《蒼眼のトライブ Last Testament(ラスト・テスタメント)》

ケリーエヴァンス

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第14話 その名はまだ明かされず

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城の敷地内でも、ひときわ静けさの漂う渡り廊下。
石造りの柱の影に、ひとつだけやわらかな気配が差し込んでいた。

「……あなたと、こうして言葉を交わすのは初めてね」

不意に聞こえた声に、フェイは立ち止まり、そちらに振り向いた。
月明かりの下に立っていたのは、第三騎士団副団長──レーナ・ファン・ルナ。

風に揺れる銀髪と、深い群青の瞳が、夜の静寂にまぎれるように溶け込んでいた。

「レーナさん、ですよね。こちらこそ。お噂は色々と……」

「ふふ、“噂”って、どんなふうに?」

「綺麗で優しくて、でも目が怖いって」

「……後半、誰が言ったのか気になるわね」

ふわりと微笑むレーナは、どこか懐かしげにフェイを見ていた。
だがそのまなざしの奥には、読み切れない“距離感”があった。

「クレア団長から、あなたの話は何度か聞いてるの。けれど、実際に見ると……想像より、柔らかい印象ね」

「そうかな? だいぶ胡散臭いって言われるけど」

「……ええ、だから逆に油断ならない、とも」

笑い混じりの言葉だったが、レーナの声音には、ごくわずかに警戒と観察が混じっていた。
けれどフェイはそれを受け流すように、柔らかく笑って見せた。

「クレアさん、俺のことをどこまで話したのか……まあ、あの人らしい判断ってことで」

「ええ。だから私は“信じて見極める”ことにしたの。……それが、私のやり方」

しばしの沈黙が落ちる。夜風が通り抜ける音だけが、ふたりの間にそっと流れていった。

やがて、レーナが歩き出す。

「……中庭で風に当たってから戻るわ。あなたも、あまり遅くまで起きていると体に悪いわよ?」

「お互いさまじゃないかな」

肩をすくめるフェイの横を、レーナはすれ違いざまに一言、囁くように言った。

「……でも、ありがとう。彼女を助けてくれて」

それは、誰かに聞かせるためではなく、ただ“伝えるため”の言葉だった。

フェイはそれに答えず、ただ背を向けたまま小さく手を振る。
その仕草にレーナは少しだけ目を細めて、静かに中庭へと歩を進めていった。

---

中庭の静寂を、風が少しだけ揺らしていた。
星の光が淡く降り注ぎ、石畳の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。

エヴァはベンチに腰掛け、手元の紙束を眺めながら小さく息を吐いた。

「……明日からの任務。行き先も不明確、相手も未確定。しかも、詳細は随行者に聞け……って」

そこまで言って、自分で呆れたように眉をしかめた。

「普通、そんなの任務って言わないと思うんですけど……」

「悩んでるようね」

その声にエヴァが顔を上げると、木陰から現れたのは、銀糸のような髪を夜風にたなびかせた女性――レーナ・ファン・ルナ。
帝都第三騎士団副団長。月明かりに照らされたその姿は、静謐そのもので、どこか現実離れした美しさを纏っていた。

