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97 好き同士
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「はあ」
八木教授の部屋を四人で退室すると、岸田が大きく息を吐いた。伊東と渡辺は八木教授に、もう少しお話があります、と言われてまだ室内である。
「大丈夫?」
「あ、うん。ほっとしちゃって」
「ああ」
入学の時に、全員が大学の指定する保険に入ることになっていて、代金を払っていたらしい。学内での出来事であったので、ガラスの修理費用も、岸田の怪我の治療費もすべてそちらで賄うことができると八木教授が言った一言に、一太も心の底から安堵した。
「良かったね」
「うん、ほんと良かった」
それでも、しばらくは思うように左手が使えない不便さが続く。災難なことだった。
「何だか、ごめんね」
「ううん。松島くんこそ関係なかったじゃん」
確かに、そうだ。晃くんのことを好ましいと思っている子がいて、晃くんのいないところで動いて晃くんに近づこうとしたり、気に入ってもらおうと画策したことで岸田が怪我をしたのだとして、晃くんが謝るのは違う気がする。
「それでも、さ。僕、今までそういうの、どうでもいいと思ってたから」
「え? 何?」
「そのことで誰かに迷惑がかかったり、何か事件があっても、どうでもよかった」
「そういうものじゃない? だって、勝手に好かれて勝手にやきもちやかれても、ねえ?」
全くあずかり知らぬところで名前が出ていただけ。
「そうなんだけど、うん。その、友達の大事な人が怪我をしたとか、僕の大事な人が、巻き込まれて課題を書くのに苦労したと思うと、申し訳ないやら腹が立つやら」
「そっか……、うん。私も、皆をこんなことに巻き込んじゃってごめん。安倍くんもさ、ありがとね」
「俺は、当たり前だろ」
「ん……、そう、かな?」
「そうだろ。今日も夜、行くから」
ふふ、と岸田が笑った。
「いいよう、そんなの。バイトも大変なのに」
「バイトの後になるけど、行くから。できないことを無理にすんな。置いとけよ」
「できるよ」
「いいから」
仲良しだな。これが付き合ってるカップルってやつか、と一太は思った。本で読んだことはある。好き同士が付き合って、色んな楽しい経験を重ねていく物語は、古文でも習う。ずっと昔から、人は同じ営みを繰り返しているんだなあ。
何だか岸田さんが可愛くて、見ているとにこにこしてしまう。
「いっちゃん。どうしたの」
「ふふ。好き同士っていいね」
「ああ、うん。そうだね」
「俺、何かそういうの、物語の中のお話みたいに思ってたから、本当に皆、好きな人と付き合って助け合ってってするんだなあって、不思議な気持ち」
「そう?」
「うん」
「僕たちも、好き同士で助け合ってるから、一緒じゃない?」
「え?」
晃が、にこにこと笑って一太を見ていた。
「ねえ、松島くんの好きな人って……」
「あー、うん。それなあ。うーん。早織、それ後でな。とりあえず、俺バイトだから帰ろう」
「あ、うん、そうだね。私もだ」
「は?」
「あ、いや、その……」
「二、三日休むって言ってたよな?」
「いや、その。急だったし。今日はとりあえず出て……」
「ったくもう。水仕事、すんなよ」
「うん」
「重たい物も持つな」
「分かってる」
岸田と安倍が、話しながら速足になる。一太と晃の方を振り返って、安倍が声を上げた。
「遅くなったから、急ぐわ」
「うん」
一太が大きく頷くと、晃がにこにこと機嫌良く言った。
「また明日。お大事にね」
あ。
「あ、あの。お大事に」
「ありがとう。二人とも、本当にありがとうね」
岸田も、笑顔で手を振ってくる。一太は手を振り返しながら、お大事に、の言葉を噛みしめていた。
お大事に。
一太が、この一ヶ月で知った言葉だ。
相手の怪我や病気を心配して、この後無理をしないように、体を大事にして元気になってね、と声をかける。病院では、診察室でも、お金を払い終えた受付でも、薬を貰う薬局でも、必ずそう声をかけられた。
そんな言葉があるんだなあ、と思ったものだ。
一太が言われて嬉しかった言葉。自分の体調を心配してくれる、たくさんの人がいるのだと気付かせてくれた。それが、例え定型の挨拶なのだとしても、嬉しかった。
岸田さんが、笑顔で帰ることができて良かったな、と一太は晃に笑いかけた。
「帰ろ。俺たちもバイトだね」
「うん。一緒に帰って一緒にバイトに行けるのって、いいなあ」
「何、それ」
そういえば晃くんは、さっきなんて言ってたんだっけ?
