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4 冷たい指先
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カチリ。
その小さな音が、僕の心臓を直接掴んだような気がした。
寝室のドアの外。朔さんが去っていった後に響いた、静かすぎる施錠の音。
僕は震える手でシーツを握りしめた。まさか。いくら吹雪で外が危ないからといって、大の大人がルームメイトを部屋に閉じ込めるなんて、そんなことがあるはずがない。
(……スマホ。スマホを探さなきゃ)
全身の節々が、先ほどまでの激しい行為の余韻で悲鳴を上げている。けれど、僕は必死に体を起こし、ベッドから這い出した。
床に散らばったパジャマを急いで拾い上げる。引きちぎられたボタンが、虚しくフローリングを転がった。
朔さんはキッチンでお粥を作っている。その隙に、彼は「充電している」と言ったスマホを見つけ出さなければならない。
僕は足音を忍ばせ、寝室のドアノブに手をかけた。……動かない。
やはり、外から鍵がかけられていた。
「……っ、どうして」
喉の奥が震える。
僕は翻訳家だ。言葉の裏にある意図を読み解くのが仕事だ。
朔さんの「優しさ」の裏にあるのは、保護ではない。これは、明らかに「管理」だ。
僕は部屋の中を必死に見渡した。この部屋に、僕のスマホがあるはずがない。彼はきっと、僕の知らない場所に隠したんだ。
ふと、クローゼットの隅に置かれた、朔さんの仕事用のカバンが目に留まった。
普段なら、他人の持ち物を勝手に見るなんて絶対にしない。けれど、今の僕を突き動かしているのは、逃げ場を失った動物のような本能だった。
膝をつき、カバンのジッパーをゆっくりと下ろす。
中にはノートパソコンと、数本のケーブル。そして、その奥に——。
「……これ」
見つけたのは、僕のスマートフォンではなかった。
それは、一冊の古いスクラップブックだった。
ページをめくる指が止まらない。
そこには、僕が海外で暮らしていた頃のSNSの投稿をプリントアウトしたものや、図書館での採用が決まった時の地域広報誌の切り抜きが、病的なまでに整然と貼り付けられていた。
中には、僕が帰国して最初に立ち寄った不動産屋の前で、隠し撮りされたような写真まであった。
『ちょうど、ルームシェアの相手を探している方がいまして』
あの不動産屋の言葉が脳裏に蘇る。
偶然じゃない。僕がこのマンションを選んだのも、朔さんと出会ったのも、すべては彼が書き上げた筋書き通りだったんだ。
シトラスの香りが、急に吐き気を催すほど濃く感じられた。
彼が僕のために用意してくれたこの部屋は、安らぎの場所なんかじゃない。
十数年前、雪山で僕を助けてくれた「あーくん」は、僕が知らない間に、これほどまでに歪んだ執着を育てていたのか。
その時、廊下から規則正しい足音が近づいてきた。
「澪? お粥ができたよ。……開けてもいいかな?」
ドア越しに聞こえる朔さんの声は、どこまでも穏やかで、慈愛に満ちていた。
僕は急いでスクラップブックをカバンに戻し、シーツの中に潜り込んだ。心臓の音がうるさすぎて、彼に聞こえてしまうのではないかと怖かった。
ガチャリ、と鍵が開く音がして、部屋に光が差し込んだ。
盆を手に持った朔さんが、ゆっくりとベッド脇に座った。
「顔色が悪いね。まだ熱があるのかな」
彼は冷たい指先で、僕の頬を撫でた。
その指先が、首筋に残る噛み跡に触れる。
僕は、逃げ出したくなる衝動を必死に抑えて、彼に微笑み返すしかなかった。
「……ありがとうございます、朔さん」
嘘をつく僕の唇を、彼は愛おしそうに親指でなぞった。
窓の外、雪はさらに深く、世界との境界線を消し去っていく。
