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第八章 郷に入っては郷に従え
39 その日 八代
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この日のことを、私は生涯忘れないだろう。
「これ、美味しいわ……」
常より色味の薄い煮物を口にされた皇妃殿下が、思わず、といった調子で呟かれた。
「ほう」
と、短く答えて、同じに見える皿のものを口にされた陛下も、うむと小さく頷かれる。向かいの席の皇太子殿下がそれを見て、同じ皿の品を口にされる。少しだけ目を見開かれる様子を、不躾と知りながら必死に観察した。広末のアドバイス通り、ほんの少し味の具合を変えて、けれど同じように見える一品。
見てたら分かるだろ、と広末は言った。見ていたら分かる……。常にお側に侍ることができるのは私なのだから、私は見なければいけない。陛下は、皇妃殿下は、皇太子殿下は、皇太子妃殿下は、どの品をお好みなのか。お好みだとしたら、それは味付けなのか食感なのか、それとも食材なのか。その情報が少しずつ積み重なれば、お好みの傾向が自ずと分かってくる。なんて簡単なことを、私は、私たちは分かっていなかったことだろう。
至高と言われる献立の数々を、如何にそのまま再現することができるかが、城の料理人にとって重要な事だった。残された指南書はどれも素晴らしく、膨大な量のそれらを覚えるだけで時間は過ぎていく。いつしか、自分の思いつく献立や新しい味付けなどは、至高の献立の再現に邪魔なもののように思われて、ただ、指南書通りの品を作ることに心を砕いた。再現できたことに喜び、食べる相手の顔をしっかりと見ていなかった。
美味しいだろう。美味しいに違いない。こんな素晴らしい品を食べられるなんて、なんて幸せな方々だ。
お一人お一人に味のお好みがあるとか、苦手な食感や味付けがあると、どうして想像することができなかったのだろう。
陛下方もさ。うちでくらい、好きなもん食べたいんじゃねえかな。
広末の言葉が耳に甦る。
うち。うち……。そうだ。私たちにとって城は、この国の象徴で仕事場で、来客方のおもてなしの場であるが、陛下や皇妃殿下、皇太子殿下と皇太子妃殿下にとっては違う。ここは、家なのだ。私たちの腕を競う場でもなんでもない。仕事もされるが、本来、寛ぎ、休める場でなければならぬ。
黙々と食されている陛下も、心の底では、好みの品ばかりを並べた食卓を望まれることがあったのだろうか、とそこまで考えて思い出してしまった。
披露宴……。結婚式の披露宴の日。緋色殿下と共に、自ら料理を選んで皿に取り分け、笑顔で食されていた陛下の姿を。その後、あの日の卵料理が食べたいのだと希望を口にされた皇妃殿下を。
いつも通り、静かに食事は進む。頷いたり、ご夫婦で目を見交わされたり、互いの皿をのぞいたりと、少し常とは違う様子は見られたけれど、陛下方が言葉を交わしてお話されることはなかった。けれど、どこかほわりと柔らかい空気の漂う食卓に、デザートの葡萄ゼリーが並んで、あら、と皇太子妃殿下がお声を上げられた。
広末が離宮から持ってきてくれた、本日の離宮のおやつ。皇太子殿下が好きそうだから、良かったら、と広末は言った。馬鹿なことを言うな、いきなり出せる訳がないだろう、といきり立つ面々の言葉をさらりと聞き流し、ありがたく頂戴した。広末の素晴らしさに気付けず、手伝うこともできなかった連中の言葉を聞く義理などない。
甘さの加減を変えた二種類の葡萄ゼリーは、器の印を間違えぬように、それぞれの前に置かれる。甘さを控えた品を陛下と皇太子殿下に。甘さを少し効かせた品を皇妃殿下と皇太子妃殿下に。
葡萄の粒が美しく見えるように配置されたそのゼリーは、見た目にも美しく、きらきらと光っているようにも見えた。
「なるの好きそうなデザートだわ」
皇太子妃殿下のお言葉に、思わず一歩前に出る。
「広末が、是非にと置いていった品にございます」
頭を下げて告げれば、
「あら、やっぱり?」
と、明るい声が返ってくる。器を持ち上げて眺める顔は、楽しげに笑っていらした。
