だってアンデッドだから。

コンコン

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【下】いつの間にか

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「ほら、早く出て。」
 彼は彼女を催促する。
 この大きな屋敷と森の境目。
(ここを超えれば、自分は外に出られる……。)
 震える足で、一歩、前に踏み出す。
 彼が扉を閉めると、より「外にいる」という感覚が強くなり、彼女は確かに鮮明な感動を覚えた。
「おめでと。どう? 外は。」
「……きれい……。」
 何もかも全部ひっくるめて、まず最初に出た言葉だった。
 「空気が美味しい」。こんな感覚は初めてだ。
 土の感触。柔らかいのに硬い。変な感じだ。
 彼女は、振り返って、初めて屋敷の外見を見る。
(……思ったより……廃墟だ……。)
 ツタが伸びており、コケや汚れも着いている。ヒビも少々。なんというか、おぞましい。
「ほら、そろそろ行かなきゃ時間なくなるよ?」
 そう言って優しく彼女の手を引く。
 森の道──正規の道ではなさそうだが──を進んでいく。両側に草木。全く目立たない。
 日陰が多いからか、彼女は、意外と涼しいな……と思っていた。
 しばらく景色が変わらなかったが、遂に、視線の先に違う景色が見えた。
 そこには、数え切れないほど色々な知らないモノが並んでいた。情報量が多い。
 彼女は目が回りそうになっていた。ずっと見ていると頭がパンクしそうだ。しかし彼女の目は吸い込まれるように目の前の景色だけを見ている。見たくないが見たい。見たいが勝つ。それくらい彼女にとって魅力的な景色だった。
(これが……〝街〟というヤツなのか……。)
 彼女の目は大きく開き、キラキラと輝いている。
「この、大量に走ってるのは何!?」
「あぁ……車だよ。」
「へぇ! 車って色んな種類があるのね!」
 彼女は、黒くて長くて、運転手以外は進行方向と垂直な向きに座る、あれだけが〝車〟だと思っていたから、かなり驚いた。
 確かに見たことあるような気もするが、こんなに小さなものも車の一種だとは思っていなかった。
(むしろ、こっちの車の方が一般的なのね。)
 彼女は足元を見る。今度は石だ。コンクリートが正しいが。
 今度はガチガチに硬い。転んだら痛そうだな、と彼女は思った。
 彼女はその場でぴょんぴょんと跳ねる。その様子を見る彼は、見守るように優しい笑顔をする。彼女に合わせているという感じだ。
「じゃぁ行こっか、服屋。」
 見失わないよう気をつけながら彼に着いて行く。
 彼女は、進む度に「わあ!」「あれ何?」などと反応する。しかし彼は呆れたりせず、丁寧に相槌を打ったり、質問には、わかりやすく答えてあげたりする。
 彼女は夏の暑さを感じながら街を楽しむ。
 下を見れば、地面の色が次々に変わっていく。
 周りを見れば、そこら中に建物が立っている。
 上を見れば、美しい空が見える。
 耳を澄ませば、電子音・声・足音……騒がしく色々と聞こえる。
 ──楽しい!
 前までの不安はなんだったのだろう。彼女は自分でも不思議なくらい、外が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
「危ないよ、リファ。」
 彼女は急に手首を掴まれてハッとした。
「ああ……ごめん。でも、やっぱり気になって!」
「ふふ。まぁ……仕方ないか。ほら、着いたよ。」
 彼女が視線を移すと、大きな建物に大きな看板が目に入った。
 中に入らなくても服屋だとわかる全面アピール。
 入口のようなものはあるが、扉がガラス張りだ。
 取っ手がない、と思ったら勝手に扉が開く。
「びっくりした……何これ……。」
「自動ドアだよ。センサーで人が来たことを認識して自動で開く仕組みになってるんだ。」
「へぇ……すごい技術……。」
 入店すると、とにかく服の量に圧倒される。
(同じ服じゃん……何枚あるの? ていうか広い。何ここ迷路?)
