祀君の嫁入り

iroha

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 驪竜と共に紫麟殿に帰って来るとすぐ、伯皓がセンの上衣を軽く噛んで引っ張ってきた。どうやら行きたいところがあるらしい。センが驪竜を見やると無言で頷き返された。伯皓に案内されるがままについて行くと、その先にはびっしりと並べられた本の揃った部屋があった。

「ここは……本がたくさんあります!!」

 小さな子どものようにはしゃいでしまった自分に照れながらも、驪竜の許可を取ってセンは部屋の中に足を踏み入れる。古そうなものから比較的新しいものまで所狭しと並べられていて、センは目を輝かせた。

「これらは、驪竜さまのものなのですか?」
「俺の所有のものもあるが、ほとんどは叔父のものだ。叔父は存命の頃、己の政務室に本を持ち込み過ぎて棚をいくつか壊したと、母から聞いたことがある」
 謀反の疑いをかけられてしまったという叔父のことだろうか。しかし、驪竜の口から語られる、叔父という人物像からは、謀反を起こした罪人には思えない。そういう政争とは縁遠い場所で生まれ育ったセンには、驪竜の過去を完全に理解することは難しいとすら感じた。

「叔父さまは、翼飛みたいな方だったのですね。翼飛の里には、宝飾品の類は祭祀のためのものしかないのですが、どの家にも本だけはたくさんあるのです。先祖が書き綴ってきたものや、あちこちで手に入れたものが、たくさん。風が強い土地に暮らしているので、みんな風が吹いたら簡単に飛ぶような家に住んでいるのに、貴重な本のためにはできるだけ頑丈な館を作ったりして」
「それは面白そうだな。……俺の中では、叔父はとにかく勤勉な方だったという記憶があるんだ。もし叔父が翼飛の里に行くことができていたら、喜んだかもしれない」
 昔を懐かしんだのか、そっと微笑んだ驪竜に、センもたまらなくなる。やはり、これも想像でしかないのだが、驪竜にとって処刑された叔父も、追放されていった母親たちも大切で、大好きな人々だったに違いない。センにとっての、父母や姉という存在と同じく。

「この本も、叔父に譲っていただいたものだ」
「山海踏踊抄ですね。幼少の頃に読んだことがあります。霞雲山や翼飛のことも出てくるので、どきどきしたのを覚えています」
 驪竜が手に取った本を覗き込み、センが答えると驪竜が驚く気配がした。

「翼飛は独自の言葉を持つと聞いたことがあるが、センは禮の言葉も読めるのだな」
「簡単な読み書きしかできませんけどね。あまりにも風が強い日はお役目を許してもらえたので、本を読むことがおれも楽しみだったのです。あ、これも読んだことがある……けど、こちらはないですね」
 読んだことのない本も、たくさんありそうだ。センがつま先立ちしながら書架にかじりつくと、隣に立つ驪竜が笑った。

「本の虫になっている子どもの頃のセンが、容易に想像つく。そんなに本が好きなのなら、好きにここの本を持っていって読めば良い」
「こちらのお部屋で読んでも構いませんか?」
 構わないが、と驪竜が返すと、センはさっそく本の物色を始める。そんなセンの足元で、構ってほしそうに伯皓がくう、と一声鳴いた。

「……やはり、この部屋ではだめだな。持ち出すのは良いが、この部屋にいたらセンは寝ることも食べることも忘れそうだ」 
「確かに、ここに住んでしまいたいほどですが……寝食を忘れるなんて、そんなことは……」
 ない、とはっきり言えないセンに、驪竜と伯皓が同時にじいっと視線を投げてくる。曖昧に笑うことで彼らに返してから、どの本を部屋に持っていこうかセンは真剣に悩み始める。それを腕組みしながら見守っていた驪竜だったが、「黒鳳殿から使者の方がお見えですよ」と朱が驪竜のことを呼びに来た。

「本を選んだら、必ず戻ってくるように。伯皓、センにゆっくり本を選ばせてやろう」
 そう言ってさりげない動きでセンの柔らかな髪に口づけ、驪竜が踵を返した。伯皓も名残惜しそうに一度振り返ったが、驪竜について部屋を出ていく。本を選びたいのに、今の驪竜の行動に動揺し、動きが固まってしまう。再びセンが動き始めたのは、柳が現れて、いつものように絡んできてからだった。


***

「今度は自分のお利口自慢か。驪竜様に気に入られるために、随分と必死なことだ」

 驪竜と伯皓が離れたことをしっかり確認してから室内に入ってきた柳だが、いつも通り皮肉っているのに肝心の相手が動かない。本を両手に持った状態で固まっているセンを怪訝そうな視線で見てから、手近なところにあった本を取ってこつんと頭を叩いてみる。それでようやく我に返ったセンだったが、柳が手にした本を見やって、いつになく怒りの表情を見せた。

