藍色の冬、シトラスの檻

そらいろ

文字の大きさ
5 / 9

4 冷たい指先

しおりを挟む
​ カチリ。
 その小さな音が、僕の心臓を直接掴んだような気がした。
​ 寝室のドアの外。朔さんが去っていった後に響いた、静かすぎる施錠の音。
 僕は震える手でシーツを握りしめた。まさか。いくら吹雪で外が危ないからといって、大の大人がルームメイトを部屋に閉じ込めるなんて、そんなことがあるはずがない。
​(……スマホ。スマホを探さなきゃ)
​ 全身の節々が、先ほどまでの激しい行為の余韻で悲鳴を上げている。けれど、僕は必死に体を起こし、ベッドから這い出した。
 床に散らばったパジャマを急いで拾い上げる。引きちぎられたボタンが、虚しくフローリングを転がった。
​ 朔さんはキッチンでお粥を作っている。その隙に、彼は「充電している」と言ったスマホを見つけ出さなければならない。
 僕は足音を忍ばせ、寝室のドアノブに手をかけた。……動かない。
 やはり、外から鍵がかけられていた。
​「……っ、どうして」
​ 喉の奥が震える。
 僕は翻訳家だ。言葉の裏にある意図を読み解くのが仕事だ。
 朔さんの「優しさ」の裏にあるのは、保護ではない。これは、明らかに「管理」だ。
​ 僕は部屋の中を必死に見渡した。この部屋に、僕のスマホがあるはずがない。彼はきっと、僕の知らない場所に隠したんだ。
 ふと、クローゼットの隅に置かれた、朔さんの仕事用のカバンが目に留まった。
 普段なら、他人の持ち物を勝手に見るなんて絶対にしない。けれど、今の僕を突き動かしているのは、逃げ場を失った動物のような本能だった。
​ 膝をつき、カバンのジッパーをゆっくりと下ろす。
 中にはノートパソコンと、数本のケーブル。そして、その奥に——。
​「……これ」
​ 見つけたのは、僕のスマートフォンではなかった。
 それは、一冊の古いスクラップブックだった。
​ ページをめくる指が止まらない。
 そこには、僕が海外で暮らしていた頃のSNSの投稿をプリントアウトしたものや、図書館での採用が決まった時の地域広報誌の切り抜きが、病的なまでに整然と貼り付けられていた。
 中には、僕が帰国して最初に立ち寄った不動産屋の前で、隠し撮りされたような写真まであった。
​『ちょうど、ルームシェアの相手を探している方がいまして』
​ あの不動産屋の言葉が脳裏に蘇る。
 偶然じゃない。僕がこのマンションを選んだのも、朔さんと出会ったのも、すべては彼が書き上げた筋書き通りだったんだ。
​ シトラスの香りが、急に吐き気を催すほど濃く感じられた。
 彼が僕のために用意してくれたこの部屋は、安らぎの場所なんかじゃない。
 十数年前、雪山で僕を助けてくれた「あーくん」は、僕が知らない間に、これほどまでに歪んだ執着を育てていたのか。
​ その時、廊下から規則正しい足音が近づいてきた。
​「澪? お粥ができたよ。……開けてもいいかな?」
​ ドア越しに聞こえる朔さんの声は、どこまでも穏やかで、慈愛に満ちていた。
 僕は急いでスクラップブックをカバンに戻し、シーツの中に潜り込んだ。心臓の音がうるさすぎて、彼に聞こえてしまうのではないかと怖かった。
​ ガチャリ、と鍵が開く音がして、部屋に光が差し込んだ。
 盆を手に持った朔さんが、ゆっくりとベッド脇に座った。
​「顔色が悪いね。まだ熱があるのかな」
​ 彼は冷たい指先で、僕の頬を撫でた。
 その指先が、首筋に残る噛み跡に触れる。
 僕は、逃げ出したくなる衝動を必死に抑えて、彼に微笑み返すしかなかった。
​「……ありがとうございます、朔さん」
​ 嘘をつく僕の唇を、彼は愛おしそうに親指でなぞった。
 窓の外、雪はさらに深く、世界との境界線を消し去っていく。
 僕は確信していた。この雪が溶けるまで、僕はここから一歩も出られないのだと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

チョコのように蕩ける露出狂と5歳児

ミクリ21
BL
露出狂と5歳児の話。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

仕方なく配信してただけなのに恋人にお仕置される話

カイン
BL
ドSなお仕置をされる配信者のお話

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

処理中です...