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紅葉館の殺人・5
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峰一は二階の書斎らしい部屋にいた。
「お伺いしたいのですが、この煙草を知りませんか?」
そう言って秋朝は、わずかに開いたドアの隙間から、ダイニングの吸い殻の写真を峰一に見せた。
「これ、は」
「ご存知で?」
「……私の吸っている銘柄のものですが、どこに?」
「まあ、ちょっとね」
「盗まれたんだ! 探偵さん、まさか、私を犯人だという証拠だとでも言いませんよね?」
「もちろんですよ。そうそう、それと、下の現場の金槌と鉈は、この家に元々あったものですか?」
「ええ、ああ、そうです。一階の物置部屋に」
「もう一つ。小牧医師を知りませんか」
「部屋に、いませんか」
小牧の部屋を聞くと、玄関正面側の棟の二階の、最もホールに近い部屋と言われた。秋朝と俺は礼を言って、その部屋に向かおうとする。すると。
「探偵さん、やはり、その、DNA検査等をしないといけませんよね」
と、峰一が呟いた。
「ええ、そうでしょうね」
秋朝はそう言って頷き、峰一の部屋のドアを閉めた。なにせ死体があれだから、詳しい検査は必要だろう。
小牧の部屋は、鍵が閉まっていなかった。秋朝がそれを開ける。
中は空だった。
「荷物はあるな」
秋朝が部屋に入っていく。俺は気が引けたので、ドアを開けて中を伺うに留めた。
「飲みかけのペットボトルに、客用スリッパか。コートまである」
「どこに行ったんだろう」
「さてね。逃げたのかもよ」
「本気か?」
秋朝は肩を竦めて、ドアまで戻ってきた。俺が道を開けると、今度は夏目の話を聞きに行くという。
夏目は部屋にいた。秋朝と俺がノックをして閉められたドア越しに名乗ると、わずかに音を立てて、夏目がそのドアを開ける。金髪の丸い頭がわずかに見えた。
秋朝は「そのままで結構です」と前置きをして、
「昨晩、部屋で何か飲んだか食べるかしましたか」
と夏目に訊ねた。
「ええと……、貰ったペットボトルのお水だけですけど」
「朝は目覚められましたか?」
「それが、なんとなく眠りがいつもと違かった感じがして、頭が重くて……」
「寝たのも早い?」
「ええ。探偵さん、何か調べてるんですか」
「いえいえ。最後にもう一つ。煙草は吸いますか?」
「吸ったことないです。もう良いですか」
夏目は苛立ったような表情をして、顔を引っ込めてドアを閉めた。
「秋朝、何か分かりそうか」
「どうかな。警察もそろそろ長い山道を上り終えて辿り着くだろうし、事件現場をもう一度見ておくか」
「なあ、秋朝」
しかし、秋朝は俺の言葉を無視して、また赤い絨毯の廊下を歩いていく。仕方なく、俺はまたその後を追う。
事件現場のダイニングは、やはり血のにおいが強い。それに、死体というあまりにも非現実的なもののせいで、異世界に連れられてきたような感覚にさせられる。
「何を調べるんだ?」
「確認さ。血の付いた灰皿に、血の付いた像。血痕に、椅子に、吸い殻に、踏まれて絨毯に入り込んだ灰。死体……」
秋朝はそう言いながら、顔が潰れた死体に近づき、その頭を凝視する。俺は離れたまま、
「左手は?」
「ある。綺麗なままだ」
「なあ、死体は入れ替わっているのかな」
「つまり?」
「先に見つかった、その清水さんの服装の方が那胡さんで、那胡さんの服装の、左手が切り落とされた方が清水さんってことだよ」
「さてね」
俺は自分が疑問に思っていることを次々口にしていく。
「それに、灰皿と像の、どっちが凶器なんだろう」
「そう。それは極めて重要だ」
秋朝は懐から白い手袋を取り出して装着した。そして死体の髪の毛に指先を差し込んで、中を覗く。
「傷は、と……。打撲の痕に、細長い裂傷。人型の像じゃないよ。灰皿の方だ」
「つまり?」
「つまり、じゃない」
秋朝は手袋を外し顎に手を遣って、黙ってしまった。
静かな中に、時折風の音が聞こえる。
秋朝は絵のように動かなくなった。
呼吸さえしているか分からないほどに、姿勢が固まっていた。
しかし不意に、その左手を下ろす。
「……こんなところかな」
秋朝はそう言ってから、
「逃げよう」
と俺を見た。
「まさか、犯人が分かったのか」
「そんなところだ」
「説明してくれ。死体はどっちがどっちで……、何がなんなんだ? 俺はさっぱり分からないよ」
「疲れているのさ。俺はたまたま探偵で、殺人に少し慣れているというだけでね」
秋朝は表情の無い顔でそう言い、そして両手をスラックスのポケットに突っ込んだ。
「部屋に戻る。警察はいま山を上っている筈だ。いま山を下りれば、途中で会える」
