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第一章 大領地の守り子
52王都へ旅立ちます
しおりを挟む空気が澄んで気持ちがいい夏の暮れ。今日の屋敷は、家族もわたくしも、使用人も朝から一段と慌ただしく動き回っています。
その中で一番忙しいのは、わたくしの専属の侍女であるラマでしょう。自ら指揮をとって、屋敷で働くものたちをビシバシと動かし、わたくしの荷物の運び出しや、部屋の片付け作業をどんどん進めていました。
__それもそのはず。今日はわたくしが念願の騎士学校に向かう日なのですから!
今はもうひと段落したところで、あとは玄関ホールに荷物を集められた荷物を、馬車に積むだけ、という最終段階です。大切なものは荷物にしまってしまったため、ものが少なくがらんとした自室の窓から、表にある玄関を見ると、もうそこにはわたくしが乗車する王都行きの馬車が用意されているのが見えました。わたくしは急いでそちらに駆け出します。あくまで淑女らしさは失わないスピードでですが。
玄関前に着くと、そこで荷物の最終チェックしていたラマが、いつも以上にキリッとした表情でわたくしに確認してきます。
「お嬢様荷物はこれでお揃いですか?」
「はい全部揃っております。ラマも準備はよろしいですか?」
「はい、もちろん恙なく準備できておりますよ。わたくしは中央へ向かうのは初めてなのでちょっと緊張しておりますが……」
そうなのです! 騎士学校は各生徒一人、従者を伴うことが可能なのですが、わたくしにはなんと専属侍女であるラマがついてきてくれることになったのです。
正直、自分勝手に騎士になることを決めてしまったので、誰もわたくしについてきてくれる事はないだろうなぁとちょっと思っていたのですが、ラマがついてきてくれるならとても心強く思います。
ラマは「お嬢様は四六時中見張っていないと突拍子もないことをしますから、目を離している方が不安でたまらないのです」と言っていましたけれど……、事実なので甘んじて受け入れようと思います。あまりそういう事はしないように自分でも注意しているのですが。
そうそう、昨日までヨーナスお兄様がいらして、学院に入るまでの指導を直々にしてくださったのですよ!
魔甲冑の着方や注文していた制服の受け渡し、学校の規則など……。ヨーナスお兄様がいなかったらわからないことが多かったでしょう。学校に入った後だと、女性の先輩は少ないと聞いていますし、初対面の異性には聞きにくいことが多かったですから、在学生であるヨーナスお兄様に聞けて本当に助かりました。
他にもお母様と魔法陣の刺繍を服や下着の至る所に仕込んだり、お父様と剣筋の矯正をしたりと、最近は準備で、ずっと慌ただしく過ごしておりました。
これでわたくしは騎士学校に行けるのですね。はあ……。本当に夢みたいです……。
準備の一つ一つが新鮮で楽しく感じられました。お洋服を鞄に詰める時だってウキウキです。望んでいたことが叶っていく感じがしてわたくしはとても幸せでした。
馬車が止まった玄関前に着くと屋敷の使用人の協力もあり、どんどん手際よく荷物を馬車に積まれていきます。あとはわたくしとラマを残すだけです。
ついにこの屋敷を出ることができるのですね。わたくしは屋敷を見上げるように見つめます。ここまでの道のりは本当に長かったです。お父様に反対された時はもう無理かと思いましたけど、ヨーナスお兄様の協力を得て、先生に出会い、魔剣を取得し、やっとこの家を出る許可を得ることができたのです。今までのことを思い返すと感慨深くてなんだか涙が出そうになります。
物思いに耽りながらぼーっと、高く広がる夏の空を見つめていると、彼方向こうの雲間から何かがきらりと輝いたのが見えました。なんだろう、とそちらを見ると何かがこちらに飛んできます。まさか敵襲? そう思い身構えますが、それは蝶の姿を模した魔法陣でした。
……あ、先生が使うお手紙の魔法陣だわ。
わたくしは蝶が掌に止まるように受け止めます。すると蝶は形を変え、二つ折りの長方形の手紙に姿を変えました。
