爺ちゃんの時計

北川 悠

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親父

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 新一は何度も何度も床枝さんのメールを読み返し、その意味を考えていた。
 再来週以降なら連休が取れると書いてある。連休? 連休って事は泊まりでもいいって事か? 妄想だけで心臓の鼓動が早くなる。でも、じゃあ再来週にしましょうというのは、なにか見え見えな気がする。どう返信しよう……いくら考えても答えが出ないので取りあえず、どっちに転んでもいい返事をした。
【新一です。メールありがとう。僕もいろいろ話が出来て楽しかったです。大津島は床枝さんの都合に合わせます。母から聞いているとかと思いますが今、自分は就職活動中です(汗)時間はいくらでもありますので、いつでも大丈夫です。また連絡します】
 返信後、新一は床枝さんとの旅行行程を考えながら、一人でニヤニヤしていたが、不意に後ろから声をかけられて飛びあがった。
「なんだ親父か、脅かすなよ。今日は泊まりじゃなかった?」
「思ったより早く片付いたからな。母さんは?」
「夜勤だって」
「そうか」
 親父との会話はこれでしまいだ。まあ、父親と息子の会話なんてこんなものである。お互い特に話したい共通の話題があるわけではない。
「飯、まだだろ。たまには外で食うか?」
 親父が誘っている? 仕事を辞めた時、少しもめた。それ以来ほとんど親父とは口をきいていなかった。
 普段の新一であればまず断っただろう。だが今日は気分が良かった。
「ああ、いいよ」
 あっ、そういえばハンバーグ。まあいいか、レトルトなので別に今日食べる必要はない。

 家から歩いて十分程のところにあるステーキハウス、ブロンクスは夕飯時であったが、なんとか待たずに座る事ができた。この店は比較的リーズナブルだが、雰囲気がこじゃれている。出来たのは一年程前。一度行ってみたかったのだが生憎、一緒に行く彼女どころか友人もいなかった。
「親父ここ来た事あるの?」
「母さんと一度な」
 なんだ、来た事が無いのは俺だけだったのか。
「取りあえずビールでも飲むか?」
「えっ、ああ、うん」
 考えてみれば、親父と酒を飲むなんて初めての事だ。
グラスビールを運んできたのは、髪を金髪に染め、腕にタトゥーを入れた派手な女の子だったが、終始ニコニコしていて、とても感じがよかった。人は見かけで判断されるという事を学んだ新一であったが、今の自分は見かけ以前の問題である。自分がダメ人間だという事は分かっている。でも、それを克服して頑張ろうという気持ちになれないのだ。
 今日までは正直、再就職は諦めてブラブラとフリーターでもやりながら生きていけばいいと思っていた。しかし、爺ちゃんから戦争の話を聞き、床枝さんの話も聞いた。そして今、金髪の女の子さえも、ちゃんと働いている。俺も少しは見習わないと。そんな気持ちが芽生えてきたのも確かだった。
「どうした。考え事か?」
「いや……皆、ちゃんと働いているんだなと思って」
「すまなかったな」
「え?」
 浩一はグラスに半分残ったビールを一気に飲み干して二杯目を注文した。
「そんなに飲んで大丈夫なのかよ。いつ呼び出しがあるか分からないからと言って、家でもあまり飲まないじゃないか」
「今日はいいんだ。大きな事件が解決したからな。明日は久しぶりに休める。それにもう現役の刑事じゃないんだ。定年後の再雇用だから気は楽だ」
 昔から親父が休んで家にいる姿をほとんど見たことがない。世間ではブラック企業だの何だの騒がれているが、公務員であるはずの警察は超ブラックだ。でもまあ、やりたい事をやって給料が貰えるのは幸せな事だなと思う。
「てか、すまなかったって何が?」
 前菜のサラダが運ばれてきたので、そのタイミングで新一も、もう一杯ビールを注文した。
「お前、結構飲むのか?」
「そんなに飲まないよ。まあ飲めなくは無いけど。それより、なんで謝ったんだよ」
 しばらく無言で、大根とレタスのサラダを食べていた浩一は箸を休め、少し改まった口調で切り出した「大学の事だ。まあ、もう遅いが、行きたくもない大学に行かせて悪かったと思っている」
 たしかに、あの時の親父には腹が立った。せっかくいい高校に入ったのに! と罵られ、その挙句、無理やり入学した大学のせいで、まともな就職先にもありつけない。だが誰が悪い? 誰のせいだ? 当時どうしてもITの道に進みたかった訳ではない。今のダメな自分は親父のせいではなく、百パーセント自分のせいなのだ。そんな事は分かっている。
 新一が黙っていると浩一が続けた「今からでもやりたい事があるならやってみろ。学校にいくなら金をだしてやる。そのくらいなんとかなる」
 新一が言葉を返そうとした時、丁度ステーキが運ばれてきた。三百グラムのサーロインだ。
「旨そうだな。最近は蕎麦ばかりだったからな」
そう言った浩一のステーキは小ぶりな百八十グラムだった。
「それ、小さいね。足りるの?」
 子供の頃のイメージだが、親父はでかくて強くて大食漢だった。
「おいおい、もう六十超えたオッサンだぞ。三百グラムなんてとても食えないよ」
 そうか……いつの間にか親父も歳をとったんだな。
「で、さっきの話だけど、親父が気にする事ないよ。ダメなのは俺の問題だから。今、就活してるから大丈夫、ちゃんと働くよ。それに、どうしてもやりたい事なんてないから変な気使わなくていいよ」
「そうか。まあでも、何か思う事があったら相談ぐらいはしろよ」
「ああ、そうするよ」

