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和知 輝樹
しおりを挟む『現実時間』九月二日。沖縄、新国際ホテル815室。
「ああ!!」
という自分の大きな声で、和知輝樹は目が覚めた。
視界はひどく歪み、滲んでいるがなんとか……宿泊しているホテルの天井と壁であることを確認し、
さっきまでのはひどい夢であるという事実に至ることができた。
慌てて自分の顔を触る。とそこには、
ここのところの不摂生な生活でくすみ、浮腫んで、脂っぽい自分の顔があった。
そして大量の汗をかいていた。
暑いわけではない。この部屋の空調は快適であり、この汗が暑さによるものではないことは明らかだった。
にしても、嫌な夢だった。
大量の人間の死体を見るなんて夢は初めてだし、願わくば最後であってほしい。
和知は時計を見た。朝七時半。チェックアウトまでには時間があるし、こんな夢を見た後ではモーニングビュッフェという気分でも、
朝風呂という気分にもなれない。
やれやれ、と、ベッド脇のサイドテーブルを探る。確か水を置いたはずだがそれは勘違いで、テーブルの上には何も置いていなかった。
仕方がないのでカーテンを開けると、すでに沖縄の空には爽やかな、九月の太陽が登っていた。
国際通りも、沖映通りも車と人でいっぱいだった。
上に目をやれば真っ青な空には雲一つなく、乾いた風が椰子の葉を揺らす。今日も暑くなりそうだ。
思いつきで決行した弾丸旅行中の中年男性には今日の予定は特になく、家内にお土産を買って、午前十三時の飛行機に乗って帰るだけだ。
疲れてるんだなあ。
ここのところ研究による成果が見えずらい日々が続いており、気ばかりが焦っていた。
若い頃は昭和生まれの根気でどうにかなっていたものが、四十を過ぎたあたりから無理が体に出始め、四十の後半に差し掛かる頃についにダウンしたのである。
見かねた後輩たちに、気晴らしに沖縄にでも行って、青い海と空に抱かれて癒されるよう進められた。この年齢にして、初めての沖縄旅行である。
それも、マイペースに予定を組んだ方がいいだろうからという理由で家内からも気を使われてしまい、たった一人東京から出てきた。
しかしそれがかえって仇となったようで、海には行ってない。
一人ではとても、そんな気にはなれなかった。
汚い中年男性が、一人で海に行ってそれが何になるというのだ。
結局ホテルからあまり出ない、怠惰な休日となってしまった。いざ沖縄に来たところで、何をしたらいいのか全くわからなかったのだ。
ただ話しかけてくる厄介者が一切いない、空調がよく効いている空間で、何もしない時間を過ごせた。
本当はもう二、三日、休みを取ってもよかったのだがやはり昭和生まれのこともあり、何もしないということが落ち着かない性分なのだ。
あまり心が休まった気持ちはしないが、このまま何もしない時間を過ごすのも違うだろう。
階下の国際通りを眺めて、やっぱり何もする気が起きずに和知は、サイドテーブルの上にある飲みかけの水だけ一気に飲み、再び眠りの世界へと船を漕ぎ出した。
実はこの瞬間にはすでに、不思議なことは起きていたのである。
* * * * *
二度寝の後、見事に寝坊した。
チェックアウトの時間が過ぎているという、ロビーからの電話で目が覚めたのである。
先ほど変な夢を見て一回完全に目が覚めた後だというのに、不自然なほどの寝付きの良さだった。
慌てて荷造りし、ホテルの従業員に平謝りをして大慌てでチェックアウトをした。
おかげで空港行きのバスを寝過ごしてしまった。
時刻は十一時。なんとチェックアウトの一時間後に起こされたのである。
もっと早く起こしてくれればよさそうな物を、こんなことがあるのだろうか?