……私は、この笑顔を見るために料理をしよう。これから。今、この時から。そのことを決して忘れぬようにしよう。
私は、この日を忘れない。
「これ、美味しいわ……」
常より色味の薄い煮物を口にされた皇妃殿下が、思わず、といった調子で呟かれた。
「ほう」
と、短く答えて、同じに見える皿のものを口にされた陛下も、うむと小さく頷かれる。向かいの席の皇太子殿下がそれを見て、同じ皿の品を口にされる。少しだけ目を見開かれる様子を、不躾と知りながら必死に観察した。広末のアドバイス通り、ほんの少し味の具合を変えて、けれど同じように見える一品。
見てたら分かるだろ、と広末は言った。見ていたら分かる……。常にお側に侍ることができるのは私なのだから、私は見なければいけない。陛下は、皇妃殿下は、皇太子殿下は、皇太子妃殿下は、どの品をお好みなのか。お好みだとしたら、それは味付けなのか食感なのか、それとも食材なのか。その情報が少しずつ積み重なれば、お好みの傾向が自ずと分かってくる。なんて簡単なことを、私は、私たちは分かっていなかったことだろう。
至高と言われる献立の数々を、如何にそのまま再現することができるかが、城の料理人にとって重要な事だった。残された指南書はどれも素晴らしく、膨大な量のそれらを覚えるだけで時間は過ぎていく。いつしか、自分の思いつく献立や新しい味付けなどは、至高の献立の再現に邪魔なもののように思われて、ただ、指南書通りの品を作ることに心を砕いた。再現できたことに喜び、食べる相手の顔をしっかりと見ていなかった。
美味しいだろう。美味しいに違いない。こんな素晴らしい品を食べられるなんて、なんて幸せな方々だ。
お一人お一人に味のお好みがあるとか、苦手な食感や味付けがあると、どうして想像することができなかったのだろう。
陛下方もさ。うちでくらい、好きなもん食べたいんじゃねえかな。
広末の言葉が耳に甦る。
うち。うち……。そうだ。私たちにとって城は、この国の象徴で仕事場で、来客方のおもてなしの場であるが、陛下や皇妃殿下、皇太子殿下と皇太子妃殿下にとっては違う。ここは、家なのだ。私たちの腕を競う場でもなんでもない。仕事もされるが、本来、寛ぎ、休める場でなければならぬ。
黙々と食されている陛下も、心の底では、好みの品ばかりを並べた食卓を望まれることがあったのだろうか、とそこまで考えて思い出してしまった。
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いつも通り、静かに食事は進む。頷いたり、ご夫婦で目を見交わされたり、互いの皿をのぞいたりと、少し常とは違う様子は見られたけれど、陛下方が言葉を交わしてお話されることはなかった。けれど、どこかほわりと柔らかい空気の漂う食卓に、デザートの葡萄ゼリーが並んで、あら、と皇太子妃殿下がお声を上げられた。
広末が離宮から持ってきてくれた、本日の離宮のおやつ。皇太子殿下が好きそうだから、良かったら、と広末は言った。馬鹿なことを言うな、いきなり出せる訳がないだろう、といきり立つ面々の言葉をさらりと聞き流し、ありがたく頂戴した。広末の素晴らしさに気付けず、手伝うこともできなかった連中の言葉を聞く義理などない。
甘さの加減を変えた二種類の葡萄ゼリーは、器の印を間違えぬように、それぞれの前に置かれる。甘さを控えた品を陛下と皇太子殿下に。甘さを少し効かせた品を皇妃殿下と皇太子妃殿下に。
葡萄の粒が美しく見えるように配置されたそのゼリーは、見た目にも美しく、きらきらと光っているようにも見えた。
「なるの好きそうなデザートだわ」
皇太子妃殿下のお言葉に、思わず一歩前に出る。
「広末が、是非にと置いていった品にございます」
頭を下げて告げれば、
「あら、やっぱり?」
と、明るい声が返ってくる。器を持ち上げて眺める顔は、楽しげに笑っていらした。
……私は、この笑顔を見るために料理をしよう。これから。今、この時から。そのことを決して忘れぬようにしよう。
私は、この日を忘れない。
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