わたくしは開いて中身を確認します。
あれ? この手紙、魔法陣しか書いていない……。
そう思った瞬間、魔法陣の文字が一つずつ光っていきます。だんだん光は強くなっていき、え⁉︎ と驚いたのも束の間、わたくしはあまりに強い光に目が眩んでしまいます。目を庇うのに一生懸命になりすぎて、手紙から手を話してしまい、手紙はひらひらと地面に落ちてしまいました。
するとボンッと大きな音を立てて土埃が舞い上がり、手紙があった場所から人影が現れます。何事かと、周りにいたみんなも警戒態勢をとっていますがわたくしはその姿を見て涙ぐんでしまいました。
「先生……」
「やあ、リジェット。今日は天気も良くて、綺麗な青空だ。旅立ちの日にぴったりだね」
そこから現れたのは紛れもなく先生でした。
「来てくれるなんて思ってもいませんでした」
「最後の授業の日にいろいろ渡せればよかったんだけど、準備がいろいろと間に合わなくてね。
やっぱり今日見送りにいかなければと思って。
……これから君に接触をするのも、準備を整えるまでは難しくなるからね」
そうか。この家を出れば、わたくしは先生との接点がほとんどなくなってしまうのですね。
分かってはいたつもりですが、自分の荷物を馬車に積んで、今日旅立ちの準備をしてこの場に立っていることで、急にリアルに実感が湧いてきたようです。
……もう、先生につきっきりで魔術を教えてもらうことも、きっとないでしょう。
寂しいことだけど、わたくしの騎士になる夢に一歩近づいたという、喜ばしいことでもあります。
わたくしは瞳にほんの少しだけ、滲み出てしまった、水分を体内に引っ込め、先生と向き合います。
「先生、今日という日を迎えられたのは先生のおかげです。……本当にありがとうございました」
改めて先生にお礼したくて、わたくしは一言ずつ丁寧に感謝を言葉にします。ご令嬢らしい、綺麗なお辞儀を先生に向けます。
「いや、そんなにかしこまらなくて良いんだよ。リジェットと関わっていると楽しいことがたくさんあって、暇だなあと思うことも少なかったしね。
また、楽しそうなことがあったら巻き込まれに行くから王都でも、気軽に呼んで」
先生は茶目っ気たっぷりに片目をつぶります。わたくしに気を負わせないためでしょう。
先生は本当に優しいんだから、と嬉しくなってしまいます。
わたくしたちが感動のシーンを迎え、視線を交わし合っていました。が、その光景はすぐにお父様のけたたましい声で、掻き消されました。
「いや、ク、クゥール様!?
今どうやってこちらまでいらっしゃったのですか!?」
今、それを聞くところでしょうか?
もう、今とっても良い雰囲気だったのにぶち壊しじゃないですか!? お父様!
「どう、って先生のことだから、先ほど飛ばしてきた手紙の魔法陣内部に、転移の魔法陣を組み込んでいたのではありませんか?
きっと手紙のどこかに血液でも仕込んでおいて、わたくしが手紙を開いた瞬間に、転移が発動するような仕組みになっていたのでしょう?」
「リジェットにはお見通しだね。大体そんな感じだよ。
でも僕、痛いの嫌いだから、血液じゃなくて髪の毛使ったけどね。指先くらいの長さのね」
む。わたくしは髪の毛を使う、という考えはありませんでしたね。なるほど。血液ですと量をうまくコントロールできませんし、目の前に魔獣がいた場合などは、血液が止まらないと面倒なことになりますからね。その考え、頂きます!
「先生、今回の魔法陣はお手紙の魔法陣と転移の魔法陣を二重にしたのですか?」
「いや、紙の裏表を使っただけだよ。転移を内側にして外側に小さく手紙の魔法陣を描いて、蝶形にして……。ってね」
「なるほど!それならわたくしにも作れそうですね!
勉強になりますわ!」
わたくしたちがあんまりにも飄々と魔法陣の構造について話し合っていたので、お父様は唖然とした顔になっています。それから、考えこむような表情を見せ、次第に苦しげな表情に変化させていきます。
「……とんでもない魔法陣を作ってくれたな。
それを使えばどこにだって行き放題ではないか……」
「まあ!本当ですわ!
