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156 縁は繋がない
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「できれば、引っ越しをしたいんだが」
誠は、一太の目をしっかり見て言った。
引っ越し……。ああ。そうだ。俺は、緊急避難でここに住んでいたのだった。もともと住んでいたアパートは、人が住める条件を満たしていないから、と出ることになって、でも、すぐに住むところが見つからないから、晃や誠の善意でここに置いてもらっていたのだ。
それを、新しい住処を探しもせず、甘えてしまっていた。居心地がよすぎて、晃と二人の生活が快適すぎて、別々に暮らすことなど考えられなくなっていた。
「あ、俺、不動産屋……その」
一太は、申し訳なくて視線を落とす。引っ越し。引っ越しか……。晃くんと別々に……。
「引っ越しをしたいんだが、時期が悪い」
「三月だもんね」
誠は、視線を落とした一太を気にしないで話を進めた。晃も、一太の背中に手を置いたまま、明るい声で答える。
「そうなんだ。一年で一番、急な引っ越しなどできない時期なんだ」
「いっちゃん。一人にならないように、なるべく気をつけて。買い物なんかもね、晃と一緒に行動しなさい。部屋に一人の時には、来客があっても玄関を開けなくていいからね。怖いなら、おうちでは晃にしがみついてなさい。ね?」
晃にしがみついて? 一緒に行動して? それは、今と同じ。今と変わらない。
それがもうできなくなる相談、ではなく?
「引っ越しの場所や時期はまた、四人で相談しよう。……お前たちは、就職先をこの町にするか、うちの近くにするかは決めているのか?」
「うーん。僕はこの町の方がいいかな、と思ってる。子どもの数も多いし。……いっちゃんとずっと暮らすなら、知り合いがたくさんいる所より、こっちの方がめんどくさくない」
「そうか」
「そうかもねえ」
え? と一太は顔を上げた。一太の引っ越しの場所や時期を、四人で相談する? 晃は、一太とずっと暮らすために、この町で就職する?
「いっちゃんはどう? どこで就職するかとか、何か考えてた?」
「あ、えと、俺、は、このまま……」
他に行く場所がある訳でなし、よそに行って、道がわかる訳でもない。今、住んでいる周辺なら流石に覚えてきたから、できれば、この辺りで暮らしたい。
「そっか。この町がいい?」
「道が分かるとこ……で、暮らしたいから。この辺りがいい、です」
「うん、そうだね。いっちゃん、方向音痴だからさ」
晃が笑った。優しい顔だった。
「あ、うん。そう。そうなんだよ」
一太も、なんだか笑ってしまった。知らない町で一年、よく暮らしてこれたものだ。頑張ったな、俺。そして、晃くん。ありがとう。
誠も、優しく笑っている。陽子も。
「とりあえず、今すぐには引っ越しはできないから、法的に、すぐには一太くんの住む場所を見つけられないように手続きをしよう。住民票に閲覧制限をかけて、親族でも簡単には閲覧できないようにする。それと、戸籍なんだが。これは気休め程度の措置だけれど、分籍というものがあってな。戸籍を分けることができるんだ。するかい? 扶助義務が無くなる訳ではないんだが……」
「分籍?」
「ああ。成人している者の申し立てで、親と戸籍を分けることができる。血縁が切れることは無いから、その、分けられるだけなんだが。だが、本籍地変更や苗字変更を自分の意思で行えるようになるし、分けた後の情報は君の戸籍だけに載る。もともとの戸籍には記載されないんだ。何をするのもしないのも、君の自由になる」
親と、戸籍を分ける。望とも、別れられる。何をするのもしないのも、自由。全ては自分で。
自分だけで!
「し、したい! したいです!」
一太は、勢いこんで頷いた。何だそれ、何だそれ。最高だ!
