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第29話 ー魔王との交錯ー
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漆黒の大広間は、時の流れそのものを拒絶するかのように静まり返っていた。壁には燭台が並び、青白い炎がぼんやりと揺らめく。その明滅に照らされ、無数の魔紋が床や柱に浮かび上がり、血管のように城全体へと脈打っていた。
玉座の上には、ひとりの影が腰掛けていた。姿形は人に近い。だが、その存在はあまりにも濃く、重く、広間に足を踏み入れた者すべての五感を圧していた。影は動かぬまま、ただそこにいるだけで、生きとし生けるものの根源に突き刺さるような威圧を放っていた。
レイジはその場に立ちすくみ、無意識に唾を呑み込んだ。頭ではわかっている――これが、魔王だ。だが理性の理解よりも先に、魂そのものが警鐘を鳴らす。相対しただけで、存在が否定されるかのような錯覚。
「……来たか。異邦の者よ」
低く、しかし全方位から響くような声が広間を満たす。空気ではなく、直接心臓を震わせる音色だった。セレーナは思わず膝を折りかけ、リリィナが慌ててその腕を支える。
「姉さま、しっかり……!」
「……だめ……視線を逸らすと呑み込まれる……」
魔王の瞳は、底なしの黒曜石のごとく光を飲み込み、何も映さぬまま全てを見通す。そこに映されるだけで、自らの在り様が暴かれていく。
カリーネは必死に爪を立てて耐えていた。普段の妖艶さも外交官としての冷静さも、この瞬間ばかりは意味を成さない。彼女の背中には、サキュバスとしての本能的な恐怖が走っていた。――種としての記憶が告げている。この存在の前では、誘惑も、媚びも、術も、すべて無意味。
「力ではない。欲望でもない」
魔王がゆるりと玉座から立ち上がる。その仕草は優美ですらあるのに、広間全体が軋み、重力が歪んだような圧が押し寄せる。
「……お前たちの“在り様”を、我が問おう」
その一言とともに、広間の空気が反転する。黒と白、闇と光が奔流となり渦を巻き、仲間たちの視界が引き裂かれる。肉体はそこにありながら、心は別の次元に引きずり込まれていく。
セレーナが呻き、リリィナが叫び、カリーネが息を呑む。その全てが遠ざかり、レイジはひとり取り残された。
――否。取り残されたのではない。
魔王と、彼自身の存在が交錯し始めていたのだ。
過去、未来、欲望、恐怖。すべてが交錯する精神世界。ここで試されるのは、力でも技でもない。彼らが「何者であるのか」。
「来い。異邦の者。己の在り様を示せ」
魔王の声が響いた瞬間、虚空が裂け、無数の記憶と幻像が奔流のようにレイジを呑み込む。 レイジの視界は光と闇の奔流に呑み込まれ、気づけば見知らぬ大地に立っていた。
そこは広間ではない。無限に広がる星空と、底なしの闇海が共存する、形なき空間。地平線もなければ重力の感覚すら曖昧で、ただ“在り様”そのものが形をとった世界だった。
「……ここは……」
答えるように、星空の中から無数の人影が姿を現す。
それはレイジ自身の記憶に刻まれた者たち――戦いで散った敵、救えなかった人々、己が欲望に怯えたときに見捨てた影。
「違う……お前は俺じゃない……!」
叫んでも影は消えない。むしろ、柔らかな笑みを浮かべながら近づいてくる。抱擁を求めるように両腕を広げ、耳元で囁く。
「愛している」
「抱いて」
「共に堕ちよう」
官能的な香気が漂う。幻影とはいえ、肌が触れれば甘美な震えが背を這う。
欲望そのものが形を持った存在――魔王が仕掛ける試練だった。
「……クソッ、こんな幻に……」
必死に振り払うも、影の群れは際限なく増える。双姫の微笑み、カリーネの囁き、さらには見知らぬ美女たちまでが次々と現れ、レイジの心を絡め取ろうとする。
その中心に、ひときわ大きな影が立った。
それは“魔王”そのもの。だが、肉体を持たず、ただ闇と光の揺らぎで形をとる。
「抗うな、異邦の者」
声は甘美な誘惑と圧倒的な威圧を同時に孕んでいた。
