38 / 44
歴史の目的
しおりを挟む
日が傾き始めた頃、新一と秀美は二人で稲毛の床枝家を訪れた。
まつの屋は老舗らしく、歴史を感じさせる造りのお店だった。店の後ろ側に二件の家が並び、家と家の間に境界はなかった。一つの大きな土地に三つの建物が建っているという感じだ。向かって右の家の表札は床枝。左の家は川島とある。
「なんか違和感あるでしょ? あたしは慣れてるけど、川島家とうちは親戚なの」
そう言いながら秀美は床枝家の呼び鈴を鳴らした。
「叔父さん達は今日、出掛けているって言っていたから、今いるのはお婆ちゃんだけ。新ちゃん、緊張しなくていいからね」
秀美ちゃんはそう言ったが、やはり緊張してしまう。
玄関に現れた松子さんは、新一に丁寧にお辞儀をして、二人を招き入れた。その瞬間、ふわっと潮の香りが辺りに漂ってきた。いやそう感じた気がした。
「ここは海に近いのかな」
独り言を言ったつもりだったが、松子さんは新一を見てにっこりと微笑んだ。
通された部屋は昔ながらの和室だった。床の間があり、部屋の中央に長いテーブル、畳の上には大きな座布団が置かれている。
新一は緊張していた。まがりなりにも、大好きな女性のお婆さんだ。しかも元教師。粗相は禁物だ。きっちりと正座をして、背筋をピンと伸ばし手は膝の上に……
「新ちゃんおかしい。そんなに緊張したら変だよ」
秀美は首を傾げ、新一を仰ぎ見て笑った。
畜生。なんて可愛いんだ。
「新一さん、脚を崩して下さいな。今日はゆっくりご飯も食べて行ってね」
そう言うと松子は一冊の古いアルバムを開いて新一の前に置いた。
左右の頁に一枚ずつ貼られているモノクロの写真は、長い時を経てセピア色に変色していた。右の頁には校舎のような建物をバックにしてモンペ姿の若い女性が大勢並んで写っている写真。左の頁には二人の女性が写っている写真。たぶん女学生だろう。今で言えば高校生くらいだろうか? 皆、服の胸には名前の書かれた布が縫い付けられている。
「これって……」
それは写真でもはっきりと読み取ることが出来た。二人で写っている写真。右の子は渡辺、そして左の子は松野。写真の下には【昭和二十年六月 仲良しの敏子ちゃんと】と記されている。
「そうです。松野美代子。私の母が女学校の時の写真です。若い時のものはこれだけです」
「やっぱり……綺麗な人ですね」
この人があの手紙の主。この写真を撮った一カ月後にあの手紙を書いたのだ。相良君に宛てたあの手紙を見たから、僕は助かった。美代子さん……ありがとう。
「隣の渡辺という子は母の親友ですが、昭和二十年七月の空襲で亡くなったと聞いています」
そう言うと松子はアルバムを閉じて、立ち上がった「お茶でいいかしら? もうすぐお寿司が来るので、脚を伸ばしてくつろいでくださいね」
「七夕空襲ですね。祖父の親兄弟もその空襲で犠牲になったと聞いています」
「そうでしたか。戦争なんてするものじゃないですね」
松子さんの言葉、戦後生まれといえ当事者の言葉は心に響く。
「松子さん。一つ、教えて頂けないでしょうか?」
「何でしょう?」
「秀美さんから、美代子さんは未婚の母だったとお聞きしました。松子さん。貴女の父親は相良少尉ですか?」
「えっ?」
驚いたのは秀美だった。
「はい。新一さん、本当にありがとうございます。貴方がいなかったら私は産まれていません。勿論、春菜も秀美も」
「えっ? お婆ちゃん、今なんて……どういう事?」
松子は驚いている秀美に向かって軽く微笑んでから続けた「相良秀則という海軍少尉が私の父だという事は母から聞いていました。でも空港でそれを、あなたたちに伝える事はできませんでした」
「やはりそうでしたか」
新一の予想は当たっていた。
松子さんが空港でその事を伝えられなかったのにも、理由がある。そうしてしまうと多分、歴史が変わってしまうのだ。
「終戦間際、想いを寄せていた人が逢いに来てくれた。そして、その時に私を授かったのだと母から聞きました。父について私が知っている事はあまりありません。W大学の学生で、学徒出陣で海軍にいった人。回天という特効部隊で命を落とした事。それくらいです。これは後でお見せしようと思っていたのですが」
一旦、立ち上がった松子だったが、そう言うと再び新一の前に腰を下ろし、懐から一通の手紙を取り出した。
「これは父が出撃の当日、母に宛てて書いた手紙です」
新一は震える手でそれを受け取った。
前: 祖父への報告
まつの屋は老舗らしく、歴史を感じさせる造りのお店だった。店の後ろ側に二件の家が並び、家と家の間に境界はなかった。一つの大きな土地に三つの建物が建っているという感じだ。向かって右の家の表札は床枝。左の家は川島とある。
「なんか違和感あるでしょ? あたしは慣れてるけど、川島家とうちは親戚なの」
そう言いながら秀美は床枝家の呼び鈴を鳴らした。
「叔父さん達は今日、出掛けているって言っていたから、今いるのはお婆ちゃんだけ。新ちゃん、緊張しなくていいからね」
秀美ちゃんはそう言ったが、やはり緊張してしまう。
