平和な怪奇現象が起きる町

しがついつか

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塀の上の猫

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平日20時過ぎ。
仕事は定時で上がったものの、混雑している電車で吊革につかまり揺られること1時間。

最寄り駅に到着する頃にはくたくたになっていた。


(これだから通勤時間が長いのは嫌なんだよなぁ…)



独身時代に住んでいたところと比べると、通勤時間は30分ほど延びている。
乗車時間はもちろんのこと、自宅から駅までの徒歩にかかる時間も長くなった。

そのことに多少の不満があるものの、ミリンの通勤時間を考慮して家を選ぼうとすると、今度は夫の通勤時間が延びることになってしまう。
ミリンの夫はバイク通勤をしている。暑い日も寒い日も雨の日も風が強い日も雪の日であっても、バイクで通勤するのだ。
雪の日などは特に『滑って転んだりしないだろうか?』と非常に心配になってしまう。

住居を決める際、夫は『この地域までだったらなんとか行けると思う』と、当時の二人の住居の中間を提案してくれたが、結局はぼーっと電車に乗ってるだけで済むミリンが夫に合わせることにした。


(まあ、実家から通うよりはマシか)


新入社員時代は、自宅から会社まで片道2時間かけて通勤していたのだ。
それに比べればどうってことない――とミリンは日々、自分に言い聞かせている。






(あー、お腹すいた…。…あそこの角曲がったら食べよーっと)


駅の側にあるスーパーで夕飯と明日の弁当のおかずになる惣菜を購入した。
その中には最近お気に入りのささみのフライドチキン1パックが含まれている。

30歳を超えて羞恥心が薄れてきたことに加え、仕事のストレス発散という名目の元、ミリンは人通りが少ないのを良いことに、帰宅途中の薄暗い夜道で惣菜をつまみ食いするようになっていた。

とりわけ人通りが少ない住宅街の一本道で、今日もいつも通りささみのフライドチキンを一本取り出すとかぶりついた。


(うまーい)


お行儀の悪いことをしているのはわかっている。
だが、やめられない止まらない。




「みゃー…」
「ん?」


可愛らしい猫の鳴き声がした。
声のした方に目を向けると、ミリンの前方――道路の反対側の生け垣の下から、一匹の猫が這い出てきた所だった。
猫はその場で立ち止まると、ミリンの方を向いてもう一度鳴いた。


「あら、猫ちゃん」


ミリンは猫がわりと好きである。
触れあったことはあまりないのだが、可愛いし嫌いではない。
――できるなら撫で回したいのだが、信頼関係が出来てないのにそんなことをしたら猫に嫌われること間違いない。

猫を警戒させたいわけじゃないので、ミリンは「猫ちゃん」と言いながら軽く目を瞑り、そして猫から視線を外した。
動物をガン見すると相手に警戒心を与えるらしい――と聞いたような気がするので、ミリンは犬猫とすれ違うときはなるべくそっぽを向いたり目を瞑ったりするようにしている。
――本当はガン見したいのだが我慢する。



突然の猫の登場だが、ミリンは足を止めなかった。


(チキンの匂いに誘われて来ちゃったのかな? でもさすがに人間用の味の濃いものはあげられないからな…ごめんね)



振り向きたい気持ちを抑えて、ミリンはT字路を左に曲がった。


猫は去って行くミリンの後ろ姿をじっと見ていた。








(やっとついたわー)


自宅のアパートが見えてきた。

やれやれ、と重たい買い物袋を左手に持ち替える。
あと一息である。



アパートのゴミ捨て場の前を通り過ぎようとした時、目の端で何やら光るモノを捕らえた。


「おぉっとびっくりしたぁっ!」


光るものに目をやったミリンは、思わず声を上げた。
女性らしからぬ若干低めの、本気で驚いたときの声を出した。


驚いたときに『きゃーっ!』などと甲高い声を出すことは、ミリンには出来ない。

驚くミリンの視線の先――ゴミ捨て場のブロック塀の上には、一匹の黒猫がいた。
猫は優雅に寝そべり、ミリンを見ていた。


ミリンはすぐに目を逸らした。


(完全に闇と同化してるじゃん…。うわー、これは吃驚したわ…。いや、ほんとに…もう…)


ちょっぴりドキドキしながら、ミリンは猫の前を通り過ぎ、アパートの外階段に向かった。




「にゃー」


引き留めるかのように、猫が鳴いた。
ミリンは思わず振り向いた。


至近距離であんな声を出されたのに、この猫は逃げないのか。
そう思いながらミリンが猫を見ると、猫は目を瞑ってミリンに一声鳴くと、塀の上ですっくと立ち上がった。


猫は興味を失ったかのようにミリンから顔を背け、道路の方を向いた。
長い尻尾が揺れていた。




尻尾は二本あった。




「…え?」


目の錯覚だろうか。

音も立てずに猫はブロック塀から降りて、そのまま闇の中へ消えてしまった。




「…いや、猫又かよ…」


ミリンは呆然と呟いた。
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