好き同士。
俺と晃くんが?
並んで歩きながら、少し考えてみた。
一太は、間違いなく晃が好きだ。好きだって伝えたこともある。一太が、人生で初めて頼りにした人で、その時に握った手を握り返してくれた人。一太にとっての特別で、かけがえの無い人。
好き。
一太は、誰かにはっきりそんなことを思ったことなんて無かった。児童養護施設の担当の先生と離れてから、周りの人間は皆、一太のことを嫌っているように思えていた。実際、共に暮らしていた人々は一太のことを嫌っていたのだし、一太の方も、そう言われ続けて良い感情を抱けるわけが無い。時々、優しくしてくれるよその人に好ましい感情を抱いては、手酷く裏切られてきた。
だから、強い気持ちを誰かに抱いたり、深く関わったりなんてしなかったし、相手方も、どんなに取り繕っても、普通ではない一太に深く関わってくることなんて無かった。
でも。
ずっと近くにいてくれる晃くん。最初から、ずっと優しかった。
最近は、ぎゅって抱っこもしてくれる。一太が、そうして欲しいと望んだから。望んだら叶えてくれるのは、晃も一太のことを好きだと思ってくれているからだった?
好き同士。
そうなのか。
好き同士だから、こうして一緒にいて楽しいのか。嬉しいのか。
一太は、嬉しい気持ちが溢れかえって、体がふわふわとするようだった。こんなに嬉しかったことは、今まで無かった自信がある。
幸せ過ぎて、ふと今までのことを思い出して、胸の奥に不安も広がる。こんなに幸せだと、晃と離れることができなくなりそうな事が、恐ろしかった。
八木教授の部屋を四人で退室すると、岸田が大きく息を吐いた。伊東と渡辺は八木教授に、もう少しお話があります、と言われてまだ室内である。
「大丈夫?」
「あ、うん。ほっとしちゃって」
「ああ」
入学の時に、全員が大学の指定する保険に入ることになっていて、代金を払っていたらしい。学内での出来事であったので、ガラスの修理費用も、岸田の怪我の治療費もすべてそちらで賄うことができると八木教授が言った一言に、一太も心の底から安堵した。
「良かったね」
「うん、ほんと良かった」
それでも、しばらくは思うように左手が使えない不便さが続く。災難なことだった。
「何だか、ごめんね」
「ううん。松島くんこそ関係なかったじゃん」
確かに、そうだ。晃くんのことを好ましいと思っている子がいて、晃くんのいないところで動いて晃くんに近づこうとしたり、気に入ってもらおうと画策したことで岸田が怪我をしたのだとして、晃くんが謝るのは違う気がする。
「それでも、さ。僕、今までそういうの、どうでもいいと思ってたから」
「え? 何?」
「そのことで誰かに迷惑がかかったり、何か事件があっても、どうでもよかった」
「そういうものじゃない? だって、勝手に好かれて勝手にやきもちやかれても、ねえ?」
全くあずかり知らぬところで名前が出ていただけ。
「そうなんだけど、うん。その、友達の大事な人が怪我をしたとか、僕の大事な人が、巻き込まれて課題を書くのに苦労したと思うと、申し訳ないやら腹が立つやら」
「そっか……、うん。私も、皆をこんなことに巻き込んじゃってごめん。安倍くんもさ、ありがとね」
「俺は、当たり前だろ」
「ん……、そう、かな?」
「そうだろ。今日も夜、行くから」
ふふ、と岸田が笑った。
「いいよう、そんなの。バイトも大変なのに」
「バイトの後になるけど、行くから。できないことを無理にすんな。置いとけよ」
「できるよ」
「いいから」
仲良しだな。これが付き合ってるカップルってやつか、と一太は思った。本で読んだことはある。好き同士が付き合って、色んな楽しい経験を重ねていく物語は、古文でも習う。ずっと昔から、人は同じ営みを繰り返しているんだなあ。
何だか岸田さんが可愛くて、見ているとにこにこしてしまう。