「峰一さんと夏目さんはどうするんだ。小牧さんは?」
「ああ、そうだな」
秋朝は声を落とし、
「夏目は連れていく」
「それじゃあ……?」
そのとき、遠くからサイレンの音が複数聞こえ始めた。すきま風のような音だった。
「なあ、二人を殺したのは、誰なんだ」
俺は小声でそう言いながら、秋朝に詰め寄る。
「ゆっくり話す……。その前に、さっさとずらかるぞ」
秋朝は言うが早いか部屋を駆け出す。
「夏目はまだ部屋か」
「そうだろうけど、どうするんだよ」
「言ってる暇はない。呼んでこい。そしたらお前の荷物だ」
秋朝はそう言って、廊下を駆けていってしまう。俺も廊下に出て駆け出した。秋朝は早くも階段を上っていた。
夏目の部屋のドアをノックすると、また隙間から夏目が顔を覗かせる。
「なんですか?」
「秋朝が、ここから逃げると言っています。準備してください」
「はあ?」
俺だって何を言っているのか分からないが、仕方がないので意味が分からないまはま夏目を急かす。夏目は首を捻って、部屋の中に引っ込んだ。
俺が秋朝と一泊した部屋に戻ると、秋朝は荷物をまとめていた。
俺は、バッグに少ない荷物を詰めながら、また事件のあらましを頭の中で巡らせる。
二つの殺人。
いくつかの違和感。
潰された顔……。
「先にいくぞ」
と、秋朝は自分の荷物を持って、部屋を出ていく。「下のホールにいる」
俺も、それからすぐに荷物を片付け終わって、廊下に出た。するとすぐに、「準備できましたけど」と夏目が現れた。俺と夏目は連れだって階段を下りた。
玄関のホールに出る。
「秋朝、連れてきたぞ」
階段の踊り場から秋朝にそう声をかけると、正面側の廊下に誰か立っているようだった。壁に遮られた死角でよく見えないが、階段を下りるにつれて、少しずつその影がはっきりと見えてくる。それは、箱森峰一だった。
「秋朝さん。警察が来ますよ」峰一は低い声で言う。「どちらへ?」
「この館をどうするつもりか知りませんが、二人の死体は運び出すのですか。それとも、一人だけですか?」
「何をおっしゃっているのですか」
俺と夏目は階段を下り終えて、秋朝の後ろに立った。峰一はその向こう、ダイニング側の廊下に立っている。
「何を、ですか」
秋朝はそう言って腕を組んだ。
それを見た峰一は、
「私が那胡を殺したとは、言いませんよね」
と、秋朝を睨む。
秋朝は首を伸ばすように頭をぐるりと回し、表情のない声で
「言いませんよ」
と言った。
「お伺いしたいのですが、この煙草を知りませんか?」
そう言って秋朝は、わずかに開いたドアの隙間から、ダイニングの吸い殻の写真を峰一に見せた。
「これ、は」
「ご存知で?」
「……私の吸っている銘柄のものですが、どこに?」
「まあ、ちょっとね」
「盗まれたんだ! 探偵さん、まさか、私を犯人だという証拠だとでも言いませんよね?」
「もちろんですよ。そうそう、それと、下の現場の金槌と鉈は、この家に元々あったものですか?」
「ええ、ああ、そうです。一階の物置部屋に」
「もう一つ。小牧医師を知りませんか」
「部屋に、いませんか」
小牧の部屋を聞くと、玄関正面側の棟の二階の、最もホールに近い部屋と言われた。秋朝と俺は礼を言って、その部屋に向かおうとする。すると。
「探偵さん、やはり、その、DNA検査等をしないといけませんよね」
と、峰一が呟いた。
「ええ、そうでしょうね」
秋朝はそう言って頷き、峰一の部屋のドアを閉めた。なにせ死体があれだから、詳しい検査は必要だろう。
小牧の部屋は、鍵が閉まっていなかった。秋朝がそれを開ける。
中は空だった。
「荷物はあるな」
秋朝が部屋に入っていく。俺は気が引けたので、ドアを開けて中を伺うに留めた。
「飲みかけのペットボトルに、客用スリッパか。コートまである」
「どこに行ったんだろう」
「さてね。逃げたのかもよ」
「本気か?」
秋朝は肩を竦めて、ドアまで戻ってきた。俺が道を開けると、今度は夏目の話を聞きに行くという。
夏目は部屋にいた。秋朝と俺がノックをして閉められたドア越しに名乗ると、わずかに音を立てて、夏目がそのドアを開ける。金髪の丸い頭がわずかに見えた。
秋朝は「そのままで結構です」と前置きをして、
「昨晩、部屋で何か飲んだか食べるかしましたか」
と夏目に訊ねた。
「ええと……、貰ったペットボトルのお水だけですけど」
「朝は目覚められましたか?」
「それが、なんとなく眠りがいつもと違かった感じがして、頭が重くて……」
「寝たのも早い?」
「ええ。探偵さん、何か調べてるんですか」
「いえいえ。最後にもう一つ。煙草は吸いますか?」
「吸ったことないです。もう良いですか」
夏目は苛立ったような表情をして、顔を引っ込めてドアを閉めた。
「秋朝、何か分かりそうか」
