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日替わり自動販売機

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自動販売機の数が増えている。

前野ミリンがそのことに気づいたのは、まったくの偶然だった。





火曜日の夜、帰宅途中のミリンは少し寄り道をしていた。
普段使っている道からは少し外れてしまうが、地図上は駅から自宅までの一直線上にあるラーメン屋に立ち寄った。

目的は、店の外に設置された自動販売機にあるチャーシューだ。
ミリンはラーメン店のチャーシューが好きだった。

スーパーで買えるチャーシューではダメなのだ。

トロトロとして味が良くしみた肉の塊を口に入れたときの幸福感。
これはラーメン店のチャーシューじゃなければ味わえない。

ミリン本人にも何故なのかはわからないが、彼女はチャーシューに強く惹かれるたちだった。
店でラーメンを食べるときは、チャーシューを大事に取っておくタイプである。

チャーシュー麺には心惹かれるのだが、通常のラーメンと比べて値段がお高いため、注文を諦めることが常だった。

ふとしたきっかけで、ミリンは自動販売機でチャーシューを購入できることを知った。
しかも自宅から徒歩圏内にあるラーメン店でだ。

さっそく購入した彼女は、冷凍とはいえそのチャーシューの美味しさに感動し、たまに購入するようになった。





前回購入してから半年は経っているだろうか。
仕事のストレスのせいか急にチャーシュー麺を貪り食いたい衝動に駆られたため、ミリンは寄り道することにしたのだ。
その道中、彼女はとある自動販売機の台数が増えていることに気づく。


増えていたのは、件のラーメン店の自動販売機ではない。
駅からラーメン店に行くまでの間にある、コインパーキングの入り口脇にある自動販売機だ。



普段ならば自動販売機のことなど気にも留めないが、ミリンがその自動販売機を覚えていたのは理由があった。




20時を過ぎても蒸し暑さが残る夏のある日のこと。
帰宅途中のミリンは猛烈に喉が渇いていた。

オフィスを出る時点で手持ちのペットボトルは既に空だったが、もう帰るだけだったし、その時点ではさほど喉は渇いていなかった。
電車に乗って1時間が経つ頃、徐々に喉の渇きを覚えるようになってきた。

家に帰るだけだからと、駅のホームの自動販売機では購入しなかった。
しかし、駅から自宅までは徒歩で15分かかる。

歩いているうちに我慢できなくなってきた。

そこでふと、ラーメン店にはチャーシューの販売機とは別の、飲み物だけの自動販売機があることを思いだし、自然と足がそちらに向いた。


自動販売機でお茶を買おう。
そう思いながら歩いていると、コインパーキングの前に自動販売機があることに気づいた。
『おお、これは天の助け!』と思いながら近づいて、ミリンはガッカリした。

自動販売機にはコーラしかなかったのだ。

夫なら喜んだかもしれないが、ミリンは喉が渇いてるときはお茶か水を飲みたいタイプだ。
ガッカリしてその場を去ったミリンは、結局ラーメン店の自動販売機でお茶を買い、飲みながら帰った。




そんな些細なエピソードがあったため、ミリンは『コインパーキングの前にはコーラしかない自動販売機がある』と認識していた。




「えー、いつの間に増えたんだろ」


近づいてみると、左には前回見たコーラだけの自販機。そしてその右隣にはお茶、水、ジュースなどがあるがあった。


「もうちょっと早くこっちの自販機を置いて欲しかったなぁ…」


人通りが少ないのを良いことに、ミリンはぼやいた。
増えているからといって自動販売機に用があるわけではないので、ミリンはその場を通り過ぎた。









翌日、水曜日。
ミリンは二日連続で帰宅途中に寄り道をしていた。

なぜなら昨夜はチャーシューが売り切れていたため、購入できなかったからだ。
チャーシューを食べたい欲がさらに高まってしまったため、ミリンはラーメン店の自動販売機を目指して歩いていた。


コインパーキングの前を通過する際、自動販売機に目が行った。


(…え?)