「いっちゃん。どうしたの」
「ふふ。好き同士っていいね」
「ああ、うん。そうだね」
「俺、何かそういうの、物語の中のお話みたいに思ってたから、本当に皆、好きな人と付き合って助け合ってってするんだなあって、不思議な気持ち」
「そう?」
「うん」
「僕たちも、好き同士で助け合ってるから、一緒じゃない?」
「え?」
晃が、にこにこと笑って一太を見ていた。
「ねえ、松島くんの好きな人って……」
「あー、うん。それなあ。うーん。早織、それ後でな。とりあえず、俺バイトだから帰ろう」
「あ、うん、そうだね。私もだ」
「は?」
「あ、いや、その……」
「二、三日休むって言ってたよな?」
「いや、その。急だったし。今日はとりあえず出て……」
「ったくもう。水仕事、すんなよ」
「うん」
「重たい物も持つな」
「分かってる」
岸田と安倍が、話しながら速足になる。一太と晃の方を振り返って、安倍が声を上げた。
「遅くなったから、急ぐわ」
「うん」
一太が大きく頷くと、晃がにこにこと機嫌良く言った。
「また明日。お大事にね」
あ。
「あ、あの。お大事に」
「ありがとう。二人とも、本当にありがとうね」
岸田も、笑顔で手を振ってくる。一太は手を振り返しながら、お大事に、の言葉を噛みしめていた。
お大事に。
一太が、この一ヶ月で知った言葉だ。
相手の怪我や病気を心配して、この後無理をしないように、体を大事にして元気になってね、と声をかける。病院では、診察室でも、お金を払い終えた受付でも、薬を貰う薬局でも、必ずそう声をかけられた。
そんな言葉があるんだなあ、と思ったものだ。
一太が言われて嬉しかった言葉。自分の体調を心配してくれる、たくさんの人がいるのだと気付かせてくれた。それが、例え定型の挨拶なのだとしても、嬉しかった。
岸田さんが、笑顔で帰ることができて良かったな、と一太は晃に笑いかけた。
「帰ろ。俺たちもバイトだね」
「うん。一緒に帰って一緒にバイトに行けるのって、いいなあ」
「何、それ」
そういえば晃くんは、さっきなんて言ってたんだっけ?
好き同士。
俺と晃くんが?
並んで歩きながら、少し考えてみた。
一太は、間違いなく晃が好きだ。好きだって伝えたこともある。一太が、人生で初めて頼りにした人で、その時に握った手を握り返してくれた人。一太にとっての特別で、かけがえの無い人。
好き。
一太は、誰かにはっきりそんなことを思ったことなんて無かった。児童養護施設の担当の先生と離れてから、周りの人間は皆、一太のことを嫌っているように思えていた。実際、共に暮らしていた人々は一太のことを嫌っていたのだし、一太の方も、そう言われ続けて良い感情を抱けるわけが無い。時々、優しくしてくれるよその人に好ましい感情を抱いては、手酷く裏切られてきた。
だから、強い気持ちを誰かに抱いたり、深く関わったりなんてしなかったし、相手方も、どんなに取り繕っても、普通ではない一太に深く関わってくることなんて無かった。
でも。
ずっと近くにいてくれる晃くん。最初から、ずっと優しかった。
最近は、ぎゅって抱っこもしてくれる。一太が、そうして欲しいと望んだから。望んだら叶えてくれるのは、晃も一太のことを好きだと思ってくれているからだった?
好き同士。
そうなのか。
好き同士だから、こうして一緒にいて楽しいのか。嬉しいのか。
一太は、嬉しい気持ちが溢れかえって、体がふわふわとするようだった。こんなに嬉しかったことは、今まで無かった自信がある。
幸せ過ぎて、ふと今までのことを思い出して、胸の奥に不安も広がる。こんなに幸せだと、晃と離れることができなくなりそうな事が、恐ろしかった。
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