ぐ代もまたいなくなり、葦夜への信心は再び薄れ始めていた。
人々は土を汚染し、湖の生き物を乱獲した。
村の人口が増え、水は更に需要を増し、際限なく水を引いたので、葦夜の湖は段々面積を減らしていった。
葦夜は、懲りない者たちに、また罰を与えることとした。
凄まじい嵐が村を襲い、多くの人々が死んだ。
数少ない信心深い者たちには奇跡的に被害は最小限にとどまったため、葦夜への信仰は再び増した。
だが、信仰しないからと言って、いたずらに懲らしめる神なぞ神ではないとの声もちらほら出始めた。
葦夜はこの言葉には酷く憤慨し、村の各地から地下水を染み出させ、地盤沈下を誘発させた。
いつしか葦夜は祟り神として人々から疎んじられることとなった。
畢竟それは村人たちの自業自得の結果に過ぎないのだが、人々は口々に理不尽を叫んだ。
葦夜もこれには辟易として、自分勝手な人間たちには閉口した。
葦夜には仲の良い鬼がいた。
名前を雪之丞と云って、鬼のくせに穏やかな心持をしていた。
雪之丞はその名の通り冬になるとどこからともなく人里に下りてきて、雪で難儀する人間たちを助けてやっていた。
「雪之丞よ、愚かな人間たちを何故そうも助けてやる?捨て置けばよかろう」
雪之丞は時折人間を助けた礼にもらった食べ物を持って、葦夜の社を訪ねて来た。
他愛ない言葉を交わしつつ、気が済むまで語り明かすことが常であった。
「葦夜様、人間は余りにか弱い。弱者を守るのが強者の役目で御座いましょう。なに、過干渉はしておりません。ご心配なさらず」
「心配しているのではない。人間たちは愚かじゃ。すぐ死ぬし、すぐ忘れる。お主の恩も直ぐ忘れるじゃろう」
「それでも俺は、人間たちに寄り添いたいと思っております。愚かな彼らを好いています」
そう言って雪之丞は酒を一気に呷り、立ち上がると、「次の冬にまた来ます」と言って、社を後にした。
その次の冬、待てど暮らせど雪之丞は現れず、代わりに現れた鳥辺野と云う鬼から、雪之丞は人間に裏切られた上に手酷い傷を負わされ、人間への怒りと憎しみを抱えながらいずこかの深い雪の中で傷を癒していると伝え聞いた。
葦夜はいい話し相手であった雪之丞が現れることがないことに心が萎えて、そんな雪之丞に傷を負わせた人間への怒りが更にふつふつと湧いてきた。
雪之丞の代わりに、鳥辺野という鬼はよく社に現れるようになった。
どちらかと言えば言葉少なであった雪之丞と比べ、鳥辺野はたいへん饒舌であったので、鳥辺野の話を聞いていると葦夜は退屈しなかった。
葦夜は退屈をとても嫌ったので、鳥辺野が来ると良い退屈しのぎになると、鳥辺野を歓迎した。
鳥辺野もそれに気を良くしたのか、高い頻度で葦夜の社を訪れるようになった。
ただ一つ、不満であったのが、鳥辺野が来ると、いつも何処からか生臭い臭気が漂うことであった。
訝しんで鳥辺野を見るも、鳥辺野はけろっとしており、臭気には全く気付いていない様子であったので、人間どもに水を濁された所為で、腐った水が臭うのであろうか、と結論付けていた。
鳥辺野は様々なことを知っていた。
殊更に鳥辺野は自分たちと同族である鬼の話をよく話してくれた。
一口に鬼と云っても様々な鬼がいて、雪之丞のような氷の鬼は人間に友好的な者が多いだとか、他の鬼の中には人間のことを毛嫌いしている者もいるだとか。鳥辺野はそれらの鬼について多くを語った。
しかし、鳥辺野は一度足りとも自らの種族については語ることなく、葦夜がそれについて尋ねてもにんまりと目を細めて「けちな種族ですよ」と嗤うのみであった。
ある日、葦夜は社に人間の子供が行き倒れているのを見て、大層瞠目した。
──何故こんなところに人間の餓鬼がいるのだ?
子供は人柱の習慣に倣って、片目を潰されており、水を多量に飲んだのか既に事切れていた。
葦夜は、人間に自身の言葉を伝えることが出来ぬ。
怒れば水を氾濫させ、時には恵みの雨を降らせ、そうしなければ意志表示をし得ない。
だからこそ、何故こんな人間がこの場にいるのか理解が出来なかった。
理解出来なかったし、そもそも必要ない。
そんな折、廊下の角で、鳥辺野が息を潜めている気配を感じたので、葦夜は不愉快に顔を歪めた。
葦夜とて馬鹿ではない。
どうして鳥辺野がこちらを伺うように息を潜めているのか、鳥辺野が来る度に臭気が漂うのか、一度に葦夜は理解した。
「のう、鳥辺野」
「……」
葦夜に名前を呼ばれると、案外あっさりと鳥辺野は姿を現した。
企みが暴露されたとて、鳥辺野は悪びれる様子もなく、飄飄とした表情で葦夜を見ていた。
「儂はこんなものを人間どもに強請ったことはないが。お主、知らんか?」
子供の屍を足蹴にしながら、葦夜は鳥辺野に問う。
鳥辺野はその死体を食い入るように見ながら、「食べ物は粗末にしちゃ駄目じゃないですか、葦夜様」と呟いた。
鳥辺野の意図を一瞬汲みかねて、葦夜はぴくりと顔を顰める。
「こんなに美味しそうなのに。ねえ?」
「不浄な下郎め。今すぐその口を閉じろ、忌々しい」
鳥辺野は葦夜の剣幕に臆することもなく、くつくつと喉を鳴らして、そして次第におかしくてたまらなくなったのか、哄笑した。
「どうしてですか、葦夜様。葦夜様だって奪うじゃないですか、人間の命を。葦夜様はよくて、我々下等な鬼は人間の命を奪ってはいけませんか。生き延びるために心臓を喰ろうてはなりませんか。言ったじゃないですか、けちな種族だってね。我々は人間の心臓を喰らうことで生き延びてきた。それが、なりませんか。畜生ならば喰ろうても良いのですか。魚ならいいですか。葦夜様だって、この鳥辺野がお暇を癒して差し上げて、楽しかったでしょう?儂は退屈な葦夜様の暇を癒し、儂は苦労せず食べ物を手に入れていた。ねえ、何が悪いでしょうか?葦夜様を利用したことが赦せませんか。人間の命の奪うことが赦せませんか。ねえ、どちらが赦せませんか?ははは」
葦夜の怒りに満ちた猛烈な嵐は長らく収まらなかった。
人も家畜も魚も、多くが死んだ。
葦夜はまたひとりぼっちになってしまった。
鳥辺野の言葉に言葉を返せなかった事実が、未だに腹立たしく心をざわつかせる。
神である葦夜は、今は人間と似たような姿をしているけれども、本質は違う。
鬼である鳥辺野も、人間と似たような姿をしているけれども、本質は違う。
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