紅葉館の殺人

朝野鳩

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紅葉館の殺人・6

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「えっ?」
 と声を漏らしたのは、俺だった。
「つまり、どういう……」
「いいか、よく聞けよ。まず考えるのは、死体が入れ替わっているかどうか、だ」
 それは俺も考えていた。
「なぜ工作する必要があったか、か?」
「それが推理の大半だ」
 夏目を見ると、眉根に皺を寄せて首を傾げている。俺は「どういうことなんだよ」と秋朝を急かす。
「そしてそれこそが殺人犯を見つける論理だ」
「誰が犯人なんだ」
「最初の死体は清水の服を着ていた。この死体は清水と那胡、どちらか」
「入れ替わっているのか?」
「なあ、あの部屋には死体の他に何があった?」
「灰皿、灰、吸い殻、椅子、人形の像、石……。こんなところか」
「そう。それで、灰皿が凶器らしい。ならあの像は?」
「凶器……ではないんだな」
「ここで、大切なことがもう一つ。あの死体のスリッパは、ということだ」
 俺は、頭を出来るだけ回して理解を追い付けていた。それを確認したのか、秋朝が言葉を続ける。
「あの死体のスリッパが灰を踏んでいたのに、あの死体が灰皿で殴られたというのは不合理だ。灰は椅子のほぼ真下の位置にあったんだ。順番がおかしい」
「つまり……、なんだ?」
 秋朝は組んだいた腕を解き、その手をスラックスのポケットに突っ込む。
「灰皿から灰がこぼれたのは、位置から言って、テーブルからまっすぐ落としたからだ。誰かがテーブルから落とした。なぜか? 椅子に座っているときに殴られたから。あの像でな。そしてその誰かはひっくり返った灰を踏み、そして……」
 秋朝は一呼吸置き、
「灰皿を拾って、自分を殴ったやつを殴り返した」
「はあ?」
「つまり、。最初に、あの像で殴られたのは、ダイニングで死んでいた人間ではない。あの殺人の犯人だった。返り討ちにあったんだ」
 秋朝は、俺が頷くのを確認し、また、推理を進める。
「あのスリッパを履いて灰を踏んだのはその人間。つまり犯人だ。犯人は、殺人の後で、灰を踏んだスリッパを被害者のスリッパと取り替えた」
「灰がついてないスリッパが必要だったからか? でも、スリッパなら玄関に余っているだろ。そこから取った方が安全じゃないか。殺した人間のスリッパなんて履かなくても」
「あれは客用のスリッパだ。しかし、あれを履けない人間がいる」
「ああ、そうか……」
 俺は額に手を遣って、深く息を吸った。
「そう。那胡は黄色い、客用とは別のスリッパを履いていた……。犯人は、そのスリッパを履かなければならなかった。つまり、第一の殺人の犯人は、第二の殺人の被害者だ。第二の被害者は、殺人後、自分が灰を踏んだスリッパを死体に履かせ、服を取り替え、自分は那胡の服にスリッパで、その場を去った」
「つまり……」
「まあ待て。これで、連続殺人ではないということになった」
 秋朝は、一旦言葉を切った。あたりは静まりかえり、俺は思わず、「それで?」と続きを促した。
「うん。別の角度からも考えてみよう。次に考えるのは、肉体の状態だ」
「顔が潰されていたことか?」
「もっと根元的な話さ。服は取り替えられていた。しかしな、いいか? 。死体を誤認させられるか? 無理だよ。解剖されたら一発だ」
「確かにそうか……」
「そのあたりが、この事件をややこしくしているポイントなんだ。死体の処理のずさんさは、行き当たりばったりのように見える」
「ああ、そうだな。手首なんて、片方しか切り落とされてない」
「これは、さっき言った通り、犯人が二人で、犯行が計画的ではないからだ。だが、死体は入れ替わっている。そう考えなければ不合理だ。二つの死体。そして、その片方は癌に体を蝕まれている」
「秋朝、お前、何を考えてるんだ……」
 俺は、額から汗が流れるのを感じた。秋朝は推理を語り続ける。