 服を探して歩いて行く。途中、彼女はタオルケットが売られているのを見つけた。「服以外のものが売られてる」と言うと、「最近は当たり前だよ」と返ってきた。
 服……ということはパジャマも服……ということは寝具に関するものにも需要がある……というように、衣類に関するものの範囲を広げていき、服以外のものも売られるようになったらしい。
 半袖の服が多い。そりゃそうか、と彼女は今が夏であることを再認識する。
 この暑い中、上着を着ているのは彼女くらいだ。しかし店内は冷房が効いている。彼女はこのくらいが丁度いいなと思った。
「この辺りかなー。」
 そう言って彼が足を止めた。
 なるほど、サイズなどの需要に合わせてコーナーが作られているのか、と彼女は感心した。
 彼は彼女に聞いた。
「好きな服とかある?」
「えっ、いや……わかんない……。」
「じゃぁ僕が適当に選んで良い?」
「頼む。」
 彼女が頷くと、彼は頷き返し、服を選び始めた。
 改めて店内を見渡す。
(これが……シャツ……? 随分とシンプルだな。私が買ってもらってた服はこんなのじゃなかったけど……全部捨てちゃったし覚えてないや。ドレスは流石に覚えてるけど……ここには売ってなさそうだし……ていうか、あれって売り物だったっけ。)
 そんな風に彼女が昔のことを思い返していると、彼が何着か持ってきた。
「着てみてよ。」
 ……シャーっとカーテンを開ける。
「おー、やっぱり似合うね。」
 店員さんも隣で「とても似合ってます!」と笑顔で言うが、彼女は乗り気ではなかった。
(いや……夏だから普通なのかもしんないけど……布面積が……。)
 そんな彼女はさておき、彼と店員は会話をする。彼女には、二人が何を言っているのか……さっぱりわからなかった。
 彼女は黙って会話が終わるのを待った。会話が終わると、彼は聞いた。
「どう?」
「あー……嫌いではないけど……。」
「着たい、って感じではない?」
「うん……そんな感じ。」
「じゃぁ次これ。」
 彼女はまた着替えて姿を見せる。
 彼は同じく質問をする。彼女が答えると、また次の服を着せられる。
 そうして彼女の好みにも合う服が選ばれると、彼が次から出す服は、彼女の好みに合うものばかりになった。
(私の好みに合わせて選んでるんだ……。本当にコイツはすごいな。きっと最先端のデザイン~とかも考えて選んでるんだろうな。……ああ、やっぱ流行とかって難しい。置いていかれる気しかしない。)
 会計に向かう途中、彼女の目に、ふと一つの服が目に入った。
 綺麗な白のブラウスと、綺麗な黒のスカート。とてもシンプル。多分おしゃれではない。ただ、長く着られそうだな……と思った。彼女は無意識に手が伸びる。
「それが良いの?」
 そう言われて思わず手を引っこめた。
「あっ……いや別に……。」
「……本当?」
「いやっ……まぁ……確かにこれ良いなって思ったけど……。」
「じゃぁそれで良いじゃん。」
「えっ? でも、こんなの……。」
「こんなの、って思うなら買わなくて良いよ。」
「っ……ありがと……。」
 彼女は、「そうか……そりゃそうか」と考えを巡らせる。
 流行に合わせようが合わせまいが、皆、自分の着たい服を選ぶのが良いに決まってる。自分の好みの服に対して、「こんなの」なんて言うのは失礼だ。
 彼女は再び彼を見ると、笑いながら言った。
「ていうか、どんだけ買うのよ?」
「あー、結構な量になっちゃったね……笑 リファは可愛い上にスタイルも良いし、なんでも似合うから……つい。」
「なんでも似合うのは貴方でしょ。」
「へぇ~そう思ってくれてるんだあ?」
「あー、また口が滑った。」
 そんな会話をしながら、会計を終え、彼女らは店を出る。
 店の外に出ればたちまち新しい世界。彼女はとにかくあちこちが気になる。しかし目を離せばすぐ彼を見失ってしまうだろう。
 キョロキョロしながら歩く彼女を見かねてか、彼が言った。