「副団長……」

「少し、付き合ってもいい?」

「はい、もちろんです」

レーナはふわりと微笑み、エヴァの隣に腰を下ろした。
香り立つような沈黙の中で、彼女は柔らかく言葉を紡ぐ。

「……帰ってきてからのこと、聞いたわ。何も言わずに、すぐ次の任務につくっていうから、少し心配してた」

「……大丈夫です。私は平気ですから」

「うん。でも、ちょっと無理してるようにも見える」

レーナはエヴァの横顔を見つめ、少し目を細めた。

「ねえ、あの人のこと……嫌い?」

「……フェイ、ですか?」

エヴァは少し驚いたように眉を上げたが、すぐに視線を紙束に落とした。

「嫌いじゃないです。ただ……掴みどころがなくて。あの軽い感じ、ちょっと苦手です」

「ふふ、そうね。あれは、なかなか理解されにくいわよね」

レーナは微笑んで、空を仰いだ。

「でも、あの人は“敵じゃない”。それは、はっきり言える。少なくとも私にとっては、信頼できる“味方”よ」

「副団長は……フェイのこと、どこまでご存じなんですか?」

「私自身が直接何かを知ってるわけじゃないの。ただ――うちの団長、クレア・ノクスは、彼について昔からよく知ってるみたい。あの人が“本物”だと言ったのは、私が聞いた限りじゃフェイだけ」

「本物、ですか……」

エヴァは静かに呟いた。

「それでも、すべてを見通す必要はないわ。任務は任務。あなたは自分の目と心で、必要なものを見極めればいい。それで十分よ」

「……はい」

エヴァは小さく頷いた。少しだけ肩の力が抜けたようにも見える。

「よかった。じゃあ、約束ね。今回の任務が終わったら、一度お茶でもしましょう。話したいこと、きっとたくさんあるでしょう?」

エヴァは思わず、小さく笑った。

「……はい。たぶん、そうですね」

レーナは満足げにうなずき、そっと立ち上がる。
銀髪が風に揺れ、彼女の背中を月がやさしく照らした。

「おやすみ、エヴァ。明日から、頑張って」

「おやすみなさい、副団長」

月が雲間から姿をのぞかせ、星のきらめきとともに中庭を照らしていた。
その光は、まるで誰かの背をそっと押すように、柔らかく、そして確かにそこにあった。

***

宿舎の小さな個室に、夜の静寂が重くのしかかる。
エヴァは机に置かれた羊皮紙の束を開き、ペン先をゆっくりと滑らす。そこには今回の任務概要と使者からの通達が書かれていた。ただ、「同行者あり」「詳細は現地にて」――という不透明な補足だけが記されている。

剣帯を固く締め直し、古い記録ファイルをぱらりと開く。
思い出すのは、昔の失敗――護衛対象を逃がしてしまった夜の森。そのときの記録者が残した一行が胸に突き刺さる:

“守るということの重さを、軽んじてはならない。”

指先が震えそうになり、ページをそっと閉じる。

深く息を吸い、まっすぐ前を見据える。
「これはただの任務じゃない」──胸の奥で、覚悟が静かに炙り出された。
窓外の遠い光を見やり、エヴァは剣を握り締めた。

***

帝都から遠く離れた丘陵地帯の洞窟。その奥深く、石造りの床には不穏な亀裂が走り、ほの暗い灯火が揺れている。
黒いフードを被った四人が、古代ルーン文字を刻む儀式の準備を進めていた。

「……兆しが強まっているようだな」
長いローブの裾を引きずりながら、ひとりが呟く。
「封印はゆっくりと、だが確実に緩んでおる。来たる時のために、我らは動かねばならぬ」
別の者が応え、祭壇脇の結晶をそっと持ち上げた。内側で黒い光がうねり、床の亀裂がその光ります。

限りなく澱んだ空気の中に、囁くような声が響いた――
「すべては順調だ。あとは、奴らが歩み出すのを待つのみだ……」

ローブの者たちは顔を上げず、冷たい笑みだけが揺らめく。
外の世界では、知られざる“復活”への歯車が音もなく回り始めた。

***

その夜を経て、帝都の夜明け前。
宿舎の外部専用室で、フェイは穏やかな寝息を立てていた。
一方、エヴァは自室で剣帯を解き、書棚に任務資料をそっと斜めに戻す。引き出しを軽く閉じ、深く息を吐きながら眠りについた。

朝が来た。窓から差し込む柔らかな朝陽に、埃が淡く舞う。
エヴァは剣を帯び、騎士団員の制服の上から軽い外套を羽織る。
目にも留まらぬ速さで身支度を整え、宿舎の扉を静かに押した。
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