。そう考えるしかない。清水の服を着た第一の死体からは癌は見つからない。なぜなら、それは癌患者であると那胡だからだ。死体が那胡であるとするなら、犯人は一人しかいない。入れ替わりの為に那胡の服を着る必要があった、清水だ」
「煙草を吸っていたのは那胡さん?」
「ああ。那胡は清水の前で煙草を吸い、清水を殴り、そして殴り返され死亡した。清水は殺害後に服を取り替え、顔を潰し、火傷痕があると言っていた手袋を外した。左手は綺麗で、火傷痕がある那胡ではないということになるはずだった。峰一さんの吸い殻を盗んだのも清水」
「しかし、手の火傷痕まで嘘だと、すべてひっくり返る」
「そういうことだよ。すべては計画の上だった。那胡は手に火傷痕があると嘘を吐き続けていた。痕のない左手の人間と入れ替わるためだ」
「そんな! もともと那胡さんと清水さんが入れ替わる計画だったっていうのか」
「癌に蝕まれているってのが清水の話だとすると、恐らく清水の死期に合わせたんだろう。清水は死を悟り、那胡と入れ替わる為にここへやってきた。那胡もそれを知っていた。計画通りな。しかし、計画にはなかった殺人が起きてしまう。那胡が清水によって殺されてしまったんだ。そして第二の殺人。これも、当初は計画に無かった」
 そこまで言って秋朝は、一度深く息を吸った。
「これは、傘が取り替えられていたことからすぐに見当はついた」
「傘?」
 傘といえば、玄関の花びらのついていた傘と同じ種類の傘が、裏口に立て掛けられていた。俺はそのことを夏目に説明した。探偵は推理を続ける。
「第一の殺人に傘が登場することはなかった。第二の殺人と関わっているはずだ。恐らく離れで殺人か、そのきっかけが発生した。犯人か被害者は、勢い花瓶に触れてしまい、それをひっくり返した。傘は濡れ、花びらは内側に張り付いた。外側はチェックしただろうが、見落としがあった」
「なぜそれが表にあったんだ?」
「犯人は、傘が花瓶の水で濡れていることに気付かれたくなかったんだ。離れに目を向けられてしまうから。本棟に花瓶はない。いまは断水している。バスルームにでも投げ込みたかっただろうが、それも出来ない。ミネラルウォーターだと少し恣意的過ぎると踏んだんだろう。裏口の傘が良かったんだ」
「しかし実際、傘は両方濡れていた」
「そうなんだ。取り替えられた裏口の傘が濡れているのは、俺たちが到着したときに小雨が降ったから。あのとき、小牧があの傘を差していた。だから濡れていて当然だ。だが犯人にとって、玄関の傘は濡れていないはずだった……。犯人は、このときに雨が降ったこと、あの傘が使われたことを知らなかった人物だから」
「……俺と秋朝と夏目さんは、傘を差した小牧さんに迎え入れられた」
「そう。雨と傘を知り得なかったのは、この四人ではない。残るは三人。清水は被害者。カーテンの閉まっていたあの部屋にいた二人のうち、那胡は死んでいる。残るのは、峰一さん。あなただ」
 峰一は、体を震わせた。緊張しているか、あるいは怒っているようだった。秋朝は言葉を続ける。
「あなたは清水が那胡を殺害し、入れ替わろうとしていることを知った。だからですか? 清水を殺害し、入れ替わりの計画通りに追加の工作と、偽装した」
「しかし、それで、その計画は、なぜ立案されたんだ。なぜ清水と那胡さんは入れ替わることになった?」
「恐らく、峰一さんの言ったことがヒントになっている」
「言ったことって?」
「死体が二つ見つかったあと、峰一さんはDNAの検査をしようと言っていた。清水と、那胡と峰一さんが計画を進めていたのなら、これくらいは誤魔化せる。最初から清水の髪の毛を那胡のものだと言って提出すればいいんだ。しかし、ほかにも検査できることがあるだろ」
「DNAで分かること?……ああ、そうか!」
「何が分かったか知らないが……、DNA検査で分かることと言えば?」
「親子関係だ!」
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