「はぐれるよ?」
 笑顔ではあったが不安そうだった。
 しかし彼女だってできるなら目を離したくない。
「でも気になるんだって!」
「はあ……仕方ないな。」
 そう言うと彼は彼女の手を握った。
「離さないでよ?」
「わかった。」
 こうしていれば確かに はぐれにくいかも! と、彼女は納得の笑みを浮かべた。
 さっきまで建造物ばかり見ていたので、次は人間も見てみよう、と彼女は絶え間なく隣を通り過ぎて行く人々を目に入るだけ観察した。
 数十メートル歩いたところで、彼女は、ある人と目が合った。
(あ、怖い。)
 きっと相手からすれば、たまたま視線の先に自分がいただけだ。もしかしたら目は合っていないのかもしれない。しかし彼女はその瞬間、その目に確かな恐怖を感じた。
 恐怖を感じると、次には急に目の前がわからなくなった。
 あれ……何これ……見えない……という感情よりも強く、不安が募っていった。
(キョロキョロしてた時も、ずっと見られてた? どれぐらいの人に見られてたんだろ? 変な奴って思われた? 場違いに映った? ……ああ、彼と一緒にいることがおかしいかも。彼みたいな最先端のイケメンとこの場に合ってない私が一緒なんて、どう考えても釣り合ってないもんね……。)
 そう思うと無意識に握っていた手を離した。
 呼吸が荒くなる。
 目が怖い。人が怖い。見られている気がする。
(こわい。どこを見ても人がいる。こわい……こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい)
 ふと、背中に優しい手が触れた。
 彼が、そっと背中をさすってくれている。
 彼女は、ちょっと悔しかったが、徐々に落ち着きを取り戻し安心した。
 そして、彼が笑って言った。
「離さないでって言ったでしょ。」
 想像していたのとは全く違う言葉が飛んできて、彼女は思わず吹き出した。
「ごめん!」
 そうして、また手を握った。
 「大丈夫だからね」などと言われても、正直、安心できなかっただろう。
 安心させるための言葉というより、不安を忘れさせてくれる言葉を、彼は選んでくれたんだなと、彼女は素直に嬉しく思った。
「外に出たかったから出たんでしょ? もっと自由に生きたって良いんだよ。」
 ……彼にそう言われて、やっと気付いた。
 自分があんなに楽しかったのは、やりたい事ができていたからだ、と。
 外に出たのも、あの服を買ったのも、彼の催促はあったけど、最終的には自分で決めたことだった。
(いや……むしろ、そうなるようにしてくれたのかもしれないな。)
 必ず周りに合わせる必要なんてない。
 そうだ、彼の言うように、もっと自由に生きよう ……そう彼女は心に誓った。
 だって私は、不老不死のアンデッドなのだから。
 屋敷に帰ってきて、彼は帰宅した。
「次に屋敷に来た時は、その服着た姿見せてよ。」
 そう言って彼は手を振った。
 自分は頷くしかないのだが、彼女は、やはりまだ怖かった。
 彼は……一体いつまで、この屋敷に通い続けるつもりなのだろう。
 迷った気持ちは拭えなかった。
「今日が最後でも良いのに。」

 一応、買った服は着てみた。
 似合っているのか?とかはよくわからない。
 小学生の身体にしてはスタイルが良いと彼は言っていた。
 成長期にあの生活をしておいてスタイルが良いなんて有り得ない気がする。けど、自分がそんな体型に生まれたのは、やはり両親の遺伝子が関係しているのだろうと彼女は考えていた。
 コンコンコン!
 そんなことを考えていると、また、彼が扉を叩く音が聞こえた。
 今度こそ……と思い、扉を開けて、そのまま扉の後ろに隠れる。……が、意外とベタだったらしく、あっさり気づかれてしまった。
 むしろ彼は、彼女の姿に興味を向けていた。
「その服を選んだんだね! 似合う似合う。」
 彼は感心するように彼女を褒めた。
