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「翡翠たち、うまくいくといいけど。紅玉さんは優しいし、きっと大丈夫だよね?」
「優しい……あれが?」
宿屋を出てから、要は琥珀と連れ立って街中を歩いていた。二人とも動きやすい服装なのもあり、琥珀は布を被って顔を見えにくくはしているが、存外街に溶け込めている。街行く人々も、まさかこんなところに王と白の神子がいるとは思わないだろう。
先ほどの騒ぎはすっかりと落ち着き、日常が戻っている。はじめて見る出店のもの珍しさに、心が躍るのを何とか抑えつけながら、要は隣を歩く寡黙な王へと話しかけた。のんびりとしていて良いのだろうかとは思ったが、今の彼は休暇中なのだと考えることにする。
今まで見たこともないくらいに、翡翠が動揺していた。そして、紅玉が見せた怒りの気配。要には、彼らの関係がうまくいくように、と願うことしかできない。
紅玉は翡翠のことを好いているのだろうし、翡翠自身も今思い返せば紅玉のことをずっと気にしていたと思う。いつだって最低限の一線を誰に対しても引いている翡翠が、唯一無遠慮に接していたのが紅玉ただ一人だからだ。
しかし、要がそんな心の祈りを口にすると、琥珀はめずらしく眉根を寄せ、要の言葉の一部を疑問の形で返してきた。常日頃、琥珀は穏やかな口調で要に話しかけてくれるのに、今はどこか荒々しさを感じる。
「だってこの間、僕や翡翠のことを悪く言ってたあの人たちに囲まれた時も、紅玉さんが直ぐに助けに来てくれたし……いつも僕たちのこと、細かいことでも気にかけてくれるよ?」
「……」
琥珀が眉根を寄せたことに、緊張しながら要が見上げていると、店と店の合間にある小さな広場へと誘われた。街の人々も憩い、ゆったりとした時が流れている。椅子代わりになりそうな大きな石を見つけて、琥珀はそこに座るよう要を促した。要が素直に従って石に腰かけると、端整な顔をした王の唇から、小さな嘆息が漏れた。
「……要がこの世界に来るよりも前の話を、しても良いだろうか」
「もちろん」
どうして先ほどから琥珀の様子が少しおかしいのか。その理由を教えてもらえるのだろうと要は背を正した。穏やかな琥珀色の瞳が要を見つめてきたかと思うと、過去を思い返しているのか、うっすらと目を細める。
「翡翠からはもう聞いたようだが――翡翠は、諸国の争乱によって"気"が落ちていた私のために、無理やり故郷から連れだされた。私がそれを知らされたのは、以前大臣の筆頭を務めていた男が、私の寝室までまだ幼かった翡翠を連れてきた時だった」
琥珀――黒いたてがみの、雄々しい獅子を本性に持つ彼は、この世界を守るための一柱なのだという言葉を、琥珀の話を聞きながら要は思い出していた。人々が争いを起こせば、それは琥珀にも影響を与えるものらしい。
琥珀が口にすることはないが、『痛み』や『苦しみ』を、要が来るまで彼はずっと一人で耐え続けていたのだという。
「翡翠は、何一つ悪くない。だが、私の選びし相手ではなかった――それだけだ。大臣や貴族たちに告げ、幼かった翡翠を故郷の村にすぐ帰すつもりだった。どれ程大臣たちが反対しても、それくらいのことはしてやりたかったが……紅玉が、それを留めた。そうして、時が過ぎてから翡翠を詰り、嘲笑った者は少しずつ、城の中から姿を消していった。私が問い詰めても、何も言わないし、あれが何かをしたという証も残ってはいないが」
「こ、紅玉さんって、いったい……」
要の前で、白い翼を広げて飛び去った白虎。琥珀同様に、あれが紅玉の本性なのだろうと思う。しかし、彼は一体何者なのだろうか。要が混乱しているのを見て取り、琥珀は苦笑を浮かべた。
「見た目だけは、美しい純白の毛並みをしているが。あれこそが、この世界に混沌を招く元凶だ。あれが面倒臭がらずに人心を掌握し、再び国を興して剣を持てば、もう誰にも抑えることはできないだろう。『白』の獣は、己の番いとなる『黒』の獣がいなければただ牙を剥き、滅ぼすだけの存在となる」
混沌である彼が逃げ出さないように、本当の名を奪いこの国に縛り付けていた、と琥珀が続ける。
この世界にとって混沌というのが、どういう存在なのか。要にははっきりとは分からなかったが、ひどく恐ろしいものなのだろう、ということだけは分かった。そして、以前から時折感じていた紅玉の二面性のようなものの正体について、答えを得た気がする。
「そして翡翠は、混沌――紅玉の、唯一の『良心』だ。つまり、対の相手だということ。翡翠に現れたあの黒い痣だが、本来なら『黒』の獣にその証が現れることはない。対とはいえ順列があり、『黒』き者の方が上位であるからだ。しかし、私にも翡翠が『黒』の獣であることを気づかせず、少しずつゆっくりと毒を注ぎ込むように、力尽くで自分のものである証を刻み付けていったんだ。翡翠があの男への想いを言葉にしようとしたら、一気に現れるように」
要の知っている紅玉とはまるで別人だ。要はただ目を瞬かせることしかできない。だが、確かに琥珀は先刻言っていたはずだ。
(翡翠に万が一のことがあって、アレが暴れたら世界の一端が壊れてしまう……って、そういうことだったのか)
ようやく意味が分かってきた要が、息を飲みこんだ。
「精々、翡翠に飽きられないように努力してもらうしかないだろうな、"混沌"殿には」
