蓮に守護を、茉莉花に香りを

柊冬音

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2章

6話(前編)

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 柔らかな温もりの中を、莉凛香の意識はふわふわと漂っていた。漂ううちに、ふと思った。ここは、危ない場所じゃないのかしら。起きた方がいいんじゃないかな。
 自分が眠っているという自覚が、莉凛香の意識を急激に覚醒させた。身体の左側に強張りを感じて、目を見開く。勢いよく起きあがった。身体にかけられていた着物が落ちた。
 見回した頃には記憶が蘇っていて、自分が借家にいることを思い出した。入口近くでは守羅が眠っている。尻尾を下敷きにしないよう、抱き込むようにして丸まっている。覗き込むと、薄桃色から白へ変化する髪が顔にかかっていた。
 髪を払おうと覗き込むと、日に焼けた瞼が持ち上がり、黒真珠の眼がのぞいた。
「莉凛香、起きたのか」
 瞼を擦りながら守羅が起き上がる。抱き抱えていた尻尾をしならせながら足に絡みつかせている。心做しか緑がかった尾の白が柿渋色の着物の上で目立った。
 しょっちゅう土埃にまみれている尻尾は、洗濯でもしたように白い。
 ……白い。
 気づいてみれば、差しのべた自分の手も視界に入り込む髪も、綺麗な色をしている。
「ちょっと、まさか」
「ああ……。汚れてたから洗った」
「はあっ!? 守羅の変態! 」
 その言葉の意味を理解して、顔が熱くなる。思いきり頬をぶった。鈍い音と衝撃が手に伝わってきた。守羅は顔を顰める。
「痛っ! 何するんだ」
「こっちのセリフよ! 馬鹿っ!」
 振り下ろした手が、赤い壁にぶつかる。しかもご丁寧なことに、優しく押し返してくる。
「別にいいだろ、莉凛香が小さい時は俺が身体を拭いてあげてた」
「ばかばかばかあっ! 」
 怒りのままに跳ねるように立ち上がり、勢いのままに部屋の隅に走り、封魔刀を掴んで駆け戻る。
「ちょっと!莉凛香! それはっ……ごめん、悪かったよ! 」
 刀を掲げる莉凛香と莉凛香の手首を掴んで止めた守羅はしばし揉み合い、手首を捻られた莉凛香は床の上に転がった。
「守羅の大馬鹿者、もう知らない! 」
 憤懣やる方ないと言わんばかりの表情で立ち上がった莉凛香は、守羅を置いて外へ駆け出る。
 村の中をずんずん歩いていく。村人達は莉凛香をみとめると、親しげに話しかけてくる。
「よう、娘っ子、他所から来たのか? ここの米は美味いぞ、もう食ったか? 」
「綺麗な髪をしてるのね。どこから来たの? 」
 仕事をしながら次々と話しかけてくる人に返事をしているうちに楽しくなってしまって、気づけば村の端まで来てしまった。元いた家がどこにあるか分からない。
「あの、ごめんください」
 まばらになってきた民家の一つの戸を叩いた。中から出てきたのは、腰が曲がった老爺だ。
「おや、知らん間に生まれてたか。こりゃ珍しい色の子が生まれたなぁ。どこの子だ、爺が送って行ってやろう」
 どうやら、莉凛香のことを村の子供だと思い込んでいるらしい。
「えっと、呪術師のお婆さんの家に行きたいのだけれど。お爺さんに送って貰うのは申し訳ないわ。道だけ教えて貰えないかしら」
「遠慮せんでええ、ええ。そろそろ姉やんのこと訪ねようと思ってたしのお」
 知っているところまで戻れば、帰れるはず。そう思って言ってみれば、頭が莉凛香の胸くらいになるほど腰の曲がった‎老人は、杖もつかずに歩き出てきた。
「儂が小さい頃はな、村はもっとちっさかったよ」
 老人はおもむろに語りだす。風は少し冷たさを孕んでいて、袂に吹き込む風が身体を冷やす。
「それがさ、蛇神様が来て、蛇神様を祀りゃァ守ってくださるって言ってさ」
 この手の話は邪魔しても意味が無いから、莉凛香は素直に耳を傾ける。老人にあわせてゆっくり歩きながら、同じくゆっくりとした話を味わう。
「儂らも最初は疑ったよ、ああいう類のもんとの取引は、五分五分かむしろこっちが損するくれぇの話以外疑えって話だからな。けどよ、蛇神様は本当に儂らを助けてくだすったのよ。子供が死なんからよ、村人もどんどん増えてなあ」
「じゃあ、蛇神様って、とっても強い妖怪なのね! 」
 莉凛香が言うと、老人は白髪のちょろちょろと生えた頭を上下に振って笑った。
「それだけじゃねえさ。蛇神様はな、凄い力を持ってらっしゃる」
「それってどんな力なの? 」
 老人の話にすっかり夢中になって莉凛香は尋ねる。幸せな物語は大好きだ。
「水を操る力じゃよ。この村の豊かな実りは全て、蛇神様のおかげ」
「そんなことが出来る妖怪がいるの? 」
「いるんじゃよ」
「そっか、それでこんなに大きな村ができたのね」
 老人があまりに自慢気に笑うので、莉凛香は心配になってきた。首が上下にがくがく揺れて、危なっかしいのだ。
 早く、呪術師おばあさんの家に着いてくれないかしら。
 祈りが通じたのか、見覚えのある建物が姿を現した。
「お爺さん、ありがとう。ここで大丈夫よ」
「そうかい、じゃ、儂は姉やんの所に顔を出してくらぁ」
 老人はそう言って、ゆっくり、ゆっくりと歩いて行った。
 療養所の前に、同い年くらいの女の子が盥を持って立っていた。莉凛香は駆け寄って、扉を開けてあげた。
「莉凛香さんよね。白猫の人は、中に居るわ」
 白猫の人、というのは守羅のことだろう。特徴的な容姿は、猫を連想させなくもない。ありがとう、と言って、女の子は療養所に入っていく。湿った空気を浴びながら中を覗くと、見覚えのある、背筋の伸びた白髪頭がある。
 「莉凛香か。……こいつらを何とかしてくれない? 」
 守羅は耳と尻尾にじゃれついている子供達を指さす。守羅が腰掛けている辺りの布団は子供が多い。子供たちは、色が白くどこか窶れている。
「あっ! こら、遊んでくれて嬉しいのはわかるけど、あんまり邪魔しちゃあダメよ! 大人しく寝てなさい! 」
 快活そうな少女は子供たちを一喝し、寝床に入らせた。子供たちが言うことをきいたのに満足し、共にいる小柄な少年と言葉を交わして仕事に戻る。
 にわかに静かになった場で、二人は向き合う。
「…………」
「…………」
 一対の翠玉に見つめられ、守羅は元々下を向いていた耳を垂らす。
「……ごめん。もうしない」
 声はどこか拗ねた感じだけれど、莉凛香は何時もの寛容さでもって、この困った人を許してあげることにする。
 「次同じ事をしたら、許さないわよ」
 守羅は目を細めて、尻尾をゆらりと振った。そしてびくりと身を跳ねさせる。
 振り返った黒真珠の七色の目的地を翠玉が追う。
 ああ、莉凛香は息を吐く。
 村でもそうだった。昨日まで住んでいたとは到底思えない程深い溝の向こうにある、守羅の生まれ故郷。
 あそこでもここでも、幼い子供とは得てして懲りないものだ。どれだけ怒られても、同じ悪戯を繰り返す。
 守羅もこら、と笑い含みに言うものの、子供を押し留める手は柔らかい。
 最後に柔らかく尻尾で頬を撫で、立ち上がる。腰に巻いた羽織が布団と擦れて、こそこそ音が流れる。
 用があったんじゃないのか、と問うと、
「莉凛香を探しに来ただけだから」
何時もの淡々とした口調で出口に向かう。
「この村で莉凛香が知ってる場所は、あの空き家とこの人の所だけ」
 なんでもないように言うので、ちょっと腹が立った。この人、本当に反省しているのかしら。
 莉凛香はふさふさした耳をむんずと掴んだ。
 ちょっと、と守羅は尻尾を振る。その先が、傍らの布団に引っかかった。
 ごめん、と慌てて毛布をかけ直そうとした守羅が固まる。
「……見舞いに来てくださったのですね。……呪術師からお聞きになりましたか?」
 どうしたの、と声を掛けようとした時、聞き覚えのある、か細い声。
「筒子さん……」
呆然とした莉凛香を、守羅の尾が優しく抱く。
 信じられない。おそるおそる守羅を見上げると、対の黒真珠も見開かれている。噛み締められた唇から、紅い血がつ、と垂れて、胸元に染みを作っている。
 筒子は、細い、けれどよく働いて日焼けした腕で守羅を掴んだ。ほとんど骨だけの指先が、腕に食い込む。
「お願いがあるの。旅の方には、わたくしのお願いなんて聞く理由はないでしょうけど、」
 そんなことないわ、必死になって言うと、筒子は微笑んだ。
「土地神様にお願いして来て欲しいの。村を救ってくださいって。もうずっと、私達には御姿を現してくださらないから……」
「……わかった。俺が何とかしてくる。人には親切にするっていうのが、俺の指針だから」
 守羅の言葉に、首がもげそうなほど頷く。それを見届けて、筒子は目を閉じる。

