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第四章 三種の神器争奪編
第92話 百鬼夜行①
しおりを挟むズル……ズルズルッ……
不快な音が、地の底から這い上がってくる。
ぬらりひょんの足元から伸びる影――その淵から、“何か”がぞろぞろと這い出してきた。
「あれは……!」
リィドが叫んだ。
最初に姿を現したのは、犬のように四足で歩く影――だが、顔はまるで皿のように平たく、黒い舌をだらりと垂らしている。
続いて現れたのは、首のない女のような影、体をくねらせて笑う虫のような影、何本も腕をもつ子供ほどの大きさの“人型”のようなもの――
それらが、音もなく、数を増していく。
「くるぞ!」
伊庭さんが刀を構え、飛びかかってきた一体の首なし妖怪を一閃で切り伏せた。
刃は深々と食い込み、首のない胴体を真っ二つに割る。
「《月牙》ッ!」
飛ぶような斬撃がその後続をまとめて斬り裂き、三体が黒い液体を撒き散らして倒れる。
中野も鉤爪を構え、跳びかかる四足の怪を串刺しにするように突く。
「邪魔だッ――!」
「《貫穿》!」
その一撃で、五体は地にめり込み、骨が砕けた音が木霊した。
リィドが間合いを詰め、次々と風の刃を打ち込む。
「《疾槍陣》!」
小型の影たちが五、六体、風に貫かれ、木の枝に叩きつけられて崩れる。
「まだいるッ!」
二階堂がScalpel Rain(スカルペル・レイン)、メスの雨を放つ。
だが、倒れても“次”が来る。
それも、一匹ずつではない。
這い出る数は、最初の倍――いや、数倍にもなっていた。
その中心に立つぬらりひょんは、まるで舞台の幕が上がるのを静かに待つ役者のように、微笑を浮かべていた。
「お楽しみいただければ、何よりです」
その声に、悪意も敵意もない。
ただ、深夜の風のように、静かで冷たい。
「無限か……?」
誰かが呟いた声が、霧に飲まれていく。
巨大な虫のような影が、後方の木々をなぎ倒して突進する。
伊庭が即座に斬り払い、リィドが風で横から削り、中野が刃を食い込ませて止める――だがその隙に、背後から別の影が跳びかかる。
「ぐっ……!」
俺は反応し、刀の柄でそいつの頭を殴り飛ばす。
「数が多すぎる……!」
二階堂が顔をしかめ、後退しながら再配置を促す。
だが、それすら許さぬかのように、影たちは壁のように押し寄せてくる。
空中、地面、木々の上。
あらゆる死角から――“無数”の妖が、包囲の輪を閉じていく。
「“殺してもキリがない”ってのは、こういうことか……!」
中野が背中合わせに伊庭へ叫ぶ。伊庭は無言で頷き、一体、また一体と斬っていく――だが、それでも包囲は止まらない。
「押されている……!」
伊庭さんが苦々しく呟く。
斬っても斬っても霧に溶け、また現れる。
倒せる、だが“終わらない”。
「なあに……これは宴ですから」
帳の奥、ぬらりひょんの声だけが、どこまでも静かに響いていた。
その姿は戦場のどこにもない。
なのに声だけが、ずっと彼らの背に添うようにささやいていた。
「夜は、まだ始まったばかりですよ」
――ズルズルッ、ズシャアアアッ!!
突如、濃密さを増した霧の奥から、影が“波”のように押し寄せた。
その質量は、先程までとは明らかに違っていた。
小柄な妖だけでなく、二メートルを超える異形の影が混ざっている。
角の生えた獣、裂けた顔の女、複数の腕を持つ兵士のような人型――
「数が……また増えている!」
リィドが風の刃を展開しながら後退する。
その背後で、英斗と伊庭が横並びに立ち、左右から迫る妖を叩き落とす。
「持たないぞ、これ以上は……!」
俺は声を上げた瞬間、左斜め前――
ドン、と地鳴りのような音とともに、黒い巨影が姿を現した。
四足で這いながら、目のない顔をこちらに向ける。
そいつは一瞬の溜めもなく、飛びかかってきた。
「伊庭さん、左!」
「……遅い!」
伊庭さんが跳び斬りに刃を叩きつけ、巨影を真っ二つにする――が、
「くそっ、止めきれてない!」
続いて、後方――
「うわっ!」
霧の中から現れた影が、俺の背に迫る。
その時――
「中野さん!」
二階堂の鋭い叫びが、夜気を裂いた。
応じるように、中野が静かに息を吐く。
「……了解」
鉤爪を引き、両の手を組む。
静かな所作のなかに、凄まじい“意志”が込められる。
「――《天之封域(あめのふういき)》」
瞬間、周囲の空間が“押し返された”。
中野を中心に、淡く金色に揺れる結界が展開される。
その結界は呼吸のように脈動しながら、地面に紋を描いて広がっていく。
ガンッ!!