「お前の欲望は無限だ。抗えば抗うほど渇く。ならば委ねよ。我に己を重ね、同化せよ」
その言葉と共に、幻影の群れがレイジに重なり、まるで体を縛り上げるようにまとわりついた。
柔らかな感触。熱。甘い吐息。思考が蕩けそうになる。
――だが。
「俺は……俺は、ただ欲望の器じゃない!」
レイジは歯を食いしばり、心を振り絞る。胸の奥から、仲間たちとの記憶が甦る。
セレーナの冷静な眼差し。リリィナの無邪気な笑み。カリーネが見せた誇り高い横顔。そして、この世界に来てから培った、数え切れぬ絆の重み。
「俺が俺であるのは……あいつらと共に在るからだ!」
叫ぶと同時に、幻影のひとつが砕け散った。連鎖するように他の影もひび割れ、欲望の囁きが悲鳴へと変わる。
魔王は一歩進み出る。その虚ろな顔が初めて微笑に歪んだ。
「ほう……“絆”か。ならば、それすらも試してやろう」
次の瞬間、虚空が震え、仲間たちの姿が浮かび上がった。
だがそれは――真の彼女たちではない。淫らに歪められた幻影。セレーナは衣を乱し、リリィナは甘やかに腰を揺らし、カリーネは熱に浮かされたような瞳でレイジを見つめていた。
「お前に抗えるか、異邦の者」
魔王の声が世界全体に響き渡り、幻影の彼女たちが一斉にレイジへと歩み寄った――。 目の前に立つのは――セレーナ、リリィナ、そしてカリーネ。
しかし彼女たちは本物ではない。魔王の力が生み出した幻影。それでも、揺らめく髪の艶や、胸の鼓動まで伝わるような温もりは、現実としか思えぬほど濃密だった。
「レイジ……」
セレーナが吐息まじりに囁く。その声音には、冷徹さではなく、柔らかく甘い誘いが宿っている。
「あなたの力を貸して……その代わり、私をすべて受け入れて」
次いで、リリィナが小悪魔のように笑みを浮かべ、腰をくねらせる。
「お兄ちゃん、もう我慢できないでしょ? ほら、わたしを抱いて……ずっと夢見てたんだから」
カリーネは唇を濡らし、切なげに見つめてくる。
「私を拒むの……? あなたと同じ陣営に立ったのは、ずっと近くで触れたかったからよ」
――幻影だとわかっている。
だが、その熱、その視線、その囁きは、心の奥の欲望を鋭く突き刺してくる。
「く……っ……!」
レイジは後ずさりしそうになる己を必死に踏みとどめた。
だが幻影の彼女たちは距離を詰め、腕を絡め、胸を押し当て、彼の呼吸を奪っていく。
「抗うな……」
魔王の声が響く。
「お前の欲望は真実だ。絆も、友情も、愛も……すべて欲望に過ぎぬ。ならば解き放て」
その言葉に呼応するかのように、幻影の彼女たちはさらに艶やかに変貌していく。衣は透けるほどに乱れ、瞳は熱に潤み、触れる指先は燃えるように甘美。
理性を溶かす香気が辺りを満たす。
「俺は……違う……!」
レイジの心に、ほんの一瞬の揺らぎが走った。
その隙を見逃さず、リリィナの幻影が彼の首に腕を絡ませる。熱を帯びた吐息が耳を掠めた。
「いいんだよ……わたしたちはずっと、そうしたかったんだもの」
胸が波打つ。抗えば抗うほど、欲望は膨れ上がっていく。
だが、レイジは奥歯を噛みしめた。
「違う……それはお前たちの望みじゃない!」
彼は強く叫んだ。幻影のセレーナの眼差しが揺れる。リリィナが足を止める。カリーネの吐息が一瞬、途切れた。
「本物のあいつらは……俺を欲望で縛ったりしない。俺と共に戦い、笑い、未来を掴むためにいるんだ!」
その言葉と共に、胸奥から光が迸った。
幻影を覆っていた淫靡な気配を切り裂くように、温かな輝きが広がる。
「……ッ……!」
幻影の彼女たちが苦しげに声を漏らす。形を保てなくなり、肌も衣も霧のようにほどけ、やがて光に溶けていった。
虚空に残ったのは、再び立つ魔王の影。
今度はわずかに嘲笑を浮かべている。
「ふむ……なるほど。欲望に溺れぬか。ならば次は――お前の存在そのものを試す」
魔王の瞳が赤く輝いた。
次の試練が迫る予感に、レイジは拳を強く握りしめた――。 幻影を退けたレイジの前で、魔王はゆっくりと歩み出た。
その足取りは静かだが、一歩ごとに空気が震え、床石が軋む。まるで存在そのものが大地を圧しているかのようだった。
「欲望を退けるとは見事だ。しかし――」
魔王の瞳が深紅に染まり、世界がぐにゃりと歪む。
「次に試すは、お前の“在り様”。お前という存在が、この世界に立つ価値を持つのかをだ」
次の瞬間、足下の大地が消え失せた。
気づけば、レイジは漆黒の虚空に立っていた。どこまでも広がる闇。上下の区別もなく、時間すら流れていないような空間。
そこに現れたのは――自分自身。
レイジと寸分違わぬ姿のもう一人のレイジが、冷ややかな目で立っていた。
「お前が本当に強いとでも思っているのか?」
もう一人のレイジが口を開く。その声は、深く胸に突き刺さる。
「お前は欲望に流される。戦いを正義にすり替えて、自分の快楽を肯定しているだけだ」
胸の奥が抉られるように痛む。
否定しようとしたが、言葉が出てこない。自分自身だからこそ、最も隠したい弱さを暴かれる。
「セレーナやリリィナがいなければ、お前は何もできない。お前はただの寄生者にすぎん」
「お前が触れるたび、女たちは堕ちていく。結局は彼女たちを利用しているだけだ」
言葉が刃となり、心を切り裂く。
だが、もう一人のレイジの目に宿るのは、怒りでも憎しみでもない。あまりに冷酷で、しかし確かな“真実”を孕んだ視線だった。
「俺は……」
レイジはうなだれ、拳を震わせた。
確かに、自分が欲望に突き動かされている部分はある。彼女たちに惹かれ、甘美な触れ合いに心を委ねてきたのは事実だ。
だが――。
「それでも……俺は彼女たちを利用なんかしてない!」
レイジは顔を上げ、もう一人の自分を睨み据えた。
「彼女たちと共に戦い、笑い、未来を掴む。それは俺の欲望かもしれない。でも、それは同時に俺の“誓い”だ!」
胸奥に熱が生まれる。
その熱は幻惑の闇を押し返し、虚空に光を差し込ませる。
「俺は弱さも、欲望も、全部抱えた上で立っている! それが俺だ……レイジだ!」
叫びと同時に、もう一人のレイジの姿が砕け散った。
残ったのは静寂。そして、闇を裂いて再び姿を現す魔王の影。
「……面白い」
魔王が低く笑う。
「己を否定せず、肯定するか。ならば、その在り様――余が直に試そう」
次の瞬間、圧倒的な殺気と魔力が奔り、虚空が爆ぜた。
魔王の真なる戦闘形態が、今まさに立ち現れようとしていた――。
玉座の上には、ひとりの影が腰掛けていた。姿形は人に近い。だが、その存在はあまりにも濃く、重く、広間に足を踏み入れた者すべての五感を圧していた。影は動かぬまま、ただそこにいるだけで、生きとし生けるものの根源に突き刺さるような威圧を放っていた。
レイジはその場に立ちすくみ、無意識に唾を呑み込んだ。頭ではわかっている――これが、魔王だ。だが理性の理解よりも先に、魂そのものが警鐘を鳴らす。相対しただけで、存在が否定されるかのような錯覚。
「……来たか。異邦の者よ」
低く、しかし全方位から響くような声が広間を満たす。空気ではなく、直接心臓を震わせる音色だった。セレーナは思わず膝を折りかけ、リリィナが慌ててその腕を支える。
「姉さま、しっかり……!」
「……だめ……視線を逸らすと呑み込まれる……」
魔王の瞳は、底なしの黒曜石のごとく光を飲み込み、何も映さぬまま全てを見通す。そこに映されるだけで、自らの在り様が暴かれていく。
カリーネは必死に爪を立てて耐えていた。普段の妖艶さも外交官としての冷静さも、この瞬間ばかりは意味を成さない。彼女の背中には、サキュバスとしての本能的な恐怖が走っていた。――種としての記憶が告げている。この存在の前では、誘惑も、媚びも、術も、すべて無意味。
「力ではない。欲望でもない」
魔王がゆるりと玉座から立ち上がる。その仕草は優美ですらあるのに、広間全体が軋み、重力が歪んだような圧が押し寄せる。
「……お前たちの“在り様”を、我が問おう」
その一言とともに、広間の空気が反転する。黒と白、闇と光が奔流となり渦を巻き、仲間たちの視界が引き裂かれる。肉体はそこにありながら、心は別の次元に引きずり込まれていく。