「……柳殿。いま、本でおれを叩きましたね?」
「き、貴様が呆けた顔をしていたからだろう!」
 慌てて言い訳をしてきた柳に、センは「そういうことではなく」と続けた。

「本で他者を殴るなんて、やってはいけないことです! それでもし貴重な文献が傷んだり、破れたりなどしたら、どうするおつもりですか? 本は読むものであって、他者を叩くものではありません!」
「……う、うむ」
 普段、センはゆるっとしていて笑っていることも多い青年だ。柳が今まで何かしら言っても、怒るところを見たことはなかった。しかし、今まさに怒りを宿した碧眼で睨まれ、その迫力に柳はあっけなく屈した。センは相手が悄然となったことに気づく。ゆっくりとした動作で自分が持っている本を片手で持ち直し、柳が持っていた本を取り上げた。元あった場所に本を戻すと、センは柳へと向き直った。その目にはもう、怒気はない。
 
「柳殿はいつも驪竜様の後ろをついて歩かれているようですが、ついて歩くというお仕事なのですか?」
「……そんな仕事、あるわけないだろう。……どうせ、仕事など与えてはもらえぬ」
 センがいつもの口調で問いかけても、気圧されて、しかも何の仕事もこの紫麟殿で与えられていないことをつまびらかにされてしまって、柳はふてくされた。 

「実は自分も、伯皓と遊ぶのはお仕事と考えていません。ですが、仕事は探せば幾らでもあると思うのです。というわけで、一緒にこの部屋の片づけをしましょう!」
「驪竜様の許可を得てもいないのに、そんなことできるか!」
 すぐに柳が喚いたものの、センは気にも留めず、片方の手に持っていた本を手近な机の上に置いた。

「よく見てみると、床に積まれたままの本や、粗雑に置かれているものなどがたくさんあります。これではせっかく書架があるのに、いざという時に見つかりにくい。なんなら、書の目録を作りましょう」
「確かに、分かりやすければ驪竜様が喜ばれるかもしれないな」
 センの勢いに押されていた柳だったが、仕事が目の前にある、となるとやる気が出てきたらしい。センも、翼飛の里にいた時、役目のない時は書架を片付けていたことを思い出してきた。柳と二人で書架を見回ってみると、かつては書籍の分類も行われていたようだが、そこに戻されることなく本が抜き出され、別な場所に置かれている。たまに狭くなっているところもあって、柳が通るのに苦労していた。

「……大きさも、ある程度揃えたら見栄えも良いかもしれない。地図帳の類は、父上のところでは下げていたし……」
「あ、確かに。地図はかけるところがあったら良いですね。まず、分ける方法を考えて驪竜さまに許可を頂きましょう」
 書架の上には古そうなものから新しめな地図帳が置かれていた。それらを移す場所を考えながら、柳が自分の荷物から持ってきた紙にどう片付けるのかをまとめていく。

「翼飛は何よりも知識を得ることが好きだと昔聞いたことがあったが、本当なのだな」
 ようやくそれなりの考えをまとめ終えたところで、ぼそりと柳が呟いた。センが目を瞬かせて柳を見やると、柳は気まずげに顔を背けた。

「散々、嫌な思いをさせたのに、どうして驪竜様に言わなかった。驪竜様に訴えれば、俺を追い出すことなど簡単なのに」
「えっ、やっぱり嫌がらせだったのですか?!」
 センが驚きながら反応し、え、いや、と柳がたじたじとなった。てっきり分かりきっていると思っていたのに、柳の嫌がらせなどセンにとっては嫌がらせにすらなってなかったらしい。

「あ、でも、最初に翼のことを詰られたのは結構気にしています。翼飛にとって、翼はもがれたら死ぬこともあるくらい、命の次に大事なものなのです。それと、おれも驪竜さまにとっての一番になりたいのでそれは譲れません。良い仕事をして認められたいです」
「……あの時は申し訳なかった。お前が現れて、自分はいよいよ追い出されると思うと、どうにかせねばと悪いことを考えてしまった」
 うんうん、と軽くうなずいてからセンは思わず笑顔になった。どうして相手が笑顔になったのか理解できず、柳が変な表情になる。ずっとかたく折りたたんでいた双翼を動かすと、センは小さく嘆息した。

「柳殿はおれの翼を見ると嫌なのかと思って、ずっと折りたたんでいたのですが。もう、動かしても大丈夫ってことですよね」
「ああ、うん。……よく見ると、内側に青が入っていて……美しい色をしているのだな」
 ありがとうございます、とセンが明るく返す。二人で考案し意見をまとめた紙を後日驪竜に相談することになった。その紙は柳に持ってもらい、自分は机に避けて置いた本を持って、二人同時に部屋を出るのだった。
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