ノスフェラトゥの求愛

月見月まい

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 室内に灯され蠟燭の炎が、金の燭台の上で仄かに揺らめく。
 薔薇の刺繍で縫いとられたゴブラン織りのカーテンで窓は締め切られ、外界の光は遮断されていた。

「あらあら、綺麗に痕が出来たわね。ますます男振りが上がったように見えるわよ?」

 クスクスと妖しい笑みが薄闇に浮かび上がり、異様な光景が照らされる。
 ロヴィーサが房鞭ナインテイルの柄でベルゼーガの顎をクイッと持ち上げた。
 上半身を裸にされ、剥き出しになったベルゼーガの背中には赤い鞭痕が生々しく刻まれている。
 床に手足を着いて四つん這いの状態でいる姿は、さながら女王の足下につくばう憐れな奴隷のようだ。
 しかし、ロヴィーサを見上げる彼の眼光は征服者に屈して隷従する奴隷とはほど遠く、はっきりと意思の光を宿している。
 ベルゼーガは姉をジロリと一瞥すると、うんざりしたように溜め息を吐く。

「……なにが「男振りが上がった」ですか。姉上の顧客パトロンにはこういう趣向の遊びを好む者がいるのでしょうが、弟を折檻すると称して女王様ミストレスごっこに付き合わされるのは遠慮させて頂きたいですね。第一、鞭で打たれて喜ぶ倒錯した変態と同列に置かれるのは納得がいきません」
「ふぅん、まだ減らず口を叩けるくらい元気みたいね。……変態、ねえ。――貴方まさか、マデリーヌあのこにした事を棚に上げて私の顧客を侮辱するっていうの?」
「ぐうっ!」

 ヒュッと風を切る音が鳴り、房鞭が勢いよく振り落とされる。
 ベルゼーガの背中を幾重もの鞭が打ち付け、締め切られた室内に肉を打つ乾いた打擲音が響き渡った。
 数度振り落とされた鞭の打撃にベルゼーガは背中を仰け反らせ、浅い息を吐いている。

「痛みを与えられれば嫌でも反省する気になるわ。……まあ、この鞭は初心者用の道具だから大した痛みはないでしょうけど。上級者向けの一本鞭むちなら大の男でも数回打ち付けると音を上げる威力なんだから」
「……だけ、です……」

 不意に、ベルゼーガが掠れた声で呟いた。

「私はただ、愛する女性マデリーヌとどこまでも深く愛し合いたいだけです。彼女と出会い、一目見て恋い焦がれるようになった時からずっと、この想いが変わることはありません。……年月を経て美しく成長した彼女を前にした時、己の欲望が膨れ上がり危うく理性を失いかけたのは否定しませんが」
「貴方たちの馴れ初めについては知らないけれど、貴方があの子にご執心なのはよーく分かったわ。――で、昨日まで処女おぼこだった女の子と一体どんな風に愛し合いたいのかしら?参考までにぜひ話を聞かせて欲しいわね」

 腰に手を当て、探るような目でロヴィーサがベルゼーガをじっと見据える。
 すると、先ほどまで雄弁に話していたベルゼーガの総身がギクリと固まり、目を泳がせ始めた。

「……それを私の口から話せと言いますか」
「あの子と『健全に』深く愛し合いたいんでしょう?そうねえ、例えば不純な動機……口では言えないような恐ろしく淫らな色事でもなければ、ちゃんとどんなことをしたいか話せるはずよ。――どうして口を閉ざしているのかしら。……まさか、私には口が裂けても話せないようなこと、だったりしないわよね……?」

 ロヴィーサの問いかけに対し、ベルゼーガはしばらく躊躇っていたが、最後は彼女の責めるような視線に耐え切れなくなったのか、口ごもりながら「流石に姉上の前で話すことは憚られます」とだけ伝えた。

「――――やっぱりあの子に無茶なことをさせる気じゃない。……貴方がどこに出しても恥ずかしくない色男なのは私も認めるところだけど、最大の欠点である煩悩の塊っていう点が全部帳消しにしてる気がするわね」
「姉上、それは褒めているのか貶しているのかどちらですか」
「どっちもよ。……全く、こっちは呆れてるって言うのに。その様子じゃ、もう少しお仕置きが必要みたいね」

 フーッと深く息を吐いた後、ロヴィーサはつかつかと火の着いた燭台から蠟燭を取り、それを見せつけるようにベルゼーガの顔の前まで近づけた。

「これを身体に垂らされたくなかったら、あの子に無理強いするようなことはしないと誓いなさい。あら、なんて顔をするのよ。色男が台無しよ?これはプレイ用の低温蠟燭だから火傷の心配はないけど、ちょっと熱いかもしれないわねえ……?」

 ギリギリと歯を噛み締めるベルゼーガを鼻で笑いながら、ロヴィーサは蠟燭を傾けて見せる。
 蠟燭から滴る蠟涙がこぼれ落ち、床に白い水滴となって落ちていく。

「さあ、選びなさいな」

 深紅のルージュで縁取られた唇がそう告げた時だった。

「ベルゼーガ様ー!私です、マデリーヌです!いるなら開けてくださいー!」

 その瞬間、深い海のような瞳が大きく見開かれる。
 自身の置かれた状況など忘れたように、ベルゼーガの意識は懸命に扉を叩きながら自身の名を叫ぶ少女へと向けられていた。
 ―――きっと彼の姉が言うように、その度を超した恋着は客観的に見れば自分本位で身勝手な邪恋と誹られるに違いない。
 けれど、彼のマデリーヌを深く恋慕する想いに偽りなどない。
 彼女への愛を自ら否定するくらいならば、流刑の地へと追い立てられる殉教者となり、如何なる責め苦も耐え抜くと、心に誓いを立てているのだから。
  
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