2 / 5
塀の上の猫
しおりを挟む
平日20時過ぎ。
仕事は定時で上がったものの、混雑している電車で吊革につかまり揺られること1時間。
最寄り駅に到着する頃にはくたくたになっていた。
(これだから通勤時間が長いのは嫌なんだよなぁ…)
独身時代に住んでいたところと比べると、通勤時間は30分ほど延びている。
乗車時間はもちろんのこと、自宅から駅までの徒歩にかかる時間も長くなった。
そのことに多少の不満があるものの、ミリンの通勤時間を考慮して家を選ぼうとすると、今度は夫の通勤時間が延びることになってしまう。
ミリンの夫はバイク通勤をしている。暑い日も寒い日も雨の日も風が強い日も雪の日であっても、バイクで通勤するのだ。
雪の日などは特に『滑って転んだりしないだろうか?』と非常に心配になってしまう。
住居を決める際、夫は『この地域までだったらなんとか行けると思う』と、当時の二人の住居の中間を提案してくれたが、結局はぼーっと電車に乗ってるだけで済むミリンが夫に合わせることにした。
(まあ、実家から通うよりはマシか)
新入社員時代は、自宅から会社まで片道2時間かけて通勤していたのだ。
それに比べればどうってことない――とミリンは日々、自分に言い聞かせている。
(あー、お腹すいた…。…あそこの角曲がったら食べよーっと)
駅の側にあるスーパーで夕飯と明日の弁当のおかずになる惣菜を購入した。
その中には最近お気に入りのささみのフライドチキン1パックが含まれている。
30歳を超えて羞恥心が薄れてきたことに加え、仕事のストレス発散という名目の元、ミリンは人通りが少ないのを良いことに、帰宅途中の薄暗い夜道で惣菜をつまみ食いするようになっていた。
とりわけ人通りが少ない住宅街の一本道で、今日もいつも通りささみのフライドチキンを一本取り出すとかぶりついた。
(うまーい)
お行儀の悪いことをしているのはわかっている。
だが、やめられない止まらない。
「みゃー…」
「ん?」
可愛らしい猫の鳴き声がした。
声のした方に目を向けると、ミリンの前方――道路の反対側の生け垣の下から、一匹の猫が這い出てきた所だった。
猫はその場で立ち止まると、ミリンの方を向いてもう一度鳴いた。
「あら、猫ちゃん」
ミリンは猫がわりと好きである。
触れあったことはあまりないのだが、可愛いし嫌いではない。
――できるなら撫で回したいのだが、信頼関係が出来てないのにそんなことをしたら猫に嫌われること間違いない。
猫を警戒させたいわけじゃないので、ミリンは「猫ちゃん」と言いながら軽く目を瞑り、そして猫から視線を外した。
動物をガン見すると相手に警戒心を与えるらしい――と聞いたような気がするので、ミリンは犬猫とすれ違うときはなるべくそっぽを向いたり目を瞑ったりするようにしている。
――本当はガン見したいのだが我慢する。
突然の猫の登場だが、ミリンは足を止めなかった。
(チキンの匂いに誘われて来ちゃったのかな? でもさすがに人間用の味の濃いものはあげられないからな…ごめんね)
振り向きたい気持ちを抑えて、ミリンはT字路を左に曲がった。
猫は去って行くミリンの後ろ姿をじっと見ていた。
(やっとついたわー)
自宅のアパートが見えてきた。
やれやれ、と重たい買い物袋を左手に持ち替える。
あと一息である。
アパートのゴミ捨て場の前を通り過ぎようとした時、目の端で何やら光るモノを捕らえた。
「おぉっとびっくりしたぁっ!」
光るものに目をやったミリンは、思わず声を上げた。
女性らしからぬ若干低めの、本気で驚いたときの声を出した。
驚いたときに『きゃーっ!』などと甲高い声を出すことは、ミリンには出来ない。
驚くミリンの視線の先――ゴミ捨て場のブロック塀の上には、一匹の黒猫がいた。
猫は優雅に寝そべり、ミリンを見ていた。
ミリンはすぐに目を逸らした。
(完全に闇と同化してるじゃん…。うわー、これは吃驚したわ…。いや、ほんとに…もう…)
ちょっぴりドキドキしながら、ミリンは猫の前を通り過ぎ、アパートの外階段に向かった。
「にゃー」
引き留めるかのように、猫が鳴いた。
ミリンは思わず振り向いた。
至近距離であんな声を出されたのに、この猫は逃げないのか。
そう思いながらミリンが猫を見ると、猫は目を瞑ってミリンに一声鳴くと、塀の上ですっくと立ち上がった。
猫は興味を失ったかのようにミリンから顔を背け、道路の方を向いた。
長い尻尾が揺れていた。
尻尾は二本あった。
「…え?」
目の錯覚だろうか。
音も立てずに猫はブロック塀から降りて、そのまま闇の中へ消えてしまった。
「…いや、猫又かよ…」
ミリンは呆然と呟いた。