 彼女は、それに思わず外方そっぽを向いてしまった。
 自分でも驚いた。なぜ急にそうしたのか、わからなかった。嬉しかったのに。
 彼女は驚きを隠すようにしれっと喋り始める。
「今日も遊ぶの?」
「うん。外に出よう。」
 そしてまた長い森を抜け、目の前に広がるのは、やはり魅力的な世界。
 つい先日見たばかりの景色に、初めて見たかのような歓声を上げる。
 一回見たくらいじゃ足りない。何度も何度もここに来て、やっと慣れるのだろうと思った。それでもまだ足りないだろうか。世界は広い。移動すれば、自分は何度でも、その歓声を上げられるだろう。
 今日は本屋に行った。
 屋敷にも書斎はあったが、それより遥かに多い。
 高さは屋敷の書斎の方があるだろうが、広さと、本棚の量は勝てないだろう。
 絵本・漫画・小説・辞典……全く飽きない。
「でも内容の方を読んでないよね?」
 彼の問いに、彼女は近くの貼り紙を指さす。
「立ち読み禁止って。」
「従順だな。じゃぁ買ったら?」
 確かに、本を買うというのは素晴らしいことだ。彼女はそう思っていた。しかし、今は良いかな、とも思っていた。
 驚くべきことに、彼女は表紙や帯、ポップカードだけで本屋を楽しんでいたのだ。
「屋敷の本まだ読み切れてないから。」
 その答えに、彼は驚くと共にやれやれ、といった顔をして「わかったよ」と返し、どこかへ行った。
 しばらくして戻ってきた彼の手には、一冊の小説があった。
 彼女の全く見たことの無い本。
 でも、厚さも面積も普通だと思った。
「これ読んでみてよ。僕の好きな本。」
「へぇ、そうなの。……わかった。」
 今日はこれだけ買って帰った。
 と言っても、彼女はそれを読むつもりはない。
 読んだら、彼のことが少しわかるのだろうか……なんて考えは一瞬で消した。
 ……一瞬でも考えてしまうことが嫌だ。
 最近なんとなく感じる彼への気持ちはきっと気のせいに決まっている。彼女はそう思い込ませる。
 きっと気のせいだ、きっと気のせいだ。
 それを頭の中で唱え続けた。

 それから後日。そして後日。また後日。
 ずっと、何度も何度も彼が遊びに来た。
 街に行き、たまには屋敷で雑談したり遊んだり、そして幾度となく彼女は彼に驚かされた。
 ファミレス、水族館、有名な観光地にも行った。
 そんな日々の中で何度か、面倒な書類を書いたり契約したりした。自分がどういった存在か証明するためのものらしかった。
 彼女は、自分は本当は施設などに預けられるべきなんだろうと思った。
 しかし、不老不死のアンデッドという最大の武器を駆使して、なんとか今までと同じ生活を続けられるように彼は頑張ってくれた。
 そういう契約などを終わらせていく度に、彼女は行動できることが増えていった。
 スマホも買い、予定を合わせるのが楽になった。
 秋だし、紅葉を見に行こう。冬だし、雪だるまを作ろう。春だし──、夏だし──、秋だし──。
 ずーっと遊んだ。
 その全てが楽しかった。彼女の感情の何よりも、楽しさが勝った。
 あの時みたいに彼女が焦りだすと、また彼が背中をさすってくれた。
 ……なんて。
(なんで楽しんでんだろ。)
 一人になると、ふっと我に返る。
(私が彼と遊んでるのは、私が〝怪奇現象の犯人〟であることをバラされないようにするため。つまり上下関係がある訳だ。それに……楽しさを異性と共有するなんて、無い方が良いことなんだ。)
 今日は彼が来る日だった。
 彼女は、今日こそ驚かせてやろうと準備する。
 [ガチャッ]
 ……その瞬間、なんの前触れもなく扉が開いた。
 もちろん彼が開けたのだが、彼女を驚かせるために開けたという感じではなかった。驚かせたいならもっと大きな音を出すべきだ。でも今のは普通に扉を開けただけだった。
 彼女が不思議に思っていると、彼は何も言わず階段を上り、彼女の元まで歩いた。
