風紀委員長は心配性

めっちゃ抹茶

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風紀委員長は心配性

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「野菜が全然ないじゃないかっ! ほら、俺の手作り弁当を分けてあげるから食べるといい」

 ズイッと差し出された弁当は、食べて食べてと訴えるように彩りも良く美味しそうではある。
 だが食欲のない輝彦は、それを手で押さえて元の場所に戻した。
 戻された弁当を呆然と見る風紀委員長。

 なぜか彼はここ数日、こうして輝彦の元にやって来る。それは朝から始まり、登校しよう玄関を開けて「気持ちの良い朝だね!」と目の前に彼がいた時は思わず扉を閉めて見なかったことにした。
 だが何度開けても目の前に彼はいたし、相変わらず眩しい笑顔で微笑んでいた。

 登校時間が迫り、仕方なく家から出ても彼は半歩ほど下がった状態で着いてきては、まるでエスコートするように道路側を歩いていた。
 なのに輝彦の気持ちは慮ってはくれず、誰かに絡まれたり脅されたり付き纏われたりはしていないかと次々に聞いてきたものだから、輝彦は思わず「お前だよ!」と言いたくなったのも仕方がないだろう。

「ぼーっとしてどうしたんだい? もしや熱がっ、」

 そんなことを思い出していた輝彦は目の前に迫った顔に驚き、咄嗟に腕を突き出した。
 突き飛ばされた風紀委員長は尻餅をつき、急な衝撃に耐えきれなかった椅子がガタガタと大きな音を立てる。
 輝彦は顔を青くして、床に座り込んでいる彼に手を差し出した。

「ぇ、あ、ごめんっ、ちょっと驚いて……」
「……いや、俺の方こそすまない。君はこういった接触を苦手とすることを知っていたのに」

 手を取り立ち上がった風紀委員長は苦悶の表情をしている。大方、あの日のことでも思い出しているんだろうと輝彦はあたりをつけた。

 急な親の離婚で双方が親権を持つ事を拒否した両親により父方の祖父母に預けられることになった輝彦は、高校三年生の初夏頃という遅い時期に転校することを余儀なくされた。
 ——そこで初めて登校した初日に、鳴宮という校内一の不良に絡まれたのだ。

 転校してきた初日、広い校内で輝彦は職員室の場所がわからず迷子になっていた。
 授業中なのか誰ともすれ違わず途方に暮れていた時、輝彦に声をかける人物がいた。

「んー? 見ねぇ顔だな。転校して来るってやつはお前か? なかなか可愛い顔してんじゃん。おい、ちょっとツラ貸せよ。なぁにすぐに終わるからさ」

 幼い頃から人よりも身長が低く、成長期を迎えても女子と同じくらいしか伸びなかった輝彦は、親譲りのぱっちりとした二重の大きな目に小ぶりの鼻。そして手入れをしなくても艶々と色づくぷるんとした唇という、男にしてはあまりにも幼く、可愛らしい容姿のせいで幾度となく変な人やチャラい人に絡まれてきた。
 その度に両親が雇ったボディガードに守ってもらえていたが、離婚して家族ではなくなった輝彦を守ってくれる人はもうどこにもいない。
 手のかかる輝彦に愛想を尽かして両親は離れていったのかもしれないなと、両親を離婚にまで追い詰めたのは自分かもしれないと輝彦は罪悪感に駆られた。

 輝彦よりも頭ひとつ分以上高い身長に睨まれ、輝彦は俯き身を守るように腕で体を守りながら、か細い声で訴えた。

「じゅ、授業に、遅れますから、ど、退いてくださぃ……」
「授業なんて、俺が出ると思うか?」

 問われて思わず不良の方を見てしまった。
 まず初めに目に付くのは、金髪に染められた派手な髪。あまり頻繁には染めないのか根本の方は黒く、地毛が見えている。後ろに流すようにオールバックにした髪型は、強面ながら良く整った顔立ちの彼にとても似合っていた。
 そして次に目に付いたのは、バチバチに開けられたいくつものピアス。色は黒一色で統一されており、耳朶に二つ、耳の外側に嵌めるように付けられたものがこれもまた彼によく似合っていた。
 さらに言えば、そのどちらも校則違反であった。

 制服も着崩しており、シャツの首元が締められていないのはもちろん、鍛え上げられた胸元が見えるほどボタンは留められていない。その上から羽織るブレザーも見当たらず、一見して生徒とは思えない風貌をしていた。