突進していた妖が結界の膜に衝突し、歪んだ叫びを上げる。
「結界……!?」
俺は驚きの声を漏らす。
「助かった……」
伊庭さんが肩を並べて、刃を下ろすことなく、結界の内側から睨み続ける。
結界の外側では、なおも妖たちがぶつかり、跳ね、噛みつこうとし、あるいは溶けるようにまとわりつこうとする。
だが――中野の結界が、それらを寄せ付けない。
「……助かりました、中野さん」
二階堂が額の汗を拭いながら、結界の中心に近づく。
「長くはもたんぞ、二階堂……!」
中野が息を切らしながらも、気力を振り絞るように言った。
「皆さん、結界は強力ですが――長くは持ちません。今のうちに数を減らしてください!」
二階堂が指示を飛ばすと同時に、彼の背後――
黒い霧の帳、その奥から再び、ぬらりひょんの笑みが聞こえた。
「結界、とは。……随分と手際が良い」
その声は、皮肉でも嘲笑でもなかった。
ただ、“楽しんでいる”音色だった。
「ですが、いつまで耐えれますか?」
「問題ない」
伊庭さんが、静かに一歩、結界の縁を踏み越えた。
その背に、誰もが“決意”を感じ取った。
そして刀を抜きながら、低く、呟く。
「――《一視無明(いっしむみょう)》」
空気が震えた。
視線が走る先、霧の中の“すべて”に照準が合わされる。
スキルの発動にはわずかな“貯め”が必要だ。
だが、今は――結界という“砦”が、その一瞬を守ってくれている。
瞬間。
時が止まったような静寂。
伊庭の視界に入るすべての敵影が、その一瞬――“刃に映った”。
ザッ――!!
刹那、斬撃音すら聞こえないまま、
すべての妖たちが“同時に”切り裂かれ、霧の中で崩れ落ちていく。
「な、なんだ……あれは」
リィドが思わず目を見開く。
妖が見えたと思えば、そこにはもう肉片が舞っている。
現れた先、地を這う前、跳ねる前――
すべて“現れる前に”仕留められていた。
「……とんでもないスキルを隠してましたね」
二階堂が小さく呟く。
それは“範囲殲滅”という単語では足りない。
まるで、伊庭の視界そのものが斬撃に変わっているかのようだった。
だが――
時間が経つごとに、伊庭の様子に異変が現れる。
「伊庭さん……!」
俺が結界の内側から呼びかける。
鼻から、血が一筋、流れ落ちる。
それだけではない。
耳の奥からも、赤黒い滴がこぼれ落ち、目の端にも血がにじんでいた。
「やはり……脳への負担が……」
二階堂が低く呟く。
伊庭の動きに鈍りは見えない。
だが――確実に、命を削っていた。
それでも、伊庭は止まらなかった。
止まれば――また、押し込まれる。
止まれば――誰かが、喰われる。
「ぐっ……はっ……!」
深く息を吐く。
その吐息が赤く染まっていることに、本人はもう気づいていない。
それでもなお、伊庭は斬り続けた。
斬り、断ち、駆け、止め、構え、そしてまた斬る。
――刹那。
ピタリ、と霧が静まった。
まるで、大海に投げ込まれた石の波紋が、ようやく収束したかのように。
黒い影が――出てこない。
「……終わった?」
リィドが半信半疑で辺りを見回す。
俺も警戒を解かず、刀を構えたまま動かない。
「……ああ」
伊庭さんが、結界の内へと戻ってきた。
その姿は、まるで血に濡れた亡霊のようだった。
だが、その両目には、はっきりと“生”の光があった。
「尽きた。少なくとも、今はな」
その声に、誰もが言葉を返せなかった。
中野がすぐさま伊庭の肩を支える。
「よく……持ちこたえた」
「中野さんのおかげだ……」
伊庭がかすれた声で呟くと、膝をつきそうな身体をなんとか刀で支える。
彼の後方、霧の奥には――もはや、何もいなかった。
ただ、一人を除いて。
「お見事でございます。しかし、困りました」
霧の帳の奥から――ぬらりひょんの声が再び、微笑とともに響いた。
「百鬼をお迎えする観客が消えてしまいました」
「観客……だと?」
リィドが目を細め、冷ややかに言い返す。
「あなた方が今しがた倒したのは、ただの“観客”
盛大にお迎えしたかったのですが、致し方ありません」
その言葉が終わるや否や――
ズン……ッ
地が低く、重たく鳴った。
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