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第三章 幸せの行方
42 緋色 48
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しばらく、生松が鼻を啜る音を聞いていた。
その状況が辛い記憶を呼び覚ます……。
「上書きは可能か?」
「上書き……。」
「その状況で、もう酷いことは起きない、と覚えさせればいいのではないか?」
素人の安易な考えだろうか、と思いつつ口にしたが、生松はとても納得した顔で頷いた。
「とても、とても良い考えだと、思います。」
興奮した口調で続ける。
「そう。酷いことは起きない。起きないのです。それを知ることができれば!」
「ああ。」
今、この状況のように、何もできずに見ているだけというのは、俺の精神衛生上もよろしくない。触れることができないなんて、生殺しだ。怖いことは、痛いことは、辛いことは、もう二度と起こらないと、教えてやろう。繰り返し、繰り返し教えてやろう。時間はたっぷりある。俺たちは、一生一緒にいるのだからな。
「よし。分かった。なら、お前はもう部屋へ戻って寝ろ。」
「え……?」
「俺は、しばらく休みを取る。明日はそのための準備で離れるから、その間の成人の世話を頼む。今のうちに寝ておけ。たぶん、調子を崩すだろう?」
「そ…うですね。すでに、少し発熱しているかと思います。」
俺は、枕と上掛けを持って成人の横に戻った。慎重に触れない程度の距離を取る。
「夜は、俺がここにいる。夜中に呼び出して、悪かったな。」
「はい。」
何か決意を秘めた顔で頷いて扉へ向かう生松に、最後の言葉を掛ける。
「寝ろよ。」
「はい。」
あれは、寝ないな……。調べものでもするのだろう。
静かになった部屋で成人の、寝ているとは思えない強ばった寝顔を眺めた。手を伸ばしかけては引っ込めるのを何度繰り返しただろう。
不意に成人の目が開いて、俺を見つける。
「調子はどうだ?」
と聞くと、不満げにすり寄ってきた。右手が、ぎゅうと俺の寝間着を掴む。そっと背中に手を回して、ぽんぽんと叩いてみる。成人の強ばった体から、力が抜けていくのが分かった。
「落ち着いたか?」
返事はなく、うとうとと寝直しかけている。
「布団に戻れるかな。戻っていいか。」
抱き上げても抵抗は無く、安心しきったように体を預けてきた。右手だけが、力を込めて服を掴んでいる。
分かってる。
大丈夫。
ここにいる。
布団の上で抱き締めてやると、くたりと疲れたように寝た。
朝、断腸の思いで服を握る手を離させてベッドから下りる。今日いきなり休んだら、長い休みが取りにくくなる。起きて泣かなければいいけれど、と思いつつ朝の支度をしていると、控えめなノックが聞こえた。返事をすると、一ノ瀬荘重が入ってくる。
「昨夜は、お疲れさまでございました。」
「ああ、お前の手の者には世話になった。礼を言う。」
「過分なお言葉、光栄にございます。伝えておきます。」
「最近、成人が世話になっているようだな。感謝する。」
「は。有り難きお言葉。本日は、殿下に一つ、お願いがあって参りました。私を成人さまの専属護衛にして頂けないでしょうか。」
……一族の頭領の仕事は、どうするつもりだ?
その状況が辛い記憶を呼び覚ます……。
「上書きは可能か?」
「上書き……。」
「その状況で、もう酷いことは起きない、と覚えさせればいいのではないか?」
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興奮した口調で続ける。
「そう。酷いことは起きない。起きないのです。それを知ることができれば!」
「ああ。」
今、この状況のように、何もできずに見ているだけというのは、俺の精神衛生上もよろしくない。触れることができないなんて、生殺しだ。怖いことは、痛いことは、辛いことは、もう二度と起こらないと、教えてやろう。繰り返し、繰り返し教えてやろう。時間はたっぷりある。俺たちは、一生一緒にいるのだからな。
「よし。分かった。なら、お前はもう部屋へ戻って寝ろ。」
「え……?」
「俺は、しばらく休みを取る。明日はそのための準備で離れるから、その間の成人の世話を頼む。今のうちに寝ておけ。たぶん、調子を崩すだろう?」
「そ…うですね。すでに、少し発熱しているかと思います。」
俺は、枕と上掛けを持って成人の横に戻った。慎重に触れない程度の距離を取る。
「夜は、俺がここにいる。夜中に呼び出して、悪かったな。」
「はい。」
何か決意を秘めた顔で頷いて扉へ向かう生松に、最後の言葉を掛ける。
「寝ろよ。」
「はい。」
あれは、寝ないな……。調べものでもするのだろう。
静かになった部屋で成人の、寝ているとは思えない強ばった寝顔を眺めた。手を伸ばしかけては引っ込めるのを何度繰り返しただろう。
不意に成人の目が開いて、俺を見つける。
「調子はどうだ?」
と聞くと、不満げにすり寄ってきた。右手が、ぎゅうと俺の寝間着を掴む。そっと背中に手を回して、ぽんぽんと叩いてみる。成人の強ばった体から、力が抜けていくのが分かった。
「落ち着いたか?」
返事はなく、うとうとと寝直しかけている。
「布団に戻れるかな。戻っていいか。」
抱き上げても抵抗は無く、安心しきったように体を預けてきた。右手だけが、力を込めて服を掴んでいる。
分かってる。
大丈夫。
ここにいる。
布団の上で抱き締めてやると、くたりと疲れたように寝た。
朝、断腸の思いで服を握る手を離させてベッドから下りる。今日いきなり休んだら、長い休みが取りにくくなる。起きて泣かなければいいけれど、と思いつつ朝の支度をしていると、控えめなノックが聞こえた。返事をすると、一ノ瀬荘重が入ってくる。
「昨夜は、お疲れさまでございました。」
「ああ、お前の手の者には世話になった。礼を言う。」
「過分なお言葉、光栄にございます。伝えておきます。」
「最近、成人が世話になっているようだな。感謝する。」
「は。有り難きお言葉。本日は、殿下に一つ、お願いがあって参りました。私を成人さまの専属護衛にして頂けないでしょうか。」
……一族の頭領の仕事は、どうするつもりだ?
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