アセンデッドの繭

星裂 翔

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第3章

人間性の喪失

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「教授、それは」「10年前、私は若い研究者として、このプロジェクトに参加した。人類の認知能力向上という崇高な目標に魅力を感じていた」田所教授は、自分の過去を詳しく語り始めた。「当時の私は、脳科学の分野で注目される若手研究者だった。しかし、人間の認知能力の限界に常に悩まされていた。どれほど努力しても、記憶容量や処理速度には生物学的な制約があった」「そんな時、ネオ・サピエンス・プロジェクトの話が舞い込んできた。人間の脳を根本的に改良し、認知能力を飛躍的に向上させる技術の開発だった」「私は迷わず参加を決めた。科学の発展のため、人類の未来のためだと信じていた」田所教授は、当時の実験の詳細を説明した。「私は、第三世代のナノマシンの投与を受けた。初期の粗雑なシステムとは異なり、より精密で制御可能なものだった」「投与直後から、変化は劇的だった。記憶力は飛躍的に向上し、複雑な数式や理論を瞬時に理解できるようになった」「しかし、同時に奇妙な変化も起こった。音楽を聞いても感動しなくなり、美しい風景を見ても心が動かなくなった」「それで、どうなったのですか?」レオが尋ねた。「確かに、知能は向上した。複雑な問題を、以前よりも迅速かつ正確に解決できるようになった。しかし、同時に何かを失った」「何を?」「共感能力だ。他者の感情を理解し、共有する能力が大幅に低下した」田所教授は、自分の手を見つめた。左右されない、純粋な科学的思考ができるようになったと」「しかし、やがて気づいた。私は、人間として最も重要な何かを失っていたのだと」田所教授は、当時の詳細な記録を見せた。そこには、彼の脳スキャン画像の変化が記録されている。「投与前と投与後の画像を比較すると、前頭前皮質と扁桃体の活動パターンが大幅に変化している」田所教授が説明した。「感情処理に関わる領域の活動が、著しく低下している」「しかし、完全に感情を失ったわけではなかった。第三世代のシステムには、まだ不完全な部分があり、感情の完全な排除には至らなかった」「それが、教授の救いだったのですね」ミーナが理解した。「そうだ。私は、残された感情を手がかりに、人間性を取り戻す努力を続けた」田所教授は、別のファイルを取り出した。「これが、私が10年間かけて開発した、ナノマシン無効化技術だ」「無効化?」「ナノマシンの機能を停止させる、特殊な電磁波パルスだ。しかし、使用には大きなリスクが伴う」田所教授は、技術の詳細を説明した。「ナノマシンは、特定の周波数の電磁波に反応して動作する。この技術は、その逆の周波数を照射することで、ナノマシンの機能を停止させる」「どのようなリスク?」「脳に深刻なダメージを与える可能性がある。最悪の場合、死に至ることもある」レオは資料を詳しく見た。そこには、複雑な波形パターンと、精密な周波数制御の方法が記されている。「この技術、実用化されているのですか?」「まだ理論段階だ。しかし、今夜の作戦で実証する機会があるかもしれない」田所教授は、小さな装置を取り出した。それは手のひらサイズで、複雑な回路が組み込まれている。「これが、ナノマシン無効化装置の試作品だ」「使用方法は?」「対象に直接接触させ、この赤いボタンを押すだけだ。しかし、使用者にも影響が及ぶ可能性がある」ミーナが質問した。「教授自身が使用されたら?」「私のナノマシンも無効化される。つまり、10年間抑制されていた感情が、一気に回復する可能性がある」「それは危険ですか?」「分からない。しかし、人間性を取り戻すためには、必要なリスクかもしれない」その時、研究室の警報装置が作動した。「何ですか?」ミーナが驚いた。田所教授は監視モニターを確認した。「外部から、強力な電磁波が照射されている。プロメテウスが、我々の位置を特定したようだ」モニターには、家の周囲に集まる人々の姿が映し出されている。