「どうかな。警察もそろそろ長い山道を上り終えて辿り着くだろうし、事件現場をもう一度見ておくか」
「なあ、秋朝」
しかし、秋朝は俺の言葉を無視して、また赤い絨毯の廊下を歩いていく。仕方なく、俺はまたその後を追う。
事件現場のダイニングは、やはり血のにおいが強い。それに、死体というあまりにも非現実的なもののせいで、異世界に連れられてきたような感覚にさせられる。
「何を調べるんだ?」
「確認さ。血の付いた灰皿に、血の付いた像。血痕に、椅子に、吸い殻に、踏まれて絨毯に入り込んだ灰。死体……」
秋朝はそう言いながら、顔が潰れた死体に近づき、その頭を凝視する。俺は離れたまま、
「左手は?」
「ある。綺麗なままだ」
「なあ、死体は入れ替わっているのかな」
「つまり?」
「先に見つかった、その清水さんの服装の方が那胡さんで、那胡さんの服装の、左手が切り落とされた方が清水さんってことだよ」
「さてね」
俺は自分が疑問に思っていることを次々口にしていく。
「それに、灰皿と像の、どっちが凶器なんだろう」
「そう。それは極めて重要だ」
秋朝は懐から白い手袋を取り出して装着した。そして死体の髪の毛に指先を差し込んで、中を覗く。
「傷は、と……。打撲の痕に、細長い裂傷。人型の像じゃないよ。灰皿の方だ」
「つまり?」
「つまり、じゃない」
秋朝は手袋を外し顎に手を遣って、黙ってしまった。
静かな中に、時折風の音が聞こえる。
秋朝は絵のように動かなくなった。
呼吸さえしているか分からないほどに、姿勢が固まっていた。
しかし不意に、その左手を下ろす。
「……こんなところかな」
秋朝はそう言ってから、
「逃げよう」
と俺を見た。
「まさか、犯人が分かったのか」
「そんなところだ」
「説明してくれ。死体はどっちがどっちで……、何がなんなんだ? 俺はさっぱり分からないよ」
「疲れているのさ。俺はたまたま探偵で、殺人に少し慣れているというだけでね」
秋朝は表情の無い顔でそう言い、そして両手をスラックスのポケットに突っ込んだ。
「部屋に戻る。警察はいま山を上っている筈だ。いま山を下りれば、途中で会える」
「峰一さんと夏目さんはどうするんだ。小牧さんは?」
「ああ、そうだな」
秋朝は声を落とし、
「夏目は連れていく」
「それじゃあ……?」
そのとき、遠くからサイレンの音が複数聞こえ始めた。すきま風のような音だった。
「なあ、二人を殺したのは、誰なんだ」
俺は小声でそう言いながら、秋朝に詰め寄る。
「ゆっくり話す……。その前に、さっさとずらかるぞ」
秋朝は言うが早いか部屋を駆け出す。
「夏目はまだ部屋か」
「そうだろうけど、どうするんだよ」
「言ってる暇はない。呼んでこい。そしたらお前の荷物だ」
秋朝はそう言って、廊下を駆けていってしまう。俺も廊下に出て駆け出した。秋朝は早くも階段を上っていた。
夏目の部屋のドアをノックすると、また隙間から夏目が顔を覗かせる。
「なんですか?」
「秋朝が、ここから逃げると言っています。準備してください」
「はあ?」
俺だって何を言っているのか分からないが、仕方がないので意味が分からないまはま夏目を急かす。夏目は首を捻って、部屋の中に引っ込んだ。
俺が秋朝と一泊した部屋に戻ると、秋朝は荷物をまとめていた。
俺は、バッグに少ない荷物を詰めながら、また事件のあらましを頭の中で巡らせる。
二つの殺人。
いくつかの違和感。
潰された顔……。
「先にいくぞ」
と、秋朝は自分の荷物を持って、部屋を出ていく。「下のホールにいる」
俺も、それからすぐに荷物を片付け終わって、廊下に出た。するとすぐに、「準備できましたけど」と夏目が現れた。俺と夏目は連れだって階段を下りた。
玄関のホールに出る。
「秋朝、連れてきたぞ」
階段の踊り場から秋朝にそう声をかけると、正面側の廊下に誰か立っているようだった。壁に遮られた死角でよく見えないが、階段を下りるにつれて、少しずつその影がはっきりと見えてくる。それは、箱森峰一だった。
「秋朝さん。警察が来ますよ」峰一は低い声で言う。「どちらへ?」
「この館をどうするつもりか知りませんが、二人の死体は運び出すのですか。それとも、一人だけですか?」
「何をおっしゃっているのですか」
俺と夏目は階段を下り終えて、秋朝の後ろに立った。峰一はその向こう、ダイニング側の廊下に立っている。
「何を、ですか」
秋朝はそう言って腕を組んだ。
それを見た峰一は、
「私が那胡を殺したとは、言いませんよね」
と、秋朝を睨む。
秋朝は首を伸ばすように頭をぐるりと回し、表情のない声で
「言いませんよ」
と言った。
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