玄関に現れた松子さんは、新一に丁寧にお辞儀をして、二人を招き入れた。その瞬間、ふわっと潮の香りが辺りに漂ってきた。いやそう感じた気がした。
「ここは海に近いのかな」
独り言を言ったつもりだったが、松子さんは新一を見てにっこりと微笑んだ。
通された部屋は昔ながらの和室だった。床の間があり、部屋の中央に長いテーブル、畳の上には大きな座布団が置かれている。
新一は緊張していた。まがりなりにも、大好きな女性のお婆さんだ。しかも元教師。粗相は禁物だ。きっちりと正座をして、背筋をピンと伸ばし手は膝の上に……
「新ちゃんおかしい。そんなに緊張したら変だよ」
秀美は首を傾げ、新一を仰ぎ見て笑った。
畜生。なんて可愛いんだ。
「新一さん、脚を崩して下さいな。今日はゆっくりご飯も食べて行ってね」
そう言うと松子は一冊の古いアルバムを開いて新一の前に置いた。
左右の頁に一枚ずつ貼られているモノクロの写真は、長い時を経てセピア色に変色していた。右の頁には校舎のような建物をバックにしてモンペ姿の若い女性が大勢並んで写っている写真。左の頁には二人の女性が写っている写真。たぶん女学生だろう。今で言えば高校生くらいだろうか? 皆、服の胸には名前の書かれた布が縫い付けられている。
「これって……」
それは写真でもはっきりと読み取ることが出来た。二人で写っている写真。右の子は渡辺、そして左の子は松野。写真の下には【昭和二十年六月 仲良しの敏子ちゃんと】と記されている。
「そうです。松野美代子。私の母が女学校の時の写真です。若い時のものはこれだけです」
「やっぱり……綺麗な人ですね」
この人があの手紙の主。この写真を撮った一カ月後にあの手紙を書いたのだ。相良君に宛てたあの手紙を見たから、僕は助かった。美代子さん……ありがとう。
「隣の渡辺という子は母の親友ですが、昭和二十年七月の空襲で亡くなったと聞いています」
そう言うと松子はアルバムを閉じて、立ち上がった「お茶でいいかしら? もうすぐお寿司が来るので、脚を伸ばしてくつろいでくださいね」
「七夕空襲ですね。祖父の親兄弟もその空襲で犠牲になったと聞いています」
「そうでしたか。戦争なんてするものじゃないですね」
松子さんの言葉、戦後生まれといえ当事者の言葉は心に響く。
「松子さん。一つ、教えて頂けないでしょうか?」
「何でしょう?」
「秀美さんから、美代子さんは未婚の母だったとお聞きしました。松子さん。貴女の父親は相良少尉ですか?」
「えっ?」
驚いたのは秀美だった。
「はい。新一さん、本当にありがとうございます。貴方がいなかったら私は産まれていません。勿論、春菜も秀美も」
「えっ? お婆ちゃん、今なんて……どういう事?」
松子は驚いている秀美に向かって軽く微笑んでから続けた「相良秀則という海軍少尉が私の父だという事は母から聞いていました。でも空港でそれを、あなたたちに伝える事はできませんでした」
「やはりそうでしたか」
新一の予想は当たっていた。
松子さんが空港でその事を伝えられなかったのにも、理由がある。そうしてしまうと多分、歴史が変わってしまうのだ。
「終戦間際、想いを寄せていた人が逢いに来てくれた。そして、その時に私を授かったのだと母から聞きました。父について私が知っている事はあまりありません。W大学の学生で、学徒出陣で海軍にいった人。回天という特効部隊で命を落とした事。それくらいです。これは後でお見せしようと思っていたのですが」
一旦、立ち上がった松子だったが、そう言うと再び新一の前に腰を下ろし、懐から一通の手紙を取り出した。
「これは父が出撃の当日、母に宛てて書いた手紙です」
新一は震える手でそれを受け取った。
前: 祖父への報告
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
『お兄ちゃんのオタクを卒業させてみせるんだからね❤ ~ブラコン妹と幼馴染オタク姫の果てしなき戦い~』
本能寺から始める常陸之介寛浩
青春
「大好きなはずなのに……! 兄の『推し活』が止まらない!?」
かつて、私は信じていた。
優しくて、頼もしくて、ちょっと恥ずかしがり屋な──
そんな普通のお兄ちゃんを。
でも──
中学卒業の春、
帰ってきた幼馴染みの“オタク姫”に染められて、
私のお兄ちゃんは**「推し活命」**な存在になってしまった!
家では「戦利品だー!」と絶叫し、
年末には「聖戦(コミケ)」に旅立ち、
さらには幼馴染みと「同人誌合宿」まで!?
……ちがう。
こんなの、私の知ってるお兄ちゃんじゃない!
たとえ、世界中がオタクを称えたって、
私は、絶対に──
お兄ちゃんを“元に戻して”みせる!
これは、
ブラコン妹と
中二病オタク姫が、
一人の「兄」をめぐって
全力でぶつかり合う、果てしなき戦いの物語──!
そしていつしか、
誰も予想できなかった
本当の「大好き」のカタチを探す、
壮大な青春ストーリーへと変わっていく──。
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる