黒スーツと二酸化炭素

SB亭孟谷

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木とため息

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 天井も床も壁も白い会議室に、三人の黒スーツ、中条と山田と、藤田がいる。

 藤田の真前で、中条は行儀悪くデスクに腰をかけ、その脇に山田が腕を組んで立っていると言う構図である。 
 何やら神妙な話をしようとしているようにも見える。

「私たちはね、藤田くんのことを想って言ってるんだからね」

「そうだぞー藤田。気持ちはわかるけどよ」

 中条に言われて藤田はムッとした。

「何がですか。任務で週一回会ってるだけですよ!」

「ホントかー? 最近のお前をみていると、どうもそんな風には見えないんだが……」

『そんな風には見えない』のは藤田からすると図星だ。しかし感情が抑えられない藤田の怒りは沸点に達した。

「じゃあ中条さん代わってくださいよ! 上田の監視任務!」

「お、俺は……アルフレッドと釣りに行かないといけないし……」

 年下に強く言われて、中条はシュンとしてしまった。

「ほら! 俺と同じことやってるんですよ!」

「『同じ』じゃないわよ」

 藤田が言いたいことを言い終わる、実にいいタイミングで一番の良識者である山田が割って入る。

「藤田くん。わかってると思うし、今更言うことじゃないけれど私たちは、人間と深い関係になるべきじゃないの」

「上田さんは、ただの友達ですよ! たまに映画を見に行く友達です」

「友達でもダメなの。あくまで任務の延長での付き合いにとどめなさい。……じゃないと絶対後悔するわよ」

「……」

「なんなら私が代わってもいい。三田村くんに言ってみるわよ」

「まあとりあえず、次は俺たち海外勤務だ。しばらく彼女とも会えんだろう。そこで気持ちを整理することだな」

「わかってますよ」

 吐き捨てるように、藤田は言った。
 
 中条と山田が部屋から出て行ったが、藤田はその場を動くことができなかった。
 
 すると、タイミングがいいのか悪いのか、藤田の所持している『連絡用』の端末に、上田からメッセージが届いた……。


『佐藤さん! 甘い物好きな佐藤さんに朗報です! 香林坊のあたりにスイーツショップができるみたいですよ! 日曜日行きませんか!?』

 少しだけ、手が震えた。
 自分の目の前で甘いものに囲まれて、小さい手と唇にドーナツを、幸せそうに運ぶ上田を想像してしまい、奥歯を噛み締めて妄想を殺した。

 返信に、少し時間がかかった。

「上田さん。ごめんなさい仕事の関係でしばらく日本を離れます」

 とだけ送ると、すぐに返信が返ってきた。

『残念! お土産期待してますね! お気をつけて!』

 気をつけて、か。

 藤田はため息をつき、肩を落とした。





* * * * *
 
『現実時間』五月十日。ロシア、北コーカサス地方山岳地帯。

 神取達は、伐採跡の向こうに灰色の石造りの塔を見つけた。
 谷間に孤立するその塔は、千年前からこの地を守ってきたスヴァネティの民の遺構だった。幾世代も雪崩と戦火に耐え抜いてきた建造物の背後で、いまは無残に削られた斜面が口を開けている。
 伐採を進める作業員たちは、ただ命じられた仕事をしているに過ぎない。燃料も、収入も、村に生きるための道は他にない。
 ロシア政府にとっても、山間の道路は軍の輸送路であり、国境の防衛線である。――そうした事情を篤も理解はしていた。
 しかし、理解することと受け入れることは別だった。

「こりゃあ、ひどい……」

 彼は吐息のように呟き、再び遠くの雪嶺を仰いだ。白銀の峰々は変わらず厳然とそびえ立っている。それでも谷間の緑は、確かに削られていた。

 夜明けの薄曇りの空の下、コーカサスの山肌に立ち、眼前に広がる光景を静かに見つめていた。

 大地を覆うはずの深緑は、不自然に断ち切られ、まるで巨大な傷跡のように裸の斜面を晒している。
 山の麓から稜線へ向かって、黄土色の土がむき出しになり、そこに斜めの轍のように伐採路が刻まれていた。

 背後には、雪を残す高峰が幾重にも連なり、冷ややかな風が吹き降ろしてくる。
 その荘厳な山並みは、太古から変わらずそこにあるはずなのに、人の手が加わった一角だけが醜く浮いていた。
 指で目頭を押さえる。

「人は、植物から酸素を借りて生きているに過ぎない……」

 彼が講義で幾度も語った言葉が、今、心の中で重みを増す。
 森が削られるということは、ただ木が失われるというだけではない。土は流れ、河川は濁り、動植物の循環は断たれる。
 やがては、この地に住む人々の営みそのものを根底から揺さぶるだろう。
 ふと、切り株に腰を下ろすと、まだ湿り気を残す木の香りが鼻をついた。
 つい数日前まで、ここに百年を超えて生きていた樅の木が立っていたのだろう。人間の時間に換算すれば、老人の寿命を一瞬で奪い去ったに等しい。
 遠くでチェーンソーの音が再び唸りをあげる。金属音は、この静謐な山岳の空気を裂き、篤の胸を強く抉った。
 彼は手帳を取り出し、震える手で記録を取り始める。調査者として冷静であらねばならぬ一方で、心はどうしようもなく疼いた。
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