「それにしても、今更神頼みか」
「あら、私聞いたんだけど、蛇神様って凄いらしいわよ」
 療養所を出た途端にそうのたまう守羅に、莉凛香はさっき聞いた話を掻い摘んで教えてやった。
「それ……本当? 」
 守羅は眉根を寄せる。耳が、きりきりと後ろに絞られて、その動きに刺激された小蜘蛛が激しく糸を吐く。
 守羅は指で糸を巻取りながら、方向転換する。
 療養所の隣、呪術師の家の戸を叩くと、呪術師本人が迎えてくれた。
「この村の土地神について知りたい。どこに祀られてる? 」
「蛇神様は、近頃誰も寄せ付けませぬ」
「村人じゃない俺たちなら、何か違うかも。土地神が居るのは、一体何処なんだ? 」
 挨拶もせずに切り出した守羅に、されど動じることなく、老婆は答える。
「この村には蛇神様がおられる。わしらを守ってくださる、尊きお方じゃ。我らの元に蛇を遣わし、見守ってくださる」
「へぇ、そんなに凄いのか?」
「勿論。蛇神様が土地神となられてから、この村はただの1度もバケモノに襲われたことがないのよ」
 手ずから茶を淹れてくれている老婆を見下ろす。優しげな表情で、呪術師としての役割を真摯にこなしてきたに違いない。
「成程、病魔を何とかしろと拝もうとするのも当然だ」
 降ってくる守羅の声色はどこか冷たい。
「じゃが、蛇神様は、近頃誰も寄せ付けぬようになった……」
「そうだろうな」
 老婆は哀願するように守羅を見つめた。守羅は、視線を断ち切るようにそらし、尋ねた。
「この村の水は毒だ。川が毒されている。少しなら大丈夫だけど、その水を何年も取り込んでれば身体を壊す。……あなたが気づいていないとは思えないけど? 」
 沈黙が場を満たした。莉凛香は、封魔刀を握り締めた。
「……流行病があるというのは聞いておりますか」
「うん。あの女人つつこさんから」
「数年前からです。数年前から……」
 老婆は何処か遠い目をする。何かを受け入れているような、諦念の色。守羅素朴な顔に優しい笑みを浮かべて尋ねる。
「蛇神はどこ? 」
「私が悪いのです。私が、あの方を引き留めたから……」
 村を何年も助けてきたであろう呪術師は、苦痛に顔をゆがめながら、それでもどこかほっとしたように口を開いた。
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