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第九章 勿忘草
花弁の手紙
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志瑞也が中学二年になって直ぐ、衝撃な事件が起こる。登校し靴箱を開けると、一通の手紙らしきものが入っていた。
……。
志瑞也は一度扉を「パタン」と閉めて周りを見渡す。誰かの悪戯か揶揄いか、苛められてはいないが、それを冗談として笑い合える友はいない。もう一度扉を開けると、やはり見間違いではない、上履きの上にはちゃんと手紙がある。手紙をさっと鞄に入れ、何食わぬ顔で教室へ向かった。志瑞也は手紙の内容が気になり授業中も上の空、今も誰かが見ているのではないか、動揺から目をきょろきょろさせてしまう。
「志瑞也、これ後ろに回して…」
(何の手紙だ? まさかっラブレター? 誰からだろう? いやいや、間違って俺の所に入れたのかな?)
「おいっ、志瑞也っ」
「あ、ごっごめん…」
前席の男子が授業の資料を突きだし、早く取れと志瑞也を睨みつける。志瑞也が苦笑いで受け取ると、男子はおかしな奴と首を傾げて前を向いた。
お昼休み、志瑞也はいつも校舎の屋上で、くつろぎながら一枝の弁当を食べる。だが、この日は駆け足で屋上へ行き、急ぎ手紙を鞄から取り出し手に取る。宛名は〝志瑞也へ〟……青春の前触れに、脳内で一面の桜吹雪が飛び交う。
見事な達筆!
志瑞也は頬をつねる。
「痛ッ」
(夢じゃない!)
いよいよ妄想だけの世界から、現実への扉が開かれるのだ。自分でいうのもなんだが、性格も顔もそんなに悪くはないはず。上とまでは望まなくても、毎日しっかりお風呂に入り、清潔感は保ってきた。それも全てこの日のためだったのだ。桜の花弁を手に、志瑞也は泣きそうになる。動悸を抑えながら、震える手で花弁を広げた。
…は?
今度は真っ赤な薔薇の花弁が舞い散った。差出人の名は〝諒〟他の教室の男子だった…。志瑞也は薔薇の花弁を一旦閉じて蹲る。諒は水泳部の部長で、大会に出場しては毎回優秀な成績を収めている。当然女子にも人気があり、学内で知らない者はいない。そんな人気者が、何の繋がりもない自分に何故手紙?
志瑞也は現実逃避したい気持ちを抑え、汗ばむ手で取り敢えず花弁を読む。
……〝突然の手紙ごめん、実は学内水泳場に最近奇妙な事が起こっているんだ。部員が溺れたり足を滑らせたり、大会前にこれでは練習ができないんだ。誰もいない更衣室で、勝手にシャワーが出ていた事もあるんだ。志瑞也は幽霊が見えるんだろ? 一度見に来てくれないか? 返事待ってる。諒〟……実に純粋な依頼であった。
志瑞也は一気に拍子抜けし、淡い期待を持った自分が恥ずかしくなる。弁当を食べながら思わず「はぁ…」溜息を吐く。諒とは小学校が違う。恐らく、誰かから自分の噂を聞いたのだろう。内容が内容なだけに、直接は話にくい。ましてや、自分と話をしている所を誰かに見られると噂が立つ。志瑞也は手紙で出した理由をそう捉え、水泳部の休みの日を尋ねた返事を諒の靴箱に入れた。
放課後靴箱を開けると、早速返事が返ってきていた。手紙には〝明日だ、ありがとう〟と書かれていた。
「ばぁちゃん、俺明日ちょっと帰り遅くなると思う」
「どうしてだい?」
「ちょっと頼まれてさ…」
志瑞也は一枝に手紙の内容を話した。
一枝は不思議そうに尋ねる。
「お前は何故知らない相手の頼みを聞くんだい?」
「だって諒はきっと困っているよ、それに〝ありがとう〟て手紙に書いてあったんだ」
志瑞也は仕方ないと言わんばかりの顔で微笑む。
一枝は志瑞也の肩を抱き寄せる。
「気をつけるんだよ」
「うん、わかってるよばぁちゃん」
志瑞也は一枝の許可を得られて安堵する。