ではこれから騎士学校に入っても、先生のところに魔法陣を習いに行けるではないですか!」
「うん。そうだね。
僕も君がおもしろいことをしたら王都まで見に行こうと思っているんだ」
先生はニコニコとしながら「どんな問題起こすのかなあ?」と歌うように呟きます。
……わたくしが起こす問題に対してそんなに楽しそうにするのは先生くらいなものですよ?
「何か困ったことがあったら、すぐに連絡しなさい。
あと、いくつか僕が描いた魔法陣を渡しておこう。
君は使うことができなくても、誰かと交渉する際に材料になるはずだ。
君の騎士学校生活が実りあるものになることを心から願っているよ」
そう言った先生はわたくしに分厚い、皮でできた封筒を手渡します。中を開けなくとも、手に持った感触で多くの魔法陣が入っているのがわかり、先生の心遣いに涙が溢れそうでした。
王都に行っても先生がついていると思うと、とても心強くなります。
わたくしが騎士になることを諦めろ、と言われてから今日まで、先生には本当にお世話になりっぱなしでした。
きっと先生がいなかったら、今日という日を迎えるとはできなかったでしょう。
今度、先生に会った時には特等のお礼をしなければなりませんね。
中央で何か先生の暇潰しになるような情報や、新しい魔法陣が見つかるといいのですが……。何かあればすぐにお送りしましょう。
ただ本当は、この屋敷を立つ前にわたくしの髪に何故、先生の色が混ざってしまったのか……。それを伺いたかったのですが、今聞くのはあまりにも野暮でしょう。
心当たりはあるのです。以前会った色盗みの女という宝石売りの魔術師__スミの髪色は、まるで様々な色を重ねたような、黒に近い灰色をしていたのです。
それはまるで、盗んだ色を自分に落としているようにわたくしの目には写りました。
わたくしが、先生の色を盗んだ……のでしょうか。そうなると、わたくしは色盗みの能力がある、ということになってしまいます。わたくしはスミに会った後、色盗みの女自体について少し調べてみました。
色盗みは、国で保護される特定魔術です。色盗みの女は国に身柄を守ってもらえると言えば聞こえがいいかもしれませんが、その実態は飼い殺しに近いものがあるそうです。
色盗みの能力があるということを明かすことは、騎士になりたいと願うわたくしの夢を奪うでしょう。
気を張って、誰にもこれをバレないようにしなければ……。
「王都に着いたらへデリーに連絡しなさい」
「え? ヘデリーお兄様は今地方にいるのではなかったのですか?」
「お前が王都に行くと言うことを聞いて、いてもたってもいられなかったようでな。王都の配属に無理やり戻ったらしい」
お兄様……。本当にやったのですね。
またアンドレイ様に無理を言ったのでしょう。心労で体調を崩すアンドレイ様の顔が思い浮かぶようです。わたくしたち兄妹に巻き込まれて、本当に申し訳ない。
「リジェット。お前は強くなった。騎士としてふさわしい資質を持ち、この家から騎士学校へ向かうものとしてふさわしい質の人間だと思う。昔の私ならそのことに気が付けなかったが、今の私ならそれがわかる。あちらでも精一杯励みなさい」
低くよく響く声がわたくしの耳に届きます。
「お父様……」
お父様がわたくしのことを認めてくださっていたなんて……。いただけると思っていなかった、嬉しいお言葉に胸が熱くなります。
「行ってらっしゃい、リジェット。オルブライト家に恥じぬ、素晴らしい王家の剣になりなさい」
「はい! 行ってまいります!」
明日からは、夢に見た騎士学校生活。どんなことが学べるだろう。期待に胸が高鳴ります。
女性が騎士になるということは、単純に考えて大変な ことだと思う。きっと様々な困難があるだろう。
でも、わたくしは何事にも絶対に負けません。何がなんでも騎士になってやるのです!
それに中央に中央にいけば、またあの日あった、騎士志望の男の子に会えるかもしれません。
これからのわたくしにはどんなことが起こるのでしょうか。きっと今までにない体験がたくさんできるに違いありません!
わたくしは期待を胸に王都への馬車に乗り込みました。
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