 視線を行ったり来たりさせる輝彦に、ニヤリと笑った不良は、顎に手をかけ、輝彦の耳元に口を寄せた。

「惚れたか?」
「……てないです」
「残念だなァ。俺は案外一途だぜ? 惚れた日にゃ、ぜってー幸せにしてやるってのによ。なぁこんな時期に転校してきてワケアリってやつだろ? ほら、俺に言ってみろよ」

 甘く低い声で囁かれ恐怖からか輝彦は背筋をぶるりと震わせた。
 震えて体を強く抱きしめる輝彦に構わず腰を抱き寄せた不良は、輝彦の顎を再び掴み、顔を上げさせると徐々に顔を近づけ——

(キ、キスされるっ)

 と輝彦が目を強く瞑り身構えたその時、廊下に響き渡る鋭い声がした。

「そこで何をしているッ!」

 唇が触れ合う寸前で掛けられた声に、不良が舌打ちをしながら渋々輝彦の身体を離した。

「そこで、何をしていたのかと、聞いてるんだ!」

 急に現れた男子生徒の腕には、風紀委員長と書かれた腕輪が付けられている。
 憤怒の表情でズカズカと近付いてきた彼は、輝彦を守るように不良の前に立つ。

「彼は嫌がっているように見えたぞ。これを強姦と言うんじゃないのか」
「そう見えたならお前の目は節穴だな。それともなにか? セックスもしてないのに口付けしようとしただけで風紀委員長サマは俺を警察にでも突き出すつもりか?」
「セッ、セックスなどと、学び舎でふしだらなことをするんじゃないっ!」
「アハっ、童貞くんには刺激が強すぎたかなァ? でも真っ赤になって、いかにも興味ありますって顔してるの、気づいてる?」
「なっ、!」

 プルプルと羞恥心で耳まで赤くなった風紀委員長は握り込んだ拳を振り上げようとしたが、相手の思う壺だとすぐに下ろすと深呼吸をして怒りを鎮めようと試みた。
 不良は風紀委員長が落ち着きを取り戻したのを見るや否や、つまらないと吐き捨ててその場を去っていった。

「そ、その、すまない! 醜いところを見せた。ところで君はあいつに何かされなかっただろうか。まさか間に合わなかったとか……」

 振り向いた風紀委員長に首を横に振ると、ホッとしたように彼は表情を緩めた。
 そして差し出した手を不思議そうに見ている輝彦ににっこりと微笑みかけた。

「君は今日転校してきた佐藤輝彦くんだな。俺は同じクラスの大和武尊だ。風紀委員長という大役を仰せつかっているが、気軽にたけるでも、タケでも、好きに呼んでくれ」

 なぜか苗字で呼ぶという選択を与えなかった風紀委員長だと言う彼は眼鏡をかけており、いかにも真面目そうな雰囲気だ。不良の彼とは違ってキッチリ制服を着ている。真っ黒な髪は真ん中で左右に分けられて根本が立ち上がっており、横に緩く流されていてオシャレに見える。全部横に流すか七三分けじゃないのかと輝彦は意外に思った。

 顔立ちも不良の彼と遜色のないほど整っている。その正義感の強そうな性格がなければ女子にモテそうである。
 瞬きをしたまま動かない輝彦に何を思ったのか、差し出した手を見つめて困ったように笑った。

「す、すまない。怖い思いをしたばかりだと言うのに、身体に不用意に触れるようなことをしてしまった。……気を取り直して、職員室の場所はわかるか? 実は担任からもし迷っていたら連れてきて欲しいと頼まれているんだ」

 彼が自分を責めたように笑う姿が、両親を離婚に追い詰めた自分と重なる。
 思わずといった様子で、輝彦は歩き出した彼の手を掴んだ。驚きに目を見張る彼の目を真っ直ぐに見て、輝彦は思ったことを口にした。

「に、苦手だけど、僕を待ってくれた委員長くんは嫌じゃないよ! え、えと。恥ずかしい話だけど迷子になっちゃってて……よかったら職員室まで案内して欲しいな」

 自然と見上げる形になった輝彦の瞳はうるうると潤み、恥ずかしさで頬はほんのり染まっている。
 校風でもある制服は少し大きかったのかぶかぶかで、袖は意図せず萌え袖になり、掴まれた大和の手までもが余った袖に隠れて見えなくなっている。
 見えないと意識した途端、手から伝わる彼の男なのに骨ばっていない柔らかな感触と暖かな温もりが研ぎ澄まされた神経を駆け巡った。
 心臓がドキドキと高鳴り、彼の顔を真っ直ぐに見れなくなる。眼鏡を何度も直しながら、大和は煩い心臓を落ち着けることに必死だった。