しかし内心では少しだけ、ほっとしていた。
国際通りでお土産を買うにしてもこの暑さの中で歩き回るのは、実は億劫だったのだ。
これで諦めがつくという物である。ものは考えようだ。
結局十一時半のバスに乗り、空港に着くのはだいたい十二時前と考えると、この年にして慣れない搭乗手続きのことを考えると割とカツカツである。
これは、空港でもお土産を買う時間も怪しい所か、朝飯と昼飯抜きという一番避けたかった事態かもしれない。
第二の不幸は、バスに乗る前から起きていた。
「パラセイリングしたいんすよ!! 沖縄!! 初めてで!! 」
「はあ、こちらは那覇空港にしか行きませんので……」
「どうやったらいけますか!? 真志喜!! 沖縄、初めてでして!! 真志喜でしたよねあれ!?」
「いやあ……」
「スマホも充電切れちゃって!! …… ……」
バスの外で、運転手と見るからにバカそうな観光客が大声で話し込んでいるのだ。
おかげで出発が一分も遅れた。
……それだけではなかった。
最初から、妙な揺れ方をするバスだなあと思っていたが、いよいよそれは単なる奇妙では済まない事態になっており、
バスが道端に停止した。
なんとタイヤのパンクだという。スペアは当然あるが交換には時間がかかるというので、代わりのタクシーを呼ばなくてはならなくなった。
ここで思わぬロスをくらい、和知は焦り出した。
結局空港に着いた時には十二時を過ぎていた。慣れない搭乗手続きをしないといけない。
和知はトランクを引きずって走り出した。
空港内は人が溢れかえっている。
和知は道中でいろんな人間にぶつかった。
そしてなんとか、手荷物検査の段階に入ったのだが、ここでダメ押しの不幸が訪れた。
ポケットにいつの間にか、サンゴが入っていたのである。
自分は海には行ってない。サンゴを持ち帰ろうとしたわけではない。と、いくら説明しても、
自分のアリバイを証明できる人間はおらず、検査官に尋問室に連れて行かれた。
だが結局ポケットに入ってたサンゴも沖縄のものではないとわかると警察沙汰は免れ、解放もされたがその時には帰りの飛行機は飛び立っていた。
和知は、帰りの飛行機を失った。キャンセルが出ればANAの便で帰れるが、馬鹿馬鹿しいくらいの料金がかかるため結局、
和知の沖縄滞在が一日のびることになったのである。
非常に落胆したが、どうせ何もない時間が一日延びただけだ。
一日くらい我慢すればいいのだ。
和知は、朝食と昼食を兼ねた食事をとり、関係者に帰る日にちが遅れることを伝えると、なんとなくポケットに入っていたサンゴのことを思い出した。
しつこいようだが、海には行ってない。
財布をスられるならまだしも、持ち物が知らない間に増えるなんてことは、それまでの和知の人生においては皆無であった。
それもなぜ、サンゴなのだろう?
帰ることを諦めた和知は、いよいよこれが何か自分に与えられた天からの啓示なのではないかと考え始めた。
* * * * *
この後和知は、那覇空港から与那国島へ向かい海洋の環境悪化によるサンゴの減少という現実を、現場で思い知ることになる。
そしてそれが、後に国際環境シンポジウムが開かれるきっかけになる。
一つの事実に対して、その事実に至るまでの道筋も一つ……とは限らないのである。
すなわち和知は、『偶然』ホテルで二度寝をして、乗ったバスが『偶然』トラブルを起こし、そして『偶然』空港内でアクシデントに巻き込まれて飛行機に乗り遅れ、
『偶然』行くつもりもなかった沖縄の海に行った。
それは一方からの視点であり、全ては『偶然』引き起こされた『偶然』の出来事である。
しかしもう一方からの視点で見れば、和知は二度寝をさせられた。バスのトラブルに巻き込まれた。空港でサンゴを持たされた。
つまり飛行機に乗り遅れたのと、海に向かったのは、強固なまでに作り上げられた『必然』だったのである。
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