爺ちゃんの時計

北川 悠

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金鵄(きんし)

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 夕食は新一が想像していたよりは立派なものだった。ご飯は麦飯であるが、味噌汁と漬物、おかずも二品で野菜以外に、魚もある。
『意外に美味しそうだね? 爺ちゃんから聞いていたのとは違う気がする』
 爺ちゃんは、軍隊に入ってから、味はともかく三度三度の飯を食べる事が出来たのが嬉しかったと言っていた。
『柳原一飛層は下士官だからな、俺達とは食事が違う』
『そうなの?』
『ああ、だが彼等の食事代は無償だが、俺達は給料から天引きされる』
『へえ~知らなかった』
『貴様、この飯の味もわかるのか?』
『いや、残念ながらわからない。けど、何となく感じるよ』
 意外だったが、皆、食事中は戦争の事など話題にする事もなく、読んだ本の話とか、大学の話とかが多い。士官だからだろうか? 下士官の部屋はまた違った雰囲気なのだろう。
 食後はほとんどの兵士が煙草を吸っている。室内には煙が充満しているが、気にする者はいない。それを見ると、新一も無性に煙草が吸いたくなった。
『ねえ相良君、煙草吸ってくれる?』
『ああ、丁度吸おうと思っていたところだが、貴様に煙が届くのか?』
 そう言って相良は胸ポケットから煙草を取り出した。
『金鵄? それ、なんていう煙草?』
『キンシだ。元はゴールデンバットという銘柄だが、敵性語禁止で金鵄となった』
 敵性語禁止か、ネットで見た情報の通りだ。現実の事なのだ。今、日本は戦争をしている。
『今は、てか、七十年後は日本だけじゃなく、全世界的に禁煙ブームでね、合法なのに煙草は悪というイメージで、喫煙者は肩身が狭いんだよ』
 新一は昨今の禁煙ブームについて、愚痴を交えながら説明した。相良が煙を吸い込むと、実際に自分が煙草を吸っている訳ではないが、精神を集中させるとニコチンが染みわたる感覚をなんとなく感じる事が出来た。
『未来ではそんな事になっているのか』
『うん、僕は吸っているけどね』
『酒は?』
『大丈夫。この時代と変わりないと思うよ』
『そうか、でも今とは違う事も随分とあるのだろ? こんな機会はそうそうないだろうから、まあ時間の限り話を聞かせてくれるか? それに、俺に協力出来る事があれば惜しまないつもりだ』
『相良君、ありがとう』
『ああ、礼には及ばない。この状況の中、貴様もたいがい肝がすわっているな。酒を酌み交わせないのが残念だ』
『まったくだね』
 本部の二階に相良少尉の部屋があった。六畳くらいだろうか、士官搭乗員用の部屋で四人部屋。粗末な二段ベッドが向い合せに設置されている。今は相良君と上田少尉。そして岡野という一つ年上の中尉が同室であると説明された。部屋には岡野中尉の姿があったが上田少尉の姿は無い。
『岡野中尉ってどんな人?』
 彼は、他の兵士同様、擦り切れた軍服を着ていたが、だらしなさが感じられない。どう表現したらいいかわからないが、清潔感? 知的? そんなイメージだ。
『中尉はM大学在学中に海軍に志願した志願兵だ。物腰も柔らかく、下士官のことだって決して殴ったりしない。尊敬できる人物だ』
『M大か、相良君はW大だよね? みんな優秀なのに、頑張って勉強したのに、こんなところで命を落とすなんて勿体ないと思う』
 自分なんて三流大出で、しかも今は無職でブラブラとしている。この時代の日本はこんな優秀な人達の命を犠牲にしたのだ。それだけ追い詰められていたという事か……
『俺がW大だと知っているのか?』
『うん、爺ちゃんに聞いた。相良君はすごく頭のいい人だったって言ってたよ』
『奴がそんな事を……』

「相良、貴様出撃が近いが、何の為に死ぬ? 貴様の家族は全員亡くなったと聞いたが」
 岡野中尉の声は少しハスキーだったが魅力的な声だ。見た目も悪くないし、頭もいい。これが新一の暮らす時代であったら、彼女の一人や二人、すぐできるだろう。
「勿論、この国の為、この国の未来の為に散る所存であります」
「それは本音か? 俺の前で建前は要らない。この後に及んで非国民などと言うつもりも毛頭ない。上田の申し出を断ったそうだな。家族の復讐か? 貴様が出撃してその命を捧げれば、この国は勝てるのか?」
「岡野中尉はいかがお考えですか?」
「何がだ?」
「勝てる……のでしょうか?」
「この様な特攻兵器を使わねばならない程、我々は追い詰められている。戦況は厳しいと言わざるを得ないな」
「負けると?」
「そうは言っていない。上層部は本土決戦に備えている。しかし、仮に本土決戦で敵を迎え撃ったとして……連合軍の戦力は我々の何倍だ? どれだけの損害が出る? その損害を出せば勝てるのか? 教えて欲しいよ」

『八月六日、広島に原子爆弾が投下される。そして九日に長崎。一瞬で数十万人の命が奪われた。で、日本はとうとう降伏したんだよ』新一は相良に話しかけた。
『まさか、そんな事がほんとに……』
『彼に何と言う? 岡野中尉に伝える事が出来る?』
 この人は物分かりが良さそうだ。
「ヒロ……シ……」
 相良は何とか声に出そうとしたが、かすれて声にならなかった。
『ダメだ。上田の時と同じだ。伝える事は出来ない』
「うん? 相良、貴様何が言いたい?」
「本音を申し上げます。上田に死んでほしくありません。奴は自分にとって初めての親友です。正直に申し上げれば、今となっては自分にとって勝ち負けは関係ありません。彼を死なせたくはありません。次の作戦命令は自分に下りました。自分が辞退すれば、代わりに志願する上田が死ぬ事になります」
 一呼吸おいて相良は続けた「仮にそれが上田以外の誰かでも自分の想いは変わりません。それに自分には家族以外でも命を懸けても守りたい人はいます。答えになっていないでしょうか?」
「恋人か?」
 相良は黙っていた。
「貴様の代わりに赤の他人が是非にと志願したとしてもか?」
「はい。自分も特攻に志願した一人です」
「恋人の為に生きて帰りたいとは思わないのか?」
「恋人ではありません。自分の意思は決まっております」
「そうか、こんな事を聞いて悪かったな」
 そう言うと岡野中尉は煙草に火を点けた。
「中尉はどの様なお気持ちで特攻に志願したのですか?」
 岡野はゆっくりと煙草の煙を吸い込み、一時置いてから吐き出した「私の兄達は皆、T大だ。一番下の私は出来損ないだったというわけだ。実際、そのような扱いも受けた。そんな訳で反発心もあって海軍に志願した。軍隊は知っての通り想像以上に厳しかったが、掛買いの無い戦友が出来た。ここ大津島でも」
 そう言うと岡野はまた煙草の煙を吸い込んだ「だがその連中も、もういない。南方で戦死したもの、以前の出撃で戦死した者。奴らは皆、向こうで待っている。約束したからな。俺ももうすぐ向こうに行く。俺だって守りたいものが無いわけではない。だが、奴らの守りたかったものも守ってやりたい。僅かながらでもこの命が役に立てばと思っている」
 岡野はまだ半分程残っている金鵄を灰皿に押し付けた「それにな、出来損ないの息子でも、特攻で華々しく戦死したとあれば家族に対しても鼻が高いというものだ」

『間違ってる! 間違ってるよ。この戦争は負けるんだ。もう無駄に命を捨てる必要はないんだよ!』
新一は叫んだが、到底その声は岡野中尉には届くはずは無かった。
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