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1章「今日も今日とて、大好きです」
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しおりを挟むそして絵を描くこと自体に、なにかどうしようもないうしろめたさを抱いている。
胸を張れるほどの実力と経歴を持ち合わせながら、彼はそれをいっさいひけらかさないばかりか、己の栄光に露ほども興味がないのだ。
どうして、とずっと疑問に思っていた。
でも、そこにはきっと先輩しか知らない事情があるのだろう。私の『ただの後輩』という立ち位置では、なかなかその繊細な部分まで立ち入ることは難しい。
「生意気かもしれませんけど、さっきの言葉。絵を描くことしかない、じゃないですからね。できることがあるってすごく特別なことなんですよ、先輩」
「……だとして、君はどうなの」
「え?」
「君も絵を描く人でしょ」
まあたしかに、私も生粋の絵描きだ。ユイ先輩には及ばずとも、絵に関しては並々ならぬ思いがある。特別、と言えば、きっと自分にも当てはまるのだろう。
だが、そこは明確に違う。私と先輩では、はなから比べることはできない。
「私は絵を描くこと自体に、そこまでこだわってないんです」
「……?」
「絵を描くのは──描いていたのは。その先に希望があったからでした。だけどこの希望はもう、仮に私が絵を描けなくなったとしても続くものになったので」
だから本当は、もう絵を描く理由すらない。美術部で唯一と言ってもいいほど真面目に活動していた身としては、たとえ口が滑っても明かせないけれど。
「そういえば先輩。遅ればせながら、今年も金賞おめでとうございます」
ひょいっと立ち上がってユイ先輩と向き合うように振り返ると、唐突な話の転換に先輩は面食らっているようだった。それでも構わず続ける。
「コンクール五年連続金賞ってもう神さまの域ですよね。さすがです」
「……君だって銀賞だったじゃない」
思いがけない返しに、私はえっと大きく目を瞠った。
「先輩、私が銀賞獲ったこと気づいたんですか」
「? そりゃ気づくでしょ。部員の功績くらい、さすがの俺もチェックするよ」
へえ、と心の奥底がそわそわと浮き足立つ。だって、他人への興味が皆無に等しい先輩が、まさか気づいてくれるなんて思っていなかった。
「ふふ」
「……嬉しそうだね?」
「嬉しいですよ。たぶん、ここ数年でいちばん」
一歩、二歩、三歩と足を踏み出して、風雅な桜の大樹を見上げる。
樹齢百年記念で数年前にここへ植え替えられた桜は、きっと他のどの桜よりも空に近い場所にいるのだろう。
天に花を咲かせる薄紅を脳裏に焼きつけながら、私は「先輩」と呼んだ。
「なに?」
「ユイ先輩」
「……聞こえてるって」
私にとって、誰よりも大切な人。
さきほどまでまったく吹いていなかった風が、私と先輩を隔てるように流れていく。いつも通り。久方ぶりでも、変わらない日常。
けれど、きっとそう遠くないうちに終わりを迎える『当たり前』。
爽やかに凪いだ髪が潤みかけた視界を泳ぐなか、私は誤魔化すように微笑んだ。
「今日も今日とて、大好きです」
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