「……そ、うだね……」
世界が違う、と何度となく思ってきた要ではあったが、今日ほど違うと思ったことはなかった。
「優しい……あれが?」
宿屋を出てから、要は琥珀と連れ立って街中を歩いていた。二人とも動きやすい服装なのもあり、琥珀は布を被って顔を見えにくくはしているが、存外街に溶け込めている。街行く人々も、まさかこんなところに王と白の神子がいるとは思わないだろう。
先ほどの騒ぎはすっかりと落ち着き、日常が戻っている。はじめて見る出店のもの珍しさに、心が躍るのを何とか抑えつけながら、要は隣を歩く寡黙な王へと話しかけた。のんびりとしていて良いのだろうかとは思ったが、今の彼は休暇中なのだと考えることにする。
今まで見たこともないくらいに、翡翠が動揺していた。そして、紅玉が見せた怒りの気配。要には、彼らの関係がうまくいくように、と願うことしかできない。
紅玉は翡翠のことを好いているのだろうし、翡翠自身も今思い返せば紅玉のことをずっと気にしていたと思う。いつだって最低限の一線を誰に対しても引いている翡翠が、唯一無遠慮に接していたのが紅玉ただ一人だからだ。
しかし、要がそんな心の祈りを口にすると、琥珀はめずらしく眉根を寄せ、要の言葉の一部を疑問の形で返してきた。常日頃、琥珀は穏やかな口調で要に話しかけてくれるのに、今はどこか荒々しさを感じる。
「だってこの間、僕や翡翠のことを悪く言ってたあの人たちに囲まれた時も、紅玉さんが直ぐに助けに来てくれたし……いつも僕たちのこと、細かいことでも気にかけてくれるよ?」
「……」
琥珀が眉根を寄せたことに、緊張しながら要が見上げていると、店と店の合間にある小さな広場へと誘われた。街の人々も憩い、ゆったりとした時が流れている。椅子代わりになりそうな大きな石を見つけて、琥珀はそこに座るよう要を促した。要が素直に従って石に腰かけると、端整な顔をした王の唇から、小さな嘆息が漏れた。
「……要がこの世界に来るよりも前の話を、しても良いだろうか」
「もちろん」
どうして先ほどから琥珀の様子が少しおかしいのか。その理由を教えてもらえるのだろうと要は背を正した。穏やかな琥珀色の瞳が要を見つめてきたかと思うと、過去を思い返しているのか、うっすらと目を細める。
「翡翠からはもう聞いたようだが――翡翠は、諸国の争乱によって"気"が落ちていた私のために、無理やり故郷から連れだされた。私がそれを知らされたのは、以前大臣の筆頭を務めていた男が、私の寝室までまだ幼かった翡翠を連れてきた時だった」
琥珀――黒いたてがみの、雄々しい獅子を本性に持つ彼は、この世界を守るための一柱なのだという言葉を、琥珀の話を聞きながら要は思い出していた。人々が争いを起こせば、それは琥珀にも影響を与えるものらしい。
琥珀が口にすることはないが、『痛み』や『苦しみ』を、要が来るまで彼はずっと一人で耐え続けていたのだという。
「翡翠は、何一つ悪くない。だが、私の選びし相手ではなかった――それだけだ。大臣や貴族たちに告げ、幼かった翡翠を故郷の村にすぐ帰すつもりだった。どれ程大臣たちが反対しても、それくらいのことはしてやりたかったが……紅玉が、それを留めた。そうして、時が過ぎてから翡翠を詰り、嘲笑った者は少しずつ、城の中から姿を消していった。私が問い詰めても、何も言わないし、あれが何かをしたという証も残ってはいないが」
「こ、紅玉さんって、いったい……」
要の前で、白い翼を広げて飛び去った白虎。琥珀同様に、あれが紅玉の本性なのだろうと思う。しかし、彼は一体何者なのだろうか。要が混乱しているのを見て取り、琥珀は苦笑を浮かべた。
「見た目だけは、美しい純白の毛並みをしているが。あれこそが、この世界に混沌を招く元凶だ。あれが面倒臭がらずに人心を掌握し、再び国を興して剣を持てば、もう誰にも抑えることはできないだろう。『白』の獣は、己の番いとなる『黒』の獣がいなければただ牙を剥き、滅ぼすだけの存在となる」
混沌である彼が逃げ出さないように、本当の名を奪いこの国に縛り付けていた、と琥珀が続ける。
この世界にとって混沌というのが、どういう存在なのか。要にははっきりとは分からなかったが、ひどく恐ろしいものなのだろう、ということだけは分かった。そして、以前から時折感じていた紅玉の二面性のようなものの正体について、答えを得た気がする。
「そして翡翠は、混沌――紅玉の、唯一の『良心』だ。つまり、対の相手だということ。翡翠に現れたあの黒い痣だが、本来なら『黒』の獣にその証が現れることはない。対とはいえ順列があり、『黒』き者の方が上位であるからだ。しかし、私にも翡翠が『黒』の獣であることを気づかせず、少しずつゆっくりと毒を注ぎ込むように、力尽くで自分のものである証を刻み付けていったんだ。翡翠があの男への想いを言葉にしようとしたら、一気に現れるように」
要の知っている紅玉とはまるで別人だ。要はただ目を瞬かせることしかできない。だが、確かに琥珀は先刻言っていたはずだ。
(翡翠に万が一のことがあって、アレが暴れたら世界の一端が壊れてしまう……って、そういうことだったのか)
ようやく意味が分かってきた要が、息を飲みこんだ。
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