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百二十三
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話は以上だ、と切り上げた良時は、しばし休むと風呂場へ向かった。護衛の正平と側仕えの良隆にも体を流して休むように伝えて着物を脱ぐと、そのままむっつりと黙り込んでしまう。湯船には、すでに湯が張られて湯気を立てていた。良時が戻った時の姿を見て、使用人が早々に準備してくれていたらしい。良時が、伊良以外の者に風呂の世話をされるのを嫌うことは周知の事なので、血まみれの着物と皮鎧を回収した使用人たちは素早く立ち去っていった。火の番だけが、風呂場の外で湯加減を調節していることだろう。
血なまぐさい衣をようやく脱いでくれて、伊良はほっとした。いつも通りに動き回っているのだから、良時さまに怪我はない、と頭では分かっていても、気になって仕方がなかったのだ。伊良は、湯船の横に腰かけた良時の体を注意深く確かめながら、そっと湯をすくって掛けた。汚れは皆、湯と共に流れていき、更に安堵の息を吐いた。良時に、新しい傷は無い。
逞しい背中を優しくこすっていると、大きなため息が聞こえた。それから、ぽつりと。
「すまない、いの」
「え?」
伊良は首を傾げる。何か、良時さまが謝ることなどあっただろうか。……いや、ない。良時さまは、自らのできる最善のことをしっかりとなされてきた。いつも。此度のこともそうだ。迅速に動いたことで、時行さまの命は救われた。……まだ、伊良は時行さまの怪我の状態を知らないので、うかつなことは言えないけれども。けれど、草庵が駆けつけたことで一命を取り留めた、と良時は言っていたのだ。なら、とりあえずは、間に合ったと言うことで良いのではないだろうか。
「医師になりたいいのの願いが遠ざかった……」
「ああ。そんなこと」
確かに、そんな未来を思い描いてはいたけれども。
「今でも、私の城代としての仕事を手伝っていて勉強ができていないのであろ?」
「……」
それは確かにその通り。でも。
「領主ともなれば、更に忙しくなる。将軍様の元へも行かねばならぬ。危険も増える」
「若君が、元服なさるまでのことでございましょう? そんなの、すぐですよ、すぐ」
伊良は明るく言った。
そうだ。きっとすぐだ。良時は時行と同じく、繋ぎの領主であるのだから。
「いのを正室だと届け出ることもできぬ」
それも、拗ねている原因の一つか。
「そんなことをしたら、離れ離れで暮らさねばなりませんよ?」
「嫌だ」
「私も嫌です」
丸まっていた良時の背中がしゃんと伸びて、良時は振り返って伊良を見た。
「?」
首を傾げる伊良を、良時は眩しそうに見る。
「いのも嫌か」
「はい」
もちろん嫌だ。なんで大好きな旦那様と離れて暮らさねばならぬのか。そんな日々は、想像するのも嫌だった。
「ふふ」
良時が子どもの時のように笑った。それだけで、伊良は幸せだ。
「いのが、そんなこと言うなんてな」
「?」
「私と離れるのは嫌か。そうか」
すっかり調子の戻った良時は、私は汚れておらぬから大丈夫です、と遠慮する伊良から手拭いを奪って、伊良をぴかぴかに磨き上げ、寝室に連れ込んだのであった。
話は以上だ、と切り上げた良時は、しばし休むと風呂場へ向かった。護衛の正平と側仕えの良隆にも体を流して休むように伝えて着物を脱ぐと、そのままむっつりと黙り込んでしまう。湯船には、すでに湯が張られて湯気を立てていた。良時が戻った時の姿を見て、使用人が早々に準備してくれていたらしい。良時が、伊良以外の者に風呂の世話をされるのを嫌うことは周知の事なので、血まみれの着物と皮鎧を回収した使用人たちは素早く立ち去っていった。火の番だけが、風呂場の外で湯加減を調節していることだろう。
血なまぐさい衣をようやく脱いでくれて、伊良はほっとした。いつも通りに動き回っているのだから、良時さまに怪我はない、と頭では分かっていても、気になって仕方がなかったのだ。伊良は、湯船の横に腰かけた良時の体を注意深く確かめながら、そっと湯をすくって掛けた。汚れは皆、湯と共に流れていき、更に安堵の息を吐いた。良時に、新しい傷は無い。
逞しい背中を優しくこすっていると、大きなため息が聞こえた。それから、ぽつりと。
「すまない、いの」
「え?」
伊良は首を傾げる。何か、良時さまが謝ることなどあっただろうか。……いや、ない。良時さまは、自らのできる最善のことをしっかりとなされてきた。いつも。此度のこともそうだ。迅速に動いたことで、時行さまの命は救われた。……まだ、伊良は時行さまの怪我の状態を知らないので、うかつなことは言えないけれども。けれど、草庵が駆けつけたことで一命を取り留めた、と良時は言っていたのだ。なら、とりあえずは、間に合ったと言うことで良いのではないだろうか。
「医師になりたいいのの願いが遠ざかった……」
「ああ。そんなこと」
確かに、そんな未来を思い描いてはいたけれども。
「今でも、私の城代としての仕事を手伝っていて勉強ができていないのであろ?」
「……」
それは確かにその通り。でも。
「領主ともなれば、更に忙しくなる。将軍様の元へも行かねばならぬ。危険も増える」
「若君が、元服なさるまでのことでございましょう? そんなの、すぐですよ、すぐ」
伊良は明るく言った。
そうだ。きっとすぐだ。良時は時行と同じく、繋ぎの領主であるのだから。
「いのを正室だと届け出ることもできぬ」
それも、拗ねている原因の一つか。
「そんなことをしたら、離れ離れで暮らさねばなりませんよ?」
「嫌だ」
「私も嫌です」
丸まっていた良時の背中がしゃんと伸びて、良時は振り返って伊良を見た。
「?」
首を傾げる伊良を、良時は眩しそうに見る。
「いのも嫌か」
「はい」
もちろん嫌だ。なんで大好きな旦那様と離れて暮らさねばならぬのか。そんな日々は、想像するのも嫌だった。
「ふふ」
良時が子どもの時のように笑った。それだけで、伊良は幸せだ。
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「?」
「私と離れるのは嫌か。そうか」
すっかり調子の戻った良時は、私は汚れておらぬから大丈夫です、と遠慮する伊良から手拭いを奪って、伊良をぴかぴかに磨き上げ、寝室に連れ込んだのであった。
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