 その晩、母親からラインがきた。
【お爺さんの件はありがとう。秀美ちゃんからも容態を聞いたので安心しました。で、お父さんとご飯食べに行ったって? ちょっとびっくり。お父さん喜んでたよ~】
 一昔前に流行ったお笑いタレントが親指を突き出しているスタンプも同時に送られてきたが、いろいろ面倒なので、新一は返信をしなかった。

 翌日、新一は数日ぶりに午前中に起きた。階段を降りていくと親父がキッチンテーブルの上に新聞を広げ、缶珈琲を飲んでいた。
「いったい、この家には何本缶珈琲があるんだ」
「ちょっと訳あって大量に買ったんだよ、職場に持って行っていいよ」
「ああ、そうするよ」
「親父がこんな時間に家にいるのは久し振りだね」
「ああ、まあそういう仕事だからな」
「なあ親父。警察官になりたいって思ったのはいつ頃?」
 浩一は新聞を見つめながら答えた「いつだったか確かじゃないが、高校生の頃ドラマを見て漠然と、だな」
「爺ちゃんが、行きたくもない医学部を受けさせて悪かったって言ってたよ」
「爺さんと話したのか? 正直に言うとな、医者になりたくなかった訳じゃない。爺さんの、親父の思い通りになるのがイヤだったんだ」
「爺ちゃんと仲悪かったの?」
 新一も冷蔵庫の中から冷えた缶珈琲を取り出し、階段の二段目に腰を下ろした。
「仲が悪いって程ではなかったが、子供の頃、あの爺さんには散々戦争中やその後大変だったという話を聞かされた。だからお前も頑張れと。俺は、時代が違うんだと言ってよく喧嘩したもんだ」
「親父、何年生まれだっけ?」
「一九五九年。高度経済成長期真只中だ」
「戦後十四年か。親父が若い頃、生活は安定していた?」
「ああ、比較的な。親父は勤務医だったし、母親は中学の教員だったから、まあそこそこ裕福だったな。でも、それも親父が開業するまでだ」
「どういう事?」
「あの爺さん。金のない貧乏人や、保険のない老人ばかりを診るから、病院の借金は増えるばかりでな。今でこそ親父を尊敬できるが、当時は随分腹立たしかったよ」
「へえ~知らなかったな」
「で、挙句の果てに、うちには金が無いから、お前は国立の医学部に行けと言いやがった」
「それはまた難題だね」
 新一は移動して親父の対面に座った。
「ああ、それでも俺は、親父の言う通り国立の医学部を受験した。だが、もし受かっても病院を継ぐつもりは無かった。医者になれば少なくとも、あんな親父の真似さえしなければ裕福になれるからな」
「で?」
「落ちたよ。今でいったら偏差値七十超えだぞ。二浪の時、親父には内緒でC大の法学部も受けた。受験料はこっそり母親が出してくれた」
「で、C大にいったのか」
「ああ、そうだ。その時は漠然とだが、警察官になりたいと思っていたから法学部にした」
「爺ちゃん怒った?」
「いいや、母親にいろいろと俺の気持ちなんかを聞いたみたいでな、泣いて誤ったよ」
「親父もいろいろあったのか……」
「でもな、大学の時、まあ想うところもあったんだが大津島に行った。そして親父の気持ちがわかった。親父はほんとに死線を潜り抜けて、その後の人生を走ってきたんだってな」
「大津島って、回天の?」
「そうだ。回天だ」
「俺も近々、大津島に行ってみようと思っている」
 親父も行ったのか。そうだよな、親父は俺よりもっと爺ちゃんの話を聞いているはずだ
「そうか、一度行ってみるといい。感じ方は人それぞれだが、こんな時代もあったんだって、後世に伝える為にもな。泣くぞ」
