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鞠の章
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皇子は、すくすくとお育ちになられた。笑顔を見せてくれた日、初めて寝返りをした日、初めて歩いた日、初めて言葉を発した日、全てをお側で見られたことは、なんと幸せなことだっただろう。それらを姫様に見て頂けないことが、残念でならなかった。本当に愛らしくて、写真というものを知ったときには、全てを残しておきたいと心から思ったものだ。
施設の方々は、子ども達を平等に写真に残していたが、私のために特別に、皇子の愛らしい様子を写してくれることがあった。宝物は増えるばかりだ。姫様の元へ帰れる時がきたなら、写真をきっと持ち帰ろうと心に決めた。だから私は、写真を見やすくまとめた冊子をいつも、身に付けている。
お話ができるようになってきた皇子は、私のことを、お母さんと呼んだ。私は必死で否定した。違う、私は母ではない、と。幼い皇子は首を傾げながらも、私を、鞠さんと呼ぶようになったが、少し年齢が上がると、何故お母さんと呼んではいけないのか、と尋ねられるようになった。
「私は、あなたの母ではないのです。」
私は、自国の言葉で説明する。では、母になってほしい、と皇子は、この国の言葉で必死に訴えられた。そんなおそれ多いことはできない。あなたは、貴いお方なのだ。私などが、母と名乗ることなどできる訳がない。
いつか必ず透子姫にお返しする、と固い決意を持っていた私は、頑なにそれに頷くことは無かった。滅多に我が儘を言わない皇子の、悲しげな顔に気付いていたのに。
学校に通われるようになると、どうして『みこ』なんて女の子のような名前を付けたのかと、詰まられた。散々に、からかわれたのだそうだ。綺麗な顔立ちの皇子は、線も細く、私が髪の毛を伸ばさせていたため、女の子に間違われることが多かった。子どもというのは、本当に容赦がない。とても正直で、残酷な生き物だ。
そして私は、名前の説明をすることができなかった。それは名前では無いのだ、と言うわけにはいかない。それを言うことは、あなたには名前が無いのだと、まだ名付けられていないのだと言うことだからだ。
名前の由来を聞いておいで、との宿題が出された時は、本当に難儀した。私の国の言葉で、貴い方と言う意味だ、との苦し紛れの説明を納得のいかない顔で聞いていらした。
その後、私の知らぬうちに、髪の毛を短く、とても短く切ってしまわれた。施設にいつも来てくれる、髪を整える者に、自分でお願いされたのだという。
私も、気付いていたのだ。この国の男の子は、髪を短く整える者が多いことに。けれど、いつか帰るつもりの私には、皇子の髪を短く整えることなどできなかった。正装の時に、髪が結えなければ困ると、切らずにいてもらっていたのだ。
髪の短くなった頭を振った皇子が、嬉しそうに笑った時に、もう帰れないのかもしれない、と思った。
施設の方々は、子ども達を平等に写真に残していたが、私のために特別に、皇子の愛らしい様子を写してくれることがあった。宝物は増えるばかりだ。姫様の元へ帰れる時がきたなら、写真をきっと持ち帰ろうと心に決めた。だから私は、写真を見やすくまとめた冊子をいつも、身に付けている。
お話ができるようになってきた皇子は、私のことを、お母さんと呼んだ。私は必死で否定した。違う、私は母ではない、と。幼い皇子は首を傾げながらも、私を、鞠さんと呼ぶようになったが、少し年齢が上がると、何故お母さんと呼んではいけないのか、と尋ねられるようになった。
「私は、あなたの母ではないのです。」
私は、自国の言葉で説明する。では、母になってほしい、と皇子は、この国の言葉で必死に訴えられた。そんなおそれ多いことはできない。あなたは、貴いお方なのだ。私などが、母と名乗ることなどできる訳がない。
いつか必ず透子姫にお返しする、と固い決意を持っていた私は、頑なにそれに頷くことは無かった。滅多に我が儘を言わない皇子の、悲しげな顔に気付いていたのに。
学校に通われるようになると、どうして『みこ』なんて女の子のような名前を付けたのかと、詰まられた。散々に、からかわれたのだそうだ。綺麗な顔立ちの皇子は、線も細く、私が髪の毛を伸ばさせていたため、女の子に間違われることが多かった。子どもというのは、本当に容赦がない。とても正直で、残酷な生き物だ。
そして私は、名前の説明をすることができなかった。それは名前では無いのだ、と言うわけにはいかない。それを言うことは、あなたには名前が無いのだと、まだ名付けられていないのだと言うことだからだ。
名前の由来を聞いておいで、との宿題が出された時は、本当に難儀した。私の国の言葉で、貴い方と言う意味だ、との苦し紛れの説明を納得のいかない顔で聞いていらした。
その後、私の知らぬうちに、髪の毛を短く、とても短く切ってしまわれた。施設にいつも来てくれる、髪を整える者に、自分でお願いされたのだという。
私も、気付いていたのだ。この国の男の子は、髪を短く整える者が多いことに。けれど、いつか帰るつもりの私には、皇子の髪を短く整えることなどできなかった。正装の時に、髪が結えなければ困ると、切らずにいてもらっていたのだ。
髪の短くなった頭を振った皇子が、嬉しそうに笑った時に、もう帰れないのかもしれない、と思った。
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