チラリと見た後、違和感を覚えたミリンは自動販売機に顔ごと向けた。
二度見したミリンの目に飛び込んできたのは、3台並んだ自動販売機だった。



(ふっ、増えてるっ!?)



コーラオンリーの販売機、通常の自動販売機が並び、さらにその右隣に細い自動販売機が設置されていた。
細い自動販売機は、上下の2段あわせて8種類の飲み物が買えるタイプになっている。
お茶、水、スポーツドリンクといった定番だけが並んでいる。



(昨日は見落とした…ってことはさすがにないはず…。細いとはいっても真ん中のやつとは完全に別物だし…。2つが一緒に見えちゃったとは思えない)



とはいえ、昨夜のミリンは自動販売機のことを注意して見たわけじゃない。
見落としていた可能性はある。


もしかしたら今日、細い自動販売機が新しく設置されたのかもしれない。


(昨日の今日で増えるもんなの…? いや、でも自動販売機が設置されるタイミングなんて知らないし…。たまたま増える前後で私が通りかかっただけなんかな…)



やや納得いかないが、可能性はゼロではない。
首をかしげながら、ミリンはその場を離れた。




まあ、チャーシューは無事に購入できたので良しとしよう。







自動販売機増加事件から4日後。
日曜日の昼過ぎ、買い物途中のミリンはのんびりと自転車を漕いでいた。

衣料品店でストッキングを買い、ホームセンターで養生テープと換気扇のフィルターを購入したので、次は駅前にあるスーパーで今日と明日の分の夕飯の材料を買いに行くところだった。


近所の自転車屋で一目惚れして買ったお気に入りの愛車をシャカシャカ漕ぐのは楽しい。
駅の駐輪場は有料なので通勤時はいつも徒歩にしており、自転車に乗れるのは土日くらいだった。

ミリンはご機嫌で自転車を漕いでいた。



「ふんふふ~ん…。――うぇっほぉっ!?」


ご機嫌だったミリンは奇声を上げて自転車を急停止させた。
コインパーキングの入り口を、驚きの表情で見ている。


(え、減ってる!? 1台しかないんだけどっ!?)


コインパーキングの入り口には、1台の自動販売機があった。


(しかも中身が水だけっ!?)


3段ある自動販売機の商品は、すべてペットボトルの水だけになっていた。
ぞっとした。


「えっ、怖っ…」


晴天の暖かい日だというのに、寒気がする。
この場に長く留まっていたくない。

ミリンは自動販売機から顔を背け、自転車を漕ぎ出した。








「あ、それ知ってる」


帰宅後、ホラー映画好きな夫に自動販売機のことを話したところ、夫の第一声がこれだった。


「し、知ってんの…?」
「その自販機ってたぶんあれだよ、のやつ」
「日替わり…」
「うん。バイク通勤になってその道通らなくなったから忘れてたけど、俺が小学生の頃には既にあったはずだよ。学校の怪談とかが流行ってた時期だったし、友達と『お化け自販機』とか呼んでさ。放課後にわざわざ自販機まで行って『悪霊退散!』とか叫んで遊んでた覚えがあるなぁ」



怪奇現象に出くわして焦っていたが、懐かしそうに昔を思い出して笑う夫を見て、恐怖が薄らいでいく。
夫が小学生ということは、20年以上前からあったということだ。



「…日替わりで自販機の台数も増えるってこと…?」
「そうそう。確か…月曜日にリセットされて、火水で1台ずつ増えて、木金土日が1種類しか商品がないとかだったはず」
「へ…へぇ…」



(日替わりランチじゃないんだから…。しかも台数を増やしたりって手間かけるのはどうなの…)



「…それって、飲料会社のイベントとか、自販機のオーナー? の意向的なもんで、日替わりで台数と中身を替えてるとかなのかな?」

「いや、。コインパーキングのオーナーも自販機についての苦情を言われることがあって困ってるって、親父に聞いたことがある」

「え…」
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