 もしこの屋敷で社交パーティが開かれたら、ここから自分が降りてくるのだろう。そんな風に思っていた階段は、上る途中で左右に別れている。その階段を正面から見て、階段と階段の間。その位置に、彼女たちは居る。
 彼は黙ったまま。
 彼女は、いつもと違う彼の雰囲気に、嫌な予感がしていた。だが、平然とした態度で話し始めた。
「どうした? 今日はやけに静かね。今日も遊びに行くの? それとも……」
「ねぇ、リファ。」
 恐ろしい程に静まり返っている。
 何かが起こる、それだけがわかった。
「……何?」
「僕が遊びに来てたのって、リファが怪奇現象の犯人であることを明かさないための条件でしょ?」
「ええ、そうね。」
「それ、終わりにしない?」
「……えっ……と……。」
「条件なんかじゃなくて、ただ君と遊びたい。」
 彼は真剣に彼女の目を見ていた。
「僕は君が好きだ! 付き合ってほしい!」
 ……強い強い衝撃が走った。
 若干パニックになりながらも彼女は焦らず事を進めようとしていた。
「えと……いつから……?」
「最初から。」
「へ……?」
「初めて会った時から綺麗だなって思ってた。まぁ一目惚れだよ。」
「で、でも……ほら! 肝試しに来た人とかに見られたら面倒だし……。」
「もう有り得ないんだよ、そんなの!」
 そう言われても、何も理解できなかった。
 彼が自分のスマホ画面を見せる。
「君に会ってから三年が経ったんだよ。肝試しに来た人は居たけど、君は談話室から出なかったし外出したりしていた。そしたら、もちろん怪奇現象なんて起きない。そもそも三年も経ったら、みんな興味を無くすんだよ。そして徐々に来る人が減って、今はもう、誰も来なくなった。」
「そんな……たった三年で……?」
「……そうだね。今は時代の流れが早い感じだ。一年の間に、話題がコロコロ変わる。」
 彼女は未だに納得ができなかった。
 だって、自分が怪奇現象の犯人をやっていた時は三年間、人が来続けていたのに……彼女は、何が起きているのか理解したかった。でも、それは不可能だった。彼女は世間を知らなすぎる。
 彼がスマホをポケットにしまうと、再び彼女の目を見て言った。
「だから今更リファが犯人って言ったところで、意味なんて無い。」
「……無いのに……遊びに来てたの……?」
「リファに会うための口実。ごめん。」
 彼女は、再び彼の姿をよく見てみる。
 初めて会った時と変わっているように見えない。
 中学生……いや高校生にはなっているのだろう。
 …………三年は短い。
 それは、恋愛においても同じだろうか?
 例えば、中学校三年間。例えば、高校三年間。はたまた卒業をまたいだ三年だろうか。
 その間、ずっと誰か一人だけを愛し続けることが ……本当に短いだろうか?
(そんなにも一途に、私に恋してたの?)
 ああ最悪だ。
 嫌な予感が当たってしまった。こうはなりたくなかった。
 彼女の心は、後悔と絶望と、その他の複雑な感情が混ざりあっていた。苦しくて仕方がなかった。
「リファ、僕は本気で君を……」
「やめて。」
 できるだけ大事おおごとにならないように、さっさと終わらせてしまいたかった。
「やめて。私は貴方とは付き合えないから。関係も絶とう。もう会いに来ないで。」
(お願い。納得して。「わかった」って言ってよ。そしてそのまま出てったりして……もう二度とこの屋敷に来なくなってしまって。)
(それで良いから……だから……そうして……!)
「──もうやめよ。ね?」
 ニコッと笑ったつもりだったが、わかりやすく顔は引き攣り、声は震えた。
 彼女はくるっと後ろを向き、足早に逃げる。
「じゃぁ──」
 逃げようとしたが、止められた。
 彼に腕を掴まれていたのだ。
 これじゃぁ、まるで、あの時みたいだ。「一緒に遊ぼう」と言われた、あの時みたいだ……。
(なんで……イヤ……思い出しちゃうじゃん……。あの時……わ、私、どれだけ嬉しかったと……思ってんの……?)