 後世に伝える為か……確かに。爺ちゃんが九十七歳だから、そろそろ戦争体験者は誰もいなくなってしまう。
 新一は爺ちゃんから貰った懐中時計を親父に見せた。
「それ貰ったのか。爺さんはお前を可愛がっているからな。その時計の話は俺も親父から昔、聞いた。その時計を親父に渡した……ええと……」
「相良少尉」
「そうだ、相良少尉。何故、相良少尉が回天隊員の親父に時計を渡したのか、俺も少し気になって調べた事があったんだが、まあたいした事は分からなかった。たぶん少尉は親父の事を気にかけていたんだろう」
「えっ親父、この時計の事調べたの? 分かった事教えてよ」
 親父が、相良少尉の事を調べていた。そんな事があったのか。
「ああ。相良少尉の実家も、うちと同じ千葉市だった。戦前は金物問屋で、そこそこ裕福だったらしい。終戦の年だから、一九四五年の七月、B29による大規模な千葉空襲があって、その時に相良少尉のご家族はみな亡くなっている」
「うん。爺ちゃんが言ってた」
「親父の家族も弟の勇さん以外は全員亡くなった。お前、君津の武さん知っているだろ? 武さんは勇さんの長男だよ」
「うん。今、相良家の跡地はどうなってるの?」
「俺が調べた時は空き地だったが今はコンビニだ」
「マジか。どこのコンビニ?」
「たしか弁天公園の近くだったな。分るか? 通り沿いの」
「行った事はないけど分かるよ」
「コンビニになる前、その土地の所有者は相良家の当主の妹の長男だった」
「そっか……なんか悲しいね」
「お前、爺さんに聞いたか? 相良少尉の大学の同期で上田という人物」
「少しね。相良少尉が上田少尉と話していた内容を聞いたって言ってた。この時計の事」
「そうだ。俺もそれくらいしか聞いた事がなかったが、いつか爺さんが言ったんだ。相良少尉は上田少尉と一番仲が良かった。だから上田少尉に会いに行こうとした事があったって」
「生きてるの? その人」
「いや。戦後、結婚して子供もいるみたいだが、本人は若くして病気で亡くなっていたらしい」
「爺ちゃんも気になっていたんだね」
「そうみたいだな。上田少尉は静岡の出身で、相良少尉と同じW大の文学部だった。そこで、その当時のW大の学生数人にあたってみたんだが、学生時代その二人がとりわけ仲が良かったという話は聞かなかった」
「よく調べたね」
「まあな。親父はその時計を大切にしていたし、相良少尉がどんな人物か少し気になったからな」
「確かに、俺もちょっと気になるかな」
「で、相良という人物はあまり人付き合いを好むタイプではなかったらしい。三人程、相良氏をよく覚えている人がいたが、皆口々に、彼はもの凄く頭のキレる人物だったと言っていた。その内の一人と彼はある論争をしたようだが、完膚なきまでに叩きのめされたと言っていたよ」
「どんな論争?」
「たしか幽霊とか超常現象とか言ってたな。とにかく、特別仲の良かった友人はいなかったらしい。そのくらいしか分からなかった」
「そこまで調べた事があったんだ。戦友は? 爺ちゃん、戦友会とか行った事あるんじゃないの?」
「ああ、そういう集まりにもたまに行っていたと思うが、まあ、そこでも分からなかったんだろうな」
 考えてみればその通りだ、戦後七十年以上の時間があったんだ。当事者である爺ちゃんが調べないはずは無い。結論として相良少尉がどういう人物で、なぜ爺ちゃんに時計を渡したのか不明だが、いいじゃないか。その時計を糧に爺ちゃんは頑張ったんだから。
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