翌日の放課後、志瑞也は水泳場に到着するも、開いているわけがない。先に鞄を塀に高く放り投げ、金網をよじ登りすとんっと着地し無事侵入する。まるで映画の主人公の様に、眉を寄せ辺りを見渡し誰もいないのを確認する。当然誰もいるはずがないが、一度はやってみたいものだ。「ぷっ」と笑い、気を取り直して依頼を遂行する。正直水霊はあまり良くない。慎重に更衣室「おーい」プールの縁「出てこいよー」管理室等を見て回るが、霊らしきものは全く見当たらない。志瑞也はプールを眺めながら首を傾げる。
「霊でもなければ妖怪でもないのか? どういうことだ?」
まるで探偵のように顎に手をあて、得意分野のこの手の事、解けないはずがないと左右に動き回る。「トン」手の平を拳で叩く。手紙に部員が溺れると書いてあったのを思い出し、制服を脱いで中に入る。胡座を組んで沈んで潜ってみたり、隈なく歩き回ったりするが、気配すら感じない。これだけ探しても見つからないのだから、解決の仕様がない。誰もいないプールは広くて夕暮れには水も冷たく、志瑞也はついバシャバシャと遊んでしまう。泳ぎ疲れ水面で浮いていると、橙色に染まっていく風景がとても綺麗だった。
(お腹すいたなぁ…)
「おいっ志瑞也っ!」
バシャーンッ!
「わぷっ…なっ、何だっ?」
志瑞也は水飛沫を浴びがしっと肩を掴まれる。
「お前っ…大丈夫なのか?」
「あれっ、諒? どうしたんだ?」
「どうしたじゃないだろっ、溺れて浮いてるかと思ったじゃないかっ!」
余程驚いたのか、諒は制服のまま飛び込んでいた。
「ぷっ、アハハハハ」
諒は呆れながらもほっとする。
「お前何笑ってるんだよっ、驚かしやがって、ふっ……ってかお前何していたんだ?」
「一応全部見て回ったんだけど何もいなくてさ、溺れた人がいるならと思って、水の中探していたら……」
志瑞也の険しい顔に諒もやはりと息を呑む。
「さっ探していたら…?」
「楽しくて泳いでたっアハハハ」
「……」
諒は呆れた顔をする。
「諒は?」
「人に頼み事して自分が来ないのはおかしいだろっ、顧問の手伝いしてたら遅くなったんだ、お前鍵無いのにどうやって入ったんだ?」
まさか諒が立ち合うとは思わず「へへへ」志瑞也は苦笑いする。
「ったく、お前バレたら俺が怒られるじゃないかっ」
「そっか、ごめんアハハハ」
「…お前まさか、裸じゃないよな?」
目を見開いて言う諒に、志瑞也は悪戯に笑う。
「浮いてる時見えなかったのか? ちゃんとパンツは履いてるよ、見るか?アハハ」
「いいよっ、あんなの見たらっ確認してる場合じゃないだろっ ふっ、お前って結構明るい奴だったんだなハハハハハ」
水に濡れる諒の笑い顔は爽やかで、夕陽が反射してとても眩しく、まさに青春だ。運動神経、肉体美、顔、女子が目をつける条件が揃ってる。反対に筋肉の少ない貧弱な身体、頭脳も顔も並、別の意味で目立っている自分とは、大きな差だ。
「やっぱ諒って、名前もだけどかっこいいな」
「なっ…」
志瑞也の淡い微笑みに、諒は思わず目を奪われた。男の上半身裸は、部員で見慣れているはずだ。それでも逆光で浮き出た鼻筋、細い首、華奢な肩と腰が、諒の目にはとても艶っぽく映っていた。志瑞也の顎先から落ちる滴に、思わず生唾を飲みぴくりと指先が動く。
「志瑞也…」
「ん?」
その時、志瑞也は足先に何か触れるのを感じた。
「しっ、諒ちょっと待って…」
「どうした?」
志瑞也の顔付きが変わり諒にも緊張が走る。水中で感じる気配に、志瑞也は目を凝らし追いかけた。視線に気づいた霊は動きを止め、暫く戸惑った様子でうろつき、水面から小さな頭を浮かばせ青白い顔を曝け出した。水霊なら強気で向き合わなければと、志瑞也は鋭く睨みつける。ところが、霊の方が見つかって驚いたのか、怯えた瞳でぽたぽた泣きだしたのだ。そうか……事情を理解して志瑞也は頷く。
「……諒、お前最近、弟亡くしたか?」
腰ほどの高さでなでるように手を動かす志瑞也に、諒は絶句し背筋を凍らせた。
「弟はお前と遊びたかったそうだ… まだ小さかったんだな、お前が部員と遊んでいると思って悪戯しただけだ『困らせてごめんなさい』て言って泣いているよ…」
