空白に舟を浮かべろ!

SB亭孟谷

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第二章 探索! 物語の世界!

第15話 極寒のパラティーノ

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 思わず背筋が凍った。
 先ほどまで会話していたのが、ローマ帝国の五賢帝、トラヤヌスだったなんて……。
 
 そしてリードはトラヤヌスの後継者、ハドリアヌスの時代に飛ばされてしまったと言う。
 差し当たって、タイムマシンを持っている僕が迎えに行くべきなのだろう。

 しかし、ここはおそらく、現実ではなく物語の世界のローマ帝国ということになる。
『機械』を設置するなら、どこが目立たないだろう……

 僕はあたりを見回した。

 すると、神殿の正門あたりに人が集まっているのが見えた。
 彼らは口々に、こんな話をしている……。


「『水道橋』は!? まだ復旧しないのか!?」
「それが……六名向かえないそうなのだ。なんとか集まった人間だけで復旧しないといけない……」

 僕が彼らの話に耳を傾けている間に、どんどん人が集まってきてしまう。
 まずい。人の目が多すぎる。

 目を皿にして右往左往し、放置されて廃墟になっている祈祷場を見つけた。
 その石柱の影に『機械』を設置する。……一応、「目立ちませんように」と手を合わせて祈った。
『機械』のつまみを、四十年後に設定して、ワームホールを開いた……。


 * * * * *

 目が覚めた。川の音と水の匂いがする。

 どうやら建物の中にいるようだ。巨大な建造物の中の一室にいる。窓の外を覗いてみると、別の建物の屋上を見下ろすことができ、側にはこれまた立派な川が流れている。
 飛び抜けて高い建物なので、おそらくここで皇帝、ハドリアヌスが政を行っているのだろう。
 
 するとあの川はティベリス川。建物は『パラティーノ・ヒル』であるはずだ。
 僕は建物内を散策した。
 
 話し声が聞こえて身を隠す。
 どうやら、政治家達が相談しているようだ。

「……では、戻られたのか! 政務官殿は!」

「『元』政務官だ! ……いま皇帝と直に謁見中だが……
 何やら、せめてもの謝罪の気持ちにと異国の『砂時計』を献上されたそうだが……あれではとても助かるまい……」

 やはりここにハドリアヌス皇帝がいるに違いない。そしてリードも。
 僕は身を隠しながら建物内を散策する。
 と、一際大きな扉の前に出た。

 扉には『N P D L』と大きく刻まれているが、何のことだかは理解ができなかった。

 扉の向こうから、ただならぬ緊張感を感じる。

 耳を当てて、扉の向こう側の声を聞いてみた。すると……

「論外だ! たわけめ!!」

 という怒鳴り声と、何かガラスのようなものが砕ける音がした。

「出戻った貴様を、門番は何と評したか!!」

「お慈悲を! どうかお慈悲を! 皇帝様!!」

「ええいその汚い面を二度と見せるでない! せめてこの地で処刑されることをありがたく思うのだな!
 連れていけ!!」

 という怒鳴り声と共に……扉が開いた。

 部屋の中にいた大勢の人間達と、僕の目が合う。

「何者だ貴様!!」

 衛兵が一斉に剣を抜く。

「あ! あわ!!」

 僕は恐怖で腰が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまった。

 部屋の奥にいる、一際身なりのいい男が鬼の形相でこちらを睨んでいる。

「我が幕僚は、館に忍び込んだ鼠も満足に駆除出来んのか!
 貴様も処刑台に送ってくれる! ひっとらえろ!!」

 甲冑姿のレギオンに、ものの数秒で囲まれてしまい、背後から頭を小突かれて僕は気を失った。

 * * * * *

「……ライトさん。ライトさん」

 ……響いてくるのは水滴の音。そしてカビの臭い。

「ライトさん、大丈夫ですか」

 誰かが僕の背中をさすっている。
 薄めを開けると、暗闇の中にぼんやり、リードの顔が見えた。

「リード! ようやく会えた!!」

 僕は思わずリードの肩を抱き寄せた。命の危機が目の前まで迫っていたので、心が不安で蝕まれていたのだ。

「ライトさん……私を探しに?」

「当たり前だろう! この世界は、僕一人じゃ何もできないんだ」

 僕たちがいるのは、薄暗い牢屋だ。
 リードと同じ房に入れられたのは運が良かったのかもしれない。
 鉄格子の外に蝋燭の炎が揺れていて、それだけがこの場所の光源だ。
 牢の中は寒い。地獄のように寒い。

「どうやら『歴史・時代小説』の世界にやってきたようですね」

「『歴史・時代小説』?」

「実話を元に、過去の物語を描いた世界です。
 この物語の舞台は、古代ローマ帝国のようですが」

「ハドリアヌス・ドキュメンタリー」

「いいえ、ドキュメンタリーとは少し違います。
 史劇はあくまで創作物。そこには作者の想像や、フィクションが添えられる事が一般的です」

「うん……ところで……非常にまずい事態だ」

 僕は思わず俯いた。

「リュックを奪われてしまった。この世界から出ることができない」

 床の石畳を眺めていると、牢の外の炎が揺れるたびに、何か文字が刻まれているのが読めた。
 囚人が過去に落書きを残したのだろうか?
 
 暗くて肝心な部分がよく見えないが、こう書いてあるみたいだ。

「Caesar cipher『? ? ? ?』key=1 decode」

 ?? 何のことだかさっぱりわからない。
 何か、囚人が正気を保つために暗号遊びでもしていたのだろうか?

 だとしたら僕には関係がないし、考えなければならないのは、これではない。

「このまま、処刑されるのを待つしかないのでしょうか……」

 いつも楽しそうなリードの顔が沈んでいるので、僕も気分が沈んでいる。
 それは、何となく心細かったり、哀しかったり、怖かったりといった感情だ。
 ため息を漏らすと吐く息が白いのがわかった。

 僕らは何となく、身を寄せ合った。
 

 すると、牢の外。暗闇の奥から声が聞こえてきた。

「何やら怖がっているね」

 非常に澄んだ、美しい声だった。
 声自体が質量を持ち、光を発しているのではないかと感ずるような……聞いたこともない声だった。

 そして、いつの間にか牢の外に青年が立っていた。

「大丈夫かい?」

 男の僕が見ても『美しい』と思えるような美男子だった。
 すっと伸びた一筋の鼻の、両側に添えられた一対の眉と目は、何やら神々しさを宿しているし、うっすらと浮かべたアルカイックスマイルは、優しさと憂いを兼ね備えている。
 白い布が包んだその体には、無駄な贅肉の一切が排除されていた。

 何より、光源すなわち蝋燭の炎は、彼の背後にある。
 したがって光源と彼の顔は逆光の関係であり、表情が見えること自体が不自然なはずだ。
 美しさというのは……こういうことなのだろうか。

 僕は息を呑んでしまった。

「寒いだろうね。かわいそうに。
 ……皇帝はね、今悲しい事があって、冷静な判断ができない状態なんだ」

「あなたは……?」

 僕は不思議な青年に訊ねてみる。
 青年は表情を崩さずに答えてくれた。

「僕は……僕は僕さ。
 とにかくここから出してあげる。寒いだろう?」

 そういうと、青年はどこからか牢の鍵を取り出して、鉄格子を開けてくれた。
 僕たちを押し込めていた檻が、重々しい音を立てて開く。

「あ、あの! ……ありがとうございます」

 僕は青年に頭を下げる。青年の表情はまるで変わらない。

「それで、僕たちはここに連れて来られる間に、大事な荷物を没収されてしまったみたい……なんです」

 すると青年の表情はさらに柔らかくなった。

「あの、ヘンテコな形の入れ物かい?」

 おそらく僕のリュックの事だ。

「そうです! どこにあるかご存知ないですか……?」

「本当に妙な入れ物だよね。あんなものは見た事がない。
 皇帝は気味悪がって自分から遠ざけようと、『目にも入れたくない遠い場所』に捨てさせたみたいだよ」

「……それはどこですか……?」

 僕は聞いた。
 すると青年は、遠い目をして答えた。

「さあ……名前は知らないんだ。悪いけれど君の方で考えてくれないかい?」

「そうですか……」

「ただね」

 青年の顔から、笑顔が消えた。

「皇帝にとって、とても悲しい思い出のある場所……のはずだよ」

 どこのことだろう? 僕は考えたが思い当たらなかった。
 暗い暗い牢獄の中で、僕は途方に暮れてしまった。

 * * * * *

 すると、リードが僕にこんなことを言った。

「ライトさん。『ライトさんの同僚』って……どなたでしたっけ?」
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