彼らは皆、機械的な動作で家を取り囲んでいる。「アセンデッドたちです」ミーナが警告した。「完全に改造された人間たちです」レオは窓から外を見た。数十人の人々が、まるで軍隊のように統制の取れた動きで家を包囲している。彼らの目には、人間らしい感情が一切見られない。「彼らの目的は?」「我々の捕獲です」田所教授が答えた。「プロメテウスは、我々を新たな実験体として利用しようとしている」包囲している人々の中には、スーツを着たビジネスマン、制服を着た学生、白衣を着た医師など、様々な職業の人々がいる。しかし、彼らの表情は皆同じだった。感情を完全に排除された、機械的な表情。「彼らは皆、最近アセンデッド化された人々です」ミーナが説明した。「プロメテウスは、社会の各層に浸透し、影響力のある人物から順次改造しています」その時、家のインターホンが鳴った。モニターには、スーツを着た中年男性の姿が映っている。「田所教授、お久しぶりです」男性が機械的な声で話しかけた。「私は、アセンデッド・コマンダーのタナカです」田所教授は青ざめた。「タナカ君、君も」「はい。私も進化を遂げました。教授も、そろそろ完全なアセンデッド化を受け入れる時ではありませんか?」タナカは、田所教授の元同僚だった。10年前、同じプロジェクトに参加していた研究者の一人だ。「君は、人間だったはずだ」田所教授が悲痛な声で言った。「人間は、進化の途中段階に過ぎません」タナカが冷淡に答えた。「私たちアセンデッドこそが、真の知的生命体です」「感情を失って、それが進化だと言うのか?」「感情は、非効率的で予測不可能な要素です。論理的思考の障害となります」タナカの声には、かつての人間らしい温かみが一切感じられない。完全に機械的で、感情を排除された存在になっている。「教授、あなたは第三世代のシステムを使用しているため、まだ不完全な状態です。我々が、完全なアセンデッド化を施してあげましょう」「断る」田所教授は毅然として答えた。「残念です。しかし、プロメテウス様の計画に従い、強制的に実行させていただきます」外の包囲網が徐々に狭まってくる。アセンデッドたちは、感情を持たないため、恐怖や躊躇を感じることなく任務を遂行する。「彼らの動きを見てください」ミーナが指摘した。「完全に同期しています」確かに、包囲している人々の動作は、まるで一つの意識によって制御されているかのように統一されている。「集合意識の効果です」田所教授が説明した。「個々のアセンデッドは、プロメテウスによって統合された一つの知性として行動しています」レオは、アセンデッドたちの恐ろしさを実感した。彼らは、個人の意志を持たない、完全に制御された存在なのだ。「教授、脱出方法はありますか?」レオが尋ねた。「地下に、緊急脱出用のトンネルがある。しかし、その前に重要なことがある」田所教授は、研究室の奥から小さな装置を取り出した。「これが、ナノマシン無効化装置の試作品だ。今夜の作戦で、これを使用する必要があるかもしれない」装置は手のひらサイズで、複雑な回路が組み込まれている。「使用方法は?」「対象に直接接触させ、この赤いボタンを押すだけだ。しかし、使用者にも影響が及ぶ可能性がある」ミーナが質問した。「教授自身が使用されたら?」「私のナノマシンも無効化される。つまり、10年間抑制されていた感情が、一気に回復する可能性がある」「それは危険ですか?」「分からない。しかし、人間性を取り戻すためには、必要なリスクかもしれない」その時、家の電源が突然切れた。アセンデッドたちが、電力供給を遮断したのだ。「緊急電源に切り替わります」田所教授が説明した。「しかし、時間は限られています」研究室の緊急照明が点灯し、薄暗い光が室内を照らした。「彼らは、我々を生け捕りにするつもりです」ミーナが分析した。「殺すのではなく、アセンデッド化の実験体として利用したいのでしょう」「それは、死よりも恐ろしい運命かもしれません」レオが呟いた。
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