僕は確信していた。この雪が溶けるまで、僕はここから一歩も出られないのだと。
その小さな音が、僕の心臓を直接掴んだような気がした。
寝室のドアの外。朔さんが去っていった後に響いた、静かすぎる施錠の音。
僕は震える手でシーツを握りしめた。まさか。いくら吹雪で外が危ないからといって、大の大人がルームメイトを部屋に閉じ込めるなんて、そんなことがあるはずがない。
(……スマホ。スマホを探さなきゃ)
全身の節々が、先ほどまでの激しい行為の余韻で悲鳴を上げている。けれど、僕は必死に体を起こし、ベッドから這い出した。
床に散らばったパジャマを急いで拾い上げる。引きちぎられたボタンが、虚しくフローリングを転がった。
朔さんはキッチンでお粥を作っている。その隙に、彼は「充電している」と言ったスマホを見つけ出さなければならない。
僕は足音を忍ばせ、寝室のドアノブに手をかけた。……動かない。
やはり、外から鍵がかけられていた。
「……っ、どうして」
喉の奥が震える。
僕は翻訳家だ。言葉の裏にある意図を読み解くのが仕事だ。
朔さんの「優しさ」の裏にあるのは、保護ではない。これは、明らかに「管理」だ。
僕は部屋の中を必死に見渡した。この部屋に、僕のスマホがあるはずがない。彼はきっと、僕の知らない場所に隠したんだ。
ふと、クローゼットの隅に置かれた、朔さんの仕事用のカバンが目に留まった。
普段なら、他人の持ち物を勝手に見るなんて絶対にしない。けれど、今の僕を突き動かしているのは、逃げ場を失った動物のような本能だった。
膝をつき、カバンのジッパーをゆっくりと下ろす。
中にはノートパソコンと、数本のケーブル。そして、その奥に——。
「……これ」
見つけたのは、僕のスマートフォンではなかった。
それは、一冊の古いスクラップブックだった。
ページをめくる指が止まらない。
そこには、僕が海外で暮らしていた頃のSNSの投稿をプリントアウトしたものや、図書館での採用が決まった時の地域広報誌の切り抜きが、病的なまでに整然と貼り付けられていた。
中には、僕が帰国して最初に立ち寄った不動産屋の前で、隠し撮りされたような写真まであった。
『ちょうど、ルームシェアの相手を探している方がいまして』
あの不動産屋の言葉が脳裏に蘇る。
偶然じゃない。僕がこのマンションを選んだのも、朔さんと出会ったのも、すべては彼が書き上げた筋書き通りだったんだ。
シトラスの香りが、急に吐き気を催すほど濃く感じられた。
彼が僕のために用意してくれたこの部屋は、安らぎの場所なんかじゃない。
十数年前、雪山で僕を助けてくれた「あーくん」は、僕が知らない間に、これほどまでに歪んだ執着を育てていたのか。
その時、廊下から規則正しい足音が近づいてきた。
「澪? お粥ができたよ。……開けてもいいかな?」
ドア越しに聞こえる朔さんの声は、どこまでも穏やかで、慈愛に満ちていた。
僕は急いでスクラップブックをカバンに戻し、シーツの中に潜り込んだ。心臓の音がうるさすぎて、彼に聞こえてしまうのではないかと怖かった。
ガチャリ、と鍵が開く音がして、部屋に光が差し込んだ。
盆を手に持った朔さんが、ゆっくりとベッド脇に座った。
「顔色が悪いね。まだ熱があるのかな」
彼は冷たい指先で、僕の頬を撫でた。
その指先が、首筋に残る噛み跡に触れる。
僕は、逃げ出したくなる衝動を必死に抑えて、彼に微笑み返すしかなかった。
「……ありがとうございます、朔さん」
嘘をつく僕の唇を、彼は愛おしそうに親指でなぞった。
窓の外、雪はさらに深く、世界との境界線を消し去っていく。
僕は確信していた。この雪が溶けるまで、僕はここから一歩も出られないのだと。
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