仕事は定時で上がったものの、混雑している電車で吊革につかまり揺られること1時間。
最寄り駅に到着する頃にはくたくたになっていた。
(これだから通勤時間が長いのは嫌なんだよなぁ…)
独身時代に住んでいたところと比べると、通勤時間は30分ほど延びている。
乗車時間はもちろんのこと、自宅から駅までの徒歩にかかる時間も長くなった。
そのことに多少の不満があるものの、ミリンの通勤時間を考慮して家を選ぼうとすると、今度は夫の通勤時間が延びることになってしまう。
ミリンの夫はバイク通勤をしている。暑い日も寒い日も雨の日も風が強い日も雪の日であっても、バイクで通勤するのだ。
雪の日などは特に『滑って転んだりしないだろうか?』と非常に心配になってしまう。
住居を決める際、夫は『この地域までだったらなんとか行けると思う』と、当時の二人の住居の中間を提案してくれたが、結局はぼーっと電車に乗ってるだけで済むミリンが夫に合わせることにした。
(まあ、実家から通うよりはマシか)
新入社員時代は、自宅から会社まで片道2時間かけて通勤していたのだ。
それに比べればどうってことない――とミリンは日々、自分に言い聞かせている。
(あー、お腹すいた…。…あそこの角曲がったら食べよーっと)
駅の側にあるスーパーで夕飯と明日の弁当のおかずになる惣菜を購入した。
その中には最近お気に入りのささみのフライドチキン1パックが含まれている。
30歳を超えて羞恥心が薄れてきたことに加え、仕事のストレス発散という名目の元、ミリンは人通りが少ないのを良いことに、帰宅途中の薄暗い夜道で惣菜をつまみ食いするようになっていた。
とりわけ人通りが少ない住宅街の一本道で、今日もいつも通りささみのフライドチキンを一本取り出すとかぶりついた。
(うまーい)
お行儀の悪いことをしているのはわかっている。
だが、やめられない止まらない。
「みゃー…」
「ん?」
可愛らしい猫の鳴き声がした。
声のした方に目を向けると、ミリンの前方――道路の反対側の生け垣の下から、一匹の猫が這い出てきた所だった。
猫はその場で立ち止まると、ミリンの方を向いてもう一度鳴いた。
「あら、猫ちゃん」
ミリンは猫がわりと好きである。
触れあったことはあまりないのだが、可愛いし嫌いではない。
――できるなら撫で回したいのだが、信頼関係が出来てないのにそんなことをしたら猫に嫌われること間違いない。
猫を警戒させたいわけじゃないので、ミリンは「猫ちゃん」と言いながら軽く目を瞑り、そして猫から視線を外した。
動物をガン見すると相手に警戒心を与えるらしい――と聞いたような気がするので、ミリンは犬猫とすれ違うときはなるべくそっぽを向いたり目を瞑ったりするようにしている。
――本当はガン見したいのだが我慢する。
突然の猫の登場だが、ミリンは足を止めなかった。
(チキンの匂いに誘われて来ちゃったのかな? でもさすがに人間用の味の濃いものはあげられないからな…ごめんね)
振り向きたい気持ちを抑えて、ミリンはT字路を左に曲がった。
猫は去って行くミリンの後ろ姿をじっと見ていた。
(やっとついたわー)
自宅のアパートが見えてきた。
やれやれ、と重たい買い物袋を左手に持ち替える。
あと一息である。
アパートのゴミ捨て場の前を通り過ぎようとした時、目の端で何やら光るモノを捕らえた。
「おぉっとびっくりしたぁっ!」
光るものに目をやったミリンは、思わず声を上げた。
女性らしからぬ若干低めの、本気で驚いたときの声を出した。
驚いたときに『きゃーっ!』などと甲高い声を出すことは、ミリンには出来ない。
驚くミリンの視線の先――ゴミ捨て場のブロック塀の上には、一匹の黒猫がいた。
猫は優雅に寝そべり、ミリンを見ていた。
ミリンはすぐに目を逸らした。
(完全に闇と同化してるじゃん…。うわー、これは吃驚したわ…。いや、ほんとに…もう…)
ちょっぴりドキドキしながら、ミリンは猫の前を通り過ぎ、アパートの外階段に向かった。
「にゃー」
引き留めるかのように、猫が鳴いた。
ミリンは思わず振り向いた。
至近距離であんな声を出されたのに、この猫は逃げないのか。
そう思いながらミリンが猫を見ると、猫は目を瞑ってミリンに一声鳴くと、塀の上ですっくと立ち上がった。
猫は興味を失ったかのようにミリンから顔を背け、道路の方を向いた。
長い尻尾が揺れていた。
尻尾は二本あった。
「…え?」
目の錯覚だろうか。
音も立てずに猫はブロック塀から降りて、そのまま闇の中へ消えてしまった。
「…いや、猫又かよ…」
ミリンは呆然と呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる