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第一章 忍冬

三 恋の花

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 三日目、座学試験終了、壱黄のお陰で蒼亞はなんとか全問解け、後は結果を待つのみ。清々しい気持ちで庭園に行くと、柊虎が彼と木陰で会話していた。彼の頭についた落ち葉を払い、彼も柊虎の肩の落ち葉を払って微笑む。何かを見つけたのか、柊虎が驚いたように彼の足下を指差し、彼は飛び跳ねて柊虎にしがみついた。柊虎は吹き出して笑い、彼は揶揄われたと膨れるも、楽しそうに笑い合っている。
 柊虎に「志瑞也を想像しながら、した・・ことあるか?」と聞かれ、答えられず目を泳がせた。「気にするな、私もある。ここだけの話だが黄虎以外皆あるぞハハハ」「本当ですか? でも…」言葉を詰まらせると「罪悪感だろ? 駄目だと思うから苦しくなるのだ、男なら仕方ないし溜め込むよりはまだましさ、それに志瑞也のあの声は聞けば誰でも煽られるから気をつけろハハハ」顔を横に振り呆れ笑った。
 今ならその意味が良く分かる。ならば彼への想いを、柊虎はどう消化しているのか。「お前が十八になった時、聞きたければ教えるよ」そう言って、儚げに微笑んだ。それまで後六年、柊虎は未だ誰とも婚約せず申込みも全て断っているが、そのせいであらぬ噂まで立っている。

 西宮に彼と出向くと、柊虎と共によく町に出掛ける。村とは違い行商が盛んで賑わい、彼は毎度必ず商人と談笑し、妹へのお土産をはしゃぎ回って探す。柊虎は決まって新たな装身具店や、甘い物好きの彼のために美味い甘味処に案内するのだ。お陰で蒼亞も、甘い物に関して舌が肥えてしまった。だがある日暮れ時、一人の男子が「柊虎様ではないですか、お連れ様もご一緒に遊ばれて・・・・行かれませんか?」柊虎の腕を掴み引き止めた。流し目で視線を送る先では、荷台に酒甕を積んだ馬車が、幾つもの紅い提灯を吊り下げた門を潜り、中へと忙しく往来していた。昼間の商いとは一変、夜の怪しげな雰囲気を匂わせ、店先で客引きと若者達が溢れ返るそこは遊郭だった。あだっぽい手つきに白い肌、淡く香る白粉、男子を感じさせない風貌、男娼は蒼亞には目もくれず、彼を品定めするように横目で見た。彼が蒼龍本家の装束を着ているのにも関わらず、見下げたように鼻で笑い、明らかに柊虎に色目を使い微笑んだ。だが「私は男色ではない、触るな」柊虎は低く言い、眉間に皺を寄せ不快に睨みつけた。周囲にいた通行人達も驚き、注目を浴びた男娼はさっと手を離し、気まずそうに店の仲間の元へ立ち去った。様子を見ていた仲間に揶揄われたのか「もうっ、話が違うじゃないっ」男娼は怒鳴り、仲間の笑い声に反し不機嫌にこちらを睨んだ。側にいた彼は当然「柊虎っ、そんな言い方しなくても…」戸惑う。「志瑞也、私は望みを持たせたくないだけだよ」優しく微笑んで彼の頭をなでた。男色との噂を間に受け言い寄る者は多いが、断り方はあまりにも露骨だった。柊虎は誰にでも優しそうに見えて、実はそうでもないのだ。

 朱翔とは別で柊虎の話をした。
 磨虎が婚姻して第三宗主となり、柊虎は本来宮を出なければならない。しかし、双子で生まれた定めなのか、柊虎の頭がないと磨虎は責務を熟せない。白虎家は子沢山のため傍系も多く、西宮領域では領主として任せられる空きがなかった。現領主を退かせてまで柊虎を就かすとなると、不満を持った傍系から中傷されかねない。かといって、役職もないまま宮を出すのは間違っていると、祖父盛虎もりとらに対し滅多に逆らわない磨虎が「柊虎は私の弟ですっ、出て行かすのなら私も共に出て行きます!」訳の分からない言い分で騒ぎ立て断固反対した。考えなしの無責任な言動だと盛虎は激怒したが、磨虎は全傍系や領主の元へ出向き嘆願書への血判を求めた。取り組む姿勢は責務よりも真剣で、実に兄磨虎らしいと柊虎も共に頭を下げて回り、領主達もその方が己の役職も維持でき争いを避けられると賛同し、盛虎は同家が認めるならと許可したのだ。「あれは磨虎にしては良くやった」朱翔は珍しく感心して褒めた。宗主の地位への欲は、柊虎に微塵もないのは誰もが知っている。
 ───ならば、柊虎の望は何なのか。
「お前は柊虎みたいにはなるなよ、あいつは望んであの位置・・・にいるが、お前がそうなるのは蒼万と志瑞也は望んでない」そう何処か悲しげに言う朱翔も、本当は柊虎の別の幸せを願っているのだろう。だが、柊虎は胸の中の恋を、新たな別の花に変えたくないのかもしれない。蕾のままでも、咲かなくても構わない、ただ枯れないよう、大切に愛でたいのだ。唯一、望みがあるとするならば、それを止めないでほしい。彼の側で幸せそうに微笑む柊虎に、蒼亞はそう思えてならなかった。

 試験結果発表、前回一位だった黄花が釵黄と入れ替わり、成績優秀者は釵黄、二位黄花、三位壱黄、四位蒼亞だった。壱黄には頭が上がらない。壱黄は蒼亞の肩に手を置き「良かったな」と微笑む。
「お前達凄いな、おめでとう」
「伯父上、私頑張りましたのよ」
 黄花はすかさず彼に抱きつき、頬を突きだす。
「黄花、おまじないだけだぞ、口にしたら蒼万に怒られるからな」
「今蒼万様はいないわ」
 急かすように黄花は頬を指で小突く。
「黄花、俺は結婚しているんだぞ、ったく…ちゅっ」
「ふふふ」
 彼は困った顔をするも、微笑んで黄花の頭をなでた。
「黄花、お前釵黄はいいのか?」
「蒼亞っ、伯父上の前で言わないでよっ」
「釵黄? 何で?」
 彼はにやける蒼亞と壱黄を不思議そうに見て、頬を赤く染める黄花の顔を覗く。
「黄花っ、釵黄が好きなのか?アハハハ そうか、なら口づけ・・・は好きな人とするんだぞ、俺としてるの釵黄が見たら嫌われちゃうぞ」
「わっ、わかりました…」
 黄花はきっと蒼亞を睨み、蒼亞は「ふっ」と鼻で笑い、壱黄は「クスクス」と笑う。
「壱黄と蒼亞は気になった子いたか?」
 壱黄は鼻の下を擦りながら言う。
「私はまだです、へへへ」
「私は志ぃ兄ちゃんが大好きだよ」
 壱黄が驚いてばっと振り向き、蒼亞はすっきりした顔で頷く。
「そ…蒼亞っ、俺も大好きだよっ」
 彼は蒼亞を抱きしめた。
「ずるいわ蒼亞っ、私も伯父上大好きよっ」
 黄花は彼の後ろから抱きつき、壱黄は三人を見てもじもじする。
「壱黄もおいで」
「伯父上っ、私も大好きですっ」
 片手を伸ばした彼に引き寄せられ、壱黄も一緒に抱きしめられる。
「三人共大きくなったな、ぐすっ…」
 以前よりも狭くなった彼の胸の中で、蒼亞と壱黄は微笑み合った。

「志瑞也っ、お前のその癖どうにかしろ!」

 朱翔が彼を睨みながら、柊虎と磨虎と近づいて来た。
「朱濂も朱囉も、お前に会いたがって大変なんだぞっ、ったく…」
「そうだぞっ、朱虎は私よりもお前に懐いてるではないかっ」
「何だよっ、朱翔も磨虎もやきもちか? 皆いつかは俺から離れるんだから、それまでの間ぐらいいいじゃないかアハハハ」
 彼の言葉が、抱きついている三人の心を震わせた。
「伯父上、そんなこと…言わないで下さい…」
「壱黄、俺にはもう蒼万がいるんだ、だからお前達にもそういう相手ができるまでは、俺がいるよ」
 三人共めそめそしだす。
「お前達っ泣いてるのか?アハハハ、おまじないしてあげるよ」
 彼は三人におまじないして微笑み、師匠達は呆れ顔で見ていた。
「ん、皆も俺におまじないしてほしいのか?」
 そう言って、彼は悪戯に師匠達ににやりと微笑む。
「志瑞也、実は今な、お前の後ろに蒼万がいるって言ったら…ふっ、どうする?」
 朱翔は腕を組んで怪しく笑う。
「はっ、また俺を揶揄って! どうせ俺が驚いて後ろを振り向いたら頭叩くか何かするんだろ? その手には乗らないよーだっアハハハハハ」
 だが、彼しか笑っていない。師匠達は、黙って真顔で何処か見ている。蒼亞は恐る恐る後ろを振り返り、そして壱黄と黄花も振り返る。

 …まずい。

「アハハハハ」

(あっ、兄上っ…)
 蒼亞は彼の袖に手を伸ばすが、兄が黙って顔を横に振り手を引っ込めた。いくら背丈が伸びたとはいえ、兄は神族の中で一番背丈が高く、見下ろされる感覚に怯えないものはいない。流石の黄花も固まり、壱黄は今にも泣き出しそうだ。兄が顎でくいっと指示をし、三人はゆっくり笑っている彼の側を離れ、師匠達は苦笑いで見守っていた。
「アハハハ…あれ? 皆どうしたんだ?」
 彼はやっと、全員の様子がおかしいことに気づく。ただならぬ背後の気配にまさかと青褪め、師匠達は真顔でこくんと一回頷く。彼はぎこちなく視線を地面に落とし、重なる影を見て、逃げるように前進しだした。

「志瑞也止まれ」

 低く痺れるような声に全員が凍りつく。
 固まる彼に兄はゆっくり近づき、お腹に手を回して掴まえた。
「そっ…蒼万? いっいつ来たんだっ?」
「今だ」
「くっ来るの、ああ明日? ああ明後日? そっその次じゃなかったかっ?」
 彼はじたばたと兄の手を解こうとする。
「『急ぎ責務を終わらせ共に参るから待て』と言ったはずだ、何故私を置いて行った?」
「そっそれは『無理しなくていい』て言っただろ? さっ先に行くって、てて手紙も書いただろっ?」
 恐らく、兄が責務に出た隙に、彼は待ちきれず昨日一人で抜けて来たのだ。兄は直ぐに東宮を発ち追いかけてきたのだろう、置き文を見た兄の姿が容易に想像できる。きっと、静かに文を握り潰し、逃げた獲物をどう捕えようか微笑んだに違いない。捕獲され目を泳がせる彼とは逆に、兄は気味の悪い笑みを浮かべていた。
「お前は私を煽っているのか?」
「ちっ違うよっ、とにかく離せよっ」
「黄怜殿でゆっくり話を聞こう」
「うあぁっ」
 兄は彼を俵の様にひょいっと肩に担ぐ。
「蒼万っ、これ怖いからやめろって言っただろっ 誰ともキスはしてないよっ やめろっ、落ちるっ」
 彼はぐらぐらと揺れ、兄の背中の衣にしがみつく。
「なら暴れるな」
「柊虎っ助けてっ 柊虎ーっ!」
 柊虎は苦笑いで手を振り、連れ去られる彼を見送った。
 ……。
「ぷっハハハハハハ 何だあれ? 蒼亞っ、志瑞也は今あんな扱いか?ハハハハ」
 腹を抱えげらげら笑う朱翔に、蒼亞は気まずそうに言う。
「まっ…前に一度、紫龍殿の庭園での出来事ですが、志ぃ兄ちゃんが作った紙飛行機を私が梢に引っ掛けてしまったんです。兄上が志ぃ兄ちゃんを肩車して取ったのですが、志ぃ兄ちゃんが下を見たら急に暴れて兄上の頭にしがみついて、その…顔を塞いでしまって…」
 柊虎が身を乗り出し目を見開く。
「もっ…もしや、志瑞也をおっ落としたのか?」
 蒼亞はぶんぶん顔を横に振る。
「いいえっ、ただ落としそうになって、兄上もとても焦っていました、でもそれが原因で…」
「……」
 柊虎は無言で額に手を当てうつむく。
 朱翔は顔を引き攣らせる。
「…あ、あの蒼万が、焦る?」
「し、志瑞也が蒼万の頭を…?」
 磨虎は柊虎の右肩に肘を置く。
「ぷっ…ハハハハハハハハ!」
 師匠達は大爆笑だ。
「そっ蒼万は嫁に振り回されて大変だなハハハハ 担いだのは志瑞也へのお仕置きか?ハハハハ」
「あいつが焦るって相当だぞっ、想像しただけで笑えるなっハハハハ」
「私に助けを求められても無理だよハハハハ」
 朱翔と磨虎は楽しそうに、柊虎は嬉しそうに笑う。
 壱黄は首を傾げて言う。
「蒼亞、師匠達は何であんなに笑っているのだ?」
「私にも分からないよ」
 蒼亞も首を傾げる。
 黄花は眉を寄せて言う。
「蒼亞の兄上は相変わらず目つきが悪いわっ」
「私もそれは思うよ、お前は似なくて良かったな」
「本当よっ、良かったわね蒼亞っ」
 二人は同じ顔で真剣に頷く。
 似ていないと言われたのは初めてだ。今までは、兄と似ていれば彼が兄の様に愛してくれると思っていた。だからこそ、仕草や目つきを真似していた。だが、兄と違うと言われるのがこんなにも嬉しいとは、友の目には自分らしく映っていたのだろう。兄の背中を追って背伸びをする必要は、もうない。
「ぷっ、そうだな、似なくて良かったよハハハハ ありがとう壱黄、黄花ハハハハ」
「へへへ」
「ふふふ」
 蒼亞は大声で、壱黄は鼻の下を擦り、黄花は可愛らしく笑い合う。これから胸の中の花は種となり、風に乗って沢山の出逢いの芽となり繋がるのだろう。彼への想いは、そんな素敵な蒲公英の花のような恋だったのだ。
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