諒は志瑞也の手を見て眉をひそめる。
「こっここにっ、稔がっ、いるのか…?」
志瑞也は視線を向け優しく言う。
「うん、プールじゃなくて諒に付いていたんだ」
込み上げる涙を抑えられず、諒はうつむき片手で目元を塞ぐ。
「み…のる…は… ずっと病気だったんだ… ううっ…」
志瑞也は諒の肩を抱き寄せ、背中に腕を回して告げる。
「大丈夫だよ、稔君はお前と一緒に泳ぎたかっただけだ、兄ちゃんが大好きだってさ」
「志瑞也… あ…ありがとう…」
諒は志瑞也の腕の中で静かに泣いた。
稔は先天性の病気で六週間前に亡くなった。諒が新聞に載る度稔は喜び、医師や看護師に諒を自慢していた。闘病中の稔を励まし喜ばすため、諒は水泳を頑張っていたのだ。完治したら泳ぎを教えると指切りするも、守れなかったと悔やみ、それが唯一の心残りだったのだろう。四十九日〔人は亡くなって四十九日後に仏の元へ向かうとされている。四十九日までの間、七日ごとに閻魔様の裁きを受け、四十九日後、極楽浄土へ行けるか最後の審判を受ける〕を目前に、最後に兄と遊びたくて現れたのかもしれない。稔の右頬にだけ笑窪がでることを伝えると、諒は嬉しそうに微笑んだ。二人はプールから上がり、志瑞也は諒から多織留を借り体を拭いて制服を着け、諒は体育着に着替えた。学校を出る頃、辺りは暗くなっていた。
無事依頼完了。
「じゃあ俺こっちだから」
志瑞也は手を振って歩きだす。
「志瑞也っ…」
「ん?」
足を止め振り返るが、諒は言葉を詰まらせ立ち尽くしていた。
志瑞也は勘付いて言う。
「心配するな、今日の事は誰にも言わないし、学校でも俺から話しかけることはないから、じゃっ」
「ちっ違うんだっ…」
「諒?」
まだ心配事があるのかと、志瑞也は諒の側へ戻る。
諒は少し間を置いてから口を開く。
「志瑞也、俺と付き合ってみないか?」
……。
「え?」
志瑞也は目が点になり、頭が真っ白になる。何故諒がそう思ったのかは分からないが、初めての告白がまさか男からになろうとは。だが志瑞也は冷静になり、過去諒に彼女がいたのを思い出す。諒の戸惑う眼差しを見て尋ねる。
「諒は男が好きなのか?」
「…違う」
「なら、俺が好きなのか?」
「…まだ分からない」
志瑞也はほっとする。
うつむく諒に志瑞也は腕を組んで言う。
「諒、俺はお前はいい奴だと思っているよ。でも俺は男を恋愛対象として見たことはないし、試しに付き合うってのもできない、それに俺はキスは好きな人とって決めているんだ」
「え? お前キスまだなのか?」
諒は顔を上げ志瑞也を見ると、堂々と澄まし顔をしていた。その雰囲気に、諒は可笑しくなり「ふっ」片方の口角を上げ鼻で笑う。
「何だよお前っ、モテるからって笑うなっ」
「俺とするか?ハハハ」
「しっしないっ……ぷっアハハハ」
諒は顔を横に振って笑い、志瑞也も一緒に笑い合った。
帰宅して報告するなり「無事で良かった」一枝が志瑞也を抱きしめた。洗濯物に濡れた下着を出すと「お前は下は何も穿かずに制服を着たのかい?」一枝の呆れ顔に、志瑞也は大笑いした。
その後、水泳場での怪奇現象は収まり、大会では見事団体優勝、諒は個人で二位になった。志瑞也は諒と目が合っても話すことはせず、その内互いに目も合わさなくなった。
中学校卒業式、花絵も諒も違う高校へ進学する。諒は水泳の名門校に推薦で決まったと聞き、志瑞也は稔も喜んでいる気がした。
卒業証書を手に学舎の門を出る。
「志瑞也っ」
「…諒?」
久々に間近で見る諒は、志瑞也よりも背丈が少し高くなっていた。
「もう帰るのか? 皆と写真撮らないのか?」
「俺ばぁちゃんが家で待っているから」
諒は志瑞也の小学校の噂を知っている。苦笑いする志瑞也に、諒はしまったと気まずそうに呟く。
「そっか…」
「うん」
諒の制服の釦は全て無く、志瑞也は流石だと微笑む。
「志瑞也、あそこ見てみろよ」
「ん?」
志瑞也は諒の指差す方向を見る。
「ちゅっ」
…は?
「おっお前っ今何したんだよっ」
生温かい感触があたり、志瑞也は驚いて頬を触る。
諒は片眉を上げて笑いながら言う。
「お前、キスはまだなんだろ? 卒業祝いだハハハ」
諒は笑いながら去って行く。
「お前っ、ほっぺでも駄目だっ!」
諒が振り返って手を振る。
「志瑞也ーっ、ありがとうなーっ」
実際、諒のお陰で学舎に思い出ができた。これもまた青春、志瑞也は微笑んで手を振る。
「諒も水泳頑張れよーっ」
危うく本当に薔薇の花弁が舞いそうになり、志瑞也は帰宅し「ばぁちゃん、俺の顔どう思う?」一枝に聞くと「お前は昔から可愛いよ」微笑んで頬をつねった。「ばぁちゃんっ痛いよっ」これが現実なのだと、志瑞也は次なる成長期に期待することにした。
……。
志瑞也は一度扉を「パタン」と閉めて周りを見渡す。誰かの悪戯か揶揄いか、苛められてはいないが、それを冗談として笑い合える友はいない。もう一度扉を開けると、やはり見間違いではない、上履きの上にはちゃんと手紙がある。手紙をさっと鞄に入れ、何食わぬ顔で教室へ向かった。志瑞也は手紙の内容が気になり授業中も上の空、今も誰かが見ているのではないか、動揺から目をきょろきょろさせてしまう。
「志瑞也、これ後ろに回して…」
(何の手紙だ? まさかっラブレター? 誰からだろう? いやいや、間違って俺の所に入れたのかな?)
「おいっ、志瑞也っ」
「あ、ごっごめん…」
前席の男子が授業の資料を突きだし、早く取れと志瑞也を睨みつける。志瑞也が苦笑いで受け取ると、男子はおかしな奴と首を傾げて前を向いた。
お昼休み、志瑞也はいつも校舎の屋上で、くつろぎながら一枝の弁当を食べる。だが、この日は駆け足で屋上へ行き、急ぎ手紙を鞄から取り出し手に取る。宛名は〝志瑞也へ〟……青春の前触れに、脳内で一面の桜吹雪が飛び交う。
見事な達筆!
志瑞也は頬をつねる。
「痛ッ」
(夢じゃない!)
いよいよ妄想だけの世界から、現実への扉が開かれるのだ。自分でいうのもなんだが、性格も顔もそんなに悪くはないはず。上とまでは望まなくても、毎日しっかりお風呂に入り、清潔感は保ってきた。それも全てこの日のためだったのだ。桜の花弁を手に、志瑞也は泣きそうになる。動悸を抑えながら、震える手で花弁を広げた。
…は?
今度は真っ赤な薔薇の花弁が舞い散った。差出人の名は〝諒〟他の教室の男子だった…。志瑞也は薔薇の花弁を一旦閉じて蹲る。諒は水泳部の部長で、大会に出場しては毎回優秀な成績を収めている。当然女子にも人気があり、学内で知らない者はいない。そんな人気者が、何の繋がりもない自分に何故手紙?
志瑞也は現実逃避したい気持ちを抑え、汗ばむ手で取り敢えず花弁を読む。
……〝突然の手紙ごめん、実は学内水泳場に最近奇妙な事が起こっているんだ。部員が溺れたり足を滑らせたり、大会前にこれでは練習ができないんだ。誰もいない更衣室で、勝手にシャワーが出ていた事もあるんだ。志瑞也は幽霊が見えるんだろ? 一度見に来てくれないか? 返事待ってる。諒〟……実に純粋な依頼であった。
志瑞也は一気に拍子抜けし、淡い期待を持った自分が恥ずかしくなる。弁当を食べながら思わず「はぁ…」溜息を吐く。諒とは小学校が違う。恐らく、誰かから自分の噂を聞いたのだろう。内容が内容なだけに、直接は話にくい。ましてや、自分と話をしている所を誰かに見られると噂が立つ。志瑞也は手紙で出した理由をそう捉え、水泳部の休みの日を尋ねた返事を諒の靴箱に入れた。
放課後靴箱を開けると、早速返事が返ってきていた。手紙には〝明日だ、ありがとう〟と書かれていた。
「ばぁちゃん、俺明日ちょっと帰り遅くなると思う」
「どうしてだい?」
「ちょっと頼まれてさ…」
志瑞也は一枝に手紙の内容を話した。
一枝は不思議そうに尋ねる。
「お前は何故知らない相手の頼みを聞くんだい?」
「だって諒はきっと困っているよ、それに〝ありがとう〟て手紙に書いてあったんだ」
志瑞也は仕方ないと言わんばかりの顔で微笑む。
一枝は志瑞也の肩を抱き寄せる。
「気をつけるんだよ」
「うん、わかってるよばぁちゃん」
志瑞也は一枝の許可を得られて安堵する。
翌日の放課後、志瑞也は水泳場に到着するも、開いているわけがない。先に鞄を塀に高く放り投げ、金網をよじ登りすとんっと着地し無事侵入する。まるで映画の主人公の様に、眉を寄せ辺りを見渡し誰もいないのを確認する。当然誰もいるはずがないが、一度はやってみたいものだ。「ぷっ」と笑い、気を取り直して依頼を遂行する。正直水霊はあまり良くない。慎重に更衣室「おーい」プールの縁「出てこいよー」管理室等を見て回るが、霊らしきものは全く見当たらない。志瑞也はプールを眺めながら首を傾げる。
「霊でもなければ妖怪でもないのか? どういうことだ?」
まるで探偵のように顎に手をあて、得意分野のこの手の事、解けないはずがないと左右に動き回る。「トン」手の平を拳で叩く。手紙に部員が溺れると書いてあったのを思い出し、制服を脱いで中に入る。胡座を組んで沈んで潜ってみたり、隈なく歩き回ったりするが、気配すら感じない。これだけ探しても見つからないのだから、解決の仕様がない。誰もいないプールは広くて夕暮れには水も冷たく、志瑞也はついバシャバシャと遊んでしまう。泳ぎ疲れ水面で浮いていると、橙色に染まっていく風景がとても綺麗だった。
(お腹すいたなぁ…)
「おいっ志瑞也っ!」
バシャーンッ!
「わぷっ…なっ、何だっ?」
志瑞也は水飛沫を浴びがしっと肩を掴まれる。
「お前っ…大丈夫なのか?」
「あれっ、諒? どうしたんだ?」
「どうしたじゃないだろっ、溺れて浮いてるかと思ったじゃないかっ!」
余程驚いたのか、諒は制服のまま飛び込んでいた。
「ぷっ、アハハハハ」
諒は呆れながらもほっとする。
「お前何笑ってるんだよっ、驚かしやがって、ふっ……ってかお前何していたんだ?」
「一応全部見て回ったんだけど何もいなくてさ、溺れた人がいるならと思って、水の中探していたら……」
志瑞也の険しい顔に諒もやはりと息を呑む。
「さっ探していたら…?」
「楽しくて泳いでたっアハハハ」
「……」
諒は呆れた顔をする。
「諒は?」
「人に頼み事して自分が来ないのはおかしいだろっ、顧問の手伝いしてたら遅くなったんだ、お前鍵無いのにどうやって入ったんだ?」
まさか諒が立ち合うとは思わず「へへへ」志瑞也は苦笑いする。
「ったく、お前バレたら俺が怒られるじゃないかっ」
「そっか、ごめんアハハハ」
「…お前まさか、裸じゃないよな?」
目を見開いて言う諒に、志瑞也は悪戯に笑う。
「浮いてる時見えなかったのか? ちゃんとパンツは履いてるよ、見るか?アハハ」
「いいよっ、あんなの見たらっ確認してる場合じゃないだろっ ふっ、お前って結構明るい奴だったんだなハハハハハ」
水に濡れる諒の笑い顔は爽やかで、夕陽が反射してとても眩しく、まさに青春だ。運動神経、肉体美、顔、女子が目をつける条件が揃ってる。反対に筋肉の少ない貧弱な身体、頭脳も顔も並、別の意味で目立っている自分とは、大きな差だ。
「やっぱ諒って、名前もだけどかっこいいな」
「なっ…」
志瑞也の淡い微笑みに、諒は思わず目を奪われた。男の上半身裸は、部員で見慣れているはずだ。それでも逆光で浮き出た鼻筋、細い首、華奢な肩と腰が、諒の目にはとても艶っぽく映っていた。志瑞也の顎先から落ちる滴に、思わず生唾を飲みぴくりと指先が動く。
「志瑞也…」
「ん?」
その時、志瑞也は足先に何か触れるのを感じた。
「しっ、諒ちょっと待って…」
「どうした?」
志瑞也の顔付きが変わり諒にも緊張が走る。水中で感じる気配に、志瑞也は目を凝らし追いかけた。視線に気づいた霊は動きを止め、暫く戸惑った様子でうろつき、水面から小さな頭を浮かばせ青白い顔を曝け出した。水霊なら強気で向き合わなければと、志瑞也は鋭く睨みつける。ところが、霊の方が見つかって驚いたのか、怯えた瞳でぽたぽた泣きだしたのだ。そうか……事情を理解して志瑞也は頷く。
「……諒、お前最近、弟亡くしたか?」
腰ほどの高さでなでるように手を動かす志瑞也に、諒は絶句し背筋を凍らせた。
「弟はお前と遊びたかったそうだ… まだ小さかったんだな、お前が部員と遊んでいると思って悪戯しただけだ『困らせてごめんなさい』て言って泣いているよ…」
諒は志瑞也の手を見て眉をひそめる。
「こっここにっ、稔がっ、いるのか…?」
志瑞也は視線を向け優しく言う。
「うん、プールじゃなくて諒に付いていたんだ」
込み上げる涙を抑えられず、諒はうつむき片手で目元を塞ぐ。
「み…のる…は… ずっと病気だったんだ… ううっ…」
志瑞也は諒の肩を抱き寄せ、背中に腕を回して告げる。
「大丈夫だよ、稔君はお前と一緒に泳ぎたかっただけだ、兄ちゃんが大好きだってさ」
「志瑞也… あ…ありがとう…」
諒は志瑞也の腕の中で静かに泣いた。
稔は先天性の病気で六週間前に亡くなった。諒が新聞に載る度稔は喜び、医師や看護師に諒を自慢していた。闘病中の稔を励まし喜ばすため、諒は水泳を頑張っていたのだ。完治したら泳ぎを教えると指切りするも、守れなかったと悔やみ、それが唯一の心残りだったのだろう。四十九日〔人は亡くなって四十九日後に仏の元へ向かうとされている。四十九日までの間、七日ごとに閻魔様の裁きを受け、四十九日後、極楽浄土へ行けるか最後の審判を受ける〕を目前に、最後に兄と遊びたくて現れたのかもしれない。稔の右頬にだけ笑窪がでることを伝えると、諒は嬉しそうに微笑んだ。二人はプールから上がり、志瑞也は諒から多織留を借り体を拭いて制服を着け、諒は体育着に着替えた。学校を出る頃、辺りは暗くなっていた。
無事依頼完了。
「じゃあ俺こっちだから」
志瑞也は手を振って歩きだす。
「志瑞也っ…」
「ん?」
足を止め振り返るが、諒は言葉を詰まらせ立ち尽くしていた。
志瑞也は勘付いて言う。
「心配するな、今日の事は誰にも言わないし、学校でも俺から話しかけることはないから、じゃっ」
「ちっ違うんだっ…」
「諒?」
まだ心配事があるのかと、志瑞也は諒の側へ戻る。
諒は少し間を置いてから口を開く。
「志瑞也、俺と付き合ってみないか?」
……。
「え?」
志瑞也は目が点になり、頭が真っ白になる。何故諒がそう思ったのかは分からないが、初めての告白がまさか男からになろうとは。だが志瑞也は冷静になり、過去諒に彼女がいたのを思い出す。諒の戸惑う眼差しを見て尋ねる。
「諒は男が好きなのか?」
「…違う」
「なら、俺が好きなのか?」
「…まだ分からない」
志瑞也はほっとする。
うつむく諒に志瑞也は腕を組んで言う。
「諒、俺はお前はいい奴だと思っているよ。でも俺は男を恋愛対象として見たことはないし、試しに付き合うってのもできない、それに俺はキスは好きな人とって決めているんだ」
「え? お前キスまだなのか?」
諒は顔を上げ志瑞也を見ると、堂々と澄まし顔をしていた。その雰囲気に、諒は可笑しくなり「ふっ」片方の口角を上げ鼻で笑う。
「何だよお前っ、モテるからって笑うなっ」
「俺とするか?ハハハ」
「しっしないっ……ぷっアハハハ」
諒は顔を横に振って笑い、志瑞也も一緒に笑い合った。
帰宅して報告するなり「無事で良かった」一枝が志瑞也を抱きしめた。洗濯物に濡れた下着を出すと「お前は下は何も穿かずに制服を着たのかい?」一枝の呆れ顔に、志瑞也は大笑いした。
その後、水泳場での怪奇現象は収まり、大会では見事団体優勝、諒は個人で二位になった。志瑞也は諒と目が合っても話すことはせず、その内互いに目も合わさなくなった。
中学校卒業式、花絵も諒も違う高校へ進学する。諒は水泳の名門校に推薦で決まったと聞き、志瑞也は稔も喜んでいる気がした。
卒業証書を手に学舎の門を出る。
「志瑞也っ」
「…諒?」
久々に間近で見る諒は、志瑞也よりも背丈が少し高くなっていた。
「もう帰るのか? 皆と写真撮らないのか?」
「俺ばぁちゃんが家で待っているから」
諒は志瑞也の小学校の噂を知っている。苦笑いする志瑞也に、諒はしまったと気まずそうに呟く。
「そっか…」
「うん」
諒の制服の釦は全て無く、志瑞也は流石だと微笑む。
「志瑞也、あそこ見てみろよ」
「ん?」
志瑞也は諒の指差す方向を見る。
「ちゅっ」
…は?
「おっお前っ今何したんだよっ」
生温かい感触があたり、志瑞也は驚いて頬を触る。
諒は片眉を上げて笑いながら言う。
「お前、キスはまだなんだろ? 卒業祝いだハハハ」
諒は笑いながら去って行く。
「お前っ、ほっぺでも駄目だっ!」
諒が振り返って手を振る。
「志瑞也ーっ、ありがとうなーっ」
実際、諒のお陰で学舎に思い出ができた。これもまた青春、志瑞也は微笑んで手を振る。
「諒も水泳頑張れよーっ」
危うく本当に薔薇の花弁が舞いそうになり、志瑞也は帰宅し「ばぁちゃん、俺の顔どう思う?」一枝に聞くと「お前は昔から可愛いよ」微笑んで頬をつねった。「ばぁちゃんっ痛いよっ」これが現実なのだと、志瑞也は次なる成長期に期待することにした。
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ファルーハ王国は砂漠地帯にある王国であり、雪国であるルロ国とは真逆だ。縁談などフィリ信じず、ついにそのときが来たと諦めの境地に至った。
情報がほとんどないファルーハ王国へ向かうと、国を上げて祝福する民衆に触れ、処刑場へ向かうものだとばかり思っていたフィリは困惑する。
狼狽するフィリの元へ現れたのは、浅黒い肌と黒髪、サファイア色の瞳を持つヴァシリスだった。彼はまだ成人にはあと二年早い子供であり、未成年と婚姻の儀を行うのかと不意を突かれた。
縁談の持ち込みから婚儀までが早く、しかも相手は未成年。そこには第二王子であるジャミルの思惑が隠されていて──。
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜
キノア9g
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「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」
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【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】
生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。
ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。
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元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!
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