 と、そこまで思い出して、大和は顔を赤くさせた。

「えっ、やっぱり怪我させちゃったよね……。昼休みもう終わっちゃうけど保健室に行こう、委員長くん」

 小さな身体を動かして心配そうに怪我の箇所を確かめようとする輝彦に、大和は改めて野蛮なあいつやその他から輝彦を守る決意を固めた。

「いや、大して怪我はしていないから心配ない。それよりも、俺は君の方が心配だ」

 大和よりも頭ひとつ分は低い身長。ただでさえ女子にも引けを取らないほど可愛らしいのに、不用意に触れようとした自分を怒らずに心配すらしてしまう優しさまで兼ね備えている。
 あまつさえ、養護教諭の不在で二人きりになりやすい保健室に風紀委員長とはいえ自分を連れて行こうとするなど、心配にもなる。
 さらには、華奢な身体は食べ盛りで栄養を欲しているはずなのに、おにぎりひとつで昼食を終えようなどと、到底看過できるものではなかった。

 聞けば彼はその容姿のせいで、幼い頃から誘拐や路地裏に連れ込まれるなどの怖い思いをしていると言うではないか。
 校内には、輝彦をやらしい目で見るあいつもいる、目を話した隙に好き勝手された輝彦を想像するだけで大和は胸を潰されたように痛んだ。

「普段からその食事の量なのか? 少食だとしても、もう少し食べた方が……」
「うん、ちょっと引っ越したばかりで忙しくて……」

 視線を彷徨わせる輝彦にそう言われてしまえばあまり強く言うこともできず、大和は押し黙るしかなかった。

「む、そうか。困ったらなんでも言うといい。俺が助けになってやる」
「ありがとう。気持ちだけ、受け取っておくよ」

 初めて出会った時と違い、素直に頼ろうとせず困ったように笑うその壁がどうしても越えられない壁に感じ、口を開こうとしてかける言葉が見つからなかった。
 その時、教室に響く忌々しい声がした。風紀委員である大和の天敵である鳴宮龍。昔から正義のヒーローよりも悪役の方がかっこいいと、大和とは意見が合わずに幾度も衝突してきた幼馴染である。制服を着崩し、校則違反である髪染めやピアスを平気でやってのける不良だ。これで成績は大和といつも一位の座を争っているから、大和はこいつの事が気に食わず、平たく言うなら嫌いである。

 それに何かとモテる鳴宮は、時と場所を選ばない。
 風紀委員として校内の見回りの最中に誰もいない空き教室に男も女も関係なく連れ込んでいる場面に遭遇するのも一度や二度じゃない。
 それでいて何かと大和を揶揄ってくるのだ。
 取り乱す大和を見て可笑しそうに笑うあいつの顔を思い出すだけで腑が煮え繰り返る。

「武ちゃ~ん、もうそいつが気に入った? 輝ちゃんも、俺、めっちゃ良い物持って来たんだけど一緒に食べるでしょ?」

 自分の教室じゃないのに遠慮もなく入って来た鳴宮は、輝彦の目の前にコンビニの袋を掲げた。
 輝彦が何かを言おうとする前に、直ぐさま大和が割って入る。

「何勝手に人の教室に入って来ているんだ! それに今彼はあまり食欲が————」
「ア? 野菜食わせようとするお前とは違って俺は甘やかしたいタイプなの。ほい、だからコレ」

 ガサガサとビニール袋の中に手を突っ込み、何かを取り出して輝彦の手に乗せた。
 目の前で繰り広げられていたやり取りに困ったように眉を下げていた輝彦は、手の中にある物を見て目を輝かせた。

「こ、コレっ、一日十個しか売っていない超プレミアムの高級プリン!」
「そう、しかも毎日必ず売ってるわけじゃないから手に入れるのが困難な…………って、輝ちゃん食べたい?」

 両手で大事そうにプリンを眺めていた輝彦が、輝ちゃんと呼ぶ鳴宮を期待の眼差しで見上げた。大きな瞳は黒曜石を彷彿とさせ、その瞳はきゅるりと潤んでいる。期待に胸が高まったのか頬はピンク色に紅潮し、小さなぷるんとした唇は少し開きかけている。
 その姿にクラスにいる全員が息を呑む。コクリと喉を動かしたのは誰だったのか。輝彦から視線が固定されたまま動かない鳴宮がプリンを持つ輝彦の両手を下から掬い上げるように包み込んだ。