「待ってよリファ! それじゃ納得できない! なんでそんな風に……!」
「っ……だって……!」
「……!」
「だって私アンデッドだから!」
 掴まれていた腕を、思いっきり振りほどいた。
 彼女は息切れを起こしている。
 それと、目の前が滲んでいる。彼の方を見ても、顔がよく見えない。でも、なんとなく困惑した表情をしているような気がした。
 彼女は、彼は正直な奴だと感じていた。
 初めて会った時からそうだ。
 だからこそ、その気持ちが嘘じゃないとわかる。
(やっぱりアレじゃ納得できないよね。そんな簡単に諦めてくれないよね。あー、本気で私に……私なんかに、恋してくれてるんだ。)
 そう思えば思うほど、彼女の目からは涙がこぼれ落ちてきた。
 ちゃんと言わなきゃダメなんだと、彼女はそう思わざるを得なかった。心臓が苦しくて苦しくて仕方がなかったが、覚悟を決めて声を放った。
「私きっと、〝大切な人〟がいない世界で生きていくなんて耐えられない!」
 自分勝手だ。わがままで最低だ。
「私の大切な人が! 死んじゃっても……っ! 私は死ねないんだよ……? 何十年も何百年も……もう一度、会いたいって思いながら、生きてくんだよ? そんなの耐えられない! それならいっそ! 死ねたらどんなに楽だと思う!?」
 最低だってことくらい、自分でわかっている。
「もし貴方と付き合ってしまったら! 貴方が大切な人になってしまったら! 貴方は……いつか死んでしまうでしょう? 私……その後のことを考えるだけで……もう! 怖くて仕方がないの!」
 自分のせいなのに。被害者は彼なのに。
「だから……私の大切な人にならないで……。もうやめよう……? ……忘れよ…………?」
 ──ああ、自分はなんて最低なんだろう。
 不老不死のアンデッドとしての運命も受け入れられないなんて。
 そして何より彼の気持ちを……踏みにじってしまうなんて。
 そんな気持ちが彼女を襲った。
 どれだけ謝っても許してもらえないだろう。許してほしいとも思っていない。
 彼は彼女に歩み寄った。
 そっと彼女の手を取り、上の方で握り、おでこをこつんと付けた。
「ありがとう。ちゃんと言ってくれて嬉しい。辛かったでしょ?」
「……ごめんなさい……っ。」
「傷つきたくないから、笑って曖昧に終わらせようとしたんだよね?」
「……傷つかせたく……なかった……。」
「! ……本当にリファは……。」
(なんて言われんだろ。……なんで……今更、やっぱり嫌われたくないなんて思ってんのかなー……。ははっ……。)
「本当にリファは、思いやりのある人なんだね。」
 ……何それ。
 彼女は彼の言葉を理解できなかった。
 なんで、貶さないの? なんで、「ありがとう」なんて言うの? なんで、歩み寄って、手を取ってくれるの? なんでよ……なんで……優しいの?
「謝るのは僕もだね。リファの気持ちを考えずに、自分の気持ちだけで、好きなんて言って、リファを困らせちゃって。」
(貴方は……何も悪くないのに……。)
「今だって、自分のこと貶してるんでしょ? 自分のせいで僕を傷つけた、って思ってるんでしょ?」
(そりゃそうだ。私は最低なんだから……。)
「リファも悪くないんだよ。大切な人が死んでも生き続けなきゃいけないなんて、地獄だ。それを嫌だと思うことの、何が悪いことなの?」
(……え? ……わかって……くれるの……?)
「こんな時まで相手のこと考えてるなんて……本当にリファは、思いやりのある人だ。」
(なんで……私……貴方のこと振ったのに……。)
「そんなの、リファのこともっと好きになっちゃうじゃん……ずるいよ。」
(なんで……まだ好きでいてくれるの……? なんで嫌わないの……? そんな笑顔……なんでしてくれるの? 私のこと…………認めてくれるの?)
(そんなの……そんなの……!)
「やめてよ……! 私、ロイドのこと、めぢゃぐぢゃ好きなのにぃ……!」
 嗚咽が止まらなかった。
 好きが、好きという感情が、胸いっぱいに押し寄せてきた。
 まだ一緒にいたい。離れたくなんかない。
 いくら泣き叫んでも、止まらなかった。
 彼は、暖かく、優しく彼女を抱き寄せた。
「……よっ、汚れる……っ!」
「大丈夫。それより初めて名前呼んでくれた。」
「……うっ……こんなどきまで、笑わせようとっ、しなくて良いがらっ……。」
「僕ね、すぐわかっちゃう性格なんだ。観察眼とかって言うのかな。人の心を読むのは断然得意。……だから、よく怖がられた。」
(……私は……なんでわかってくれるんだろうってばかり、思ってたな。)
「でもリファは僕を怖がらないでくれた。初めて認められたような気がしたんだ。本当に……すごく嬉しかった……!」
「! ……そんな……ことっ……言われたらぁ……好き……なるからぁ……!」
「ふふっ。いくらでも好きになってよ。」