「……うん。そうか」
優しく笑った誠は、少し、ほんの少しだけくっと息を詰まらせてから頷く。陽子も、少し息を詰めてから、崩れかけた笑顔を無理やりもう一度作った。一人になれることを喜ぶ一太が、それに気付く様子はなかった。
「それと、もう一つの提案だ。うちの養子になる、というのはどうだろう」
「え?」
「え?」
一太だけでなく、晃も同じ声を上げた。
「うちの子になれば、君に何かあった時にうちにすぐ連絡が来るだろう? 晃も、君の弟として、この間のように病院に運ばれた時にそばに居られる」
「そうしたら、うちに帰っておいでって言った時に、晃にだけ言ってるって勘違いされずにすむでしょ? いっちゃん、いっつも晃くんに伝えておきますって言うんだもの。私は、いっちゃんにも帰っておいでって言ってるのに」
「え? え?」
帰るって。だって、一太の家は、帰りたくないあの、母と望と三人で暮らした家しか無くて……。後は、晃と暮らすこの部屋だけで。
「あのね、いっちゃん。うちに来るの、嫌かな?」
とんでもない。陽子の言葉に、一太は慌てて首を横に振る。家族で暮らす家を、初めて見せてもらった。たくさんの普通を教えてくれた。友達の家に泊まるという体験をさせてくれた。
一太が動かなくても家事が進んでいく、ただ一つの場所。座っていたら美味しい料理が出てきて、洗濯が終わっている。そんな体験をさせてくれた夢のような場所だ。
「嫌じゃない、です」
「うん。私もね、いっちゃんがうちに来てくれるのが好きなの。一緒にお料理するのも楽しいし、私の勧める紅茶とかを、美味しい美味しいって喜んでくれるのが嬉しい」
「はい……」
「晃と、仲良くしてくれるのも嬉しい」
「はい」
「だから、自分のうちだと思って帰ってきてくれたらいいな、って思ってる」
「……っ」
「でも、他人だから遠慮があるって言うなら、うちの子になっちゃえばいいんじゃないかなって思ったの」
一太は、陽子の言葉に喉が詰まってきた。生まれてすぐ、いらないと捨てられた自分に、そんなことを言ってくれる人がいるなんて。
「あり、ありがとう、ございます……」
「そうしてもいい。私も母さんも、それでもいいと思っている」
「…………」
でも。
さっきの、分籍の話の時に誠は言っていた。戸籍を分けても血縁は切れない、と。
血縁が切れないまま、この優しい人たちと縁を繋いでしまったら? 母や弟が何かした時に、この人たちにまで類が及ぶことになるのではないか。
そんなのは、嫌だった。
そんな縁を結ばせたくは無かった。
だから一太は、前を向いてしっかりと伝える。
「ありがとう、ございます。俺、一人で大丈夫です。分籍を教えてください」
誠は、一太の目をしっかり見て言った。
引っ越し……。ああ。そうだ。俺は、緊急避難でここに住んでいたのだった。もともと住んでいたアパートは、人が住める条件を満たしていないから、と出ることになって、でも、すぐに住むところが見つからないから、晃や誠の善意でここに置いてもらっていたのだ。
それを、新しい住処を探しもせず、甘えてしまっていた。居心地がよすぎて、晃と二人の生活が快適すぎて、別々に暮らすことなど考えられなくなっていた。
「あ、俺、不動産屋……その」
一太は、申し訳なくて視線を落とす。引っ越し。引っ越しか……。晃くんと別々に……。
「引っ越しをしたいんだが、時期が悪い」
「三月だもんね」
誠は、視線を落とした一太を気にしないで話を進めた。晃も、一太の背中に手を置いたまま、明るい声で答える。
「そうなんだ。一年で一番、急な引っ越しなどできない時期なんだ」
「いっちゃん。一人にならないように、なるべく気をつけて。買い物なんかもね、晃と一緒に行動しなさい。部屋に一人の時には、来客があっても玄関を開けなくていいからね。怖いなら、おうちでは晃にしがみついてなさい。ね?」
晃にしがみついて? 一緒に行動して? それは、今と同じ。今と変わらない。
それがもうできなくなる相談、ではなく?
「引っ越しの場所や時期はまた、四人で相談しよう。……お前たちは、就職先をこの町にするか、うちの近くにするかは決めているのか?」
「うーん。僕はこの町の方がいいかな、と思ってる。子どもの数も多いし。……いっちゃんとずっと暮らすなら、知り合いがたくさんいる所より、こっちの方がめんどくさくない」
「そうか」
「そうかもねえ」
え? と一太は顔を上げた。一太の引っ越しの場所や時期を、四人で相談する? 晃は、一太とずっと暮らすために、この町で就職する?
「いっちゃんはどう? どこで就職するかとか、何か考えてた?」
「あ、えと、俺、は、このまま……」
他に行く場所がある訳でなし、よそに行って、道がわかる訳でもない。今、住んでいる周辺なら流石に覚えてきたから、できれば、この辺りで暮らしたい。
「そっか。この町がいい?」
「道が分かるとこ……で、暮らしたいから。この辺りがいい、です」
「うん、そうだね。いっちゃん、方向音痴だからさ」
晃が笑った。優しい顔だった。
「あ、うん。そう。そうなんだよ」
一太も、なんだか笑ってしまった。知らない町で一年、よく暮らしてこれたものだ。頑張ったな、俺。そして、晃くん。ありがとう。
誠も、優しく笑っている。陽子も。
「とりあえず、今すぐには引っ越しはできないから、法的に、すぐには一太くんの住む場所を見つけられないように手続きをしよう。住民票に閲覧制限をかけて、親族でも簡単には閲覧できないようにする。それと、戸籍なんだが。これは気休め程度の措置だけれど、分籍というものがあってな。戸籍を分けることができるんだ。するかい? 扶助義務が無くなる訳ではないんだが……」
「分籍?」
「ああ。成人している者の申し立てで、親と戸籍を分けることができる。血縁が切れることは無いから、その、分けられるだけなんだが。だが、本籍地変更や苗字変更を自分の意思で行えるようになるし、分けた後の情報は君の戸籍だけに載る。もともとの戸籍には記載されないんだ。何をするのもしないのも、君の自由になる」
親と、戸籍を分ける。望とも、別れられる。何をするのもしないのも、自由。全ては自分で。
自分だけで!
「し、したい! したいです!」
一太は、勢いこんで頷いた。何だそれ、何だそれ。最高だ!
「……うん。そうか」
優しく笑った誠は、少し、ほんの少しだけくっと息を詰まらせてから頷く。陽子も、少し息を詰めてから、崩れかけた笑顔を無理やりもう一度作った。一人になれることを喜ぶ一太が、それに気付く様子はなかった。
「それと、もう一つの提案だ。うちの養子になる、というのはどうだろう」
「え?」
「え?」
一太だけでなく、晃も同じ声を上げた。
「うちの子になれば、君に何かあった時にうちにすぐ連絡が来るだろう? 晃も、君の弟として、この間のように病院に運ばれた時にそばに居られる」
「そうしたら、うちに帰っておいでって言った時に、晃にだけ言ってるって勘違いされずにすむでしょ? いっちゃん、いっつも晃くんに伝えておきますって言うんだもの。私は、いっちゃんにも帰っておいでって言ってるのに」
「え? え?」
帰るって。だって、一太の家は、帰りたくないあの、母と望と三人で暮らした家しか無くて……。後は、晃と暮らすこの部屋だけで。
「あのね、いっちゃん。うちに来るの、嫌かな?」
とんでもない。陽子の言葉に、一太は慌てて首を横に振る。家族で暮らす家を、初めて見せてもらった。たくさんの普通を教えてくれた。友達の家に泊まるという体験をさせてくれた。
一太が動かなくても家事が進んでいく、ただ一つの場所。座っていたら美味しい料理が出てきて、洗濯が終わっている。そんな体験をさせてくれた夢のような場所だ。
「嫌じゃない、です」
「うん。私もね、いっちゃんがうちに来てくれるのが好きなの。一緒にお料理するのも楽しいし、私の勧める紅茶とかを、美味しい美味しいって喜んでくれるのが嬉しい」
「はい……」
「晃と、仲良くしてくれるのも嬉しい」
「はい」
「だから、自分のうちだと思って帰ってきてくれたらいいな、って思ってる」
「……っ」
「でも、他人だから遠慮があるって言うなら、うちの子になっちゃえばいいんじゃないかなって思ったの」
一太は、陽子の言葉に喉が詰まってきた。生まれてすぐ、いらないと捨てられた自分に、そんなことを言ってくれる人がいるなんて。
「あり、ありがとう、ございます……」
「そうしてもいい。私も母さんも、それでもいいと思っている」
「…………」
でも。
さっきの、分籍の話の時に誠は言っていた。戸籍を分けても血縁は切れない、と。
血縁が切れないまま、この優しい人たちと縁を繋いでしまったら? 母や弟が何かした時に、この人たちにまで類が及ぶことになるのではないか。
そんなのは、嫌だった。
そんな縁を結ばせたくは無かった。
だから一太は、前を向いてしっかりと伝える。
「ありがとう、ございます。俺、一人で大丈夫です。分籍を教えてください」
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