「んじゃあさ…………俺と付き合っ、」
「自分の教室へと戻れーーーー!!」

 大きな声を張り上げた大和が、ぜぇぜぇと肩で息をする。
 一瞬にして機嫌が急降下した鳴宮が言葉を遮った大和をギロリと睨み上げる。

「てめーはなんでいつもそう俺の邪魔ばかりするんだ? ア"ァ"!?」
「風紀委員長として、学校全体の風紀を乱すような行為は見過ごせないだけだ」

 輝彦の前に躍り出た大和が、腕を組みながら言う。
 それをピクリと眉を跳ね上げた鳴宮が聞き捨てならないとばかりに反論した。

「俺たち高校生の青春さえ取り上げるつもりか? 風紀委員長だからって調子乗ってっと潰すぞ」

 声のトーンをグッと下げた鳴宮に、大和はその場で固まっていた輝彦が怯えるように身をすくめるのを視界の端で捉える。

「その威圧を抑えろ。彼が可哀想だ」

 顔色を青くして震える顔面蒼白な輝彦に鳴宮はグッと押し黙ると、側にあった机の上にプリンの入った袋を置いて教室から出て行った。
 去り際、小さく「わりぃ」と呟くのが聞こえた輝彦は、俯いていた顔を上げてその大きな背中をじっと見ていた。

 やがて昼休みの終わるチャイムが鳴り、騒然とした教室はいつもの空気を取り戻した。




 下校の時も心配して送り届けてくれる彼のおかげで輝彦は平穏な日々を少しずつ取り戻していた。
 そんな中、迎えた夏の体育祭。
 運動音痴の輝彦は一つは出場しなければいけないクラス対抗競技のうち、一番迷惑が掛からなさそうな借り物競争を選んだ。

 スタートダッシュのピストルが響き渡る。
 五十メートル先の机に置かれた白い箱の中に手を突っ込み、適当に一枚引き抜いて紙を開いた。

『一番頼りになる人』

 なんていうお題だと、輝彦は頭を抱えた。
 頼りになる人を考えようにも、すぐには思いつかない。

 転校してきたその日にクラスの男女から黄色い悲鳴を上げられている輝彦を見ても担任の教師は肩をすくめただけだったし、他の教師も担当じゃないからと他の生徒に話しかけられて困っていても見なかったようにスルーされた。
 
 ボディガードがまだいた時に守ってくれていた男性はここにはいないし、輝彦を預かることになった祖父母は社長を務める会社が繁忙期で忙しいらしく、どれだけ探しても観覧席にはいない。

(あ、いた……かも)

 なにも大人じゃなくてもいいんじゃないかと思ったその時、一人の男子生徒が思い浮かんだ。
 過保護な程に、いつも輝彦を気に掛けてくれる存在。それはまさしく、輝彦が初めは疎ましがっていた風紀委員長だった。
 だがそれも見方を変えれば、彼は本気で心配して言ってくれていると気が付いてからは、その気遣いに輝彦はくすぐったい気持ちを覚えるようになっていた。

 そうと決まれば、と輝彦は彼が居そうな場所に目星をつけて探した。
 風紀委員長の彼はこの体育祭で応援団長としてクラスの士気を高めている。その大きな声が聞こえる方向に目を向ければ、すぐに彼は見つかった。

「委員長くん、ちょっと来て欲しい」

 輝彦は善は急げとばかりに、困惑する彼の腕を引いてゴールを早足で目指した。

「お題を確認します」

 体育委員の一人が輝彦の持つ紙を広げた。

「頼りになる人、ですね。確かに風紀委員長の彼はとても頼りになるでしょう。合格です。では、一着の旗を」

 そう言って渡された旗を持ち、二人で行く事と指定された場所まで歩こうとして腕を取られた。
 腕を掴んだままだった風紀委員長が、その場で固まっていたのだ。

「委員長くん? ごめんね、借り物競争が終わるまで付き合って欲しい」
「つ、つつつ、付き合っ、わ、わかっている、わかっているとも」
「……本当に大丈夫?」

 コクコクと頷く彼の動きはとてもぎこちない。錆びついた鉄のように、ガチガチに固まって柔軟性を失っている。
 応援団長として声を大きく張り上げていた彼からは想像もつかないほどとても静かだ。
 炎天下の中、学ランをずっと着て大声を張っていた彼からは汗がいくつも滴り落ちている。頬は心なしか赤く染まり、首元まで真っ赤になっていた。