 彼女は彼に埋もれて泣き叫んだ。
「なんなのよっ! ホントなんなのよ貴方は! 暇な生活を送ってた私の前に急に現れて! 大切なこと何もかも教えてくれて! ……私っ……私っ……! 貴方みたいな人に……ずっと会いたかった……! 貴方に会えて……本当に良かった……!」
 あ、自分はコレを言いたかったんだ、と彼女は今になって気づいた。
「ありがとう……! ロイド……。」
 この言葉を、どうして忘れてしまっていたのだろう。
 たった一人の、でも彼でなければならなかった。
 彼にだけは伝えなければならなかった、たった、五文字を。
 彼がいてくれたから、彼女は外に出た。
 彼がいてくれたから、彼女はスマホを手にすることができた。
 彼がいなければ、彼女は、ここまで人生を楽しいと思えなかっただろう。
  彼女の嗚咽が落ち着いてくると、彼が聞いた。
「また、来ても良い?」
「良いの? 私たち付き合えないよ?」
「……やっぱり、そうか。」
「ごめん……それだけは……できない……。」
「ううん、平気。僕の片想いって形で良いから。」
 二人は、頷き合って分かれた。
 一緒に階段を降りて、彼を見送る。
 夕陽が出ていた。
「またね。」
「……またね!」
 彼女は、目の周りを真っ赤にしながら、笑顔で彼にそう言った。
 談話室に向かうと、カレンダーに印をつけた。
 久々につけた。……でも、今日で最後の印だ。

 彼が屋敷に行くと、今までに感じたことのない静けさがあった。
 当たりを見回しても、誰もいない。
 いつもと違う雰囲気。彼は不安が募った。
「……やっぱり……ここにいるの?」
 本棚の奥の、四角い切り込みに手をかける。
 ……「ロイド!」
 彼はビクッと体を震わせ、後ろを振り返った。
「どうよ?」
「ふふっ……驚いた。」
「やっと貴方に勝てたわ。……もうしないけど。」
「そうだね。」
 彼女は元々、肝試しに来た人を驚かせていた。それは段々とエスカレートし、気配を隠すのも大雑把になっていた。
 だから彼女は、最初の方を思い出した。
 慎重に、自分は空気だと思うように気配を消し、相手に不安を募らせ、意識が他に集中しているところで驚かせる。
 それが上手くいったという訳だ。
 二人は何か言うでもなく、自然と階段の上の廊下のような場所にやってきた。
 立ち話をして、たまに疲れたら座って、時間になったら別れる。
 これを、何日も何日も続けた。
 ただこの場所で、話をするだけ。
 二人は、それで良かった。
 月が経つにつれ、彼は大人びていく。
 彼女は、成長したな、と思うと、一緒にいられる時間が少なくなる、と不安になる。そうなると、彼がまた彼女の背中をさすった。
 彼は、社会に必要なことを教えた。
 大学での生活を……社会人になって学んだことを ……あっという間に、老人になったことを。
 そして、何日も何日も彼が来ない日が続いた。
 もう会えないんだと悟った。
 とても悲しい。そう、悲しくて仕方がない。言葉では言い表せないくらい悲しかった。
 それでも、もうダメだと絶望するのは、彼に失礼だと思った。
 彼女は何をするにも自由になった。
 ロイドから必要なことは教わった。
 食料も水もいらない。服ならある。
 それに……何より、自分のやりたいことをできている時が一番楽しいことを、彼女は知っている。
 ──旅に出よう。
 元から、彼女は屋敷から出たいと思っていた。
 色んな場所を点々とすれば、大切な人ができることもないだろう。無論、彼女に彼以上の大切な人ができるとは思えないが。
 彼女は屋敷中を探し回り、売れそうなものを全て売りに行った。
 家具も古いパソコンも、全てだ。
 屋敷にあった、恐らく一番大きなトランクケースに、必要なものだけ詰め込んだ。
 書斎の本は全て残しても良いだろうと考えた。
(全部読んだし。)
 とはいえ暇つぶしに一冊ほしいと思った。
「……あ。」
 談話室の机の引き出しを開けた。
 彼が勧めてくれた本。そういえば読んでいなかったのである。
(……やっぱロイドのことは忘れられないや。)
 屋敷の外の音が聞こえる小窓は外し、談話室への道もわかりやすく開けておく。
 準備は整った。
 恐らく手先は器用だろうから、それで色々と助けてあげられたら良いな、と彼女は望んだ。
 きっと、これから辛い出来事にぶつかることもあるだろう。それでも彼女は、これからの人生を楽しんでいくのだろう。
「楽しかったなぁ……。さよなら。ありがとう。」
 カレンダー代わりを、ビリビリに破いて捨てた。

           *

 窓から外を眺める。
 空、海、街……。 
「さーて、次は何しようかなぁ。」──
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