セレーナが呻き、リリィナが叫び、カリーネが息を呑む。その全てが遠ざかり、レイジはひとり取り残された。
――否。取り残されたのではない。
魔王と、彼自身の存在が交錯し始めていたのだ。
過去、未来、欲望、恐怖。すべてが交錯する精神世界。ここで試されるのは、力でも技でもない。彼らが「何者であるのか」。
「来い。異邦の者。己の在り様を示せ」
魔王の声が響いた瞬間、虚空が裂け、無数の記憶と幻像が奔流のようにレイジを呑み込む。 レイジの視界は光と闇の奔流に呑み込まれ、気づけば見知らぬ大地に立っていた。
そこは広間ではない。無限に広がる星空と、底なしの闇海が共存する、形なき空間。地平線もなければ重力の感覚すら曖昧で、ただ“在り様”そのものが形をとった世界だった。
「……ここは……」
答えるように、星空の中から無数の人影が姿を現す。
それはレイジ自身の記憶に刻まれた者たち――戦いで散った敵、救えなかった人々、己が欲望に怯えたときに見捨てた影。
「違う……お前は俺じゃない……!」
叫んでも影は消えない。むしろ、柔らかな笑みを浮かべながら近づいてくる。抱擁を求めるように両腕を広げ、耳元で囁く。
「愛している」
「抱いて」
「共に堕ちよう」
官能的な香気が漂う。幻影とはいえ、肌が触れれば甘美な震えが背を這う。
欲望そのものが形を持った存在――魔王が仕掛ける試練だった。
「……クソッ、こんな幻に……」
必死に振り払うも、影の群れは際限なく増える。双姫の微笑み、カリーネの囁き、さらには見知らぬ美女たちまでが次々と現れ、レイジの心を絡め取ろうとする。
その中心に、ひときわ大きな影が立った。
それは“魔王”そのもの。だが、肉体を持たず、ただ闇と光の揺らぎで形をとる。
「抗うな、異邦の者」
声は甘美な誘惑と圧倒的な威圧を同時に孕んでいた。
「お前の欲望は無限だ。抗えば抗うほど渇く。ならば委ねよ。我に己を重ね、同化せよ」
その言葉と共に、幻影の群れがレイジに重なり、まるで体を縛り上げるようにまとわりついた。
柔らかな感触。熱。甘い吐息。思考が蕩けそうになる。
――だが。
「俺は……俺は、ただ欲望の器じゃない!」
レイジは歯を食いしばり、心を振り絞る。胸の奥から、仲間たちとの記憶が甦る。
セレーナの冷静な眼差し。リリィナの無邪気な笑み。カリーネが見せた誇り高い横顔。そして、この世界に来てから培った、数え切れぬ絆の重み。
「俺が俺であるのは……あいつらと共に在るからだ!」
叫ぶと同時に、幻影のひとつが砕け散った。連鎖するように他の影もひび割れ、欲望の囁きが悲鳴へと変わる。
魔王は一歩進み出る。その虚ろな顔が初めて微笑に歪んだ。
「ほう……“絆”か。ならば、それすらも試してやろう」
次の瞬間、虚空が震え、仲間たちの姿が浮かび上がった。
だがそれは――真の彼女たちではない。淫らに歪められた幻影。セレーナは衣を乱し、リリィナは甘やかに腰を揺らし、カリーネは熱に浮かされたような瞳でレイジを見つめていた。
「お前に抗えるか、異邦の者」
魔王の声が世界全体に響き渡り、幻影の彼女たちが一斉にレイジへと歩み寄った――。 目の前に立つのは――セレーナ、リリィナ、そしてカリーネ。
しかし彼女たちは本物ではない。魔王の力が生み出した幻影。それでも、揺らめく髪の艶や、胸の鼓動まで伝わるような温もりは、現実としか思えぬほど濃密だった。
「レイジ……」
セレーナが吐息まじりに囁く。その声音には、冷徹さではなく、柔らかく甘い誘いが宿っている。
「あなたの力を貸して……その代わり、私をすべて受け入れて」
次いで、リリィナが小悪魔のように笑みを浮かべ、腰をくねらせる。
「お兄ちゃん、もう我慢できないでしょ? ほら、わたしを抱いて……ずっと夢見てたんだから」
カリーネは唇を濡らし、切なげに見つめてくる。
「私を拒むの……? あなたと同じ陣営に立ったのは、ずっと近くで触れたかったからよ」
――幻影だとわかっている。
だが、その熱、その視線、その囁きは、心の奥の欲望を鋭く突き刺してくる。
「く……っ……!」
レイジは後ずさりしそうになる己を必死に踏みとどめた。
だが幻影の彼女たちは距離を詰め、腕を絡め、胸を押し当て、彼の呼吸を奪っていく。
「抗うな……」
魔王の声が響く。
「お前の欲望は真実だ。絆も、友情も、愛も……すべて欲望に過ぎぬ。ならば解き放て」
その言葉に呼応するかのように、幻影の彼女たちはさらに艶やかに変貌していく。衣は透けるほどに乱れ、瞳は熱に潤み、触れる指先は燃えるように甘美。
理性を溶かす香気が辺りを満たす。
「俺は……違う……!」
レイジの心に、ほんの一瞬の揺らぎが走った。
その隙を見逃さず、リリィナの幻影が彼の首に腕を絡ませる。熱を帯びた吐息が耳を掠めた。
「いいんだよ……わたしたちはずっと、そうしたかったんだもの」
胸が波打つ。抗えば抗うほど、欲望は膨れ上がっていく。
だが、レイジは奥歯を噛みしめた。
「違う……それはお前たちの望みじゃない!」
彼は強く叫んだ。幻影のセレーナの眼差しが揺れる。リリィナが足を止める。カリーネの吐息が一瞬、途切れた。
「本物のあいつらは……俺を欲望で縛ったりしない。俺と共に戦い、笑い、未来を掴むためにいるんだ!」
その言葉と共に、胸奥から光が迸った。
幻影を覆っていた淫靡な気配を切り裂くように、温かな輝きが広がる。
「……ッ……!」
幻影の彼女たちが苦しげに声を漏らす。形を保てなくなり、肌も衣も霧のようにほどけ、やがて光に溶けていった。
虚空に残ったのは、再び立つ魔王の影。
今度はわずかに嘲笑を浮かべている。
「ふむ……なるほど。欲望に溺れぬか。ならば次は――お前の存在そのものを試す」
魔王の瞳が赤く輝いた。
次の試練が迫る予感に、レイジは拳を強く握りしめた――。 幻影を退けたレイジの前で、魔王はゆっくりと歩み出た。
その足取りは静かだが、一歩ごとに空気が震え、床石が軋む。まるで存在そのものが大地を圧しているかのようだった。
「欲望を退けるとは見事だ。しかし――」
魔王の瞳が深紅に染まり、世界がぐにゃりと歪む。
「次に試すは、お前の“在り様”。お前という存在が、この世界に立つ価値を持つのかをだ」
次の瞬間、足下の大地が消え失せた。
気づけば、レイジは漆黒の虚空に立っていた。どこまでも広がる闇。上下の区別もなく、時間すら流れていないような空間。
そこに現れたのは――自分自身。
レイジと寸分違わぬ姿のもう一人のレイジが、冷ややかな目で立っていた。
「お前が本当に強いとでも思っているのか?」
もう一人のレイジが口を開く。その声は、深く胸に突き刺さる。
「お前は欲望に流される。戦いを正義にすり替えて、自分の快楽を肯定しているだけだ」
胸の奥が抉られるように痛む。
否定しようとしたが、言葉が出てこない。自分自身だからこそ、最も隠したい弱さを暴かれる。
「セレーナやリリィナがいなければ、お前は何もできない。お前はただの寄生者にすぎん」
「お前が触れるたび、女たちは堕ちていく。結局は彼女たちを利用しているだけだ」
言葉が刃となり、心を切り裂く。
だが、もう一人のレイジの目に宿るのは、怒りでも憎しみでもない。あまりに冷酷で、しかし確かな“真実”を孕んだ視線だった。
「俺は……」
レイジはうなだれ、拳を震わせた。
確かに、自分が欲望に突き動かされている部分はある。彼女たちに惹かれ、甘美な触れ合いに心を委ねてきたのは事実だ。
だが――。
「それでも……俺は彼女たちを利用なんかしてない!」
レイジは顔を上げ、もう一人の自分を睨み据えた。
「彼女たちと共に戦い、笑い、未来を掴む。それは俺の欲望かもしれない。でも、それは同時に俺の“誓い”だ!」
胸奥に熱が生まれる。
その熱は幻惑の闇を押し返し、虚空に光を差し込ませる。
「俺は弱さも、欲望も、全部抱えた上で立っている! それが俺だ……レイジだ!」
叫びと同時に、もう一人のレイジの姿が砕け散った。
残ったのは静寂。そして、闇を裂いて再び姿を現す魔王の影。
「……面白い」
魔王が低く笑う。
「己を否定せず、肯定するか。ならば、その在り様――余が直に試そう」
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