「委員長くん、これは何本に見える?」

 ふらふらと彷徨っていた彼の視線が顔の高さまで上げた手元に注がれる。
 その指はピースの形をつくり、答えは当然2本になるはずなのだが——

「か、かわいい。佐藤くんが砂糖みたいに甘そうで、かわいい」

 ぽう、と頬を紅潮させて目を蕩けさせた彼が、ふらふらと頼りない足取りで輝彦に近付いて、ピースのポーズで固まっている輝彦を抱きしめた。

「え、あ、えっ!? ちょっ、委員長!?」
「だ、誰かー! 風紀委員長の彼を運べる人を連れて来てください!」
「っ、おい! てめーなに輝に抱きついてんだ離れろっ!」

 輝彦にしがみつきながらズルズルと落ちていく彼に焦ったように声を掛ける体育委員に、場は騒然となった。




 保健室に教師の手を借りて運び込んだ後、輝彦はその場に残り養護教諭と一緒に彼の手当てをした。
 ベッドの一角で目を閉じて眠る彼を、輝彦は不思議な気持ちで眺める。

 自分の容姿がコンプレックスで、誰かと深く付き合うことに恐れがあった。
 小学生の頃、仲良く遊んでいた隣の家の男の子に誘われて彼の家に遊びに行ったことがあった。その時は放課後も一緒に遊べることが嬉しくて、何の疑問も持たずに手を繋がれるまま彼の家に入った。だが、部屋に着いた瞬間、自分よりも幾分か大きな身体にのし掛かられていた。

『なあ、知ってるか。おれの精通、おまえなんだよ。ちんこをこうやって擦ると気持ちいいんだぜ』

 無理やり下げられたズボンの中に手を突っ込まれ、自分以外の手が触れそうだという時に丁度飲み物を運びに来た彼の母親に助けられたが、その時から輝彦は出来る限り誰とも友達にならないように——距離を置いて接してきた。
 誰かから情欲を含んだ目を向けられる度、無理やり襲われそうになった時のことがフラッシュバックして怖かった。

 だが、そんな輝彦の積み上げられたガードを飛び越えて入り込んできたのが、目の前で眠る彼だった。
 度々あれからも不良の彼——鳴宮といってクラスは隣だった——が教室にやって来ては輝彦を呼び出そうとすると、彼は輝彦を背に隠して守ってくれた。
 それに彼は純粋に心配な気持ちから何かと輝彦の世話を焼きたがり、何か少しでも顔色がすぐれなければ一言断りを入れてから慎重に輝彦の額に手を触れた。
 そんな気遣いをされたのは初めてで、ずっと見つめられても不愉快に思ったことはなかった。
 だから『頼りになる人』というお題に、彼が思い浮かんだのかもしれない。

(良い人……なんだよなぁ。それに格好よくて、誰からも頼りにされてる)

 風紀委員長の彼が教師や生徒から頼み事をされているところをよく見かけた。
 にこやかになんでも頷いて引き受けてしまう彼がその用事で輝彦の元を離れようとした時は胸がちくりと痛んだ。

(僕の委員長なのに……って)

 心配されて、心が甘えているのかもしれない。
 このままではいけないと、輝彦はその場を離れようとした。
 が、それを阻む者がいた。

「委員長くん……」
「そのままでいい。聞いてくれないか」

 天井を見つめ、掠れた声が二人きりの保健室にぽつりと影を落とす。リレーを開始するピストルの音が、遠くから聞こえた。
 もうすぐ、体育祭も終わる。

「あいつに絡まれていた君を見て、見過ごせないと思った。怖がりで、あまり人と話さない君が、ひどくもどかしいと思っていた。どうにか普通に過ごして欲しくて、君を守るヒーローになったつもりでいた。でも俺は、本当は、俺とだけ話してくれる事に、愉悦を感じていたんだ」

 鼻を啜りながら話す彼が掴んだ腕が、ひどく、熱い。
 断りもなく掴まれても、不愉快に思う気持ちはちっとも湧いてこなかった。

「初めて見た時から、可愛いと思っていたんだ。それを無防備でどこか危なげのある君を守りたい親心と思い込んでいたんだ。君を安全な場所へ導くはずの俺が、一番君に近付いてはいけなかったんだ。あいつと同じだった。君を邪な目で見るあいつと——」
「違うッ!」

 するりと力を抜いた腕が離れていく。
 ぱたりと力なくシーツの上に転がった手を、輝彦は力一杯掴んだ。そうしないと、彼が離れていきそうで、その方がよっぽど怖かった。

「ちがう、ぜんぜん違うよっ。嫌じゃないって、僕言った! 本当に……いやじゃないんだ」

 心臓がバクバクとうるさい。興奮で言っている言葉の意味さえもよくわからないまま、輝彦は精一杯の想いを伝えた。
 友達もずっといなかった輝彦は、自分の気持ちを言葉にするのが苦手だ。上手い言い方なんて思いつかない。思ったままを言葉にするしか、輝彦は手段を持っていなかった。
 だから彼が離れていくのが嫌な輝彦は、それを阻止しようと真っ直ぐに彼の目を見つめた。

「こうされても……嫌じゃない?」

 掴んでいた手をゆっくりと、その形を確かめるように彼は握り返す。
 指の間に彼の細く長い、それでいて意外と骨ばった指が入り込み、指先を曲げて少しだけ力を込めた。
 恋人繋ぎになった手から彼の少し高い体温が伝わり、輝彦をそわそわと落ち着かない気持ちにさせる。
 でもやっぱり嫌ではなくて。輝彦は首を横に振った。

「それじゃあ……これは?」
「い、いやじゃ、ない、よ」

 手を繋いだまま起き上がった彼が、手を少し引っ張り、輝彦は体制を崩してベッドに乗り上げる形で膝をつく。
 そして彼の端正な顔が徐々に近づくと、体温を測るようにおでこをくっつけた。
 いつにも増して近い距離に、輝彦の鼓動は早くなる。恋をしたように目を潤ませ、頬を赤く染めた。

 彼の喉が一瞬、ごくりと音を鳴らした。

「キス、…………しても、いい?」

 互いの呼吸が聞こえるほど近くにいる。繋がった手が温度を持ち始め、熱いくらいに汗ばんでいる。
 
 ぶわりと赤くなった輝彦が、ゆっくりと首を動かした。

 眼鏡を外しゆっくりと傾けられる彼の顔に、輝彦は目を瞑って少し上を向いた。ぎゅっと繋がった手に力が入る。
 途端に触れる、ふにっとした柔らかな感触。ほんの一瞬だけ触れた唇から、はっ、と息が溢れた。

「ははっ、やばい。俺のファーストキス、好きな子にあげちゃったな」

 すうっと目を細めて嬉しそうに笑う彼に、輝彦の心臓が破裂しそうなほどに膨れ上がる。
 この気持ちを言い表す言葉が、今、見つかった。

「僕の初めても、好きな人にあげちゃった、みたい」
「ああっ! 嬉しくて、今から走り回りたい気分だ!」

 そう言って元気よくベッドから降りようとする彼を必死に押し留めた。甘い雰囲気に耐えきれなくなったのはわかる。でも炎天下の中運ばれたのだから、あまり無茶はしないでほしかった。

「ダメだよ。熱中症で倒れたんだから、安静にしていなきゃ」
「む、君がそういうなら、大人しくしておこう」

 渋々ベッドに戻った彼は、相変わらず繋がったままの手を所在なさげに力を込めては緩める……といった手遊びを繰り返している。
 だが決して離れないその手に、輝彦は嬉しくなって自然と笑みが溢れた。

 その様子を見ていた彼が、ふと思いついたように話しかける。

「なぜ君はいつも俺を、委員長くん、と呼ぶんだ?」
「…………名前を呼んだら、仲良くしたくなるから」
「……そうか。だが、これからはこ、恋人っ、に、なるのだから、名前で呼んではくれないか?」

 名前で呼び合うよりも先に進んだ事をさっきしたのに、耳まで赤くさせて吃りながらお願いをする彼に、輝彦はむっ、と口を尖らせた。

「そういう委員長くんだって、君って呼んでるじゃないか」
「そう言われると……そうだな。あ、別に名前を覚えていないわけじゃないからな! なんかこう、昔からの癖でつい……」

 慌てる彼に可笑しくなり、くすりと笑みが溢れる。
 それは輝彦にとって、心の底から久しぶりに笑った瞬間だった。

「わかってるよ。恋人、だもんね。これからもよろしくね、武尊」
「そうだろうとも! 俺の恋人になった輝彦を、これからも蜜に群がる虫を蹴散らしてやるから安心してくれ!」
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